フロムKARASAWA(後篇)
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前回からの話を続ける。
なぜ、唐沢俊一はいしかわじゅんに怒っているのだろうか。そのヒントになりそうなのは、前回引用した「裏モノ日記」2001年4月28日の記述の中でいしかわ氏だけでなく夏目房之介にも怒っていることだ。いしかわ氏と夏目氏の共通点といえば、2人とも『BSマンガ夜話』のレギュラーだったことが真っ先に思いつくが、あえてそれは後回しにして、もっとマニアックな点を先に考えてみる。
実は、いしかわ氏と夏目氏はともに唐沢の『アジアンコミックパラダイス』(KKベストセラーズ)について意見を表明していて、いしかわ氏は『週刊宝石』1997年7月10日号の書評で取り上げ、夏目氏は『マンガはなぜ面白いのか』(NHKライブラリー)の中で批判的に言及している。夏目氏の発言はとりわけ興味深いのでここで紹介しておく。『マンガはなぜ面白いのか』P.269〜270より。
いまのところ東アジアのマンガ状況について紹介した本では、小野耕世『アジアのマンガ』(大修館書店 九三年)に次いでまとまった本です。ただ、この人はさっきいったようにちょっと侮っている。非常にレベルの低いタイのマンガを取り上げてきて、それをボケにしてつっこんでいる。面白いんですよ、つっこめば。日本からみると、とんでもないマンガだから。いま、日本では素人でもこんなものは描くまいというマンガだから。さっき僕が香港のマンガにちょっとつっこんでみせましたけど、あの数十倍つっこみがいのあるマンガが載っている。そのつっこみの面白さはあるんです。もともと唐沢さんというのはそういう人だから。
だけど彼は、より稚拙なタイのマンガをもち上げて、発展しつつある香港マンガにオリジナリティのなさを読もうとする。『FEEL1000%』については《頭のいい人間の読むものじゃあない》とまでいってます。そんなふうにマンガの質を問いながら、片方で《進歩がないということは漫画における原点である》ともいう。タイのマンガについては《近代化の波が押し寄せるタイであるが、漫画文化だけはこのままでいてほしいと感じる人は少なくないのではないだろうか》と書きます。マンガは稚拙な面白さを本質とするのだから、タイのマンガは稚拙なレベルにとどまってほしい、マンガは進歩しないというのが本来の姿なんだ、といってることになります。そうなると、それはまったく違うよといいたくなります。マンガというのは勝手に進歩してしまうものです。好むと好まざるとにかかわらずです。
これは近代化という段階に入った社会が、政治的、文化的な紆余曲折をへても、結果的には進化していってしまう。大衆消費社会まで突入してしまうということと同じです。誰でも豊かな生活がしたいということと同じなんです。だとすれば、唐沢さんのいいかたは無意識にせよ、いわば反動になっちゃうんです。だから、そこのところだけは僕は批判しとかないといけないって思う。他は、よくぞ出してくれたっていうくらい面白い本です。唐沢さんの日本の貸本マンガの復刻の仕事も僕は評価してるので、あえていっておきます。
なるほどね。だから、唐沢は夏目氏のことを「現代の進歩至上主義者」と呼んで罵倒していたのか。しかし、夏目氏は「マンガというのは勝手に進歩してしまうものです」と発言しているのだから、進歩を良しとしてそれについていけない作品を切り捨てているわけではないのではないか。ただ、この夏目氏の批判が唐沢にとってかなり痛かったことは想像に難くない。だって、この批判は唐沢のアジアの漫画に対する姿勢のみならず「B級貸本漫画」に対する姿勢にまで通用してしまうのだから(夏目氏は一応フォローしているが)。
一方いしかわじゅんの方といえば、先に書いたように『週刊宝石』の書評欄で『アジアンコミックパラダイス』を取り上げているのだが、この書評自体は別に批判的ではないので、さすがに唐沢もこの書評を読んで怒ったりはしないと思う。それにいしかわ氏は、『業界の濃い人』(角川文庫)の中で、子供の頃好きだった貸本マンガをひそかにコレクションしていずれネタにしようと思っていたのに唐沢俊一の出現でそれを諦めることにした、と書いていたので、やはり「現代の進歩至上主義者」にはあたらないだろう。
