唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

去年を待ちながら。

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●昨日の佐村河内守の記者会見は唐沢俊一問題で言えば「大丈夫だろうか、そんなに素直で」に該当するのでは(「唐沢俊一ウォッチング用語集」を参照)。素直に謝るしかなかったのに余計なことをしてしまうとか「悪いのはいつも他人」という発想とか、両者は実によく似ている。


2月25日11時からTBS系列で放映されたひるおび!内のコーナー「常識クイズ どっちがホント」の解説役として唐沢俊一が出演していた。この日はソチ五輪日本選手団が帰国する日だったせいもあってか、いつもよりクイズの時間がだいぶ短めで2問しか出題されなかった(通常は3〜4問出題)。この日の解説でも若干怪しい部分があったのだが、それにしてもこの「常識クイズ」のコーナーは4月以降も続くのだろうか。日本語クイズ担当の齋藤孝が続けるかどうか微妙だからなあ(齋藤は4月からTBSの朝の情報番組の司会を夏目ちゃんとともに担当)。最近はこのコーナーでしか唐沢さんの生存を確認できないから、できれば続いてほしいものである。



ソチ五輪つながりでブログの主旨からやや脱線した話題。小林よしのり自らのブログで「五輪選手に敬意くらい払え」と森喜朗竹田恒泰を批判していてそれはいいのだが、かつて自身も内村航平を「マザコン」呼ばわりしたのを覚えているのかどうか(ゴー宣道場)。この件でおぎやはぎに軽くいなされていた(RBB TODAY)のを思い出してあらためて悲しくなった。まあ、よしりんが意見をコロコロ変えるのは昔からよくあることだし、それどころか意見を変えるのを正当化しているフシもあるのだが、それでも一応つっこんでおいた次第。



『タブーすぎるトンデモ本の世界』サイゾー)に唐沢俊一もコラムを2本寄稿しているのだが、どちらも全然タブーとは思えない内容だったので当ブログでは取り上げない。『トンデモ本の新世界 世界滅亡編』(文芸社)でも滅亡と関係ない文章を書いていたのと同様に本のテーマをブッチ切っているのがいっそすがすがしくもある。
 同書で目を惹くのは、山本弘会長によるネトウヨ批判で、安田浩一『ネットと愛国』(講談社)を肯定的に論じたものと「嫌韓レイシストたちの奇妙な世界」という2本の文章でネトウヨを徹底的に批判している。正直このテーマだけで、『トンデモレイシズムの世界』という本を1冊書けばいいのに、と思ったくらいである。これらの文章を読んだ時には、会長とネトウヨとの間でマーク・ハントvsアントニオ・シウバ並みの大激戦が繰り広げられるんだろうなあ、と思っていたのだが、ネトウヨさんからの批判が今のところない様子なのが意外といえば意外。なければないで別に構わないけれど。
 自分が気になったのは会長の思想的な立ち位置で、ネトウヨを叩いているからといって会長は「親韓」でも「反日」でもなくて、「嫌・嫌韓」くらいのポジションのような気がする。同書に収録された「皇室をめぐるトンデモ説」を読む限り、会長は明言はしていないものの現行の天皇制を支持しているようだしね。
 立ち位置の話をもうひとつしておくと、会長は同書の中で福島第一原発の事故に伴う「危険デマ」を検証した「トンデモ放射能デマの世界」という文章を書いているが、その中で会長は自らが「反原発」であることを明言している。『タブーすぎるトンデモ本の世界』P.243より。

 先にも書いたように僕は反原発派だが、こうした危険デマの数々は許せない。
 第一に、あまりにもバカなデマが広がることは、「反原発派は頭が悪い」という印象を大衆に与えてしまう。本人たちは反原発のために活動していると思っているのだろうが、結果的に、反原発運動に対する強力なネガティブ・キャンペーンになってしまっているのだ。


 もうひとつ引用しておこう。同書P.237より。

 もちろん「安全デマ」というものもある。しかし、危険デマに比べると圧倒的に少ないし、拡散力も弱い。「××は安全だ」というウソと「××は危険だ」というウソでは、どちらの方が衝撃で(原文ママ)、影響力が大きいかは言うまでもない。


