唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「せめて、オタクらしく」補論・その3

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
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 唐沢俊一の新刊『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』(販売:コスミック出版、発行:ブリックス株式会社)、コスミック出版のサイトには1月18日発売予定とありましたが、今日新宿と神保町の書店をまわった限りでは見かけませんでした。ただ、紀伊國屋書店三省堂書店の店頭検索機で調べたところ、ちゃんとヒットしたので(ともに「在庫なし」という表示)、近日中には出るものと思われます。
 ちなみに、唐沢俊一は今日になって公式サイトで去年8月から10月にかけての「観劇日記」を一気にアップしている。いよいよ「演劇の人」になるのか。


 今回も引き続き唐沢俊一検証本VOL.4』収録の『せめて、オタクらしく』の補論を試みたい。唐沢俊一は『新世紀エヴァンゲリオン』のブームに際して、『エヴァンゲリオン』という作品そのものを語るのではなく、『エヴァンゲリオン』ブームという現象を語ることに終始していた。…さて、ここでひとつ疑問がある。唐沢俊一は『新世紀エヴァンゲリオン』という作品をきちんと観ているのだろうか?という疑問である。作品を「語らない」のではなく「語れない」から、現象についてのみ論評を加えているのではないか。唐沢が珍しく書いた『エヴァ』の評論にしてもどうにも首をひねりたくなる出来だったのだ(2009年7月3日の記事を参照)。本当に『エヴァ』を観ているのか? そこから考える必要がある。


 まず、唐沢俊一ガイナックスのイベントで行なわれた先行試写会で『エヴァ』の1話・2話を観た、と鶴岡法斎編著『新世紀の迷路』(アスペクト)のインタビューで語っている。同書P.17より。

 というんで、第壱話と第弐話を上映したんですけど、実は僕自身、最近のロボットアニメはほとんど見ていなかったんですよね。ところが『エヴァ』を見て、知らない間にテレビアニメってこんなに質が高くなってたんだなと。これはなかなか頑張っているじゃないのと感心したんです。しかし、東京ローカルの規模だと、予算枠も切り詰められているし、これから先かなり苦しいことになるんじゃないかとも思いました。で、少なくともこれから弐拾何話作るという過程の中で、これだけの質を庵野さんみたいなタイプの演出監督がした場合、可能性としては、途中でパンクするなと。この質が弐拾何話まで持つとは思えない、なんてことはわかりました。で、当然放送が始まったわけだけど、見なかったんですよ。

 『ザ・デイ・アフター・エヴァ』(水声社)での永瀬唯との対談でもこれと同様の話をしている。つまり、本放送の時は観ていなかったことになるわけだ。もちろん、後追いがいけないなどと言うつもりはないが、せっかく『エヴァ』の凄さを感じ取っていたのだから、チェックしておけばよかったのに、とは思う。
 次に気になるのが、「ならばいつの時点で『エヴァ』を観たのか?」ということなのだが、唐沢俊一「裏モノ会議室」1996年8月19日の投稿で次のように書いている。

日本をあげてエヴァ騒ぎをしている最中であるが、実は議長はあのウワサに高いエヴァの最終回というのを今まで、見たことがなかった(エヴァは途中であきて見るのをやめた)。見なくてもみんなが話してくれたし。 議長はエヴァ騒ぎが好きなのであって、エヴァが好きなのではないのである。


 見ていないのにみんなの話に乗っかるあたりは岡田斗司夫イズムを感じさせる。一言でいえば「野次馬根性」ということになるが。

 続き。

 しかし、ちょっと必要あってどうしても見ておかざるを得なくなり、友人に借りて昨晩、見てみたら・・・・・
 いやあ、これは実にすごい。ここまで大笑いできるアニメがまだあったとは。 しかも、あのさまざまなテクニックの使いよう、苦し紛れの画面処理、自己パロディまでやらかすヤケクソぶり。線画のシンジがさまざまにメタモルフォシスするシーンは、学生のころアニドウ主催のPAF(プライベート・アニメーション・フェスティバル)のスタッフをやっていたころを思いだしちまったぜ。 あれにフォークソング(西洋民謡)をかぶせれば、てっきりカナダのアートアニメだわ。なんでこういうところをみんな、指摘しない。
 おまけにあの演劇風処理(パイプイスに座っているのはイッセー尾形だよな、まるで)、字幕による強引な心理描写(大島渚か、これは?)。庵野監督が自分の教養とか嗜好とかを全部さらけだして作った、前後編1時間に及ぶプライベート・アニメなんだよな、あれは。
 あの二話がサンマのワタ。あるいは塩ジャケのカワ。残りの20数話はミにすぎない。ミはお子様にまかせておいて、オトナはワタやカワを賞味すべきだ。  
 あまりの気にいりように、その晩、三回も夢に見てしまったぞ(どれも、あのパロディ)。
 あれはオタクアミーゴスでなく、こっちの「裏」会議室で扱われるべき作品 だったのだ。しまったな、もっと早く見ていれば。


 というわけで、唐沢俊一がTV版最終2話を観たのは96年8月であるとわかった。それが早いか遅いかはともかくとして、かなりののめりこみようである。もっとそういうところを出せばいいのに。
 …しかし、ここで新たな疑問が。唐沢は「残りの20数話はミにすぎない」とあっさり切り捨てているが、果たして「残りの20数話」をきちんと観たうえでそう言っているのか? ということである。こんなことをわざわざ書くのもなんだが、「残りの20数話」にも名場面はいくらでもあるんだけどなあ。簡単に切り捨てていいとは思えない。まあ、ミをきちんと食べないと感性が痩せ細ってしまうんじゃないの?とも思うけど。メインディッシュから豪快にがっつきたいなあ。


 個人的には、唐沢俊一は『エヴァ』の最初と最後の2話ずつしか見ていないんじゃないか?という疑いがどうしても捨てきれない。特撮とかの第1回と最終回だけ収録されたビデオが昔よくあったけども、そんな感じ。「キセル鑑賞」とか、そんな言葉はないとしても。


 …これは「ガンダム論争」と同じ展開だなあ、と思う。他の投稿者から「『ガンダム』をちゃんと見たんですか?」と疑問を呈されている流れと瓜二つだ(2008年11月21日の記事を参照)。人間というのは変わらないものなのだろうか。もちろん、唐沢俊一が『エヴァ』TV版全26話を通して観た可能性は否定できないことを付け加えておこう。いつか唐沢さんと会った時に『エヴァ』の3話から24話までの話題を振ってどの程度反応するか確かめたい気もする。ただ、全26話ちゃんと見たうえでアレだったとしたら、それはまた別の問題になってしまうのだが。


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新世紀の迷路―疾走するエヴァンゲリオン

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