唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ぼくの不安を救ってくれなかったデマ本へ・その2

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
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 来週2月5日日本テレビ系列で放映される『スクール革命!』唐沢俊一が「先生」として登場するとのこと。「先生」として共演するオリエンタルラジオ・藤森慎吾「君、ぱくりぃ〜ねぇ」と言われてみてはどうか(唐沢なをき風に提案)。「チャラ沢俊一」にイメチェンするのもアリかな。


 本題。今回も引き続き唐沢俊一の新刊『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』(発売:コスミック出版、発行:ブリックス株式会社)の紹介をしていく。『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』のまえがきには次のように書かれている。P.6〜7より。

 ネットの中では、いま、原発による放射能が安全である、いや危険であるという双方の立場の人々がお互いを危険厨、安全厨と罵倒しあって言い争いを続けています。巷にあふれる震災・原発関係の書籍も、そのどちらかに立って論を展開しているようです。
 ちょっと、その両派対立から離れ、そのどちら側の反応に対しても、見えてくるものを考えてみたいと思っています。

 しかし、本書を読む限り、唐沢俊一放射能汚染を危険視する考え方および「脱原発」という考え方には否定的であるように見える。たとえば、『AERA』や『クロワッサン』の原発事故の報道の仕方を批判し(第7章)、電力の安定した供給を考えると原子力に代わるものはそう簡単には見つからない(第12章)、とも書いている。その一方で、第6章ではいわゆる「御用学者」が批判されているので、唐沢としてはバランスをとっているつもりなのかもしれないが、本全体を見ると放射能に不安を感じる人々に対する疑問の方が大きな割合を占めているのは確かで、中立を保てているかというと、いささか疑問である。

 ただ、唐沢俊一の立ち位置を考える前に、本書における唐沢の放射能原発関連の発言にはどうにも奇妙なものが多いことを指摘しておかなくてはならない。立ち位置よりもまず資質を考える必要があるのだ。


 P.88、P.91〜92より。

 しかし、大事なのは、他人をトンデモと笑っているだけではなく、自らの常識もまた、そのようなサブカルチャーに侵食されていはしないか、とまず、疑うことなのではないかと思います。例えば、放射線の人体への影響を過大視してしまう、その影響を過剰なまでに恐れる、といった反応は、それこそ子供時代に、
放射能を浴びてみるみる怪物に変身する」
といった安直な設定の(まあ、安直だからこそ楽しいのは確かなのですが)B級SFドラマを山ほど見せられてきたからではないか、と思えて仕方ありません。

 こういうことは、普通、ネットで目に飛び込んでくる情報から、一歩進めて調べてみれば、容易にわかることです。しかし、一般の人でそこまで踏み込む人はまず、いない。それは何故かというと、イメージとしてすでに頭の中にある、子供時代に刷り込まれた放射能による突然変異、のイメージに、心がとらわれてしまっているからなのです。  1950年代から70年代、かの有名な『ゴジラ』をはじめ、イギリスの『原子人間』、アメリカの『放射能X』などの怪獣映画がしつこいくらいに放射能を怪物製造物質のように描いたのは、東西冷戦時代の象徴である核兵器をモチーフに、その恐怖が人間の心を変化させ、通常ならざるものに変えていく、というアナロジーであり、アイロニーでした。決して科学的に正しい描写をしようとしたわけではなく、また、それをウのみ(原文ママ)にする人間がいるとは考えもしていなかったのです。


 本文中のスペースは原文通り。…唐沢の話が本当なら特撮オタクはみんな放射能に脅えなきゃいけないんだけどね。でも、自分の場合は逆に「あの話を思い出すなあ」と震災や原発事故にもある程度冷静になることができた。オタク趣味も時には役に立つ。
 それから、唐沢俊一はミスをしていて、『原子人間』は宇宙飛行士が謎の生命体に身体を乗っ取られて怪物になる話で、タイトルと違って放射能は関係ない。特ヲタとしてはむしろジャミラキルミーベイベー』EDにも登場?)を思い出す。『戦慄! プルトニウム人間』にしておけばよかったのに。


