唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ハイヒール・グッド。

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 前回に続いて、『月刊ラジオライフ』2007年9月号に掲載された唐沢俊一古今東西トンデモ事件簿』第24回「ハイヒールフェチ殺人事件(不完全版)の巻」のコピペ疑惑を取り上げる。この第24回の後半では、ジェリー・ブルードス(Jerry Brudos)の事件が紹介されているのだが、それが「殺人博物館」の文章と酷似しているのである。「殺人博物館」からのパクリはこれでわかっているだけでも3回目だ(2009年9月29日2009年10月26日の記事を参照)。なお、執筆者の岸田裁月さんによると「殺人博物館」のブルードスの項は2006年2月3日に発表されたとのことで(twitter)、唐沢より1年以上早い。
 ただ、『古今東西トンデモ事件簿』は「殺人博物館」を丸々コピペしたわけではなく、ブルードスのミドルネームやブルードスが被害者を捨てた河の名前など、「殺人博物館」には出てこない情報が複数出てくるので、「他の資料を参考にしただけまだマシか」と最初は思っていた。
 ところが、調べを進めているうちに、唐沢が参考にしていた他の資料というのは、「殺人博物館」で参考文献として挙げられているタイムライフ編『世界殺人者名鑑』(同朋舎出版)だったことがわかり、しかもその参考の仕方に問題があることもわかってしまった。つまり、このような図式だったのではないか。


唐沢俊一、「殺人博物館」のブルードスの項をチェックする。

●唐沢も「殺人博物館」の参考文献である『世界殺人者名鑑』を所持していたので、本に直接あたることができた。

●しかし、「殺人博物館」のもう一冊の参考文献である『連続殺人紳士録』(中央アート出版社)の方は持っていなかった。

●その不足分を補うため、「殺人博物館」からコピペした。


 というわけで、『月刊ラジオライフ』2007年9月号P.150〜151の唐沢の文章と「殺人博物館」および『世界殺人者名鑑』P.106、108を比較していく。


(1)
唐沢の文章

 その殺人者の名前はジェローム・ヘンリー・ブルードス。通称ジェリー・ブルードス。5歳の時から“女性ものの靴”に異常な好奇心を抱いていたという。ゴミ捨て場で見付けたハイヒールに夢中になり、持ち帰って家の中でそれを履いて歩き回り、母親にキツく叱責を受けた。


『世界殺人者名鑑』

 ジェローム・ヘンリー・ブルードスは、専門家が“快楽殺人者”と呼ぶ部類の連続殺人者である。

 五歳のときジェリーは、ゴミの山で見つけた女性のハイヒールに夢中になった。家に持ち帰り、そのハイヒールをはきながら家中を歩きまわっていたとき、冷たく、きびしい母親に、きつく叱りつけられている。


(2)
唐沢の文章

 23歳で彼はできちゃった婚をし(相手は17歳)、電気技師となって就職、さらにもう1人の子供をもうけた。一見幸せそうな家庭に見えるが、6歳年下の妻には家の中で常にヌードでいるように命じ、彼女の写真を撮影したり、また、自分も裸になって女ものの下着を着けて写真に写ったりして楽しんでいた。


『世界殺人者名鑑』

 二十三歳のとき、ブルードスは自分の子供を身ごもった十七歳の女性と結婚する。その五年後に殺人を開始するころには、彼は電気技師として働くようになり、ふたりの子供を儲けている。


「殺人博物館」

電気技師になったブルードスは、23歳の時に6つ下の女性と結婚する。「できちゃった結婚」(イヤな言葉だ)であったらしい。二人の子供をもうけるが、その異常性は家庭にも及んでいた。家の中ではいつも裸でいることを妻に強要し、その姿を撮影して喜んだ。そして、自らも女の下着を身につけて、カメラの前でポーズをとったのである。


 自分がコピペを確信したのはこの箇所。「できちゃった(結)婚」という言葉がカブっているもんね。唐沢俊一は『新・UFO入門』で漫棚通信さんが『サンナイン』にツッコミを入れていたのまでパクっていたけど(漫棚通信ブログ版)、他人の見方までそのまんまパクっちゃいけないだろう、とつくづく思う。だから、唐沢の場合は「事実やストーリーを要約すればある程度似てしまうのはしょうがない」という弁護はできないのだ。
 あと、『世界殺人者名鑑』に載ってないエピソードを「殺人博物館」を下敷きにして書いているのもわかる。



(3)
唐沢の文章

 1968年1月、彼の変態性はついに他人に及んだ。しかも殺人というかたちでである。
 自宅のあるアメリカ・オレゴン州ポートランドで、百科事典のセールスウーマンだったリンダ・スロースンという19歳の女性を、ブルードスはガレージに誘い込み、殴りつけて失神させ、さらに首を絞めて殺した。彼女が息絶えたのを確かめると(まあ、ここからが彼の真骨頂なのだが)、その死体に、自分が長年コレクションした下着やハイヒールを着けさせて、十分に楽しんだ。そして、死体の始末をするために近くのウィラメット河に運んで捨てた時も、左足1本だけは切り取って残しておき、ガレージの冷蔵庫に入れて大事に保管しておいた。そして、その足が腐るまで毎日、ハイヒールやストッキングをそれにかぶせて楽しんでいたのである。


