唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ぼくの不安を救ってくれなかったデマ本へ・その4

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
・当ブログにコメントされる場合には誹謗中傷および個人を特定しうる情報の掲載はおやめください。守られない場合には厳正に対処する可能性があります。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、唐沢俊一に関する情報をご存知の方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
karasawagasepakuri@yahoo.co.jp


天羽優子先生のツイートより。

@chronekotei はい、だから中傷はあるだろうと私も書きました。ただ、ハンドル名が、名誉毀損で保護される対象になっていたかどうかがわかりません。唐沢俊一に粘着してる誰かさん(ハンドル名のみ判明)に名誉毀損で私を訴えさせて裁判例出そうかと以前本気で考えたことが……

 スーパーハカー事件のこと?(2009年8月2日の記事を参照) まさかそんな裏事情があったなんて…、というか「と学会」のメーリングリストの一件もすっかり忘れていたので、「ずいぶん懐かしい話題だなあ」と思ってしまった。あの後もいろいろありすぎたからね。もっとも、芝崎淳氏が『スコ怖』に関してメールでいろいろ要求してきた際に「メーリングリストを提供した人間の情報」という『スコ怖』とは全く関係のない要求をしてきたところを見ると、あの一件が与えた衝撃は自分が考えている以上に大きかったのだ、と思わざるを得なかった。唐沢俊一を検証する過程で「と学会」にも思いのほか深く関わってしまったので、唐沢検証が終了するまでに「と学会」についてまとまった文章を書こう、と改めて感じた次第である。


藤岡真さんのツイートより。

唐沢俊一のファンと自称する方(真偽不明)からメールをもらった。「唐沢俊一の本が売れ続けていて悔しいでしょう?」。唐沢本が売れようがおれにはなにも影響はないんだが。被害者はそんなものを金出して買ってるあんたなんだよと返した。

 唐沢俊一の本が売れ続けて」いるというデータがあるのなら示してほしいところだ。Amazonランキングだと『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』は発売以降5ケタまたは6ケタの順位でずっと推移しているはずだが、売れているのであればおめでたい話なので素直に喜びたい。というわけで、データの方をよろしくお願いします。


・本題。 唐沢俊一の新刊『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』(発売:コスミック出版、発行:ブリックス株式会社)の紹介を再開する。今回はこれまでに紹介できなかったネタを拾っていく。


 P.86〜87より。子供時代に見たフィクションによって世界観が形成されるという話。

 例えば、オウム幹部の中で唯一殺害された村井秀夫科学技術省長官(中略)が作った空気清浄機、これは反対勢力が毒ガス攻撃をオウムに対して行っている、という教祖麻原の言葉を正当化するために作られたものですが、この名称が“コスモクリーナー”という。アニメファンには言うまでもなく、『宇宙戦艦ヤマト』に登場する放射能除去装置・コスモクリーナーDからとった名称です。一方で、その村井を刺殺した徐裕行という韓国系の暴力団員の自宅で飼われていた名前は、犬小屋に掲げられていた名札によると“ロデム”と言うものでした。これもオタク世代には説明の必要もない、横山光輝のマンガ『バビル二世』に登場する、普段は黒豹の姿をしている、バビル二世のしもべの一人の名前です。


 コスモクリーナーはいいとしても、ロデムは関係なくね?(ハライチ・澤部佑みたいになった) ロデムが村井秀夫殺害にどのように関係していたのか、…っていうか、ロデムという名前を徐裕行がつけたとは限らないじゃん。ズサンなことを言うなあ。ちなみに、徐は刑期を終え既に出所しているが、昨年になって鈴木邦男が徐から事件の話を聞いている(「鈴木邦男をぶっとばせ!」)。


 P.138より。

 実際、民主党が政権を取って政権のテーブルに就いたところで、そのマニフェストの実行が完全に不可能に近いことが明白になった時点で、「これはもうダメだ、民主党に裏切られた」という声が全国から挙がってもいいはずなのに、声が挙がったのはネットの中ぐらい。市井の人はとにかく感情のはけ口として、今の政府に対してただ単に反対を唱えている。