 だから、「危険デマ」を批判しているからといって会長が原発を支持しているわけではないのだが、「反原発だからこそ危険デマを叩く」というのは誤解されやすい立ち位置なのかもしれない。会長によると「「嫌韓」と「放射脳」は似ている」(P.145)とのことで、会長にとって両者は許しがたいものなのだろう。



●山本会長がらみの話を続ける。積んであった『去年はいい年になるだろう』PHP文芸文庫)をやっと読んだので感想を書いておく。この小説の中に唐沢俊一も登場するので、当ブログとしては取り上げておいた方がいいだろう。なお、未読の方に配慮して内容の説明を必要最小限にとどめることをあらかじめおことわりしておく。
 あらすじについては会長のブログを参照してほしいが、唐沢問題を抜きにしても面白い小説で、SFに馴染みのない人でも読みやすいと思う。なにせ文庫版下巻の帯には「感動の私小説SF」とあるくらいで、かなり生活に密接した描写が多いのだ。個人的には、作中で星雲賞を獲りたいと書いていたら本当に獲っちゃったのがなんともカッコいいと思った。あと、今読むと「そうか、この小説が発表されたのは2010年なのか」となかなか複雑な思いをさせられた(理由はあらためて書くまでもなかろう)。


 この小説では未来からアンドロイドがやってきて歴史を改変していくのだが、作中のキーポイントのひとつに「未来の自分自身からメッセージが送られてくる」という点がある。主人公である山本会長の元には、メッセージとともに「未来の山本弘が書いた小説」が送られてきて、それらの小説の扱いについて作中の会長は非常に悩み、ストーリーにも大きく関わってくる。以下は余談だが、大森望北上次郎『読むのが怖い!Z』(ロッキングオン)で『去年はいい年になるだろう』が取り上げられているのだが、大森氏も北上氏も「未来からのメッセージ」の問題を実に簡単に片づけてしまっていて、「会長はあんなに悩んでいたのに」と笑ってしまった。なお、『読むのが怖い!』シリーズでは会長の他の小説もいくつか取り上げられているので、興味のある人はチェックしてみよう。
 
 
 さて、今回『去年はいい年になるだろう』を手に取ったのは、唐沢問題を検証するため、などといった目的があったわけではなかったので、特に考えもせずに熱心に読み進めていたのだが、会長が「未来の山本弘」からのメッセージを受け取るシーンにやってきたところでちょっと驚いてしまった。『去年はいい年になるだろう』文庫版上巻P.250〜251より。

<(前略)身の回りに起きるトラブルだってそうだ。確かに僕はいろいろなトラブルを体験した。仕事上のもの、プライベートなもの、ネット上のもの……でも、その多くを、たぶん君は経験しないだろう。と学会の件とかにしてもそうだ。それは君の歴史では起きない可能性が高い。だから警告を発しても、かえって君を混乱させるだけではないかと思う>


 と学会というのは、僕が会長をしている趣味のサークルだ。僕は首を傾げた。僕09の歴史では、と学会関係で、何かトラブルが起きたのだろうか?


 「僕09」というのは「2009年から分岐した山本弘」のことなのだが、それはそれとして、えーと、この「と学会の件」ってまさか…。「2009年から分岐した山本弘」ならあの一件を体験していてもおかしくはないのか…。
 作中の会長も「と学会の件」を気にしていて、後で「と学会」の例会の後の打ち上げの席でも、

(前略)いったいオリジナルの世界では何が起きたんだろう?

