唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

オタキングゲイニン・オーバー!

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 検証も終了間際なので資料を整理していたら、だいぶ前に録画していた『平成極楽オタク談義』第7夜「パソコン通信の回が見つかった(ゲストは佐藤和也・眠田直両氏)。今回はその感想を書く。


 一番に感じたのは、唐沢俊一眠田直パソコン通信の時代の感覚が完全に抜け切っていない、ということ。眠田は「当時はいい意味での閉鎖性があった」「今は発言がすぐに広まってしまう」と言っていたが、伊藤剛さんのブログに中傷コメントした件(2009年7月27日の記事を参照)を見る限り、眠田がネットの現状に対応できていたとは思えない。一方、唐沢は、「当時はパソコンを持っているだけでエリートだった」と言い、ニフティ会議室について「会議室には敷居の高さがあって、ウスい人や電波な人が書き込めないようになっていた」と当時を懐かしんでいた。…つまり、唐沢は眠田言うところの「いい意味での閉鎖性」を現在でも求め続けているのではないだろうか。Mixiにハマったのもその「閉鎖性」ゆえなのだろうし、Twitterに手を出さないのは唐沢にとってTwitterのありかたが開けすぎているせいなのだろう。ネットだけでなく現実でも少人数のサークルを好む人なので、当然の成り行きである、とは言える。
 小さいネタとしては、岡田斗司夫山本弘会長がFMISTYに乗り込んだ件(山本弘のSF秘密基地)を「宣教師として敵のど真ん中にもぐりこんでいって堂々と論陣を張りまくる」と評価したうえで、「なんであんなに嫌われるかというと、あの人の文体や喋り方が向こうの癇に障りまくるから」と言っていたので笑ってしまった。…いや、かつて親しかった人からもそう見えるのかと感じて。今でも会長はご自身のブログでコメントに反論するときは妙に喧嘩腰で、「はあ?」などとまるでヤンキーみたいな返し方をするのを見ると、「会長は今年57歳なんだよなあ」としばし感慨に耽ってしまう。岡田&唐沢は今年55歳。まあ、80歳を過ぎてなお橋本愛について熱く語りつつ野田佳彦を罵倒する小林信彦に比べれば会長といえどもまだ甘いのだろうけれども。「オタクとしてどのように年を取っていくか」という問題を考えるうえで、先人たちのありかたは大いに参考になるし、お手本にしていくべきなのだろう。ギミノリなんかはある意味最高のお手本だな。



 さて、この番組の中で、岡田斗司夫「OLD PINKお見合い事件」2011年1月18日の記事を参照)について語っていた。岡田と同様に「オタアミ会議室」の議長だった唐沢と眠田も面白おかしく語っていたあたりに「閉鎖性」が悪い意味で作用していた様子がうかがえたが、岡田自身は当時の事情について次のように語っていた。


・OLD PINK氏が女の子と東京で会うことになったと聞いて、「2人だけで逢わせるのはあまりにもったいない」ので、お見合いと一緒に「オタアミ会議室」の緊急オフ会をすることにした。


・何故そういうことをしたかというと、「FCOMEDY」の参加者は「お笑い芸人」のつもりで参加していたはずで、「お笑い芸人」ならばプライベートを売り渡してナンボのものだし、ドッキリを仕掛けられても当たり前なので、お見合いにギャラリーがいても当然だと考えた。


 …とのことである。しかし、上に挙げたエントリーのコメント欄にある竹熊健太郎さんの「お見合い」の感想を見ると、岡田の発言には素直に頷けない。OLD PINK氏の立場に立たされることのない、ドッキリを仕掛けられることのない安全圏に居た人間が「芸人」について語ってみせても説得力はない。それから、岡田が「われわれはお笑い芸人のつもりで参加していた」と言った時に唐沢俊一「そうそう」「そのつもりだった」などと相槌を打っていて、実際「オタアミ会議室」でも次のような発言をしている(2011年10月1日の記事を参照)。