『世界殺人者名鑑』

 一九六八年一月、オレゴン州ポートランドで、ブルードスは家に百科事典のセールスにやってきた十九歳の女性を殺す。彼女を地下室の作業場に連れていき、殴りつけて失神させてから、絞殺したのである。彼女が息絶えると、彼はその服を脱がせ、冷たくなっていく死体に、自分がかき集めた下着や先のとがったハイヒールを身につけさせようとした。最後には彼女の左足を切断し、その足を魅惑的なハイヒールにすべりこませ、鍵つきの冷凍庫に保存した。そのあと、いらなくなった自動車のシリンダーブロックを彼女の死体に結びつけ、近くのウィラメット川に投げ捨てた。


「殺人博物館」

1968年1月、彼は遂に殺人を犯す。百科事典の訪問販売をしていたリンダ・スロースンを殺害したのである。オレゴン州ポートランドにあるブルードスの家を彼女が訪問した時には、運の悪いことに、彼の妻と子供たちは外出していた。言葉巧みにガレージに誘い込んだブルードスは、彼女を殴って気絶させ、首を絞めて殺害した。そして、己れの下着やハイヒールのコレクションを屍体に身につけさせたのである。ひとしきり楽しんだブルードスは我に帰り、屍体を始末しなければならないことに気がついた。しかし、このまま棄ててしまうのはもったいない。左脚を切断し、ガレージの冷蔵庫に保管した。残りの屍体を川に棄て、帰宅するや左脚にハイヒールを履かせてニヤついた。


 被害者の名前を「殺人博物館」から持ってきている。このくだりに関しては2つの資料を比較的上手くリミックスしているような気もするが、「殴りつけて失神させ」がそのまま残っていたりもする。なお、『連続殺人紳士録』ではブルードスは第一の被害者を撲殺したことになっている。


(4)
唐沢の文章

10カ月後、2人目の被害者ジャン・ホイットニーは車内で首を絞められて殺され、ガレージに運ばれた。ブルードスは彼女の死体を着飾らせて写真を撮り、片方の乳房を切り取って、またウィラメット川に捨てた。


『世界殺人者名鑑』

 十カ月後、ブルードスは二番目の犠牲者を殺害する。今回は、死体を着飾らせて写真に撮り、片方の胸を切り取ったあと、再びウィラメット川に投げ捨てた。


「殺人博物館」

10ケ月後、ブルードスは再び殺人を犯す。ジャン・ホイットニーは車内で首を絞められて、冷たくなってガレージに運ばれた。


 前半が「殺人博物館」、後半が『世界殺人者名鑑』。


(5)
唐沢の文章

しかし、その頃になってくると、彼の心の中には、殺人そのものへの衝動が大きく育ってきていたようだ。4か月後に今度は若い女性カレン・スピンカーをレイプした後に殺し、両方の胸を切り取って残りの死体は川に捨てる。


『世界殺人者名鑑』

そのころにはもう、彼の殺人への衝動は強まる一方になっていた。そして、一九六九年三月、ブルードスはつぎの殺人を犯す。魅力的な若い犠牲者を、レイプの後に絞め殺し、両方の胸を切り取って死体を捨てた。


「殺人博物館」

ブルードスの殺人への衝動は強まるばかりだった。次の犯行は4ケ月後、最後の犯行はその1ケ月後である。殺害後の行為もエスカレートしている。カレン・スピンカーを殺害した時は両方の乳房を切断した。


 「殺人博物館」および『連続殺人紳士録』では第三の被害者の名前は「カレン・スピンカー」となっているが、Wikipediaでは「カレン・スプリンカー」Karen Sprinker)になっている。



(6)
唐沢の文章

彼の最後の被害者になったのはリンダ・サリーという女性であるが、殺した後、電気技師である彼は彼女の胸に電気を流し、死体が反応するかどうかを観察している。


『世界殺人者名鑑』

そして、それから一カ月もたたないうちに、最後の被害者が出る。いつものようにレイプし、殺害したあと、ブルードスは死体の胸に電気ショックを与え、死体が跳ねあがるかどうかを試している。


「殺人博物館」

リンダ・サリーに至っては、屍体に電流を流して反応するかどうかの実験を行っている。


(7)
唐沢の文章

彼の撮影した写真には、死体を犯している自分の姿や、ガレージのフックに着飾らせた死体を吊した写真などがあったという。


『世界殺人者名鑑』

ガレージのフックに吊した女性の死体を彼が写真に撮ったとき、犠牲者の足もとの鏡に映し出された犯人自身の狂気に満ちた肖像を、カメラがとらえていたのである。


(8)
唐沢の文章

 4件の殺人のうち、3件が立証され、ブルードスはそれぞれ1件づつの罪に対し終身刑を言い渡された。


『世界殺人者名鑑』

 四件の殺人事件のうち三件の罪に問われたブルードスは、有罪答弁を行い、逐次執行の終身刑を三回言い渡された。

 以上。…まあ、このケースは純粋な(?)コピペではないんだけど、モトネタになった資料を見てしまうと、唐沢俊一がどのように原稿を書いたのかがありありとわかってしまうのがツラいところ。1冊の本と1つのサイトだけで原稿を書こうとすること自体に無理があるのかもしれない。それから、唐沢俊一ブルードスが2006年3月に死亡したことをスルーしているのも謎。
 ひとつ気になるのは、『世界殺人者名鑑』が参考文献として挙げられていないこと(同様に「殺人博物館」のアドレスも表記すべき)。依拠の度合いを考えても書名を出さないのはヘンだと思うが、もしかすると、あまりに参考にしすぎたせいで逆に参考文献として名前を挙げられない、ということなのかもしれない。


I Feel Good: A Memoir of a Life of Soul

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世界殺人者名鑑 (True crime (10))

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連続殺人紳士録

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