唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ブラウン親父。

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
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 唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板で唐沢俊一による石堂淑朗の追悼文が話題になっているが、この追悼文の元になっているのは、『朝日新聞』2008年5月25日に掲載された唐沢本人の書評だと思われる。一応ご連絡。



 本題。唐沢商会『ガラダマ天国』(ぴあ)P.74より。

ちょっと前だけど某テレビ局の美人アナウンサーが


アナウンサー「…今夜の××洋画劇場は「エクソシスト3」です」
      「カラスおやじが倒したはずの悪魔が生きていた。カラスおやじの残したメッセージは果たして……」


おいおい、それはカラス神父だろ



なをき「…これは要するに原稿に「神父」と書いてあったのを「親父」と読みまちがえたわけですな」
俊一「その後訂正もでなかったのはスタッフも見てる奴らも気がついた人いなかったの」(いや笑った笑った)


 もうひとつ「裏モノ日記」2001年5月17日より。

(前略)そうそう、ジェイソン・ミラーも死んだ。舞台中心の人だったので映画では『エクソシスト』のカラス神父くらいしかおなじみのものがないが、あの暗ぁい深刻そうな顔がなければ、あの映画は成立しなかっただろう。カラス神父と言えば小倉智昭の頃の『どーなってるの?』で中村江里子がこの名前を“カラス親父”と読み間違えた事件は何回もネタに使わせていただきました。

 


 
 故人について語るのに「そうそう」という前置きもないだろうとは思うものの、以上の点を踏まえたうえで、フィギュア王』№49(2001年10月発行)掲載の唐沢俊一のおんなのこってなんでできてる?』第48回「おんなのこの中の悪魔」の一部を見ていただきたい。

 一九七三年、アメリカで、一人の少女の身に起こった恐怖の事件を描いた作品が、映画になって日本でも公開された。その名は『エクソシスト』。この作品の巻き起こしたセンセーションは、やがて70年代後半に一大ホラーブームを巻き起こすことになる。ウィリアム・ピーター・ブラッティの原作を原作者本人が製作・脚本を担当して、ウィリアム・フリードキンが演出したこの作品は、はっきり言って、悪魔というものを信じない(そもそも信じられる宗教的環境にない)われわれ非・キリスト教文化圏の人間にとっては、ただの怪獣映画と同じである。この作品に登場する悪魔・パズスをバルタン星人に置き換えても(カラス親父を科学特捜隊員に置き換えても)話は通じるだろう。ところが、キリスト教圏の人間にとり、これはリアルなことなのだ。悪魔というものはあのように、直接的に少女に取り憑く存在なのである。

 カラス親父。



 …いやー、こんなことってあるんだなー、と逆に感心してしまった。何回もネタに使っていたからついつい伝染ってしまったのだろうか。おそらく「しんぷ」が「親父」と変換されてしまったのだろうけど。なお、『フィギュア王』にこの件に関して訂正が出ていたかどうかは不明。


 そしてもうひとつ興味深いのは、このことから『ガラダマ天国』での唐沢なをきの推理にも疑問が出てくる点だ。つまり、中村江里子が「カラスおやじ」と読み上げてしまったのは、原稿に元々「カラス親父」と書かれていたからなのではないか。そう考えた方が「神父」と「親父」を読み間違えたと考えるよりずっと自然だ。この件に関して中村さんだけが笑われるのは不当な気がする。

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ERIKO的 おいしいパリ散歩

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