唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「せめて、オタクらしく」補論・その2

タコシェで既刊『唐沢俊一検証本VOL.1』『唐沢俊一検証本VOL.2』『トンデモない「昭和ニッポン怪人伝」の世界』『唐沢俊一検証本VOL.3』『唐沢俊一検証本VOL.0』「唐沢俊一検証本VOL.4」の通販を受け付けています。タコシェの店頭でも販売しています。
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 今月発売の唐沢なをき『まんが極道』6巻エンターブレイン)のオビで富野由悠季監督が推薦文を書いているとのこと(からまんブログ)。富野監督が『まんが極道』を読んでいた件については2010年8月11日の記事を参照。「アニメ極道」もそのうちやるのだろうか。「実録・唐沢商会の新作も楽しみにしてまーす(2010年7月18日2011年1月15日の記事をそれぞれ参照)。



 本題。鶴岡法斎編著『新世紀の迷路―疾走するエヴァンゲリオンアスペクト)は、鶴岡氏が各界の識者から『新世紀エヴァンゲリオン』について行ったインタビューを収録した本で、米沢嘉博永瀬唯睦月影郎といった面々やさらには風俗嬢にまでインタビューを行った非常にバラエティーに富んだ内容になっている。
 この本の巻頭には当時鶴岡氏の師匠だった唐沢俊一へのインタビュー「『エヴァ』をめぐる大騒動」が掲載されているのだが、驚いたことに唐沢俊一の次に掲載されているのが伊藤剛さんへのインタビューなのだ。唐沢俊一と伊藤さんが『エヴァ』を巡って絶縁に至ったことについては『唐沢俊一検証本VOL.4』を参照してほしいが、時系列を整理してみると以下のようになっている。


1997年4月:インタビュー収録

7月:唐沢と伊藤さん、絶縁

11月:『新世紀の迷路』発売


ということらしい。ある意味凄いタイミング。なお、鶴岡氏によるインタビューの総括の中で興味深いくだりがあった。『新世紀の迷路』P.206より。

 まず唐沢さんですね。唐沢さんの凄いところというのは、物事を相対的に見られることだという気がします。確か最初期の『ヤマト』のファンクラブに入っていたという話ですけど、あの人自身がアニメに燃えていた時期もあったというのもわかるし、だからこそ今そういうのを経過した上で、『エヴァ』に対して客観的に見られるというのは重要だと思います。僕が最初にこの本のために立てたコンセプトについて自信が持てたのも、唐沢さんにインタビューした時です。その意味では唐沢さんはとても大きな存在です。今回の本の中でも、僕の人生においても。
 次に来るのが伊藤君ですが、唐沢さんと同じく客観的に批評しなければいけない立場にありながら、今回に関しては冷静さを失ってしまった。パソコン通信上で唐沢さんと対立するという状況もあったんです。彼自身が『エヴァ』に対してかなり距離の近い存在だったんですね。おもしろいのは、インタビューした時に、彼は『エヴァ』を否定しているんです。ところが完結編を見た今は、肯定するようになっちゃっていて。その辺の彼の揺らぎ方が独特なんですよ。
 これは伊藤君は怒るかもしれないけど、彼について思ったのは、やたらと自信があるということね。正直いって、ザ・スミスなんて、しょせん単なるバンドじゃないですか(笑)。そこであえて、あそこまでスミスが素晴らしいものだと言い張るというところのすごさ。


 …鶴岡氏もその後つらい思いをされたようだからあまり突っ込まないでおく。結局のところ、唐沢俊一が『エヴァ』についてあれこれ論っていたのを許容していた人たちは、「あの人自身がアニメに燃えていた時期もあった」という設定を信じてしまったんだろうなあ、と。ちなみに、『新世紀の迷路』の唐沢のインタビューには追記が加えられているが、この本の中で追記があるのは唐沢のインタビューのみなので、つい勘繰ってしまう。
 それにしても、鶴岡氏は6歳年上の伊藤さんに対して何故ここまで上から目線なんだろうか。何故君付け? ジャニーズ事務所方式なのか? 『春エヴァ』できちんと終わらなかったことに落胆した人が『夏エヴァ』を評価するのは別にそんなにおかしい話でもないと思うが。


 さて、唐沢俊一のインタビューだが、インタビュー内で結構な分量を占めている「“作品”そのものではなく“現象”を語る」「伊藤さんののめりこみ方を茶化す」という毎度おなじみの流れについてはここではいちいち触れない。「『エヴァ』を観ていないから“現象”を論じるしかないのでは?」と思うし(この点は後日取り上げます)、唐沢の語る「『エヴァ』にハマった伊藤剛」というイメージについては伊藤さん本人が「事実と異なる」と何度も抗議しているだけでなく、後に唐沢が伊藤さんから『国際おたく大学』内の記述に関して名誉棄損で訴えられて実質的に敗訴していることを考えても信用することは難しいと言わざるを得ない、と指摘するだけにとどめておく。



