唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

元気を出して。

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 昨晩ニコニコ生放送で放映された『ロフトプラスワン列伝!!! 第一回・唐沢俊一』の感想を書く(13日までタイムシフト視聴できます)。なお、生放送を観ながらメモを取ったため、文中で紹介される発言は完全に正確でないことを予めおことわりしておきます。


 まず、吉田豪さんのツイートを紹介しておこう。

ニコ生の『ロフトプラスワン列伝!!!​ 第一回・唐沢俊一』の来場者数があまりに少ないことと、その数少ない来場者のコメントがほとんど批判だということに、しみじみする。


 一応書いておくと、今回のニコ生は「コメント数:1473」とのこと(リアルタイムの来場者数は1200人くらいだった)。自分はニコ生に疎いのでこの数字がどのようなものなのかは分かりかねるが、岡田斗司夫の分析を見ると、「やっぱり厳しい数字なのかなあ」と思ってしまう。番組中に「オワコン」「P&G」「じじい」「逃亡中」などというタグを追加した心無い人たちもいるようだ。それに笑ってしまった俺も心無い男であることは認める。



 それにしてもこの番組は盛り上がりに欠けた。唐沢俊一を励ます会」「ロフトの最終回みたい」というコメントがあったことが象徴しているように、ただひたすら唐沢の過去の栄光について語られるだけなのだから、そうなるのは無理もない。席亭の平野悠氏は「貸本マンガを自ら復刻している」「130冊以上も本を出している」「唐沢さんは江戸っ子みたい」などと唐沢を褒めちぎっていたのだが、それに対して唐沢は「ちゃんとした貸本の研究者が出てきたのでもう自分がやらなくてもいい」「納得できる本は10冊あるかないか」とあまり嬉しそうにしていなかった。先が見えないと過去を褒められても嬉しくないものなのだろうか。そもそも平野氏は唐沢が「日本オタク大賞」の審査員を下りたことも知らなかったくらいなので、唐沢の現状をご存じないのかもしれない。   


 番組中で唐沢俊一が一番強く主張していたのは、「オタクもサブカルも変わった」(落語も変わったらしい)ということで、とにかく今はオタクやサブカル以外の別の分野に興味があるのだという。それが軸足を演劇に移したということなのだろう。
 唐沢言うところの「オタク・サブカルの変質」というのは、「ネットの存在によって濃い/ウスいを語ることに意味が無くなり、わざわざロフトプラスワンのような場所へ行く人も少なくなった」「オタクじゃない普通の人でもアキバに行くようになり、オタクは差別されないようになった」ことを指しているようだ(「脳内アキバ」の話はどうなる?)。そして、変わってしまったオタクやサブカルに関心は持てない、ということらしい。しかし、自分に言わせれば、一番の問題は唐沢俊一自身が変わった、もっとハッキリ言えば情熱を失ったことにあるのではないか。だから、全てが色褪せて見えてしまっているのでは、と思われてならない。あるジャンルに入れ込んでいれば「変わった」「終わった」とか嘆いているヒマはないもんね。身も蓋もない事を言えば「唐沢さんも歳をとったんだね」で済ませてしまえる話なのかもしれない。もっとも、唐沢はこの放送の中での発言を聞く限りかなり早い時期にオタクを「離脱した」ようだし、それどころか「今考えると自分はオタクじゃなかったかもしれない」とも言っているのだが…。そんな人がマスメディアでオタク関連の話題にコメントしているのは何故なのか、あらためて不思議に思う。「振られた仕事はやる」方針なのか?
 「濃い/ウスいを語ることに意味はない」というのも奇妙な話で、たとえネットで知識が拾えるようになってもそれでもやはり個人間の知識の濃淡に差があることには変わりはなく、「濃い/ウスい」には依然として意味はあるはずだ。唐沢が「意味はない」と言っているのは、つまり「マニアックな知識がある」「レアな作品を観ている」と自慢できなくなった、ということでしかない。今では「ウィキペディアに書いてあったね」「YouTubeにアップされていたね」って返されてしまうかもしれないのだから。『まんが極道』のギミノリの回の感想でも書いたことだが、ある作品を観ているというだけで何か自分がエラくなったかのように思い込んでしまう、その心理自体に問題があるように思われてならない。
 ひとつ思ったのは、唐沢俊一の「オタク・サブカルの変質」論にある程度共感を持つ人は結構いるのではないか?ということだ。かなりかいつまんで言えば「ネットのせいで世の中がつまらなくなった」という話なので、ネットをよく知らない人は共感するかもしれない。ただ、そこで注意しなくてはならないのは、唐沢俊一という人がネットにどっぷり浸かっていることだ。まあ、『社会派くんがゆく!』で見られた、ごく一部の話をネット全体の総意であるかのように語るくらいならまだ笑えるが、ネット上で見つけた文章をディティールだけ変えてコピペしてしまうのは本当に恐ろしいことだと思う。だって、「ネットに書かれていることはすべて正しい」と思っていなければそんなことはできないのだから。唐沢俊一ナイス度胸にはほとほと感心させられるが、そういう人がネットについてあれこれ言っていることに疑問がないわけではない。twitterをやっていないのはおそらく正解。


 以下、気になった発言を拾っていく。


唐沢俊一の発言本多猪四郎監督の未亡人をロフトに呼んでお話を聞けただけでゴジラファンでいてよかった」「ガンダム論争」で『ゴジラ』をクサしていたのに「ファン」?


