唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ハラスメントした日々。

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
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・当ブログにコメントされる場合には誹謗中傷および個人を特定しうる情報の掲載はおやめください。守られない場合には厳正に対処する可能性があります。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、唐沢俊一に関する情報をご存知の方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
karasawagasepakuri@yahoo.co.jp



●mizucchi_kero4さんに教えていただいたが(ありがとうございます)、東京新聞』11月28日夕刊8面の「ユートピアを求めて展」の紹介記事唐沢俊一がコメントを寄せていた。『東京新聞』の公式サイトでも読むことができる。
 まあ、記事の内容に気になる点がないわけでもないが、そもそも唐沢がロシア・アヴァンギャルドに詳しかったおぼえがないので、何故起用されたのかわかりかねる。展覧会自体は行ってみたいものだが…。
 かつては『朝日新聞』が唐沢をよく起用していたが(書評委員にまでなった)、最近はそうでもないようなので、久々に新聞に登場したのはめでたいといえばめでたい。



●本題。唐沢俊一=ヤン・デンマン」説は当ブログでもたびたび取り上げているが(5月30日の記事を参照)、現在発売中の週刊新潮』12月5日号掲載の『東京情報』第46回「「同性間セクハラ」とは何か」ヘンな内容&唐沢イズムを感じさせるものだったので紹介しておく。



 コラムの冒頭、デンマンさんたちは「同性間セクハラ」を禁じた厚生労働省の方針に不満を漏らす(YOMIURI ONLINE)。ちょっとしたことでもセクハラと認定されてはかなわない、という話なら理解できるが、デンマンさんたちの話はどうにもアヤしいので困る。『週刊新潮』P.110より。

 部下のラッセルくんが唸る。
「あれには呆れましたね。たしかにセクハラやパワハラは問題です。でも、男性上司が男性部下に『彼女と休みの日に何してるの?』と尋ねることがセクハラになるなら、日常会話もできなくなる。これは厚労省の役人が自分たちの仕事をつくるための言葉遊びでしょう。欧米でも『同性間セクハラ』なんて言葉は聞いたことがありません。大体、厚労省の役人は『男のくせに』という言葉を今まで使ったことがないのでしょうか?」

 “same-sex harassment”もしくは“same-sex sexual harassment”でググったらかなりヒットしたがなあ。EEOCアメリカ雇用機会均等委員会)によるセクハラの定義も参照。
 また、1998年には連邦最高裁で同性間でもセクハラが成立すると認定されている(findlaw)。ニューズウィーク日本語版の記事も参照。向こうのセクハラは日本よりだいぶキツそう。ラッセル君はドイツ人のはずなんだがなあ。
 そもそも、2007年に男女雇用機会均等法が改正された時に、「男性へのセクハラ」も禁止の対象に含まれているので、今回の厚生労働省の方針はその流れに沿ったものだと言える。「男のくせに」とか言うな、とは思わないが、クレームをつけられた時に上手く言い逃がれができるようにしておいたほうがいいような気がする。


 P.110より。

「男は敷居を跨げば七人の敵あり」
という言葉がある。立場によってはその数は100人、1000人に増えるだろう。人生は闘争なのだ。だから、「男のくせに」と言われただけで気にするほうがおかしい。


 デンマンさん、カッコいいなあ。唐沢俊一という人も敵が相当多いみたいだし、俺もこんなブログをやっているおかげで結構な数の敵を作っているようで涙目になる。実際いろいろあったことを考えても、敵を作らないに越したことはないと強く感じる。だから、「男は敷居を跨げば〜」よりも「君子危うきに近寄らず」を個人的には採用したい(五味太郎『ことわざ絵本』では「君子実はいくじなし」とモジられていたけれど)。



 だが、デンマンさんがせっかく「男らしく」キメたのに、その後すぐに残念な展開になってしまう。P.110より。

 ラッセル君が頷く。
「まあ、女の女に対するいじめは陰湿みたいですけどね。これは日本人の先輩から聞いた話ですが、女性は他者と共存する術に長けていないので、商売的に成功する人が少ないらしい。男は相手の意見を受け入れつつ、自分の意見を通そうとするが、女性はそれが苦手とのことです。会社のお局さんもタチが悪いそうです。新入社員の女の子を、自分の手下と共謀していじめる。無視したり、陰口を叩いたり、仕事のやり方にケチをつけたり」

 あーあー、もうブチ壊しだよー。


 デンマンさんたちは「男らしく」トラブルを乗り切れ!とコラムの中で熱く語っているけれど、自分の考えでは女性に対する偏見を垂れ流す行為ほど「男らしくない」行いもないと思う。「唐沢俊一検証blog」の検証対象者は「他者と共存する術に長けていない」せいで過去に何度もトラブっているし、「自分の手下と共謀していじめ」をしたこともあったから、それを考えても陰湿な男性もいくらでもいると思いますよ、ええ。…デンマンさんたちもうちのブログを読むべきだな。デンマンさんたちはもうしょうがないけれど、『週刊新潮』の担当記者はこれを読んで何とも思わないのか、その点は激しく疑問。



