唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ガメラ=万年筆。

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
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karasawagasepakuri@yahoo.co.jp



●昨年9月に放送された『タカトシの時間ですよ!』で唐沢俊一が紹介していた黒澤明のエピソードのネタ元が判明したので、2012年10月16日の記事に追記と訂正をしておきました。まあ、ネタ元が判明したところで不可解な話であることには変わりないのだけれど。



日垣隆が自身が主催するイベントのゲストに重信メイを呼ぶことになり、そのためにイスラエルにまで行って直接打ち合わせしていたのに、何故か突然彼女のことをフェイスブックで中傷しはじめ、結局重信メイはイベントの参加を取りやめることになってしまった。重信メイのフェイスブックでのコメントを見る限り、おそらく現地で気に食わないことがあって引きこもってしまったものだと推測される。フィリピンの英語学校での一件を知っているとだいたい想像がつく。
 自分は唐沢俊一検証が一段落した後で、日垣についても少しだけ書いておきたいことがあるのだが、前にも書いた通り日垣に対しては既にネット上で強固な包囲網が出来上がっているので「検証」をするつもりはなく、心暖まる話をするつもりである。…本当だよ?
 もしも日垣と唐沢を無理矢理からめるのであれば、「平気で盗用する人について」「少数のファンを相手にしよう(囲い込もう)とする人について」という観点から論じることもできるかもしれない。…あ、上杉隆もこの2つのテーマにあてはまるし、前者に関しては佐野眞一、後者に関しては小林よしのりの話もできるのか。よしりんについては最近のAKBへのハマりっぷりを見ていたら何かしら書いておきたい、という気持ちになってはいる。サブカル史にとって重要な人だし、個人的に唐沢俊一よりずっと影響を受けた人でもあるし。



●そろそろ検証も終わるので、唐沢問題の資料を整理していたら、唐沢がゲスト出演したNHKの番組『にっぽん巡礼』を見つけたので観てみた。…まあ、2008年11月3日に放送されたのを今観るのもどうか、という気はする。寝かせすぎ。
 NHKクロニクルにある番組紹介を見てもらえばわかるが、若干スピリチュアル寄りの内容だったので、「何故唐沢さんなんだろうなあ?」と思ってしまった。「昔の人間の木に関する記憶が現代人のDNAにも残されている」とか「人は場所に縛られている」とか番組にマッチしたコメントをしていたので、意外と合っていたのかもしれない。



「つぶやき日記」1月7日分より。

TBS『ひるおび』の打ち合わせについてもオノから連絡。やはり新年一週間たつと仕事の件いろいろ。そのとどめで、夕方、某週刊誌から電話、来週からのインタビュー連載が決まる。ただし匿名で。言いたい放題が言えそうで、これは面白い仕事になりそうだ。


 匿名のインタビュー連載というのもあるのか。名前がわからない以上チェックできないのが残念。なお、「つぶやき日記」1月10日分鳩山由紀夫について「要はこの人、典型的アスペルガー症候群なんじゃないかと思う」などと書いている。…ノーコメント。



●本題。フィギュア王』№21(1999年5月発行)に掲載された唐沢俊一のおんなのこってなんでできてる?』第19回「ガメラよオトコノコに帰れ」を取り上げる。この文章の主旨は、いわゆる「昭和ガメラ」では男の子の味方だったガメラが「平成ガメラ」では女の子の味方になってしまったことを嘆き、「怪獣映画は永遠のB級映画である」と論じるものとなっている。なお、唐沢は「B級映画」という用語を「多少出来の落ちる作品」という意味で使っている。以下気になった部分を紹介していく。まず、ガメラ3 邪神覚醒』についてこのようなことを書いている。

あの作品は公開前にはストーリィがこみいっており、マニア受けはしても一般客、特に子供の入場が見込めないのでは、という懸念が業界でささやかれていたが、こないだ入場者が一〇〇人を越した、と言っていた。まずめでたい。


