唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

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●水曜日にトリビアの泉スペシャルをやっていた。…のだが、裏番組が家政婦のミタ』最終回(視聴率40%!)という絶望的な状況だったためか視聴率もヒトケタ(8.0%)だった。もっとも、今回は総集編だったうえにサブタイトルが「承知しましたスペシャル」だったので、ミタさんと勝負にならないことは『トリビア』サイドもわかっていたのかもしれない。『ガセイ婦は見た!』というのを思いついてしまったが…。「東京文化研究所からまいりました唐沢です」 いずれにせよ、元日のスペシャルこそが本当の勝負だと言えよう。番組開始からもう10年経ったとは。


唐沢俊一が大晦日の特番に出演するらしい(公式サイト)。「11月の半ば」に収録があったとすると、日テレのガキの使いやあらへんでスペシャル』かな。ヘイポーの代役?


●本題。今回は岡田斗司夫『オタクの迷い道』(文春文庫)収録の岡田と唐沢俊一の対談「オタク伝説を背負って」(P.214〜P.259)を紹介する。この本は唐沢検証を始める以前に読んでいたのだが、今あらためて読んでみると、岡田・唐沢コンビの「俺たち最高!」感にあふれた困った対談としか言いようがない。この対談が収録されたのは2002年12月だが(「裏モノ日記」2002年12月6日を参照)、『トリビアの泉』と同様にずいぶんと時間が経ったものだと実感させられる。なお、この対談はかなり長く、いちいちツッコミを入れているとキリがないので、適当に端折った紹介になることをあらかじめおことわりしておく。


 この対談で一番強調されているのは「オタク第一世代がいかに特別であるか」ということである。上の世代(プレオタク世代)とも下の世代(オタク第二世代)とも異なっていると主張されている。
 まず、「プレオタク世代」が海外のSFに対してコンプレックスがあったために窮屈であったのに対し、「オタク第一世代」は「バカを価値として認める」価値観を確立した(P.220〜221の唐沢の発言より)ため、「プレオタク世代」のストイックさから免れていると説いている。また、「プレオタク世代」が純粋に作品について語っていたのに対し、「オタク第一世代」は「自分と作品との関わり」について語っている、とも説いている。以下に、いくつか発言を紹介する。

P.226〜P.227の岡田の発言より。

岡田 (前略)僕は高校のころ、スタジオぬえの人たちとか池田憲章さんにすごく憧れて、あんな大人になれれば楽しいなと思ったんですけど、あの人たちは作品に対して真面目なリスペクトがあって、僕らみたいにすぐ茶化したりしない。もう一つは、僕や唐沢さんが『サンダーバード』の本を出すとしたら、自分との関わりを絶対に書くけれど、池田憲章さんが、俺は『サンダーバード』についてこんな体験をしたと書いたことは一度もない。それぐらい滅私奉公なのが、この世代の特徴ですね。


P.234の唐沢の発言より。

唐沢 (前略)われわれがリアルタイムでオタク勃興期のムーブメントを体験しているということは、おおげさに言っちゃうと、人類の遺産になるわけですよ。この本のように、今現在の流れを記録することはたぶんプレオタク世代にはできない。自分の今じゃなく、過去の作品がどう作られ、どう受け入れられたかが問題ですから。


P.239の岡田の発言より。

岡田 すこし話がずれるかもしれないけれど、僕、本文に書いた<大統領のヘルメット>の話が自分らしいなと思うんです。僕にとっては『インデペンデンス・デイ』の本筋より、あのなかに<大統領のヘルメット>が見えたことのほうが大事なんですよ。それをちゃんと書き残しておかないと気が済まないのは、前の世代の使命感じゃなくて、僕の受けた感触を残さないと、僕がなくなってしまうんじゃないか、と思うからなんです。作品は残るかもしれないけど、僕らは消えていくものだから……。