 『新世紀の迷路』P.14より。「某大手アニメ会社の人」から若い子が『エヴァ』にハマる理由を聞かれた唐沢俊一は次のように答えたという。

 

 その時、僕は「それはだれも“映画”を見に行ってないからですよ」と答えたんですよ。映画の内容を理解しようとしてあれを見ているのは、中心部のせいぜい二万人に過ぎない。残りの一八万人は、『エヴァ』という現象に身を置かなくては、という集団生物としての人間の本能で行ってるんです。……レミングの大群だね、要するに(笑)。


 ほう。じゃあ、97年当時の俺は「中心部のせいぜい二万人」だったわけか。いやあ、照れるな〜。そもそも人間に「○○という現象に身を置かなくては」という本能があるかどうか疑問だし、『ヤマト』『ガンダム』の劇場版を観に行った「オタク第一世代」のみなさんも「レミング」なのか?と思うが。


 P.22〜23より。

 ところで、“現象”を見ていく段階でおもしろかったのは、ありとあらゆるサブカルチャーというもの、音楽、アカデミズム、アート、すべてが『エヴァンゲリオン』という庇を借りようと、ドドっと寄ってきたってトコですね。

(前略)これはね、やっぱり日和ってる。『エヴァンゲリオン』というムーヴメントの庇を借りて、オウム以降、権威が失墜してしまったアカデミズムの側が、「『エヴァ』の神髄を本当にわかりたかったら、一度アカデミズムという手法を借りるしかなかんべぇ、ちょいとウチのほうに来い」ということをいいだした以外に理由が見つからない。『エヴァ』を利用して自分の所の縄張りを増やそうということです。それは音楽しかり、アートしかりですね。『スタジオ・ボイス』から『ユリイカ』から『現代思想』から、ここまでスカしてきたカルチャー誌の側が「エヴァエヴァ」っていいはじめた時はね、連中が自分たちの分野の勢力回復のために『エヴァ』を利用していると、勝手に尻馬に乗ろうとしているということなんだわな。(後略)


 それが東浩紀への執拗な攻撃につながっていくわけか(『検証本VOL.4』参照)。オタク側なのかサブカル側なのか定かでない唐沢俊一が「サブカルが縄張りを増やそうとしている!」と言い立てているのもよくわからない話だが。オウム事件でアカデミズムは失墜したっけ?
 しかし、この唐沢の見立ては邪推が過ぎる、とハッキリ言える。一例を挙げさせてもらうと、『クイック・ジャパン』が『エヴァ』特集を組んだのは当時の赤田祐一編集長が『エヴァ』にハマったことがきっかけである。そんな単純な理由にすぎないのだ。竹熊健太郎さんが赤田編集長に『エヴァ』を見せた話を「オタクアミーゴス会議室」に書き込んでいたから、そういった事情は唐沢もわかっているはずなのに、何故陰謀論めいた話にしてしまうのか。



 P.25〜26より。

 僕はね、作家主義とかそういうものが、『エヴァ』のブームによって過去のものになったと思ってる。つまりこれまでのアニメ作品とかいうのは作家性の強い宮崎駿なら宮崎駿、あるいはプロデューサーの西崎義展なら西崎義展という個性が出て、その彼らの論理の中で作品は完成されていたんですね。だけど、その時代は終わった。『エヴァ』で終わった。『エヴァ』でもってそれが証明された。作家の中で完結してるものに対しては、読者はただ単に作家のいうことを絶対的な言葉として聞いていればよかったわけでしょう。宮崎駿の作品の中では宮崎駿がこうだというのが唯一の解決であって、他の人間が何だかんだいったって、宮崎駿が俺はそんなこと思ってないよっていえばそれでいいんですよ。同じことが作家性の強い人が作ったすべての作品についていえるんですね。
 ところが『エヴァ』というのは庵野さんっていうクリエーターの贈るメッセージが最終回答じゃない、という極めて特殊な作品である。それゆえに、一〇万人なら一〇万人のアニメファンが自分の作った『エヴァ』論を唱えうることができる作品である。だからこれだけの人数が参加可能になったといえますね。話の最初にいいましたけど、“『エヴァ』ファン”がいるんじゃなくて、“『エヴァ』評論家”がいるんだというのがそれなんですよ。俺は庵野監督よりあの作品が深くわかってるっていうことが可能なんですよ。