 いや、民主党マニフェスト違反は世間一般でも厳しく批判されていると思うのだが…、というか、それ以前に「民主党に裏切られた」と声をあげるのと「今の政府に対してただ単に反対を唱えている」のとでは一体何がどう違うのかよくわからない。こんな具合に文章がつながらない箇所が本の中に頻出するのでいちいち指摘していくとキリがない。


 P.159〜160より。

 原子力の問題では、日本人の場合は特に簡単に宗教化してしまう。つまり、“穢れ”の意識で見てしまうということは、前にも新聞などでもよく言われていました。
 放射能を一種の穢れと見て、被災者がよその県に避難するとき、「(福島の人たちは穢れた人たちだから)群馬とかには入れないで欲しい」と、そういうことを言う人がいて、それが大きな問題になりました。危険なものから身を守るには「排除する」ことが一番大事で、排除するためには、穢れたものという認識が必要なわけです。
 日本人は潔癖な民族と言われています。その潔癖さというのは、歴史上でも、本質的な解決をするのではなく、穢れを避けて住居や住む範疇を変えたり、一か所に押し込めるという形をとっていることが多かった。

 今回の原発でも、政府は似たような対応をしています。歴史に習ったわけではないのに、しかも革新政府のはずなのに、似たようなことをやってしまう。これは、この考え方が日本人にとっての典型的な考え方なのだろうと思います。

 「群馬とか」は早川由紀夫のことだろうか。…それにしても、「革新」とは懐かしい言葉だなあ。55年体制っぽい。民主党って革新政党なんだろうか。「住む範疇」というのも不思議な言い回しで、唐沢さんが現在どの範疇にお住まいなのか気になってしまった。


 P.161〜162より。

 アメリカの差別は、黒人差別を見れば分かります。黒人と白人で、明らかに違うことが分かるときは、その差別を無くすのは簡単です。社会と組織で、何割黒人が入っていないところを差別と認める、みたいなそういう法律を作ってしまえば、ある程度表面上の差別というのはなくなります。
 しかし、それが見ただけでは分からない、「実は同類の中に非同類がいる」、その恐ろしさは、なかなかこれ以上のものはありません。
 80年代末に「エイリアン」という映画がものすごくブームになりました。ラストにリプリーという女主人公が助かり、冷凍睡眠に入って地球に向かって帰還するシーンがありますが、あのリプリーの腹の中には実は卵が入っているのではないか、実は続編のオチはそれではないのかという噂がわっと広がったのです。
 遊星からの物体X」という映画もまさに同じで、完全に宇宙人に変わる人もいるのだけれど、外見的には全く分からない。熱したものを血液に付けてみると血液がキャッと逃げ出す、という、そういうので分かるという。そういう目に見えない異物の侵入に対する恐怖は、長い冷戦の時代の精神が生み出した「誰が共産主義者か、スパイかとは外見からではわからない」という状態と共通していると思います。

 黒人差別への言及の仕方が実に無神経なのでイライラしているところへ、SF映画に関するイミフな話が来て実にモヤモヤさせられるという流れ。
 唐沢俊一が言っている『エイリアン』は何作目なのか? 『1』は1979年、『2』は86年、『3』は92年、『4』は97年。どれも「80年代末」にはあてはまらない。『遊星からの物体X』(82年)と一緒に論じているところを見ると、第1作目だと思われるが、それにしたって10年も間違えるかと。また、「誰が共産主義者か、スパイかとは外見からではわからない」というテーマを描いたSF映画といえば、ドン・シーゲルの『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』が1956年に既に作られていて、むしろ共産主義への恐怖は50年代の方が強かったのではないか?とも思われる。奇声をあげながら唐沢を指さしてやろうか(それは『SF/ボディ・スナッチャー』)。『原子人間』のストーリーの間違いといい、SF映画は鬼門のようだ。唐沢に安全な方角があるのか、という気もするが。