・唐沢がオタクや「トンデモ本」にのめりこんだのは、「いい年をしてそういうものにのめりこむのが面白かった」からだという。山本弘会長も「オタク座談会」で似たような発言をしていたので、唐沢独特の考えではないのかもしれない。
 


・唐沢の発言より。
「唐沢の一行知識にはガセが多いと言われているけれど、一行知識はアヤシゲだからこそいいと最初の本から書いている」
 「アヤシゲ」だからガセがあってもいい、という話にはならないことは当ブログでも何度も主張しているので、ここでは繰り返さないが、今回興味深かったのは、この発言に続けて「『トリビアの泉』がゴールデンに進出してメジャーになってしまったので、“一行知識=アヤシゲ”という理屈が通用しなくなってしまった」と言っていたこと。『トリビアの泉』のプロデューサーは「この番組は真実しかやらない」と断言している(1月16日の記事)から、唐沢と合うはずもない。
 また、この発言に関連して、トリビアの泉』のヒット以降、どの出版社に企画を持ち込んでも「雑学の本を書いてください」と言われた、とウンザリした様子で話していたが、「文筆業サバイバル塾」で「仕事を選り好みするな」と言っていた人にしてはいささかワガママなような気もする。しかし、これは「雑学の本を書くのがイヤだった」のか「アヤシゲでない雑学の本を量産する能力がないと自覚していた」のか、どっちなんだろう。


・唐沢の発言。
「萌えを研究するためには今放送しているアニメを全部見ないとダメなので、とても不可能」
 …いや、そんなことはない。ロリコンは寸止め、萌えはフルコン」という謎の発言もしていたが、本人もよくわからないまま発言している様子だったので、当方にも理解不能


・平野悠氏は唐沢俊一をひたすら褒めちぎっていたが、そんな中でもたまに爆弾を投下していたので、個人的には好感を持った(ロフトの変遷について平野氏に話を聞いてみたいものだ)。たとえば、「唐沢さんは自分のファミリーを解体しては、また作る」という発言。ああ、奥さんや弟さんは…、いや、そうじゃなくて。要するに、平野氏の「ファミリー」というのは本当の「ファミリー」ではなくて、鶴岡法斎氏や正狩炎氏のことらしい。確かに唐沢俊一はよくトラブルを起こす人ではあるが…、あれ? そういえば、今回の放送で松沢呉一さんの話が出てこなかったな(2011年7月20日の記事)。
 もうひとつ、唐沢俊一が「演劇の会社を設立しようとしている」と話した時に、「もうかりそうにないね、その劇団」と即答していたのには笑った。平野さん、ノー・デリカシー! 
もちろん笑ってしまった俺もノー・デリカシー!
 あと、平野氏が加藤梅造氏に向かって「唐沢さんみたいになりたいんだよね?」と聞いていたのにも笑ってしまった。いろんな意味で答えづらい質問だなあ。


・唐沢の発言。
岡田斗司夫は自分が演劇活動をすることに怒って“やめろ”と言っていた」
 これは興味深い情報。メモメモ。


・唐沢の発言。
サブカルの人間であればみんな村崎百郎みたいになる可能性があったし、あのようになる覚悟は持っていた」
「あれはサブカルの終焉を象徴する事件だった。B級の仕事をやめて、A級の仕事の打ち合わせをしていたときにこの事件の一報が入ってきたのも何やら象徴的だった」
 これに関しては町山智浩さんのツイートを参照してほしいが、根本敬『人生解毒波止場』(幻冬舎文庫)の町山さんの解説を読めばより詳しいことがわかります。


・唐沢の発言。
田の中勇のインタビュー本の企画を大手出版社に持ち込んだら“誰も興味を持たない”と断られたので、同人誌として出版した」
 …じゃあ、唐沢俊一が取材して未だ発表されていない青野武大塚周夫といった方々のインタビューもいずれ同人誌として出るのか。唐沢は「出版プロデュース」もしているのだから、ちゃんとした出版社を見つけて出してほしいものだが。田の中さんの本はよかったよ。


・今回のニコ生では、吉田さんが仰っていたように、批判的なコメントが大多数を占めていたのだが、唐沢俊一も平野氏も最初それに反応しないので「コメントを見ていないのかな?」と思っていたら、番組の中盤あたりで唐沢が「今コメントで“古い”ってあったけど、それは意識して言っているから」とリアクションしたので、しっかりコメントを見ていたとわかった。批判的なコメントをたくさん見せられるのはキツかったろうな、と同情したが、その後「古い価値観を語るために意識して新しいものには触れないようにしている」とか言い出したので、「また“やらなくていい言い訳”してるなあ」と思った。だいたい「古い価値観」をちゃんと知っているのかどうか。



・唐沢の発言。
「自分はある意味究極のエゴイストで好きなことしかやりたくない」
「ぼくのことを好きな人じゃないと、ぼくのしゃべりを面白いとは思わない」
 …ごめんなさい、わたし、俊一君のこと好きじゃないの。



 あと、「入院して価値観が変わって、他人に義理立てしなくてもいいと思えるようになった」「隠居したら明治時代の作家の日記を読んで暮らしたい」「寒かったりお腹が空くと鬱になる」という発言もあったが、寂しくなるので省略。まだ50代前半なのに元気がないのは心配になる。「この人の舞台を観たい!」と思えるくらいのエネルギーを発してくれないと。ライブ感を重視するなら尚更だ。





Expressions (通常盤)

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人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)

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