 P.111より。

 日本酒で顔を赤くしたラッセル君が言う。
「ネットでは他人の人格を否定する言葉が溢れています。そして傷ついたふりをして相手を糾弾する人間が増えている。自分とは直接関係ないトラブルに口を挟み、人権という抽象的な正義を楯にして他人を攻撃する。常識人を装って言いがかりをつけ、他人を差別主義者に仕立て上げるわけです。これでは放火して消防車を呼ぶようなものですよ」
 ベルギー人記者が頷く。
「奴らは人間それぞれだということがわかっていない。早い話が俺がイモを食えばテメエの尻からプッと屁が出るか? 中途半端に人権が武器になることを覚えちゃったから、屁のツッパリにもならないセクハラ談義を始めるわけだ。人権派弁護士やマスコミの責任もあるが、弱者の攻撃はコンプレックスからきているのでタチが悪いな」

 盗用発覚で叩かれて以降すっかりネット批判派になってしまった唐沢俊一っぽい話の流れである。サッカーで勝ったからベルギー人の話は大目に見ておくことにして、デンマンさんたちに朗報(?)を伝えたいのだが、ネットでも今回の厚生労働省の方針に反発する声は少なくない(にゅーすまとめログを参照)。ネットというのは別にひとつの見方に支配されているわけでもなくて雑多な意見にあふれているわけだが、何故「人権」を楯にしている人たちばかりだと思い込んでいるんだろう。『社会派くんがゆく!』の存在が「空気」になってしまったひとつの要因は、ネットではあの程度の「鬼畜」っぷりは珍しくなくなってしまったせいもあるのだし。なお、「弱者の攻撃はコンプレックスからきている」理論については後日あらためて論じることにしたい。


 
 P.111より。

 ラッセル君が同意する。
「彼らが言う理想の社会とは、自分たちにとって都合のいい社会に過ぎません。すべてをセクハラに結びつければ、目に障るものを排除できると考えている。
(中略)
汚れたものも不条理なものも存在するのが現実社会。それを完全にクリーンな世界にしてしまうのは危険です。別に『寅さんに学べ』なんて言うつもりはありませんが、ちょっとしたセクハラなんて見逃すくらいの器量が必要ですね」

 今回のラッセル君のコメントはみんなヒドい。


 「ちょっとしたセクハラ」と簡単に言うが、それを判断するのは一体誰なのか。やっている方は「ちょっとした」つもりでも、やられている方はそうとは思えないこともあるわけで、結局のところ、ラッセル君の理屈は被害者に「器量」というかガマンを要求しているに過ぎないことになるのではないか。両者の認識のズレこそが重大な問題なのにその点を軽く考えすぎである。かつてデンマンさんたちは体罰を肯定していたが(6月1日の記事を参照)、彼らが被害者の立場に立った時にどのように振舞うか、とくと見せてもらいたいものである。…それにしても、外国のマスコミももっとマシな人材を日本に送ってくれないと困る。


 で、ヤン・デンマンの中の人疑惑のある唐沢俊一もセクハラには寛容だったりする。「裏モノ日記」2010年2月26日より。

別に早さんを弁護するわけではないが、劇団とセクハラは
ある種、つきものの関係である。一般社会の常識から言えば
裁判に持ち込めるレベルのセクハラが常時、行われていると言って
いい。言葉でもそうだし、フィジカルなレベルでも。
名前は出せないが大物声優さんで、その悪癖故にスタジオで
影で大顰蹙をかっている、などという人も知っている。その話を
聞いたとき、その大物声優さんは劇団に関わっているだろう、と
訊いたら案の定だった。

これは必要あってのこと、なのである。
舞台役者というのは、その役によって、時に恋人同士になったり
不倫関係の男女になったり、あるいは娼婦とその客になったり
しなくてはならない。キスシーンも演じるだろうし、抱擁や
手を握り合ったりするのは日常茶飯となる。

そういうときに、明らかにそこに躊躇が見えたり、また体が硬直
するのがわかったりすると、観客は興ざめすることになる。
公演のたびに、全く異る役が役者というのにはふられるわけで、
どんな役が来ても演じられる準備はしておかなくてはいけない。
ことに芝居というものの8割以上は男女の仲というものを描く。
そこに心理的柵を作らないために、セクハラで普段から鍛えている、
というわけである。

ちなみに、私はまだ、そういうセクハラに慣れられない。
女優の方も何にも感じてない、とはわかっても目にするとつい、
ビクッとしてしまう。役者として、芝居人として私がいまだし、で
あるのはそのせいである。

 自分は演劇に疎いのだが、本当にそんなものなのだろうか。こーゆー話を見ると、唐沢が演劇に深入りした理由ももしかすると…と思わないでもない。まあ、「あがり症を克服するためにエロエロな特訓をする」マンガなら何本も読んだことがあるが、虚構と現実をゴッチャにするわけにもいくまい。
 今年4月に唐沢主宰の舞台の上演中に出演者がケガをするというトラブルがあって以降、唐沢が関わった舞台公演は行われていないようなので(予定されていた2つの公演は何故かキャンセルされた模様)、一体どうなっているのか気にならないでもないが、そのあたりは詳しく調べるつもりもないので、なんとか成功してほしいと思うばかりである。


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