 しかし、この話はさらにワケワカな展開になっていく。P.162〜164より。

 実は今現在の、21世紀になってもなお我々の心の中に巣くっているのは、「人間の心の中だけはわからない」という考え方です。
 たとえば「少年犯罪に対する不安」があります。石原都知事は、その取り締まりを強化すると主張しています。いわゆる児童ポルノの件、エロ雑誌を粛正しなければ、それによって人間の変態化が進んでいくと考えるわけです。隣の誰かが、実は変態性欲を持っている人間かもしれない。部屋に行ったらロリコンマンガがあるかもしれない。ロリコンフィギュアが山をなしているかもしれない。その恐怖感が人間を不安に陥れている、という状況があります。
 犯罪発生率のデータから言うと、実は少年犯罪は発生率的には一番低いのです。本来は十二分に安心して過ごせるはずなのに、少年犯罪の不安だけが拡大して見えているというのは、昔に比べてプライバシー感覚がはるかに進んだ現在は、隣の人が何をしているのかわからない。そのために不安があり、それが輪をかけて広がっているというわけです。
 もし隣の人間が背が高くてスラリとしていて、さわやかな好青年なら、大抵の人は「おたくじゃないだろう」と安心するでしょう。ところがだんだん格好良いおたくというのも出てきています。おたくの基本形に準拠しないのが出てきたわけで、それを不安に思うのがまたお母さん、主婦たちです。何かを守るという防御本能が一番強いのは主婦なので、この防御と言う概念が強くなりすぎると、ちょっとでもこちらに不安を与えるかもしれない可能性があるものは全て排除したいと思ってしまう。そして、日本人独特の潔癖性によって「完全な排除」に繋がってしまう。結局これが、かつてのユダヤ人排除、黒人排除よりも陰湿ともいえる、“同胞の中での魔女狩り”に変化してしまうのです。

 「少年犯罪」なのか、「異常性欲者による犯罪」なのか。何の話をしているのかハッキリ区別されていないので混乱してしまう。…しかし、オタクがカッコよくなると主婦が不安に思うとは初耳だ。俺もこれからはシャルのTシャツでも着てわかりやすくオタクアピールしておく必要があるのだろうか(イチカ先輩のは少しオシャレなので次点)。いや、そっちの方が問題になりそうな気も…。それにしても、いろいろと調べているうちに痛Tシャツが本気で欲しくなってきた。風子参上!Tシャツは着倒してヨレヨレになっちゃったしなあ(実はもう持っていた)。
 他に気になる点としては、「オタク第一世代」の代表だと思われている人が「オタク=変態性欲」みたいな言動をとるのはどうなんだろうとか、この本の中では「主婦」が万能の言葉として使われているとか、ユダヤ人や黒人への差別をやはり甘く見ているとか、よくもまあ短い文章の中でこれだけのツッコミどころを詰め込めるものだと逆に感心する。


 P.169より。

 常識では「あいつはデマを流す人間だからもう信用できない」となるのが普通ですが、人間は、完全に真実の情報だけでは生きていけないのです。

 だから、「と学会」のみなさんは今でも唐沢俊一と交際を続けているのだろうか。伊藤剛さんや漫棚通信さんに関するデマを流した唐沢のことがイヤにならないのか?と外野から見ていると不思議で仕方がないんだけど。友情って素晴らしい。


 P.185より。

 1972年に発刊された『ノストラダムスの大予言』は、突然出てきてブームになったのではありません。『日本沈没』など大きな危機を題材にした小説ブームがあり、それ以前にも公害や、あるいは科学の進歩による地震予知のデータが新聞やテレビなどで発表されていて、こうしたことが下地になっています。さらに不安を煽るような小説が次々と出版されて、一種の終末ブームが起きていた。 

 『ノストラダムスの大予言』が出版されたのは1973年11月。『日本沈没』が出版されたのは1973年5月。なお、唐沢は『ノストラダムスの大予言』についてP.186で、

「1999年7の月に地球は滅びる、人類は滅びる」とする予言

非常にザックリした説明をしている。「と学会」メンバーならもうちょっと丁寧に解説すればいいのに。


 P.191より。

 医学はなぜ、すべての人間を救えないのでしょう。
 これはブラックジャックを読んでいれば分かります。医者は、そういう残酷さ、つまり人を救うために医者になるのだけれども、救えない人の数の方が遙かに多い。その矛盾を抱えながら従事していくのが医学なのです。

