「せめて、オタクらしく」補論・その5
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●現在、唐沢俊一による伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』(NTT出版)批判検証を準備中で、それに関連して困ったこともあったりするのだが(その辺の事情は検証の際に説明したい)、資料調べの過程で目についたものを紹介しておきたい。
『ユリイカ』2008年6月号に掲載されている東浩紀・伊藤剛両氏の対談『マンガの/と批評はどうあるべきか?』の中で東氏が以下のように発言している。『ユリイカ』P.141〜142より。
(前略)岡田斗司夫さんが『オタクはすでに死んでいる』を出して話題になっているけど、彼がインタビューで、オタクは死んだがいい作品は出てくると思うので、これからは趣味として楽しみますと言っていて、これは常識的な態度だと思いました。むろん彼はかつて「オタクは新時代の貴族だ」と言っていて、そこからの変節は指摘されてもしかたないでしょう。ただ、そもそも貴族は制度があり血縁があるから貴族なのであって、オタクにはそういうハードな支持材がなにもないのだから騙されたやつがおかしいと言えばおかしいんです。オタクは気合いだけで勝手に貴族になっているのだから、そんな気合いは年齢を重ねたら消滅するに決まっている(笑)。
身も蓋もない、というか、東氏が「オタク=貴族(エリート)」理論をまるで信じていないことがわかる。まあ、自分も全くもって真に受けたことはないんだけど。
根本的なことから書くが、自分は「騙された方より騙した方が圧倒的に悪い」と思っている。唐沢俊一のガセビアを信じてしまっている人をなるべく批判しないようにしているのもそのためである。だから、「騙されたやつがおかしいと言えばおかしい」という言い方には正直抵抗があって、そのように断じるよりも何故「オタク=貴族」だと思い込んでしまった人たちがいたのかを考えた方がいいように感じた。個人的には「オタク=エリート」理論には宗教的な側面があるような気がするのだが、その辺は来たる岡田検証で出来ることなら考えてみたい。
…というか、そもそもオピニオン・リーダーであった岡田自身が「オタク=貴族」だと本気で信じていたわけでもないのではないか。オタクが貴族だと本気で信じているのであれば、従来の教養に憧れを持ったりはしないはずだ(2010年10月16日の記事を参照)。むしろ、岡田の言説に乗っかってきた唐沢俊一の方が本気度が高く見えるので事情はやや複雑だったりする(2011年11月1日の記事を参照)。
それから、岡田の「オタク=貴族」理論はあくまで精神的な問題であって(東氏の言い方に倣えば「気合い」の問題)、東氏が指摘している「ハードな支持材」は問題にされていない。ただ、それに関連して言えば、岡田と唐沢の実家がともに裕福だったことは無視できないところであって、オタクとして活動していくためにはある程度の経済的な余裕が必要であることは確かなのだろう。
東氏の発言の続き。
(前略)そもそも若いころは、オタクでもリア充でも、サブカルの最先端をどれだけ知っているかにアイデンティティがかかるものです。でもそんな焦りを原動力にしていたら、年齢を重ねたら絶対について行けなくなるし、なによりも飽きる。だから、現実的に考えても、さっき言ったみたいな普遍的問題にステージを上げていくしかないんですよ。五〇歳になって「いまは『らき☆すた』ですね」とか言っていたら、単純にイタいひとでしょう。
個人的に「オタクとしてどのように年齢を重ねていくか?」ということをだいぶ以前から考えていたので、この発言は面白かった。同意できるところもあれば、そうでないところもある。
同意できたのは、「焦りを原動力にしていたら(中略)ついて行けなくなる」のくだり。焦ってばかりで楽しさがないと見るのが苦痛になってくるだろうし、たとえ焦っていなくても年齢を重ねれば本数をこなすだけの余裕は時間的にも体力的にもなくなってくる。あの山本弘会長でも年を取って見られない作品が増えてきた、と『オタク座談会』で発言しているくらいだ。個人的な話をさせてもらえば、自分は地方暮らしが長かったおかげで「最先端」についていくのは最初から諦めざるを得なかったのだが、その反面「焦り」とは無縁でマイペースに過ごせたおかげで、未だにオタク趣味を楽しめているのかもしれない、などと思った。
同意できなかったのは、「普遍的な問題にステージを上げていくしかない」というくだり。東氏はもともとオタク的な問題にとどまらず普遍的な問題を志向していた人だから(この点は唐沢の『テヅカ・イズ・デッド』批判を取り上げるときに再度触れる)、そのように考えるのだろうが、そうとばかり言えないんじゃないか?と思う。要は、自らのオタク趣味を上手いこと正当化することができれば年齢を重ねても無理が来ない、という話ではないだろうか。一番簡単なのは趣味を仕事にしてしまうことなんだろうけど、それ以外にも手段はいくつもあるのだろう。
あと、「五〇歳になって(中略)単純にイタいひとでしょう」というくだりについては、何をもって「イタい」としているのか?が気になった。まず、「五〇歳になって」「『らき☆すた』」はイタさを判断する決定的な要素ではない。年齢に関しては「中学生になって〜」とか「20歳になって〜」などと感じる人もいるだろうし、萌えアニメでなくてもたとえば特撮でもマンガでもアイドルでも「イタい」と感じる人もいるだろう(そういえば『キャラクターズ』で『らき☆すた』がネタにされていたっけ)。まあ、東氏がそのように感じているだけ、と言ってしまえばそれまでの話なのだが。
