唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

君の瞳に鬱離婚だ。

・10月27日のエントリーで名無しさんからご指摘を受けたが、唐沢俊一氏は2016年9月に上演した舞台『お父さんは生きている』の映画を製作する資金300万円を募ったものの68500円が集まったところで終了している(Makuake)。その後、映画が作られる様子はなく、出資した人にも報告はないようだ(Makuake)。それを踏まえると、30万円を集めた眠田直氏の『燃え萌えナチス少女ゲッペルスちゃん』は凄いのかもしれない(FUNDIY)。


・本題。ブログを更新しなかった間にチェックしていたネタを取り上げる。日刊ゲンダイ』2016年10月11日発売分のシリーズ記事「私が書いた離婚届」唐沢俊一氏が登場して夫人との離婚のいきさつを語っている(日刊ゲンダイ電子版)。離婚を公言したのは吉田豪サブカル・スーパースター鬱伝』文庫版の加筆部分に続き2回目で(2014年11月8日の記事)、ここではだいぶ詳細に語っているが、吉田氏によるインタビュー(初出は『クイック・ジャパン』VOL.94)と比較すると齟齬をきたす箇所もあるので、今回はそれぞれ比較しながら読んでいくことにする。『クイック・ジャパン』でのインタビューについては既に取り上げたが(2011年2月10日の記事)、それを補完する意味合いもある。

 まず、唐沢氏夫妻と唐沢氏の母上との同居(厳密に言えばマンションで隣合わせで暮らしていた)が離婚のきっかけになった、というのは双方のインタビューで共通している。要は奥さんとお母さんの生活リズムが合わなかったのが別居の理由だというのだが、『クイック・ジャパン』(以下『QJ』)のインタビューを読み返すと唐沢氏が妙なことを言っているのが気になったので、以前にもツッコミを入れたがあらためて指摘しておく。『QJ』P.126〜127より。

サブカルチャー畑の人ってのは、完全に一般社会とは常識を異にした異端の世界の淵に自分を追い込んで、それを商品にして食ってくものなんですよ。それが、母親と向き合うときには親戚のガキが進学したとか病気になったとかいう話に合わせなければいけない。ウチの弟なんかはギャグの矛先を鈍らせないために、親戚付き合いとかは一切断っているぐらいなのに(笑)

 唐沢なをき氏には2012年にお子さんが生まれているが、それで「ギャグの矛先」が鈍ったかと言えば全くそんなことはなく、子供をネタにしてますます快調にギャグを生み出している。そもそもサブカルチャー畑の人」も社会とそれなりに折り合いをつけなければ仕事していけないはずなので、「異端の世界」なるものは唐沢氏の思い込みに過ぎないのではないか。むしろ常識が必要とされる業種なのではないか。唐沢氏はオタクが反社会的な存在だと思い込んでいることがしばしばあったが、これも似たような幻想だろう。


 さて、この後の話は双方のインタビューで違ってくる。まずは『日刊ゲンダイ』(以下『ゲンダイ』)のインタビューより。

 母は小商いの妻で典型的なルーティン生活。食事の時間も入浴の時間もきちんと決めないと承知できないタイプです。一方、僕たちはフリー稼業で、締め切りを死守する分、それ以外の時間は縛られたくないタイプ。 彼女にとって、母の干渉は束縛される感覚でしかなかった。お互い生活のパターンが徹底して合わなかったんです。 
 当時は芝居に力を入れ始めたところで、出費が増えること、妻よりも長時間一緒にいる女性スタッフがいることも、彼女は快く思っていなかった。母から逃げるように、代々木に仕事場のマンションを買い、母は母で嫌われたことを嘆き、 三者バラバラの生活……。

 
 次に『QJ』P.127より。

 まず、母との同居を奥さんが拒否して。じゃあ離婚か、というと、それはしないのね(笑)。掃除洗濯にはきちんと帰ってくるし、仕事とかもしてるし。でも、日常は共にしない、母がいるうちは一緒に住まない、と。簿記の勉強をいきなり始めて、あっという間に二級までとって、一級目指して五年目標でがんばるから生活は別々、と。君のような生活の不規則な人間とは一緒に住んでらんない、と。簿記別居(笑)。

(前略)こらいかん、と思って逆に演劇活動にハマりこんでみたりして。

 「あれ?」と思ったのは『QJ』の「君のような生活の不規則な人間とは一緒に住んでらんない」という奥さんの発言で、つまり奥さんは簿記の勉強のために「典型的なルーティン生活」をしようとしていたわけで、それだとお母さんと別居する必要はないんじゃないのかな? 唐沢さんと別居する理由にはなるけど。あと、演劇にハマったのが『ゲンダイ』では夫婦仲が悪化する前で『QJ』では悪化した後だと読める。「妻よりも長時間一緒にいる女性スタッフ」というのも何者なんだろうなあ。「大恋愛事件」(正確には「大片思い事件」と呼ぶべき)のお相手は女優さんだから違うよなあ。