 申し訳ないが、このくだりを読んで大笑いしてしまった。問いかけ→ブラックジャックのコンボにやられてしまったのだ。笑いのツボが自分でもよくわからないや。
 それにしても、唐沢俊一にしては珍しく手塚治虫の悪口を言っていない。まあ、お医者さんにも救えない患者さんは当然いるとしても、「救えない人の数の方が遙かに多い」というのはどうか?とも思った。


 P.192より。

 今回の震災、原発で騒いでいる人達には、理想主義者が多いと感じます。理想主義者というのは、ある種の完全主義者です。自分達の望む理想の社会を目指さなければいけないと考える。
 そして、リベラルというより革命主義に取りつかれた人達は、極端な例ですが、かつてのあさま山荘事件のような行動をとる。それらを見ても分かるように、理想というのは遊びの余裕がないのです。少しでも理想と違う、つまり、革命を志しているくせに化粧をしたとか、不都合な男女関係を結んだということで、それを総括と称して殺してしまう。「まあまあ、いいじゃないそれくらい」といういい加減さがない。

 いわゆる「総括」があったのは山岳ベース事件。
 唐沢本人も「極端な例」と言っているが、そのような例をわざわざ持ち出してくるあたりに、唐沢の「反原発」「理想主義」「リベラル」への嫌悪感がうかがえる。


 P.195〜196より。

 原発のシステムを理解するには技術的なことを含めて、長い説明を読んだり聞いたりしなければなりません。しかし、「けれども〜です」といった論理が途中で転換するような言葉の羅列に、今の多くの人達はついて行けないわけです。
 この間、ミステリ作家倶楽部の人と話した時、今の読者はとにかく伏線を覚えていてくれない、と悲鳴を上げていました。伏線を張ったのはいいが、張った伏線を回収できないというのは、これはミステリ作家にとっては飯の食い上げです。
 文章を読んだり作成する機器が、昔はパソコンで、パソコンから携帯になり、ツイッターになりというように、どんどん字数が短くなっている。それに伴って字数が長いもの、詳細に説明したものは面倒くさいから読まれない、というふうになっています。
 原発などただでさえ理解しにくい性質のもので、ましてや長い文章というものに蕁麻疹が出るような人が、いきなり論文や解説の文章を読んでも、きちんと理解はできません。

 一般ピープルをナメているのか、唐沢の周囲には長い文章を読めない人しかいないのか。原発のシステムより『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』の方が、論理の転換・断絶にあふれていてずっと難しいって。
 自分はミステリー小説には詳しくないが、アニメや映画やマンガに関して言えば、ファンが伏線を覚えていないということはないし、むしろ作品中の描写から先読みすることを楽しんでもいる。だから、ミステリーファンが伏線を覚えていないということはないと思うけどなあ。あと、伏線を回収するのはあくまで作家の問題だし、ツイッターは「機器」じゃない。


 P.208より。

 被災者の苦しい様子を見るにつけ、代わってあげたいという思いが湧き上がってきます。その代わってあげたいという気持ちは、かつて「塩断ち」とか「茶断ち」という行為に表れました。その人の苦しみを何らかの形で私も同じように背負います、という呪術的感覚は、今回の震災を見た多くの人が感じたことでしょう。自分達も苦しい思いをすることで、被災者の苦しみが少しでも分散されるだろう、と。
 レヴィ・ストロースという人類学者が、南方の原住民の“クバーデ”という儀式を報告しました。奥さんが出産で苦しんでいる時に、夫の男性が同じく出産の擬態をするのです。それと同じ感覚です。

 クバーデについては「トンデモない一行知識の世界」を参照。擬娩(クーヴァード、couvade)には、安産を願うとともに、夫が妻と苦痛を共有することで生まれてくる子供が我が子であることを主張する意味もあるとされる(『ブリタニカ国際大百科事典』を参考にした)。なるほど、母親は出産するから生まれてくる子が自分の子供だとわかるけど、父親にはそれがわからないもんな。男としてはちょっとおっかない話かも。


 とりあえず以上。表現が妙なところ、文章のつながりがおかしいところはまだあるが、いちいち指摘していると大変なのでこの辺でやめる。他にもおもしろポイントやむかつきポイントを見つけた方は当ブログまでお知らせください。


 次回、最終回です。やっと終わる…。

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