腰に巻ける布があってよかった。


 あと、『ゴジラ』『放射能X』はすべて1950年代の作品なので(『戦慄! プルトニウム人間』も)、「放射能を浴びて怪物になる話」が刷り込まれているのはごく限られた年代しかいないのではないか。まあ、『チェルノブ』で刷り込まれた自分と同世代の人(30代)もいるかもしれないが。

設定に問題がありすぎる。


 P.118〜119より。

 自宅で待っているお母さん達は、パニックになった結果、まず食料品の買い占め、トイレットペーパーの買い占めに走りました。
「この状況が何日続くかわからない、復旧がいつになるかわからない」「だから、食料を買い占めておかなければいけない!」
 となり、その日のうちに水とトイレットペーパーが一斉に無くなりました。
 こういうパニックサインの情報論では、情報を受け取る側と情報を発信する側を二つに分けて考えるのですが、情報を発信する側だけではなく、情報を受け取る側にも「情報弱者」というものがあります。その受け手側の情報弱者の最末端、最も弱い情報とかデマ拡散に不安をかき立てられる人たちの中に、「母親」がいます。

 買い占めしたのをどうして母親に限定するのかな。唐沢俊一が住んでいる中野ではそういうことがあったんだろうか。自分の経験を書いておくと、震災直後にガソリンスタンドの前に給油をするために自動車が長い列を作っていたのを見たけれど、そこにいたドライバーの大半は男性だった。そんなこともあって、「買い占め=母親」とは限らないと思うのだが。
 あと、母親を「情報弱者」呼ばわりするのも信じられない。世間一般のお母さんは唐沢俊一よりずっと物を知っているって。…ただ、本書全体を読むと、唐沢が母親を「情報弱者」呼ばわりした理由が見えてくるので、それは次回以降に説明することにする。結局、いつものように自分に都合のいい結論に持っていくための論法にすぎないのである。


※追記 唐沢俊一が「母親=情報弱者」と考えた理由については第4回で説明する予定。


 また、唐沢はデマを広める人にはデマを利用して政府を攻撃したいという感情がある、と語っている。P.139〜142より。

 もんじゅが危ないというデマが、最近になってあちこちで言われ始めています。もんじゅが危ないというのはこの地震のずっと前から言われてきていのすが(原文ママ)、それがまるでこの間分かったかのように出てきていて、これがいわゆる「もんじゅフォビア」というものです。地震から急に危なくなったわけではないのです。
 今、東海地震が起きたら危ないというのは本当のことなのかもしれませんが、今すぐ、今日明日に起きるわけではない時に、なぜもんじゅばかりを、しかも「白煙が上がった」とか「放射能が漏れてきた」というデマまでが浮かび上がるのか。それは、実はもう既に福島原発のことをいくら言っても世の中の人が不安に思わない、騒がないところまで、安定してしまったという事実があります。つまり、もう“福島はネタとして古い”ということです。
 震災から数か月しか経っていない時点で、もう既に古いという、これは非常に日本人特にデータを見るリテラシーが上がったことの証明ではないでしょうか(原文ママ)。実際、東京の放射線の量を測定すると、すでに福島原発の事故前の段階に戻っています。このデータ一つ見ても、確かに予断は許さないけれども、福島はマスコミが煽るような再臨界うんぬんという状態からはもう一段落ついた、ということが大体見えてきます。
 ところがデマをまき散らしたい人たち、不安をまき散らしたい人たちにとっては、それが不満です。だから原発は福島ばかりではなく、浜岡にもあるし他にもあるしと色々なところをつつき出す。とにかく人心を不安に陥れたいという願望が、今ホットなポイントとして、もんじゅをピックアップしているという気がします。

 「言われてきていのす」は単純ミスだとしても「これは非常に日本人特にデータを見るリテラシーが上がった」はさっぱりわからん。上の文章を見てわかるように、この本は誤字が多めである。
 一番に感じるのは、「やっぱり中立じゃない」ということだ。「危険厨」が悪意を持ってデマを流しているというのなら、堂々と批判すべきなのではないか。何故中立を装おうとするのかよくわからない。なお、もんじゅに関するデマが流れたのは昨年5月のこと。…最近じゃないって。
 もうひとつ感じるのは、「危険厨」への批判としてもあまり上手くはない、ということで、「福島で事故が起こったけど、他の原発は大丈夫か?」と思うのはきわめて自然だし、安全確認は必要だろう。福島第一原発について「世の中の人が不安に思わない」というのもどうか。唐沢俊一は「御用学者」の拙い説明がかえって人々に不安を与えたと本書の中で厳しく批判しているが、あまり他人のことは言えない。