 『ゲンダイ』のインタビューより。

そんな時、僕がたまたま舞台の打ち上げで“ニンニクのホイル焼き”をたくさん食べて。みんなに 「そんなに食べたら奥さんに出て行かれる」なんてちゃかされて家に帰ると、本当に「臭い! 仕事場で寝る!」 と怒って出て行き、それきり帰ってこなかった。後で聞いたら、ノイローゼ気味になっていて、僕に会うと殴られるんじゃないか、という妄想にかられて逃げていたようです。

 「ニンニクのホイル焼き」の件は「裏モノ日記」2006年9月13日にある。

ニンニクのホイル焼きをばくばく食べながら
「ニンニクの匂いをぷんぷんさせて帰ったらK子先生文句言いませんか」
「怒って“私、仕事場で寝る!”とか言って出ていってしまうかもな」
とか会話。12時半に店を出てタクシーで帰宅。K子とたまたま帰りが一緒になる。先にベッドに入っていたら、寝室に入ってくるなりK子、
「何、このニンニクの臭い!」
と叫び、
「私、仕事場で寝る!」
と言って、出ていってしまった。

 ああ、本当にあったことなんだ、と思いながら翌14日の日記を見てみると、

朝9時起床。朝食は9時半。それまでに入浴。雨、かなり強く降る。
K子は10時ころ帰ってきた。

 すぐに帰ってきてるじゃん! 『なぜか笑介』ばりにずっこけてしまった。まあ、こんなウソをついてもしょうがないから、記憶違いなのかなあ。この後奥さんが猫をトイレごと持ち去ってしまうというなかなか凄いイベントも起こっているんだけど(「裏モノ日記」2006年12月20日)。

 『ゲンダイ』のインタビューのラスト。

 母との別居から2年後、「1人になっていいですか?」とメールが来て、結婚は20年目で 離婚を叩きつけられた形で終わりました。無理して買った2世帯マンションも売りました。「トリビアの泉」のヒットがなければ母を東京に呼び寄せることもなく、離婚もなかったと思います。もちろん恩恵もたくさんありますが、複雑ですね。
 あの時、もっと強く止めるべきでした。今から1年前、母は亡くなる時も、「元妻には申し訳なかった」と言い残した。後味の悪い別れになってしまいました。今お付き合いしている女性はいますが、時々元妻のことを思い出し、切ない気持ちになります。下北沢でやる芝居は家族がテーマなんですが、男はどうも過去に執着してダメですね。

 「今お付き合いしている女性はいます」。さすがドンファンあと、マンションを「無理して買った」と書いているが、唐沢氏の母上はご自分で部屋を購入されている。「裏モノ日記」2004年1月16日より。

要するに、母の買う部屋の隣が空いており、この二軒は、マンションの二部屋とはいっても、他の部屋群とはちょっと離れた、入り口前をほとんど他の住人が通らない作りの、ほとんど別の一画という感じで独立している。この隣をわれわれの住居用に買ってしまわないか、ということである。扉と扉は向かい合っており、向かい合わせで鍵をあければお尻がぶつかるほど。親と住まうにはまず、理想の環境と言えるであろう。もちろん、母の方は即金だったが、われわれはローンである。

 そうか、中野のマンション、売っちゃったのかあ。
 「「トリビアの泉」のヒットがなければ」というのは自分もよく思うところで、あの番組のスーパーバイザーとして名前が知られていなければ検証されることもなかったかもしれない。ついでに書いておくと、上で出てくる「芝居」というのはクラウドファンディングで映画版の製作費を集めようとしていた『お父さんは生きている』である。
 
 それから、『QJ』のインタビューで唐沢氏はこんなことを言っている。P.127より。

 だから、これじゃ落ち着かないから離婚するか、逆に僕のほうが母と別れようか、と言ったら、それはかえって不経済だ、と。トラブル起こさずに長男が母の面倒見るにはこの形がちょうどいい、と。どうせ二人してやっていたサブカル系のコミックなんかは今、大きな仕事来ないから、と(笑)。 

 一度断った夫からの離婚の申し出を自分からしてきた、ということは奥さんのほうの事情あるいは心境に何らかの変化があったということなのだろうか。なお、唐沢夫妻が共作したのは2009年の『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)が現時点では最後となっていて、別居以降も一定の間は仕事は継続していたことがうかがえる。


 奥さんとの別居以降の唐沢氏の仕事のクオリティが低下したのは紛れもない事実であって、『新・UFO入門』での盗用も別居の翌年である(ただしコピペ自体は別居以前から見られる)。こうしてみると、奥さんは唐沢氏の仕事をよくコントロールしていたのだと思わざるを得ない。離婚に至った事情はどうであれ名コンビであったことは確かなのだろう。

鱗(うろこ)

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