 えーっ…。「俺は庵野秀明より『エヴァ』を理解している!」という人が実在したらドン引きするしかないけどなあ。また、アニメにおいて作家主義が終わったとはとても思えなくて、たとえば『魔法少女まどか☆マギカ』に関してもアニメファンが新房昭之虚淵玄の考えを無視して勝手に楽しんでいるとは言えないだろう。
 このくだりを読んで興味深かったのは、唐沢俊一の主張がいわゆる「作者の死」を思わせることで、バルトを参考にしたのかなあ?と気になってしまった。しかし、それなら後々の『テヅカ・イズ・デッド』への批判がおかしなものになりはしないか?などと考えていたが、続きを読んでガッカリしてしまった。



 P.26〜27より。 

 オタクアミーゴスのごく初期の頃ですが、作品なんてのは我々の語る際のネタに過ぎないという話を眠田直さんなんかとしました。説得力のある作品、それが唯一至上のものであって、みんなでしゃべるのはそれに付随するに過ぎないという風潮があったんだけれど、ふと考えると、アニメでの本当の楽しみってのは作品を見たことじゃなくて、後でそれについて友達とあーだこーだと言ってる時だと。主体はこっちにあるのだから、あーだこーだというネタをいっぱい提供してくれる作品のほうが、いい作品なんじゃないかと。
 宮崎駿の『となりのトトロ』を見て話すよりも、三流テレビアニメをネタに「あれ、ひでーよなっ」って話すほうが、二時間でも三時間でも盛り上がれるじゃないですか。あっちのほうが優れている作品なのかといった時に、迷うことなく「そうだ」といいきってしまおうというのが、岡田斗司夫眠田直や私がいっている意味でのオタク、“絶対者としてのオタク”なんですよ。ここがわからないと、『エヴァンゲリオン』っていうのは決してわからないと思います。岡田斗司夫が『オタク学入門』(太田出版)で書いたことに則していえば、もう作品の尻を追いかけるのはやめろということ。見てる我々が一番偉いんだと。我々のほうの知的レベルがはるかに上になっちゃって、作品を勝手にいじって楽しんで、作家のテーマなんか関係なく、オレたちがこっちのほうがおもしろいと思えば、そういう作品の良さっていうのも成り立つんだと、本質はこっちが素晴らしいんだということをどれだけおもしろく芸をもっていえるかのほうにあるんだということなわけです。(後略)


 いやー、人間ってここまで思い上がれるものなんだなあ、と。「絶対者としてのオタク」「見てる我々が一番偉い」「我々のほうの知的レベルがはるかに上」ねえ…。
 一番引いてしまったのは、『トトロ』より「三流テレビアニメ」の方が盛り上がれる、というくだりで、つまり「オタクアミーゴス」というのはダメな作品をクサしたいがためのユニットだったのか、と。…そんなに盛り上がりたいなら、2ちゃんで実況するなりニコ動でコメントをつけてればいいんじゃね?とか思ったり。…っていうか、オタアミの3人のコメントってそんなに面白い?
 いわゆる「サイテー映画」が盛り上がったときに「“名作だから”“B級だから”と差別しないで、自分の価値判断で考えよう」ということを個人的には学んだつもりで、たとえ「サイテー」な作品であってもクリエイターに対する敬意は忘れないようにしようと思っていたから、尚更引いてしまう。盛り上がるための話の種にされる作品が気の毒で仕方がない。…嫌な話になってしまうが、唐沢さんは脳天気本や貸本マンガを取り上げるときにも「見てる我々が一番偉い」とか思っていたのだろうか。


 この後、唐沢俊一は『エヴァンゲリオン』のブームは情報の少なさによって逆に盛り上がったと唱えている。P.31より。

 これでわかるとおり、今までのアニメとかの騒ぎの元となる魅力っていうのが異なっているんです。これまでは映画完成と共にビデオやらLDやら次から次へと過剰に物が与えられる楽しみだったじゃないですか。それでその特典がどれだけ多いかによって質とか決まってくるわけで、『エヴァ』に関しては、特典が異様に少ないんですよ。だから奪い合いになる。情報なんていうのは机に向かってパソコンのキーを叩けばすぐに入ってくる今の時代に、みんなが三鷹GAINAXのまわりを取り囲んだんですよ。出てくる人間の肩をつかまえて、ひとりひとりに「その持っている袋の中に『エヴァンゲリオン』の資料入っているんですか」と聞きまくっていたんですよ。


 そんなことが?! ガイナックス、大変なことになっていたんだなあ…。そう思いつつ、続きを読んでとうとう噴いてしまった。P.32より。

 こういう積極性って僕は『ヤマト』の時や、『ゴジラ』の時に経験しているんです。、まだビデオもインターネットもなかった時代、全国各地からひとつのキーワードの下に集まって、見も知らない人間がひとつのキーワードを中心にコミュニケーションを作り上げていったんです。隣に並んだ全然知らない人間に向かって「あなたはどのゴジラが好きですか。キンゴジですか、モスゴジですか」というように、話の輪を広げていったんです。(後略)