(前略)われわれは芸人です。プロの芸人は、タダでは楽しませてあげません。

 それなら、OLD PINK氏に反論された時にも面白い返しをしてみせればよかったのにね。さらに言えば、岡田と唐沢が『国際おたく大学』(光文社)内の表現に関して伊藤剛さんに訴えられて実質的に敗訴したのも、会議室という閉鎖的な空間でのみ通用した空気を外へと持ち出したがためだろう。「芸人」なら場に応じた振る舞いが出来て当然のはずなんだけどね。…番組の中で伊藤さんに訴えられた件について触れていなかったのは仕方がないのか。



 『平成極楽オタク談義』内の発言に限らず、「オタクアミーゴス」が「オタク芸人ユニット」を名乗っているところをみると、岡田と唐沢は自分のことを「芸人」だと思っているのかもしれない。なるほど、岡田のダイエットなどは自ら体を張った「芸」と考えられなくもない。だが、自分が見たところ、岡田と唐沢は2人とも自分で「場」をコントロールしたがる人であって、とても芸人に向いているとは思えない。TV番組を観る限りでは、唐沢はアドリブの利かない人だし、岡田にしてもTVに出演するたびに不満を漏らしているのは、自分の思い通りに行かなかったからであろう(2010年10月20日の記事を参照)。そんな二人がドッキリはおろか「いじり」に耐えられるとも思えないわけで、お笑い芸人ってそんなに甘いものじゃないだろう、と毎週いくつかのバラエティ番組を楽しみにしている人間としては思わざるを得ない。そういえば、唐沢さんの偽者が「R-1ぐらんぷり」に出ようとした話ってどうなったんだ?(2011年1月7日の記事を参照)



 結局のところ、岡田や唐沢が「芸人」を名乗っているのは「面白おかしいことを言ってウケを取りたい」かつ「自分の発言に責任を持ちたくない」という気分の表れでしかないのではないか。その一例として岡田のロフトプラスワンでのイベントの発言を再掲しておこう(2011年2月4日の記事を参照)。

いいかげんなこと言って金とってるわけですからね。なんせ「東大オタク学講座」という本なんかですね、オカルトの部分は一ページに一個間違いがあるそうです(笑)。いやあ、俺らしい本だなあと。「オタク学入門」にしてもねぇ、資料的な性格なんて全くないんですよ。思い入れで書いてますから。で、あえてね間違いが見つかっても直さないようにしてるんですよ。歴史なんてものは勝者が語るものなんだから、俺の本が売れれば、事実よりは俺の解釈の方が優先しちまえと思ってるわけでありまして。


 この発言に関しては、やはり2011年2月4日の記事に書いた文章を自らもう一度くりかえし書いておく。

 唐沢にしても岡田にしても、本人たちは「ネタ」として適当なことを言っているのにいつのまにかそれが「事実」「定説」として定着してしまうことがあるのが実に厄介なところで、間違いを指摘されると「あれはネタだから」「あえて直さない」などと言い逃れするのがこれまた厄介なところである。このような不誠実な人間がオタクの第一人者として見られていたことは本当に不幸なことだと思う。

 



 「唐沢俊一検証blog」を続けている動機のひとつとして、岡田や唐沢の面白おかしい発言を検討していくことで自分なりにオタクについて考えてみたい、という気持ちがあった、と今にして思う。ネタにマジレスする野暮な行為なのかもしれないが、ここ数年の作業は少なくとも自分にとって有意義であったことは間違いない。



 
 …しかしながら、岡田と唐沢は本人たちの考えとは別の意味で「芸人」であるのかもしれない。つまり、彼らの巻き起こすトラブルが多くの観客に楽しまれている、ということで、そう考えると、岡田と唐沢は2人ともかなり優秀な天然ボケとも言えるのであって、当ブログなどは彼らのボケにツッコミを入れる存在にあたると言えよう。…まあ、彼らが「天然ボケ」という立場を受け入れるかどうかは知らないが、今後彼らがどのような「芸」を見せるのか、楽しみなような怖いような気がする。




今でも燃えるなあ(例のダンスをしながら)。


私の東京地図

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