 「一〇〇人」? 大きめの映画館なら1回の上映でクリアーできる数字だが…。誤字なのか、はたまた皮肉なのか。

 昭和ガメラ知っている(原文ママ)三〇代以上は平成の『G1』はストーリィ最高、『G3』は特撮最高、というのが回りの平均的感想か。ところが二〇代になるともう、“『G2』じゃないスかあ、やっぱし”になるというのだね。
 僕ら兄弟に言わせりゃ“あんなもん、ゲーム映画じゃねえか”になるんだが、その薄っぺらなところが彼らのお歯に合うらしい。


 なんで『レギオン襲来』をクサすんだろ。ウルティメイト・プラズマが気に食わないのかなあ。元気玉最高じゃん。それに「ゲーム映画」というのもどんな意味なんだろ。「ゲーム脳」「リセット感覚」みたく、TVゲームで育った世代を馬鹿にする言葉なのかな。あと、「薄っぺら」とか言い出すと、「じゃあ、昔の怪獣映画はどうだったの?」と反論されるような気が。

 ところが、そういうお約束を知らない若い世代は、そもそも“カメが甲羅に手足引っ込めて火を吹いて飛ぶ”というだけでダメなんですね。
「カメの怪獣でガメラ、ってだけでオレらにはダメなんスよお」
 という若い連中と話をすると、こっちはキレそうになる。


 …あれ? 「若い世代」は「『G2』じゃないスかあ、やっぱし」と言っていたはずなんじゃ。ガメラ自体がダメな人が『レギオン襲来』をホメるのはヘンなんじゃないか? 

「考えてみればさあ」
と、弟が言うのである。
「あいつらが物心ついた八〇年代って、『ウルトラマン80』しかないんだよ、怪獣モノが。伝統がいったん途切れてるの。十代前にインプリンティングされないと怪獣はダメだね。今のガメラやティガ観た奴らが育つまで、怪獣は冬の時代を迎えるよ」


 自分が最初に観た特撮のひとつが『ウルトラマン80』なので唐沢なをきの発言には頷ける部分もある。そういう人間なのでウルトラマンメビウス』41話を観て号泣したのは言うまでもないが、こないだ『ウルトラマン列伝』でやっていたまぼろしの街』の生徒たちが矢的先生に教室から呼びかけるシーンで再度ボロ泣きしてしまったので(その後80vsメカギラスを観てすぐにニコニコした)、「俺はもう「教師編」をまともに観られないんじゃないか?」と不安になった。我ながら涙腺よわよわすぎ。
 それはともかく、ゴジラ1984年版ゴジラvsビオランテをスルーしているのがまず不思議。唐沢なをきは『シネマもろとも』の『ゴジラvsキングギドラ』の感想マンガでわりとキツいことを描いていたから(現在『唐沢商会のマニア蔵』に収録)、もしかすると平成ゴジラシリーズ全般に辛い評価をしているのかもしれないが…。次に不思議なのが「再放送」の存在をスルーしていること。今現在はそんなことはないかもしれないけれど、俺が「物心ついた八〇年代」には早朝と夕方に特撮とアニメの再放送が普通にあって、人生に必要なことのほとんどはそこで学んだと思っているくらいだ。ちなみに、唐沢俊一も同じカンチガイをしたことがある(2010年7月7日の記事を参照)。

 B級映画とA級映画(製作費うんぬんではなく、映画としての性格での分類)の差は、職種・役柄を超えた人間個人を描くか、映画の中の機能としてのキャラ描写に徹するか、の差ではないか、と思う。
 黒沢監督が本多監督の『ゴジラ』を観て、
「僕なら真っ先に逃げ出す自衛隊を描く」
 と言った、という話があるが、まさにこれが両者の境目だろう。こういう発想をする監督にいい映画は撮れても、いい怪獣映画は撮れない。そういう意味で金子監督は、ガメラというキャラクターに、ヒーローとしての役柄以上のものを与えてしまったような気がしてならない。