 ゴジラ』の時? 1954年に? その頃唐沢俊一はまだ生まれていないけど。鶴岡氏もこれにはさすがに突っ込んでほしかった。



 ラスト。P.32〜33より。

 エヴァ』によって、オタク的コミュニケーションが確立したんじゃないか。これは社会現象であり、その現象を支えているものは、『エヴァ』というキーワードにしてのコミュニケーションであると。で、今まで僕が喋ってきた中でいってきたのは、『エヴァ』の本質って要らないってことです。だから答えは要らないんです。
 実は『エヴァ』そのものにハマったという人間は、そんなに数はいないんじゃないかと思います。『エヴァ』を見た時はそんなにハマりもしなかったのが、語ること自体のおもしろさに取りつかれてしまった状況はあると思うんですけど。
 現象としての今後なんですけど、夏に今度こそ完結編が出たあたりで揺り返しが来やしないか(引用者註 このインタビューが収録されたのは1997年4月)。自分たちの作業は作品のテーマを追い求めることだと勘違いしていた人たちが、そろそろその勘違いに気がつくと思うんですよ。そんなにみんな馬鹿じゃないから(笑)。つまり、「『エヴァ』にハマっていた時間を返せ! あの夏を返せ!」みたいな揺り返しが来る時が怖いですよね。揺り返しがあった後でこの作品が『ヤマト』のように、語ることをタブー視されるものになるかとも思うのですが……。
 『ヤマト』の時というのは、今回ほどおもしろくはないけれど、アニメというものが訳のわからないまま、初めてマスコミに取り上げられたじゃないですか。あの時は、花束を抱えて見に来てたり、映画が終わって幕が閉まる時に誰となくすすり泣く声が映画館に満ちていたり。その時って、脳内麻薬が出まくっていていい意味でナルシスティックに感動していたんだけど、ふと我に返ると、あんな恥ずかしいことはないんですよね。しかも作品の出来がそれなりのものだったら誇れるんですけども、あんなもので私は感動していたのか、っていう揺り返しがきたもんだから、今に至るアニメ業界が隆盛する基本になった作品にも関わらず、『ヤマト』のことについて語るのはついこの間までタブーだったわけですよ。『ガンダム』については、ずっと語られてきたけど『ヤマト』というのはないことにされていたんですよ。それと同じことが『エヴァンゲリオン』に起こらないとも限らない。だからそうならないためには『エヴァ』というのはあれでいいんだよと。あれにハマったのは現象を味わうための手段であって、作品に魅かれたんじゃないんだから恥ずかしくないんだ、といっておかなくてはならないですね。


 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は今年秋公開予定! 10代の頃からハマっていた作品をまた楽しめるなんて本当に嬉しい。嬉しすぎて『エヴァ』について語るのが恥ずかしくてタブーになっちゃいそう。…まあ、『エヴァ』が15年以上も「現役」の作品であり続けると予想していた人はそんなにいなかっただろうけどね。
 気になったところその1。「本質は要らない」ってことになると、これは別に『エヴァ』に限らず大ヒットしたアニメなら何でもいい、ってことになりはしないか。観ていない作品を語りたい人には都合のいい理屈ではあるけれど。
 その2。これまで何度も出てきた、「『ヤマト』について語るのはタブーだった」理論はやっぱりよくわからない。そんな状況が本当にあったのだろうか? しかも『ガンダム』はタブーじゃないというんだから、余計にわからない。…ただ、この点に関しては唐沢俊一を気の毒に思う。だって、青春時代にハマっていた作品をボロクソに言わなきゃ気が済まないって、あまりにも寂しすぎるじゃないか。しかも、唐沢は『ヤマト』のサークルのために浪人までしているのだ(2008年10月28日の記事を参照)。「あんなもの」でも自分にとってはかけがえのないものだ、と唐沢俊一が思えるようになってくれれば、と願わずにはいられない。


 以上。
 
 途中、あまりの上から目線に開いた口がふさがらなくなってしまったが、ラストの「作品に魅かれたんじゃない」のあたりでとても悲しくなってしまった。この人は何のためにアニメを観ているのだろう、何のためにオタクをやっているのだろう、と他人事ながら虚しくなってしまったのだ。今まで自分はオタクを趣味にしていて楽しいと思えるのは当たり前のことだと思っていたが、本当はとてもラッキーなことなのかもしれない、とふと感じてしまった。



 できればすぐに「補論その3」を書きたいけど、いよいよ『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』が出るんだよなあ。水曜は朝イチで書店へダッシュ


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