唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

『立川流騒動記』本日発売!

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 立川談之助立川流騒動記』(発行:ぶんがく社、発売:メディアパル)は本日が公式発売日になっているようなのだが、うちの近所の書店では既に前日に入荷されていたので、当方は昨日のうちに読んでしまっていたのであった。「3か月ルール」に触れないようにごく簡単に内容を紹介しておこう(以下敬称略)。


 『立川流騒動記』の最大のポイントは歴史的資料、ドキュメントとしての面白さだと思われる。著者の立川談之助立川談志の付き人を長くしていて、しかもその頃の談志がエネルギーが有り余っていたおかげで談之助は様々なトラブルに遭遇する羽目になっているのだ。面白いのは当然である。また、三遊協会の騒動や立川流の創設に関しても実際に身近で体験した人だけあってかなり生々しい話が繰り広げられている。三遊協会の騒動の後で、鈴本演芸場の楽屋で志ん朝が談志に詰め寄るくだりなどは実に迫力があった。個人的には五代目小さんの「馬鹿正直」っぷりに笑ってしまった。「歴史的資料」という点でさらに付け加えるならば、立川談之助の個人史がしっかり語られている点も評価すべきところだろう。少年時代に観ていたTV番組の話や明治大学落研時代の話(これはプレ出版LIVEでも披露されていた)は特に読みごたえがあった。
 もうひとつのポイントは、本のラストで行われる立川流の光と影」の総括で、自らが所属する立川流についてかなり身も蓋もないことが書かれている。この点は本書のプロデューサーである唐沢俊一が指摘するように、立川談之助が優れた分析能力を持っていることの証明なのだろうし、ある物事について突き詰めて考えていくと、身も蓋もない結論に達してしまうということでもあると思う。唐沢俊一検証の締め括りにかなり身も蓋もないことを書こうとしている当方としては大いに励まされたことを告白しておく。唐沢俊一について突き詰めて考えるのはどうか、と自分でも思いはするものの。


 『立川流騒動記』を読了した後で、先行して発売された快楽亭ブラック立川談志の正体』(彩流社)を再読してみた(2月2日の記事を参照)。二つの本を比較してみると、やはりと言うべきか、『立川談志の正体』の方がだいぶ刺激的である。『立川流騒動記』にも暴露的な部分はあるのだが、ケチでさみしがりで悪者ぶりっこな談志の実像を描き切った『立川談志の正体』に比べるとおとなしめであると言わざるを得ない。また、『立川流騒動記』には師匠への敬意(あるいは遠慮)があるのに比べ、『立川談志の正体』には元師匠への敬意がほとんどないのだが、その分愛情がより強く感じられるようになっていると思う。ある意味皮肉な話なのかもしれないが。もちろん、二つの本には共通する部分もあって、たとえば立川流の創設以前とその後の変化については、二人の考えはさほど違っていないように見える。ともあれ、『立川流騒動記』と『立川談志の正体』は併せて読むことをお勧めしたい。



 さて、当ブログは「唐沢俊一検証blog」なので、『立川流騒動記』のプロデューサーである唐沢俊一についても書いておこう。同書の奥付には「企画 構成 唐沢俊一と書かれていて、「あとがき」も唐沢が書いている。唐沢の公式サイトの「つぶやき日記」を見る限り、唐沢は『立川流騒動記』のゲラに手を入れているようだが、本書の脚注や巻末の年表を作成したかどうかまではわからない。
 「あとがき」には唐沢と談之助が出会ったときのことも書かれている。『立川流騒動記』P.317〜318より。

 談之助とのつきあいはもう四半世紀近いが、初めてその高座を聞いたときから、理由不明の無茶苦茶なシンパシーを感じたものだ。やがて彼が主催する『超放送禁止落語会』に通い詰めるようになり、当時、伯父の芸能プロダクションで企画スタッフとして働いていたことを利用して、すぐに、次の落語会の出演メンバーに彼の名をもぐり込ませた。まさか一般の落語会で放送禁止落語をやってもらうわけにはいかなかったが、とにかく一緒に仕事がしてみたかったのである。そして、その楽屋で、仕事もほっぽり出して、談志論、落語論でやたらに盛り上がってしまった。
 それ以降、深いつきあいが始まり、私が所属するサブカルチャー団体『と学会』の会員に彼を引き込んだり、逆に彼や快楽亭ブラックの主催する落語会のゲストに引っ張り出されたり、いろんなことをやってきた。(以下略)


 「裏モノ日記」2004年3月23日も参照。

この武蔵野ホール、まだ中野武蔵野館と言っていた時代から通いづめ、オカマに迫られたり、ある意味人生を変えた“超放送禁止落語会”に出会ったり(借金だらけ、問題だらけの芸能プロダクションを伯父から引き継いだのも、自分がトップに立てば談之助やブラックといった連中と好きに仕事が出来る、という思いがあったからだった)、トークをやったり、いろいろ思い出があったところ。


 「超放送禁止落語会」が行われていたのは1992年頃のようなので、2人に接点が出来たのもそのあたりなのかもしれない。


 上の「あとがき」を読んだ時、『立川流騒動記』の本文(P.294)で次のように書かれていたのを思い出して笑ってしまった。

 ただ前座の修業が無駄だからと言って、弟子入りしないで落語家になっていいかというとそれは違う問題である。これは立川流の残した大きな負の遺産になるのだが、修業をした落語家、いわゆるプロの落語家以外を“落語家”として高座に上げた事である。

 唐沢プロデューサーも高座に上がったことがあるんだよな、そういえば。



 以下は余談。
 『立川流騒動記』を読んで思い出したのは、潮健児の自伝『星を喰った男』の単行本版(バンダイ)である。あの本も唐沢俊一が編集を担当し、あとがきを書いていたので、非常によく似た構成だと言える(終わりに第2弾があるかのようにほのめかす点も似ている)。『星を喰った男』は文庫版になる際に著者の名義が変更されるという不可解な動きがあったのだが(2008年12月26日の記事を参照)、『立川流騒動記』ではそのような事態が繰り返されないことを祈りたい。


立川流騒動記

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立川談志の正体―愛憎相克的落語家師弟論

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星を喰った男

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