 なるほど、唐沢俊一平成ガメラが従来の怪獣映画の枠組みを外れている(越えている)のを問題視しているわけだ。かつて『エヴァンゲリオン』を批判したのも『エヴァ』がジャンルの枠組みを外れた(越えた)作品だったためなのだろうが、ブームを起こした作品というのは多かれ少なかれ従来の枠組みを壊す側面があるので、唐沢はブームを起こした作品を評価できない人なのではないか?という気もしてくる。もっとも、唐沢が考える「枠組み」自体が正しいものなのか、といった点も考える必要はあるだろう。
 余談だが、黒澤明と『ゴジラ』ということで、「オタク座談会」での岡田斗司夫の発言を紹介しておく。『封印』(音楽専科社)P.228より。

いや、大森一樹じゃなくてね、黒澤明が『ゴジラ』撮るべきだったんですよ。84年の『ゴジラ』は黒澤明が撮ってたら、そん次(原文ママ)の『ビオランテ』作る時に、みんな1作目の黒澤明が作った『ゴジラ』というのを思い出して『ビオランテ』作ると、ちょうどいい位置にスポッと収まるわけですよ(笑)。


 念のために書いておくと、『ゴジラ1984年版の監督は橋本幸治。なかなか興味深い思いつきなので紹介してみた。



 話を戻すと、唐沢はB級映画には“お約束”が必要だ」と、昭和ガメラから例を挙げている。

 昭和ガメラ第四作『ガメラ対バイラス』でお巡りさん役で大村崑が出てくる。最後に、やっぱり、という感じでメガネがズリ落ちる。
「僕はね、うれしいとメガネが落ちるんですよ」
 子供時代、ここでシラけたものだった。あまりに僕らに迎合してるんじゃないか、と。子供というのは、あまりこちらを子供扱いしてごきげんをとる大人には反発するものなのだ。
 ところが、大学生にもなって、オールナイトの怪獣映画大会に入り浸るようになったころ、このシーンを見て、手が痛くなるほど拍手している自分に気がついた。自分の青春、いや、もっと前か、子供時代がここに凝縮されている。あざとくても何でも、大村崑が出たらこれやらなきゃ、というあたり、湯浅憲明という監督は根っからの映画屋、B級魂の持ち主なんですな。


 大村崑がお巡りさん役で出演しているのは昭和ガメラ第5作『ガメラ対大悪獣ギロン』。唐沢は『ガメラ対バルゴン』の博士のセリフを間違って覚えていたこともあって、ガメラシリーズに関して記憶違いが起こりがちなようだ。
 それから、唐沢は大学3年の頃に、『ぴあ』に「オクルミ怪獣共の大量生産」を嘆く投稿をしていて(2008年11月18日の記事を参照)、そーゆー人が「お約束」で喜ぶかな?と少々疑問に感じる。『ぴあ』の投稿で『ゴジラ』を批判していた人が後になってホメるようになったのは何故か?というのはとても気になるので、転向した過程をいずれ明らかにしてほしいものである。
 ただ、昭和ガメラの子供受け狙いに引いてしまった、というのは唐沢俊一に限った話ではないようで、「オタク座談会」で岡田斗司夫山本弘会長も同じような話をしていて、岡田はガメラがジグラの背中で「ガメラマーチ」を演奏するシーンがツラかった、と言っているし、山本会長もバッサリ斬っている。『回収』(音楽専科社)P.223、224より。

やっぱし子供がこういうのをやったらおもしろがるという発想は、やめてくれて思う。(原文ママ

だからいまだに初期の怪獣映画の人気がおとろえへんていうのは、昔の怪獣映画はそういう媚びて、なかったもんな、けっこう。(原文ママ


 …というわけで、ゴジラの「シェー」や吹き出しでの会話も「媚び」として文句を言われている。「子供向け」をマイナス要素として評価する考え方はなかなか面白い。第2期ウルトラシリーズの評価が最近まで低かったのもそういった考え方とたぶん関係あるんだろうな、と思った。「オタク座談会」には面白い発言がまだあるので、機会があれば紹介していきたい。







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