唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

振袖娘ビジンダー地獄絵巻。

小林幸子関連で最初に思い浮かんだネタ。





唐沢俊一が今話題のアイスバケツチャレンジに参加していた(公式サイト)。こーゆーことをあまりやりそうにない人なので正直意外ではある。「社会派くん」が今でも続いていればアイスバケツチャレンジを皮肉っていたんじゃないかなあ。メルマガの方は5月末で止まっちゃっているみたいなのだけど。




週刊新潮』8月28日号P.166の記事「オタクの殿堂で「小林幸子」媚びるの巻」唐沢俊一がコメントしていたので紹介しておく。

この日、別のブースで参加していた評論家の唐沢俊一は、
「開場前の搬入から、自らCDを積んだカートを引き、スタッフと共にブースの設営をしていて、驚きました」(以下略)


 夏コミでの唐沢俊一のブースは東3ホール Q-24bで、小林幸子のブースは東4ホール シ-88bである(twitcmap)。だいぶ離れているが(東京ビッグサイトのフロアマップ)、設営の様子をわざわざ見に行ったのか、何かのついでに目撃したのだろうか。



 続き。同誌P.166より。

コミケをちゃんと分析して来たな、という印象です。得てしてオタクは捻くれてプライドが高く、少しでも彼女が大物ぶった態度を見せれば“落ち目のくせに”と批判する。それでいて単純だから、小林さんが積極的に関わる姿を見せれば、歓迎するのです」


 「捻くれてプライドが高く」「それでいて単純」が一般的なオタクだとするならば、唐沢さんも立派なオタクなのだろう。まあ、小林幸子ほどの人なら分析するまでもなくコミケの参加者を喜ばせるサービスが出来ても何ら不思議ではない、とは思うし、「媚びる」という言葉をタイトルに入れる『週刊新潮』は意地が悪いとも思った。



 ついでに、同じ『週刊新潮』P.140〜141に掲載されている『東京情報』第81回より。同誌P.140。

第二次大戦後、日本国憲法制定に伴う皇室典範の改正により、元号の法的根拠は消失したが、その後も西暦と元号が併用された。1979年に元号法が制定。そこでは、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、一世一元の制が維持されている。


 ウィキペディアより。

第二次世界大戦後に、日本国憲法制定に伴う皇室典範の改正をもって、元号の法的根拠は消失した。

その後論争を経て1979年(昭和54年)に元号法が制定された。

元号法では「元号皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、一世一元の制が維持された。


 ヤン・デンマン氏もウィキペディアを参考にしているのだろうか。


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