P.239、P.241の唐沢の発言より。

唐沢 作品だけでは文化にならない。見た人間が語り、想像し、そして岡田さんのヘルメットみたいに、ほんとにないものを情念で作ってしまうところまでひっくるめて文化、だと思うんだな。

 われわれが『宇宙からのメッセージ』を観て怒り、『さよならジュピター』で腹を立ててきたことも、オタク文化なんだと。この考え方を発見したときに、自分の中でオタクは完結した、と思ったな。


 文中に出て来る「大統領のヘルメット」とは、岡田斗司夫が『インデペンデンス・デイ』を観たときに、大統領が押入れから銀のヘルメットを取り出して戦闘機に乗って戦うシーンがあるとカンチガイした、という話である(『オタクの迷い道』P.60〜61)。ただのカンチガイを何度もネタにする岡田は凄いのかもしれないし、ただのカンチガイを「情念」などと持ち上げる唐沢俊一の友情の厚さには感動しないでもない。まあ、「人類の遺産」云々も凄いけど。
 上の発言を見る限り、「プレオタク世代」と「オタク第一世代」との違いは「自分と作品との関わり」を語るか否か、ということらしい。なるほど、アニメやマンガや特撮を単なる作品としてではなく「生き方」として受け取ってしまった人間にとって、作品について語ることによって自らについても語っているという手法は確かに魅力的なのかもしれない。
 しかしながら、P.241〜242で唐沢俊一は次のように発言している。

唐沢 (前略)森卓也さんも小林信彦さんも、ギャグについて素晴らしい本を書いている。この二冊に共通するのは、一章を割いて自分の喜劇体験を語っているところなんです。小林さんや森さん個人の体験なんて読者に関係ないだろうと思うんですけど、実はそうじゃない。(後略)

 あれ? じゃあ、森卓也小林信彦も「自分と作品との関わり」を語っているってことじゃないの? …結局、作品に対する立ち位置は世代に関係なく個人個人によって異なるものなのではないか。あと、『オタク対談』でも感じたことだが、岡田と唐沢は相手の話をちゃんと聞いているのか?と思ってしまう。
 また、「プレオタク世代」のストイックさを象徴する人物として、池田憲章のほかに杉本五郎の名前を出しているが、池田と杉本を同じ「世代」にしてしまうのは無理がありすぎる。オタクは「第一世代」「第二世代」「第三世代」と細かく分けているのに、「プレオタク」について雑すぎないか?


 次に、「オタク第一世代」と「第二世代」「第三世代」との違いについて。P.228〜230より。

岡田 第二世代というのが、今三十代中盤ぐらいの人たちですね。(引用者註 この対談が行われたのは2002年)ちょうどガンプラ世代かな。SFを読まずしてアニメを好きになれた世代の始まりで、原えりすんとか、フィギュア王編集長の額田(久徳)さんとか……。


唐沢 そこらの人たちって、特殊ですよねえ。今オンエアされているアニメを全て見ることが自分のアイデンティティなんだ。いちばん屈折しているのは、実はこの世代でしょう。僕たちの世代までは、SFもアニメも、なんとかその源まで遡ることができた。SF映画を観ようと思ったら、名画座や上映会を回って、メリエスから追いかけることができたけれど、この世代はテレビで際限もなく放送されるものをビデオに録って見るだけで精一杯で、その世界全体を把握して考えることができなくなっている。
 第三世代になるとそこらはハナからあきらめて、もっと気楽に、好きだから見る、飽きたら見なくなるってスタンスですよね。物理的に全部見られない状況があるし、がんばって全部見たらどうなるかというモデルが、はーらんであり、オーピンであると思うと、これはやったらいかんなって思うんじゃないですか(笑) 

 これも世代に関係なく人によるって話じゃないかなあ。山本弘会長や眠田直は最近でもアニメをだいぶ観ているはずだし、岡田と唐沢はこの後(P.235〜236)町山智浩さんと柳下毅一郎さんの映画の見方を揶揄していて、