さて、『BSマンガ夜話』に話題を移す。単行本版『裏モノの神様』(イースト・プレス)に収録されている「裏者修行日記」1998年9月1日、9月2日に唐沢俊一と『BSマンガ夜話』のトラブルが記録されているのを見つけたので紹介しておく(『裏モノの神様』幻冬舎文庫版には「裏者修行日記」は収録されていない)。同書P.203〜205より。
9月1日
(前略)あとは先週、注文を受けたキネマ旬報の『BSマンガ夜話』というムックの連載原稿をそろそろやらなくちゃなあ、と思っていたら、その担当の女性編集者から、電話。
「あの、あの、まことに申し訳ないんですが、編集方針が急に変わりまして、その、依頼した原稿を、お載せできないことになりまして……」
ええ〜。先週打ち合わせをしたときはこちらの示したラインを大変気にいってくれて、ぜひぜひ、という話だったのに。
普段なら「なぁにぃ、頼んでおいてからにその変更はなんだ、ふざけんじゃねぇ」と怒鳴りつけるであろうところを、気圧の低いせいでテンションも低くなっているので怒る気にもならず
「あー、そー。ふーん」
で電話を切ってしまった。
午後、BSマンガ夜話の関係者に会ったので、どういうこと? と問いただしたところ、このムックの編集方針に、いしかわじゅんと夏目房之介が大反対して、
「キミたちの仕事は今後一切受けない!」
と怒鳴りつけ、その女性編集者を泣かしてしまったとか。で、編集長が大あわてで、「番組の採録に限定しますから」と言ってなだめた(要するに他の原稿を断る、ということ)のだそうな。
しかし、私以外にも、かなり錚々たるメンバー(荒俣宏など)にも原稿依頼しており、これ全部に断りの電話入れるとなると大変だろうなあ。岡田斗司夫が
「そんなことするより、『マンガ夜話』の看板はずせばいいじゃない」
と言ったそうなのだが、いしかわ氏たちの怒りは収まらず、今回の処置になったらしい。
9月2日
(前略)
昨日のことでいしかわじゅんからメール。いろいろ説明を受けると、彼があの場合、あそこで怒ったこと自体は極めて正しい、とわかる。要するに、編プロが当初説明したものと、いま動いているカタチがまったく違っているということで、これに怒る権利と正義がいしかわじゅんにはある。編集が無能というのも、なんなら私が証言してもいい。
しかし自分にとっての正義を貫くことで、現在、依頼を受けて原稿を書いている人、連載をもらってその収入をアテにしている、無能でも悪人でもない人(特に若手のライター)に迷惑がかかる、ということを、今回怒った二人は故意にか無視しているんだよなあ。
この件に関して、唐沢俊一はニフティの「オタクアミーゴス会議室」でも同様の不満をぶちまけているのだが、それを見た『BSマンガ夜話』レギュラーの岡田斗司夫が1998年9月2日の投稿で以下のように事情を説明している。
(1)当初の企画はキネマ旬報から「『BSマンガ夜話』の忠実な単行本」を出そうとするもので、本の内容は番組をそのまま再録したものになるはずだった
↓
(2)ところが、実際に出来上がった本(『キネ旬ムック マンガ夜話VOL.1』)には番組出演者以外の原稿が掲載されているなど、当初の企画から大きく外れた内容になっていたため、いしかわ・岡田・夏目の番組レギュラー陣は驚き、編集側と話し合いがもたれることに
↓
(3)岡田氏、「『BSマンガ夜話』の再録を外して、この路線のままで単行本をシリーズ化する」、または「あらためて『BSマンガ夜話』を再録した本を作り直す」という2つの案を提示
↓
(4)編集側、依頼した原稿を全て断って「あらためて『BSマンガ夜話』を再録した本を作り直す」と決定
実際にキネマ旬報社から出ているムック『マンガ夜話VOL.1』をチェックしてみると、確かに村上隆や山中恒などの番組レギュラー陣以外の人々が寄稿しているほか、連載まで載っている。ラインナップは以下の通り。
・竹内オサム『マンガの読み方を読む―マンガ評論集論―』
・小野山理絵『愛という名の魔法―(男性のための)少女マンガ入門』
・おしぐちたかし『アメコミはおもしろいぞ!』
・『マンガ最前線 男性編』(おしぐちたかし担当)
・『マンガ最前線 女性編』(藤本由香里担当)
・内記稔夫『マンガ図書館今昔物語』
唐沢俊一の連載はVOL.2で開始予定だった、ということか。
ところが、1999年1月に出た『VOL.2』では、ムックの内容は番組の再録が中心となっていて(VOL.2以降はこの形式で発行)、前号でスタートしたはずの連載は掲載されていない。同誌P.258には「お詫び」がある。