 これは中立なのか?と疑問に感じたくだりをもうひとつ。P.199、P.204より。

 これは決して被害を軽視したり、被災された方を誹謗するわけではないのですが、原発の近くに住む農家の人達が、原発被害で「どうしてくれるんだ」と言う。しかし、これも見方を変えれば、原発の近くに農地を持っているということで、これまでかなりの保証金(原文ママ)を東電からもらっているはずですし、これから補償も受けるでしょう。そのことに触れずに、一方的に被害者だという立場で、ものを言い立てるのはいかがなものかと思います。
 おそらく今の人達は「安全で当たり前」と思っている。しかし原発の近くに住むことは、本来それなりのリスクを背負っているものなのです。空軍の基地の近くに住むことも同じで、リスクを背負う代わりに、それなりの保証(原文ママ)というものも手に入れているはずです。

 今回の震災では、放射能風評被害から誰を守るのか。まず救いの手をさしのべなければならない、守らなければいけない順位に混乱があるような気がするのです。
 東電は被災者であり加害者ですが、政府は東電を守らなければいけない、と言っています。今、東電がなくなれば電力の供給に支障が出てしまう。
 為政者としてはエネルギー供給の確保を考えるのは当然のことです。その当然のことが、簡単に原発を止めろとは言えない、となるのです。ところが、そこで東電や原発を守ろうとする人間がどんどん叩かれていく、という状況に陥っている。

 
 世間で叩かれているものを擁護し、同情されているものに疑問を投げかけるのが唐沢俊一流のバランスの取り方なのかもしれない。農家への言動などは『社会派くんがゆく!』っぽい。農家の方々が事前に補償を受けていて、事故による補償を受けたとしても失ったものを取り戻すのは難しいだろうし、「もらっているはずですし」「受けるでしょう」と憶測でものを言ってもらっては困る。そういった言動から「原発のおかげでいい思いをしているじゃないか」という考え方を招きかねないのだから、もう少し気を付けてほしい。唐沢は「空軍の基地」を例に挙げているが、「基地のおかげでいい思いをしているじゃないか」という考えの持ち主はネット上でもたまに見かける。


 話を少し戻す。「政府を攻撃するためにデマを流す」という考え方は一応理解できる。実際にそのようなことをしたら完全にテロだと思うけれど…。ところが、唐沢俊一によると、デマを流す人々にはまた別の動機があるのだという。P.144、P.145〜146、P.147より。

 ふつう戦争は絶対悪と人間は考えますが、小室(引用者註 直樹)社会学においては、戦争は無くならないものである、とされている。人間社会が続く限り、戦争はなくならない。小室一派でなくても、戦争は絶対になくならないのだという人達は山ほどいます。戦争にはある種の存在意義があるのだ、と。

 その結果、戦争が人間の歴史の中で、どこかで必ず起こっている。あるいは起こらざるをえない状況で、むしろ戦争を起こしたくても起こしえない状況の方が、悲惨な状況になりうるということです。
 これは彼ら(引用者註 小室直樹ロジェ・カイヨワ)もはっきりとは言っていませんが、国際的にも珍しい、戦争という選択肢をもてない日本という国の政治が、その状況に来ていると考えることもできます。それでは戦争に変わる(原文ママ)何かの非常手段を人間は持ちうるか、そこまで考えないといけないわけです。

 今回も、戦争が起こせない状況の中で、戦争の代替品としての大きなカタストロフを求める気持ちが強まっている中に、この震災が「ハマった」側面はあるかもしれません。
 この震災を機に、日本という国に再び活気が取り戻される、あるいは日本という国が一つになる、そのことを期待する心情も強く感じます。「一つになる」という言葉がお題目のように捕えられていて(原文ママ)、これはどこかで「一つになろう」という言葉を、我々が実は口に出したかったのだと思います。
 ところが、今は個の時代と言われていて、全体主義的な、誰もがみんな一つの方向を向いていることをよしとしません。「一つになる」は戦時中を思い起こさせる、という人もいます。「八紘一宇」とか、「ほしがりません勝つまでは」、「撃ちてしやまん」といった言葉で、戦争を遂行するために国民の目を一つに向けていた、その時期を思い出させるということで、戦後は長く、国家総動員的な言葉はあまり受け入れられてきませんでした。