岡田 「インドネシアの何とかという映画見ましたか」って、誰かに言われるのがこわくて観てるようなもんでしょう、あいつら(笑)(後略)

と言っている。岡田たちと同世代でも本数をこなしている人はいるということだし、「オタク第二世代」でも自分のペースで観ている人はもちろんいるはずだ。なお、オーピン氏については1月18日の記事を参照されたい。
 ただ、岡田はやはり最近の作品を観ていないことをうしろめたく感じているようで、『オタクアミーゴスの逆襲』(楽工社)の中で「最近のアニメも観ないと気が済まない」と語っていた眠田直に向かって「なんで見るの?」と言っている(2009年5月3日の記事を参照)。いや、何を観ようと眠田の勝手だろうに…。この発言に限らず、『オタクアミーゴスの逆襲』での岡田の「最近のアニメ」嫌いはすさまじく、それに焦りらしきものを見てとるのは邪推のしすぎだろうか。


 P.231〜232より。

唐沢 (前略)プレ世代はいい年をして怪獣映画を観ているというだけで、足場を獲得できた。われわれの世代は、それを観たときに自分はどうだったとか、オタクと言われつつ苦労して観た、と語ることがアイデンティティになった。では、下の世代はどうすればいいのか。まだオーピン、はーらんは生活を破綻させても追いついていこうという意志があったけれど、その下になると、本当にドラマがないでしょう。
 だから、あのとき『エヴァンゲリオン』の悪口を言って悪かったなと唯一思うのは、彼らにとってのアイデンティティ確認の祭りに水をかけちゃったことで。


岡田 それは思いますよね。『宇宙戦艦ヤマト』と『ガンダム』のときに俺たちを邪魔した人たちは、わかってないこと丸出しだったから、反抗しやすかった。国家権力の横暴ハンターイって言えたみたいなもんです。でも、なまじ俺たちみたいに彼らの心中を見透かせる世代に「だってお前らの根性、こうだろう。俺らもそうだったからよく知ってるもん」て言われたんで、すごいひねくれちゃったんですよ(笑)。


唐沢 そうそう、あれは悪かった。もっと祭りをさせてやりたかった。


岡田 この対談のタイトル、決まりですね。「エヴァ論の邪魔をしてすまんかった」


唐沢 すまんかった。自己批判します、それは(笑)。


岡田 君たちがあんなに「エヴァは素晴らしい」と語るもんだから、君たちのためを思って「今そんなことを言うと、あとで恥ずかしいぞ」って水を差しちゃったけど、それは間違っていた。今恥ずかしい体験をするというチャンスを、君たちから奪ってしまった。


唐沢 七転八倒するほど恥ずかしい体験をすることが、後からふりかえってみてどんなに宝かということですよね。


 今のオタクに「ドラマがない」ってことはない。一人一人にそれぞれの物語があることに今も昔も変わりはない。むしろドラマチックな出来事を求めてしまう心性にこそ問題があるのではないか。たとえば、「手塚治虫に雑誌で名指しで批判された」とかありもしないドラマを作り出してしまうような。起伏に乏しい人生だって十分に価値はあると思いますよ、唐沢さん。
 まあ、それにしても、岡田・唐沢の『エヴァ』支持者を揶揄した理屈はやっぱり意味不明である。…どうもこの二人はエヴァ』のことをよくわかってないんじゃ?とすら思えてきてしまう。年下の人間が自分らによく理解できないもので盛り上がっているのが気に食わなかった、それだけのような気がする。岡田はともかく、唐沢が『エヴァ』を取り上げた文章もかなりズレた内容だった(2009年7月3日の記事を参照)。あと、唐沢俊一にとって最高に「恥ずかしい体験」である「前説事件」をいずれ本人の口から詳しく話してほしいところ(2009年2月18日の記事を参照)。


