唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

Aランクサンダーもんだっ!!

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●前回も少し触れた「おたくウィークリー」からネタをいくつか紹介。
 まずは1998年4月10日号岡田斗司夫の巻頭言『オレが音楽から離れたワケ』より。

僕は音楽に興味がない。自宅や事務所にも、貰い物以外のCDなど1枚もない。ウォークマンも持っていないし、仕事をしながらラジカセをかけるという趣味もない。TVの音楽番組は見ないし、ラジオも聴かない。もちろんコンサートなど、行きたいとも思わない。

5〜6年前までは、自分の「音楽に興味がない」ということに劣等感を感じていた。無理矢理、興味を持とうといろんなジャンルの音楽を聴いたりもしてみた。しかしそれは面倒くさく、かつ全く面白くなかった。やっぱり面白くないことは続かない。僕は音楽に関して、どんどん逃げ腰になっていった。
 しかし「と学会」の山本弘会長という人の文章を読んで、僕はいきなり楽になった。彼はエッセイの中で、こう宣言したのだ。
 「僕は普通の人が聞く音楽がわかりませんし、興味もありません。しかし僕は、それを恥ずかしいとも辛いとも思いません。なぜなら、僕はもっと素晴らしい特ソン・アニソンを知っているからです」
 この格好良さ!僕は痺れた。そうだそうだと思い、一気に楽になった。
 たしかにいくら僕でも「一般人が聞いてる音楽より、特ソン・アニソンが素晴らしい」と真顔で言い切れる根性はない。しかし山本会長は男だね。僕なんかとは根性が違う。
 そうだ、僕が「なんだかわからないけどモヤモヤしていた」のは、音楽が分からないからではなく、そんな自分が後ろめたかったからなんだ。だから誰かに「それでもいいじゃん!」と言って欲しかったんだ。そして、そんな気持ちは誰にでもあるんだ。
 僕が山本会長の、そんなスゴい言葉にあったのが5年前。そのあたりから僕は「オタクの言葉による、おたく的感性の肯定」というのを考えはじめたんだと思う。この話、実はもっと根が深いので、続きはまたいつかね。


 会長の見方から影響を受けているのなら、岡田斗司夫と山本会長の音楽観が似ているのは当然の話だ。謎が解けてスッキリした(2011年7月6日の記事8月10日の記事を参照)。ただ、岡田と会長がヘンなのは、アニソンと特ソンを持ち上げるだけでなく、クラシックやロックを貶すようなことを言うところだし、「音楽に興味がない」と語る岡田と「アニソンと特ソンは素晴らしい」と語る会長とでは考えが微妙にずれているような気がする。「オタクの言葉による、オタク的感性の肯定」が実行できていればよかったんだけど、結局「オタクはすでに死んでいる」ってなっちゃったのもどうなんだろ。


 その一方で、岡田は1998年1月10日号「オタクアミーゴス大放談会」でこんなことを言っている。

岡田:おれは字幕好きなんですよ。声優の演技ってパターンされてていやなの。声優声で声優しゃべりで声優演技するじゃん。いらんの、おれ。そういう貧乏くさい声優文化嫌いだから。時々、声優の方がいい時があるけどね。


唐澤:元声が価値ある場合って声優吹き替え難しいよね。


岡田:あと、クリント・イーストウッドが山田康夫(原文ママ)ってあまりに安っぽくって嫌だな。クリント・イーストウッドって低音の魅力なのに、なんでこれがルパンの声でしゃべんだよって。


眠田:それは原体験の違いでしょうね。どっちを先に観たかで決まる。


 うーむ、この発言を見る限り、やっぱ岡田斗司夫と会長の立ち位置は違うような。まあ、山田康雄はルパンより先にイーストウッドの吹き替えをやってたんだけどね。『モンティ・パイソン』のグレアム・チャップマンもダメなのか。


 この「大放談会」を見ていると、オタアミの3人組はこの10年以上変わってないんだなあ、としみじみさせられるが、唐沢俊一こんなことを言ってたりもする。

唐澤:どんな分野でも最初の20年間、10年間で全部出尽くしてる。雑誌だってそうだしね。だからアニメも出尽くした。トップに走ってる人たち、宮崎さんとか投げてますからね、新しいものはもうできないって。あの人もやりたいことがあれば今だってどんどん作ってますよ。それが引退っていったらもうやりたいことはなし、と見切りつけたってことですね。別に新しいことやらんでもいいのにね。日本では、そういうネオフォビア(新しいもの強迫症)が蔓延している。


