唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

Sensor in Twin Pillars.

2つの柱の間を通り抜けようとすると反応してピーピー鳴るやつだと思う。


【悲報】『中国嫁日記』の作者、開店祝いの色紙で字を間違えるとらのあな湘南藤沢店公式Twitter

 今風にまとめブログっぽい見出しをつけてみたが、そもそも「今風」という言葉が今風ではなかった。さらに言えばこのブログは悲報のかたまりみたいなものだし。ともあれ最近一番笑ったネタを紹介しておいた次第。そんなことってある? という間違い。誤字脱字は当ブログも気をつけねば。


唐沢俊一氏は来月また芝居をやるそうで、私は行かないが頑張って欲しいものだが、ブログで書いている稽古の日誌を読んで驚いてしまった。

作ってきた作品が6年で11作(今回含む)。まあ、演劇ユニットとしては平均のペースだと思うが、なんとか安定しはじめたのは3年前くらいからで、それまでは1作ごとに、荒波に翻弄される小舟のような有様だった。主演俳優とのトラブルで、演出権を奪われたこともあったし、女優の舞台上での骨折という大アクシデントに見舞われたこともあった。よく、演劇なんかやめちまおうと思わなかったものである。

 これも、そんなことってある? という話だ。「演出権を奪われ」るって演劇ではよくあることなのだろうか。一体何があったらそんなことになるんだ…。それから、「女優の舞台上での骨折」というのは2013年4月に行われた舞台で女優さんがアドリブでドロップキックをして着地に失敗して腕を骨折してしまったそうなのだが(2013年4月13日の記事を参照)、実はその後去年3月にも上演中にドロップキックをした役者さんがケガをしている(唐沢氏のTwitterおよび中澤隆範氏のブログ)。一度事故があったのなら、舞台上でドロップキックなんてさせるはずがないから、またアドリブなのだろうか。ペナルティだってもうドロップキックしてないのに(ヒデさんがどこか痛めたのかも)。身体能力のある人がドロップキックをすれば打点が高くて見映えもするけど、そうじゃないと微妙な感じになっちゃうから、危険なわりにそれほどウケないパフォーマンスのような気がする。いずれにせよ、役者さんがケガをしたら観客もドン引きするしかないので、安全には気をつけて欲しい。そういえば、又吉直樹『劇場』(新潮社)の主人公は公演のたびにネットで酷評されるダメな劇作家という設定なのだが、読みながら「本当にダメな劇作家は酷評すらされないんじゃないか?」となんとなく思った。もちろん特定の誰かを思い浮かべたわけではない。


・本題。新潮45』11月号唐沢俊一氏による『ネットに跋扈する「繊細チンピラ」』という文章が掲載されている。…えーと、唐沢氏の名前が入った文章を商業誌で読むのはいつ以来になるのか。当ブログで確認できる限りでは、『週刊新潮』2013年10月24日号以来になるのかな(2013年10月13日の記事を参照)。そうなると約4年ぶりだ。ウォッチ対象がそれでは当ブログも休眠状態になるのも当然か。なお、この文章の一部は「デイリー新潮」で確認できるので興味のある人は一読してほしい。
 実に久々の文章ではあったが、一言でいえば「唐沢節」という感じであった。オスカー・ワイルドの言葉を引いたり、最近の若者は「世界に一つだけの花」として育てられた、というのも前によく聞いた話だ。悪く言えば新鮮味も意外性もないが、よく言えばいつもと同じことが書かれてあって読まなくても中身がわかるので安心できる、ということになる。
 そもそも取り上げられている「繊細チンピラ」というワード自体新鮮味に乏しいのだ。少し前にテレビ番組でも取り上げられたというし、「流行り物がおじさん向けの雑誌で取り上げられるとその流行は終わる」というよくあるジョークをまさしく体現している。また、この「繊細チンピラ」という言葉の生みの親とされる小野ほりでい氏は自身のTwitterで「繊細チンピラ」を安易に用いる危険性を訴えていたのだが、唐沢氏の文章はまさに小野氏が危惧していたことをそのままやってしまっている。あちゃー。
 ひとつだけ文章を引用しておこう。『新潮45』11月号P.129より。

 自分が“世界でたったひとつの花”であると教えられた人間たちは、自分以外の人間が美しい花としてちやほやされることに耐えられない。自分が上に行けないのなら、せめて上にいるものを引きずり降ろしたいという欲望にかられてやまない。自己の欲求を満たすことこそ幸福、という教育によって、ネット世代、ツイッター世代は底なしの承認地獄、他者の自己承認を否定し続けなくてはいられないチンピラの陥る地獄の炎の中でもだえているのである。