と不安に思っている(文庫版下巻P.37)。結局、「と学会の件」が何なのかは作中では明らかにされないのだが、唐沢問題を検証してきた人間としてはいろいろと思い当たることがあって困ってしまう。もちろん、いくら私小説の要素が強いからといっても、『去年はいい年になるだろう』は『まんが極道』と同じく純然たるフィクションなのだから、現実に引きつけて考えるべきではないのかもしれない。


 ちなみに、「僕09=2009年から分岐した山本弘」は「と学会の件」を警告した後で、「ホームページに掲示板を設置しても悪意のある人間が集まってきてトラブルになるだけだからやめたほうがいい」という風に警告していたので思わず笑ってしまった(文庫版上巻P.255)。会長のサイトの掲示板ってそんなに悪意のある人間が集まっていたのだろうか。



 で、唐沢俊一である。『去年はいい年になるだろう』で唐沢は2回登場している。1回目は前にも書いた「と学会」の例会の後の打ち上げで出てきて、2回目は松江での日本SF大会で出てくる(SF大会の企画として「日本トンデモ本大賞」が行われた)。
 2回目は名前が出ただけなのだが、1回目ではかなり長めに登場している。文庫版下巻P.35より。

「そう言えば、唐沢さんとこにも未来からのメッセージ、来たんですって?」
 僕は唐沢俊一さんに訊ねた。

「ああ、来ました来ました」唐沢さんは、にやにや笑いながら身を乗り出してきた。「自分の著作の原稿をどっさり送ってきてくれましてね。これは感謝してますよ。特に雑学ネタがいっぺんに増えた。当分、ネタには困らない」
 B級物件評論家を名乗る唐沢さんは、雑学本を何冊も出しているのだ。
「ああ、そうか。いいなあ、雑学」
 僕は本気で羨んだ。SFなんかと違い、雑学、特に歴史上のエピソードは、きわめて普遍的なものだ。ガーディアンの到来で世界が激変しても、時代遅れになることはない。たぶん唐沢さんのようなライターには、書きかけや構想中の作品をボツにしなくてはならない苦悩などないのだろう。


 この後、作中の唐沢俊一は「岡田斗司夫がダイエット本を出してベストセラーになった」などといった未来からの情報を披露してウケを取る。私見では、山本会長は唐沢俊一をとてもカッコよく描いていると思う。きこりの泉からやってきた「きれいな唐沢俊一とは行かないまでも。
 …それにしても、唐沢俊一には未来からのメッセージで警告することが他にもあるだろう、というか、注意事項があまりに多すぎて何から警告すればいいのか、という気がする。俺が「未来の唐沢俊一」だったとしても非常に困る。とりあえず、東大でオールバックにスーツの男が近づいてきたら気をつけろ、とか?(2008年10月23日の記事を参照)
 細かい点では、雑学だって時間の経過で変化していくものなのだから、そう簡単に使っていいものか? という疑問がないではない。



 …という具合に、唐沢問題を知っていると『去年はいい年になるだろう』はまた違った読み方ができるのだが、個人的には「“未来の自分が書いた小説”の扱いにあれだけ悩む人が盗用をよく思うはずがないよなあ」と強く感じた(あえて引用しないが文庫版下巻P.150には盗作への批判がある)。本作のクライマックスのひとつであるコミケでの少年とのやりとりが迫力にあふれているのも、会長のプライドのなせるわざなのではないか。もちろん、『去年はいい年になるだろう』はフィクションであって、現実に引きつけて考えるべきではない、ともう一度念を押しておかねばならないが、一読者としてそのように感じてしまったのは確かなのだから仕方がない。っていうか、唐沢さんはこの小説を読んでどう思ったのだろう。
 もっとも、『去年はいい年になるだろう』にもひっかかる点がないわけでもないのだが、それは山本会長の他の小説でもしばしば見受けられる点でもあるので、いずれ会長の小説全般についてどこかでこっそりと論じることがあるかもしれない…、などとまたしても宿題を増やしてしまったところで今回はここまで。


去年を待ちながら (創元推理文庫)

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去年はいい年になるだろう(上) (PHP文芸文庫)

去年はいい年になるだろう(上) (PHP文芸文庫)

去年はいい年になるだろう(下) (PHP文芸文庫)

去年はいい年になるだろう(下) (PHP文芸文庫)

タブーすぎるトンデモ本の世界

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読むのが怖い!Z―日本一わがままなブックガイド

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