 ネオフォビア(neophobia)は「新しいものが嫌い」ということなので(「新奇恐怖」とも訳される)、唐沢は反対の意味で使っている。「裏モノ日記」2000年7月9日にも同様の誤用がある。

(前略)大衆主導情報消費社会の原則中の原則はフリークショーの立案者P・T・バーナムの有名なセリフに全て言い尽くされている。曰く、“大衆の好みは三つに要約される。新奇、新奇、新奇だ”。この、ネオフォビア的読者層の嗜好を熟知した上で、書評子はまず、そこのツボをつかなくてはならない。

「つぶやき日記」11月3日分唐沢俊一が『スクール革命!』の収録について書いている。

4時、オノと待ち合わせて麹町の日テレへ。『スクール革命!』ひさしぶりの収録。人気なくなったので呼ばれなくなったと思っていたら、いまだに名前の雑学は視聴率で断トツ人気なんだそうな(以前、番組内でもウッチャン先生がそれをネタにしていた)。台本に書いてあるネタに、打ち合わせでいくつか新ネタ加えたいと告げる。

不安がちょっとあって、相方の東MAXと合同の打ち合わせ無し。本番になるとイキが合わなくなるのではないか、と思っていたが、案の定だった。おまけに、構成が私の出番を前半に固めているので、後半は私はただ単にそこに立っているだけのデクノボウにされてしまう。ちょっと二時間の回しがツラかった。珍しいことである。ま、私のノリもイマイチだったのだろうけど、第一回の出演の時から、何とかしてほしいと頼んでいることが何も改善されておらず。


 「番組の後半になると唐沢俊一が何もしゃべらなくなる」というのは、当ブログの過去の『スクール革命!』の感想でも指摘していたが(2010年9月12日の記事を参照)、本人もそう感じていたようだ。あと、用意された台本に書かれているネタを紹介していたというのも「やっぱり」という感じ。番組では唐沢の本にないネタばかり出てきていたから想像はついていた。
 で、唐沢は番組の制作プロダクションに不満をメールで送っているのだが、さて、これは番組構成上の問題とだけ言えるのだろうか、と疑問に感じる。つまり、脚本に書いてなかったとしても唐沢が自分から他の出演者に絡んでいけばいいんじゃないのか?と思うのだ。現にフジモンと共演した回では、フジモンが唐沢に積極的に絡んでいったおかげで番組の後半でも比較的空気になっていなかったから、やりようはあるように思うのだが(2011年12月6日の記事を参照)。
 この件を見ると、唐沢俊一が『タカトシの時間ですよ!』を気に入っているのもよくわかる。あの番組ではボタンを押せば自分の意見を遮られることなく滔々と述べることができ、本家『ホンマでっかTV!?』のようにお笑い怪獣やブラックマヨネーズが厳しくツッコミをいれることもないから、それはそれはやりやすかろう、と思う。要するに唐沢はターン制が好きで、その反面、いじったりいじられたり、アドリブをきかせたりするのは不得手なのだろう。個人的には唐沢はもっとTVに進出した方がいい、と思っているのだが、なかなか厳しいものがあるのかもしれない。


●本題。かつてジャパン・ミックスという出版社から『HEAD+』(ヘッドプラス)というSF映画誌が発行されていた。1998年2月に創刊されたものの、10月発売のVOL.8をもって休刊している(ジャパン・ミックスは同年12月に倒産)。このように短命に終わった雑誌なのだが、この雑誌に連載されていたコラム唐沢俊一の偉くなったもんだっ!!』を今回は紹介したい。
 『HEAD+』では『偉くなったもんだっ!!』とともに唐沢なをきのおいばりさん』というマンガも連載されていて、連載第1回には次のような煽り文句がついている。

偉大なるモノカキになるには? 偉大なるマンガ家になるには?
平成最強のカルト兄弟、唐沢俊一&なをきの名コンビが赤裸々に語る
本邦初のスーパー自叙伝、ここに堂々連載開始!