 しかし震災時は違いました。堂々と「頑張ろう」、「一つになろう」という。それから「被災地のためを思って節電しよう」といった窮乏や耐乏を強制されても、それに対して何も言えないという状況が出てきていたわけです。
 これは日本人のどこかに「日本のために」とか「誰かの為に」自分が耐えて頑張る、方向性を一つにするということに対する、ものすごい渇望感があったということでしょう。
 そして、デマや流言飛語といった類には、こういった統一性を喜ぶ、一つの目標に進むといった、ある種のファシズム的な部分があります。これは日本が一つになろうとするとき、「不安」「心配」といったものが団結力を強くするという方向性のモチベーションなわけです。


 …長々と引用してきたが、つまり東日本大震災の時に流されたデマは「日本のために」「ひとつになろう」という願望に基づくものだったという。…っていうか、前提がいろいろとおかしすぎる。震災前の日本が「戦争を起こしたくても起こしえない」「悲惨な状況」にあったって? ネトウヨでもそんなこと言わないよ。震災が来て、日本人がひとつになってうれしいと言ってる人っているのかね。自らがどうしようもなくなって戦争や世界の破滅を待ち望むのって、なんだか思春期をこじらせた人っぽい。それに、平時にあっても誰かのために頑張っている人はたくさんいる、というより、そういう人の方が多いはずだ。
 実際のところは、唐沢俊一の言うようなノンキな理由じゃなくて、震災直後は日本中で「ひとつ」にならざるを得ない状況にあったわけだし(今だって気を付けておく必要はある)、亡くなった人や被災した人に我が身を重ね合わせるのは人間の自然な感情である。東日本大震災直後に行われたUEFAチャンピオンズリーグバイエルン・ミュンヘンvsインテルの試合終了後に観客全員が“You 'll never walk alone”を歌ったことでも、「ひとつになる」という気持ちが日本人に限られたものでないことはわかる(インテルに所属している長友佑都が日の丸を持って日本にメッセージを送ったのもこの試合の終了後)。「きみはひとりじゃない」という歌をドイツから日本に向けて歌ったわけだからね。…平和を軽んじたり、人間の感情を深読みしまくる前に、お願いだからもう少し勉強してよく考えてほしい。


※追記 本書における小室直樹の解説に関してはコメント欄を参照。


 前回の記事で「デマにもさまざまな種類がある、という認識が必要なのだろう」唐沢俊一がデマを区別せずに論じていることに苦言を呈したが、『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』では、我が子を守ろうと必死になる母親も政府を攻撃しようとする連中も一体感を求めてカタストロフィーを待ち望む輩も全部いっしょくたになっている。もう何が何やらわからない。
 「デマを流す人」については本の中に別にヘンな箇所があって、P.153〜156では唐沢俊一地震情報をネットの中で集めていたなかで典型的なパターン(原文ママ)」として、「ブログのアクセス数を増やすために安全な情報より危険な情報を流す主婦」「オピニオンリーダーたらんとして根拠が定かでない情報に飛びついてしまう文化人」を紹介しているが、果たしてそんな人が本当にいるのかどうか疑わしい。主婦はともかく文化人は誰かわかるように書かないとインパクトがないじゃん。いるかどうかわからないネットの住民よりいわゆる「震災文化人」を批判した方が注目を集められるんじゃないかなあ。


 今回は書きながら感情的になってしまう場面がいくつかあった。我ながら修行が足りない。「カタストロフィー待望論」には「ついにここまで来たか…」という感慨もあるような、「元からこーゆー人だった」という思いもあるような。


 …さて、もうお気づきの方もいらっしゃるかと思うが、『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』を発行しているブリックス株式会社が本書を「ビジネス書」としてアピールしているにもかかわらず、当ブログでこれまで紹介した部分には「ビジネス書」らしき部分はまったくない。…というわけで、次回は『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』を「ビジネス書」として評価してみたいと思う。まだまだいくよー。


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