ただ、一例をあげると、自分は50歳を超えていても唐沢なをきのオタク話を「イタい」とはあまり思わない。唐沢なをきは自分の趣味について若干含羞を感じているところがあるようで、それがイタさから救っているように思う。『怪獣王』(ぶんか社)にある同級生の目を盗んで怪獣図鑑を買いに行った話などは微笑ましいし共感できる。つまり、自らの趣味に没頭するあまり周囲が見えなくなったり、「俺の趣味はこれこれこーゆー理由で正しいのだ!」などと主張したりするとイタくなってしまう、そういう気がする。「いい歳してオタクをやっているなんて」と自覚しているうちはまだ大丈夫、ということなのかも。
「オタクとしてどのように年齢を重ねていくか?」は結構深い問題であり、自分としても大いに関心のあるテーマなので、いつかじっくりと考えてみたい。この点、唐沢俊一や岡田斗司夫の年の取り方もある意味サンプルになるわけで。ちなみに、この問題に関しては、『早稲田文学』2010年3月号に掲載されている伊藤氏の『若者は存在しない/オタクのまま老いるということ』という文章も参考になるので、興味のある人は読んでみることをおすすめしたい。
●『唐沢俊一検証本VOL.4』に収録してある『せめて、オタクらしく』は『新世紀エヴァンゲリオン』に関係した唐沢俊一周辺の騒動についてまとめた文章だが、それに関連して、『FLASH』1997年4月8日号の特集「一般人のための新世紀エヴァンゲリオン講座」で岡田斗司夫が『エヴァ』について解説しているのを見つけたので、今回はそれを補論として紹介したい。同誌P.69より。赤字が岡田の発言した部分。
「人気の秘密は『キャラ萌え』。つまり物語の謎よりも、“この女の子は幸せになるんだろうか”という心情。これがファンが追っかける本音なんです」。
『エヴァンゲリオン』は『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』以来の他人にも勧めたくなるアニメだと分析する。
「特に同じ世代の人たちに対して『エヴァをちょっと見てよ』といった形で(人気が)伸びていった」。
そして、見た目の新鮮さ。
「包帯をした女の子というデザイン。これってなかったんです。戦う女の子なんだけど、なぜか守ってあげたくなる感じがする。そのうえ主人公の3人(レイ・アスカ・シンジ)とも誤解されそうなタイプ。はっきり言っていじめられっ子。いじめられっ子が主人公のアニメって古今東西で初めて。その力もすごく大きいですね」。
いったんストップ。
…うーん、『エヴァ』の「主人公の3人」っていじめられっ子か? なんといってもそれが気になる。3人ともコミュニケーションに難はあるかも知れないがいじめられっ子ではないと思うし、シンジくんがトウジに殴られるのは「いじめ」とは少し違うような。仮にあれを「いじめ」と言うならば、『ドラえもん』ののび太だっていじめられっ子になるから「古今東西で初めて」でもなかろう。あと、『小公女セーラ』もヒロインがかなりいじめられる。まあ、「いじめられっ子が主人公」だとどのような力が働くのか正直なところわかりかねるのだが。綾波レイの「包帯」が筋肉少女帯の『何処へでも行ける切手』から来ている、というのはあまりにも有名なはずだが、デザインならエヴァンゲリオンの機体にも触れた方がよかったのではないかと。主役ロボのカッコよさってかなり大事だもの。
では続き。
さらに、かっこいい戦闘シーンもあり、謎がたくさんある物語設定のため、一度見てもわからないからよけいに見たくなる。
「オタクがもうすでに何百万人もいる時代になったんです。エヴァはそのオタクの人たちのど真ん中を掴んだから、ここまでの社会現象になったんです。すなわちそれは外へ広がったブームではなくて、中心が過熱しているブームなんですよね」
『エヴァ』のブームはオタクでない人々も熱狂したからこそ起こったのであって、その点は他のブームと同様に「外へ広がった」ものではないのか、と思うのだが、岡田の解釈だとそうではないようだ。でも、サブカルチャーの人やアカデミズムの人、つまりオタク以外の人種が『エヴァ』に「摺り寄ってきた」のを唐沢俊一は厳しく批判していたんだがなあ。もしかすると「『エヴァ』にハマった人はみんなオタクの仲間入りですよ!」などという裾野を拡大させる戦略が岡田の中で存在したのかもしれない、などと憶測してみた。
それと、「キャラ萌え」を「物語の謎」よりも優位に置く岡田の見方には異論もあるだろう。個人的には「かっこいい戦闘シーン」もかなり大きかったですよ。
一連の『エヴァ』騒動において、岡田斗司夫と唐沢俊一は『エヴァ』という作品そのものよりも『エヴァ』にハマった人たちを論じていた、ということは『検証本VOL.4』でも指摘したが、いざ『エヴァ』について語らせると岡田にしても唐沢にしてもどうも妙な感じになるのが気にかかる(2009年7月3日の記事を参照)。岡田は今でも時々『エヴァ』をジョークの種にしてあれこれ言っているようなのだが…。
※ 伊藤剛さんのご指摘に基づき誤記を訂正しました。
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