 つまり、唐沢兄弟2人による自叙伝、というわけだが、実はこの時点で既に薄笑いが浮かんでしまった。何故なら、唐沢俊一はこの連載に先立つ「おたくウィークリー」1997年12月10日号「裏の目コラム」東浩紀に対してこんなことを書いていたからだ。

東くん、二十いくつで自伝を試みると後で恥ずかしい思いをするよ


 『偉くなったもんだっ!!』開始時点の唐沢俊一の年齢は39歳(5月に40歳になった)。「二十いくつ」ではないにせよ、自伝を書くにはいささか早いのではないだろうか。まあ、唐沢さんも「自伝を試み」たかったんだろうけどね。


 弟さんの自伝、『おいばりさん』は、「実家のわきの歩道を水浸しにして遊んだ」「ポットン便所が怖かった」「マンガの持ち込みをしていた時期に病んで突飛な行動に出た」といった話を毎回1/2ページという限られたスペースで簡潔にまとめていて感心させられる。単行本に収録されることはないのだろうか。


 一方、お兄さんの自伝、『偉くなったもんだっ!!』では、幼少期の思い出が事細かに綴られている…のだが、実はそれが問題だったりする。つまり、あまりに事細かすぎて話が全然進んでいないのだ。何せ全7回(『HEAD+』第8号は連載休止)を書き進めて結局弟が生まれるところまで行かなかったのだからものすごいスローペースである。しかも、開始当初は1ページ半のスペースをもらっていたのに、4回目からは1/2ページになったので、雑誌が休刊にならなかったとしても完結まで何年かかったのか気が遠くなる思いがする。


 『偉くなったもんだっ!!』各回の内容を簡単にまとめておく。


第1回:2歳で入院したときに見舞客にダルマを持ってこさせたのが収集癖のはじまり
第2回:赤レンガの旧庁舎で遊んだ思い出と北大の植物園で南極帰りのタローを見たこと
第3回:「マリーチャン」というクマの人形を肌身離さず持っていた
第4回:弟が生まれるのを阻止するために夜叫症のフリをしていたら親にハイミナールを飲まされた
第5回・第6回:父方の祖父の思い出
第7回:母方の一族の話


 …まとめていて思ったのだが、当時の『HEAD+』読者は『偉くなったもんだっ!!』をどんな思いで読んでいたのだろう。「いかにしてオタクになったか」という話ならまだしも興味を惹くのだろうけど、本気で子供の頃の話しかないからなあ。俺は唐沢マニアだから、唐沢俊一の父方の祖父と祖母の名前がわかっただけでも得した気分だけどね。『おいばりさん』によると、おじいさんは長野出身で、『信濃の国』をレコードで繰り返し聴いていたとのこと。
 『HEAD+』では他にイカワタケシ・岸野雄一鶴岡法斎永瀬唯中原昌也柳下毅一郎鷲巣義明などといった強力な連載陣がいたのだが(『映画秘宝』とだいぶカブっているような)、その中でどれくらい人気があったのやら。余談だが、『HEAD+』の鶴岡氏のコラムのイラストに見覚えがあると思ったら、ブレイク前の福満しげゆきが描いていた。綾波とかウテナとか描いてます。


 『偉くなったもんだっ!!』の幼少期の思い出話はとにかく細かいのだが、唐沢俊一は『フィギュア王』の連載コラムでも小学校のトイレで同級生の女の子が流し忘れた便に触ろうとした話を書いたりしていたから、幼少期に関して強い執着があるようにも感じられる。小説にしてみてはどうか。


 最後にちょっと怖い話を書いて終わりにする。『HEAD+』VOL.7掲載『唐沢俊一の偉くなったもんだっ!!』第7回「母方の血」より。同誌P.106より。

 20年前と言えば私が20歳のときだが、そのころは、私自身、生涯で最も世をスネていた時分で、よく親に説教をされた。そのときもっともコタエたのが、
「………うちの一族の長男はだいたい、晩年は気が狂うんだよ。お前にもその血が流れていると自覚して、身をつつしまなくてはいけないよ」
 という、母の言葉だった。


※追記 「うちの一族」というのは唐沢俊一の御母上の実家のことである。


 嫌なお説教だなあ。まあ、この長男はお母さんにつらい思いをさせているのだが(2009年2月19日の記事を参照)。




子門真人が歌ったゲームの主題歌といえば、他に『究極戦隊ダダンダーン』とか。




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