VOL.1にて開始した連載は、諸般の都合により、一時中断をさせていただくことになりました。深くお詫び申し上げます。
楽しみにお待ちいただいた皆様には、大変申し訳ありませんが、機を見て皆様にお届けできるよう、鋭意努力致しておりますので、しばらくの間お待ちいただきますよう、お願い申し上げます。
また、P.260の編集後記には編集人の掛尾良夫氏が次のように書いている。
「マンガ夜話」VOL.2がやっと出来ました。VOL.1と違って、基本的に番組中心の構成となりました。紆余曲折を経て変更になったわけですが、ご迷惑をかけた多くの方々には謹んでおわび申し上げます。
お詫びと編集後記を読むだけでも舞台裏で大変なことが起こっていたことが察せられる。
念のために書いておくと、『マンガ夜話VOL.1』自体は力の入った本で、岡田も「オタアミ会議室」の投稿で出来の良さを褒めている。不幸な行き違いがあったのが残念である。
…というわけなので、いしかわ氏と夏目氏が怒ったせいで企画がダメになったのではなく、両氏が編集側に原稿を断らせるように仕向けたのでもない、と岡田斗司夫は「オタアミ会議室」の投稿で事情を説明している。これが一方の当事者の意見でしかなく、編集側には編集側の言い分があるであろうことには留意しなければならないが、「裏者修行日記」および「オタアミ会議室」において唐沢俊一は岡田の説明を受け入れ、編集側に責任があると認めている。ところが、唐沢は「オタアミ会議室」翌9月3日の書き込みの中でいしかわ・夏目両氏に向かって再び怒りをぶつけている。
(前略)両人のメンツはこれで立った。しかしながら、いきなり依頼された原稿を切られたライターたちのメンツはどうなるか。彼らはそれをまったく考慮しなかった。そこまで目を配ることが出来なかった。ガキですな。今回、一番悪いのはキネ旬である。それは動かし難い事実だ。彼らの行動は正義です。しかし、正義にはハタ迷惑な正義もある。その例は裏モノ会議室で皆さん、よくご存じだ(笑)。
誤解なきように言っておけば、僕はあそこの仕事がなくなっても、別にあっそ、というくらいなものです。怒ってはいません。被害者が僕一人なら、ただニヤついているだけだ。だが、今回は少なからぬライター、評論家たちを巻き込んで、それに対する反省の表明がいしかわさん側にひとつもない。これで、あの人がどんな偉そうなことを言っていても根はガキだということが証明された。つまり、裏者ウォッチャーとして観察の対象になることがわかった。
この投稿といい、「裏者修行日記」の記述といい、原稿(しかも連載の予定だった)を断られて本当に悔しかったんだろうなあ、と同情してしまう。一生懸命平静を装おうとしているのが余計に悲しい。とはいうものの「他のライターのためにいしかわじゅんと夏目房之介はガマンすべきだった」という理屈には首を捻らざるを得ない。…いや、それだったら、岡田斗司夫にも怒るべきなのでは。
あと、「自分は平気だけど他のライターがかわいそう」という理論は「『新・UFO入門』事件顛末記」でも見られたもので、思わず「こいつ…わかりやしー」と立花みほし風に呟いてしまった。「平気だから」とアピールしたせいでかえって深い傷を負ったことを証明してしまっているし、他者を持ち出して自らの欲望を正当化することのいかがわしさを『社会派くんがゆく!』の著者なら知らぬわけがないと思うのだけど。いしかわさんや夏目さんより唐沢さんの方がずっと「観察の対象」として面白いですよ、ええ。
以上のような経緯もあって、唐沢俊一はいしかわじゅんに(ついでに夏目房之介にも)反感を持っているのではないか?と考える次第だ。痛いところを衝かれたのと仕事がなくなったのと、2つの理由で。『業界の濃い人』によると、いしかわ氏は小劇場の演劇のファンらしいから、唐沢俊一の演劇ユニットの次回公演に招待してみてはどうだろう、と最後に無責任極まりない提案をしておく。
※追記 いしかわじゅんのサイトの1998年8月21日、22日、24日、26日に『マンガ夜話VOL.1』に関する記述があるのでこちらも参照されたい。8月31日には唐沢俊一に関する記述もある。
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