 このコラムの締めくくりの部分を読んで思わず笑ってしまったのは、この「唐沢俊一検証blog」がある意味において「承認地獄」、あるいは承認欲求の墓場のようなものだからである。唐沢氏に限らず岡田斗司夫氏も承認欲求の強い人だった(何故か過去形)。なら俺は「オタク第一世代の墓掘り人」なのか?(トリュフォーかアンダーテイカーか)とも思ったが、ただでさえ悪いイメージがもっと悪くなりそうなのでやめておこう。それはともあれ、一番わかりやすいのは『ぴあ』におけるいわゆる「ガンダム論争」だ(2008年11月18日から全7回の記事にまとめてある)。あれこそまさに投稿欄が「承認地獄」と化した記録である。それを踏まえて『新潮45』の唐沢氏のプロフィール欄を見ると、「大学在学中よりアニメ評論を手がけ」とあるのでもう一度笑ってしまう。他ならぬ唐沢氏自身が「わたしを認めよ!」と若き日に言い募った記録がバッチリ残ってしまっているのに、「ネット世代」「ツイッター世代」を低く見るのは理解に苦しむ。承認欲求の強さは世代で決まるものではなく、各個人によって決まるものだ、と当たり前の話を一応書いておく。唐沢氏が世代論をするたびにこの手の注意をしているような気もするが…。
 もうひとつ思ったのは、文中で「繊細チンピラ」について、

自分と関係ない他者の痛みまでをも忖度して我がことのように傷ついたと称し、激昂する

とあるのは、盗用を指摘された時の唐沢氏にそっくりだということ。『社会派くんがゆく! 復活編』(アスペクト)より。

これを認めると、今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例として相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない。 私自身の反省や意識だけでどうこうという問題をすでに超えてしまったのである。

 うん、チンピラ感あるな。ただ、自分がコミケで献本を断られた時に「周囲の人が病んだ」のを理由にしていたのを考えると、唐沢氏の場合は「他者の痛み」を理由にして自らの痛みを消そうとしているような気がするので、「繊細チンピラ」とはまた少し違う気がする。「効いてない」アピールがすごいというか。唐沢氏は『モンティ・パイソン』のファンだそうだから「黒騎士」と呼んであげようか。

アーサー王が馬に乗っているフリをしていて従者が「パカラッパカラッ」と音を出している



 さて、このコラムには実は前段があって、週刊新潮』9月21日号に掲載された『「インスタ映えの名勝」に死す 「自撮り命」のメッカで落命した「プロポーズ青年」』という記事に唐沢氏がコメントしていて、それが評価されて長い文章を書く話になったものと思われる。なおこの記事は現在「デイリー新潮」で読むことができる
前編後編)。以下少し長いが引用する。

同じく評論家の唐沢俊一も、次のように指摘する。
「私たちは『世間には100%の賛同を得られる事象などない』『誰もが異なる意見や嗜好を持ち、互いに認め合って生きている』と常識で理解していますが、インスタグラムにハマる人はそうではありません。自分と異なる意見と悪口との区別がつかず、みなヘイトと捉えてしまうのです」
 平易な例として、
「私がSNSで『リンゴよりみかんが好き』と書いたとする。すると『あなたは今リンゴを侮辱した。謝れ!』と言ってくる人がいるのです。最近はこれらの手合いを“繊細チンピラ”と称していますが、インスタグラムにのめり込む若者にはこうした自覚が乏しく、ブログやツイッターなど文章がメインのSNSを『ヘイトが多くて息苦しい』と感じる人もいる。その点、写真は感覚だけを発信するので批判されにくい。他人に与える情報量を減らせば周囲を傷つけることもなく、炎上騒ぎにも巻き込まれないで済むというわけです」
 反対意見には耳を塞ぎ、良いと思い込んだものを発信し、他人に共有して貰う。そんな快感が手離せないのだといい、
「文章で説明して分かって貰うSNSでは『いいね!』を量産できませんが、写真なら一目見た印象が全て。ですが、そのために出かけて写真を撮るなんて浅はかだし、『いいね!』としか言われなければ人はどんどんバカになる。実際に今、小学生でもインスタグラムを使いこなしているくらいです」
 つまりは、それほど単純なツールというわけで、
インスタ映えするとされている食べ物やスポットの多くは、鮮やかな原色がメインであることが多い。ビジュアル的にも目立つので見る人の注意を引きつけるわけですが、目立つものを好むとは、原始人の感覚と一緒です。大体『いいね!』も、若い子たちの『かわいいー』『ヤバーい』にしても、語彙がないからバリエーションもない。そんな承認を得るために手間暇をかけるなんて、愚の骨頂です」

 「繊細チンピラ」もここで出ている。しかし、文章ではなくコメントのせいなのか、だいぶ飛ばしてるなあ。インスタをやっている人を完全にバカ扱いしている。「原始人の感覚と一緒」って…。
 しかし、Snaplaceを見てみても、「インスタ映え」するスポットを探すのはそんなに単純な話でもなさそうだ。そして、自分はインスタをやっていないが、やってみたら楽しいかもな、と思う。逆に言えば、もっと若い頃にSNSが発達していたら、いわゆる「バカッター」みたいな真似をやっちゃっていたかも、とも思って怖くなる。たまたまそういう環境になかっただけの話なのであって、そういうのにハマる人をバカにする気持ちなどまるで起こらない。自分と違って唐沢氏は何かにハマったりしない自信があるのだろう。あるいは自己を客観視する能力に欠けているのか。というか、唐沢氏だってTwitterに食事の写真をよく載せているから、原始人の一歩手前まで来ているのではないか。若い人をあまりバカにしない方がいいと思うよ。


 新潮社が唐沢氏を重用するのは謎だが、「近頃の若い者は」系の論者としてなら需要があるかもしれないので、今後も頑張って欲しいものである。唐沢俊一検証blog」はこれからも変わらずに唐沢氏の商業誌での執筆活動を見守っていく所存です。

 

新潮45 2017年 11 月号 [雑誌]

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