 その一方で、岡田と唐沢は「第二世代」「第三世代」よりも濃い経験をしたことを誇っている。P.234〜235より。

岡田 実は最近、僕は自分ではオタクとは言えないと思うんです。唐沢さんの日記読んでも、こんなに毎日楽しく飯を食う人はオタクじゃない(笑)。でも第二世代の日記読んでると、人生すごい苦しそうだし、第三世代以降のやつは薄すぎて楽しくない。「こんな情報チェックしてる俺」がネットで情報を集め、発信して得られる楽しさの総量なんて知れている。ああ、薄い人生だなあ、ってつい思っちゃう。


唐沢 僕は基本的にオタクの基礎条件は、遺伝子みたいな本質的なものではなく、置かれた時代、置かれた環境だと考えているんです。そういう意味では、オタクが宮崎勤に代表されていた時代から、「マンガやアニメが世界に発信できる日本の唯一の財産」みたいに言われるようになるまでのオタク文化の盛衰を全部体験してしまったわれわれの世代は、これはもう生まれた時期がよかったとしか言いようがない。ほんとに面白かった。ざまみやがれ(笑)。


岡田 恨まれて当たり前ですよね。四十半ばで、未だにこんなに楽しそうなんだもん。他の世代は、もうちょっと顔に翳が入ってる(笑)。

 「人生楽しくて仕方がない」アピールをしている人は逆に何か問題があるんじゃないか、と思えてくる。岡田斗司夫唐沢俊一もこの対談が行われた2002年から現在に至るまでの流れを考えるとかなり問題があったわけだし。そもそも、人生を本当に楽しんでいる人は他人をこきおろしたりはしないだろうしね。「薄い人生」でも楽しければいいんじゃないの?
 


P.247より。

岡田 (前略)あのころのオタクの皆さんの生きざまは面白かったよ、という昔話なら書けるんだろうけど、今のオタクの姿とか、自分がどういうオタク的な興味を持ってるのかなんて、書いても仕方がないと思ってしまう。


唐沢 やっぱり勃興期だったんですよ。オタク文化はおそらく、日本の文化的ムーブメントのなかで、その勃興期から克明に記録されてきた最初のものとして価値があるんでしょうね。

唐沢 ムーブメントがなくなれば岡田斗司夫唐沢俊一はいなくなるってみんな言ってたけれど、今度はムーブメントの生き証人としてこれから一生関わっていける(笑)。


岡田 俺たちがいなくなるときは、みんないなくなるから心配しなくたっていいよ(笑)。

 唐沢俊一が何の「生き証人」だというのだろう。「ガンダム論争」に関する自己申告も虚偽にまみれていたというのに。まるで信用できない生き証人というのは困る。
 それにしても、岡田は年下のオタクを徹底的にぶった斬っているなあ。ぶった斬られている年下のオタクから言わせてもらえば「なんでそんなに余裕がないの?」としか思えないけど。俺は「四十半ば」になったときこんな風にならないようにしようっと。


 岡田・唐沢の「プレオタク世代」「オタク第二世代」への主張は、ストイシズム批判という点において共通している。P.234より。

岡田 他の世代を見てると、すごい窮屈なんですよ。プレオタク世代は修行僧みたいにストイックだし、第二世代は人生のなかにオタクにかける配分が高すぎて、生きにくいんじゃないかと。

P.238より。

唐沢 (前略)何ていうのかなあ、岡田さんもそうだし、僕もそうだけども、いくらアニメが好きで自分の人格を多少歪められようとはいえ、自分の存在というものを抹消しちゃったらおしまいだなと思いますよね。

唐沢 (前略)私はストイックなものに憧れて、そうじゃないほうへ行っちゃったんだけれど、それはストイックな人間がハマったものに裏切られる場面をつぶさに見てしまったからなんです。ストイックな人間にはストイックなりの限界がある、と気がついてしまった。(後略)

 P.253〜254より。

唐沢 時間を作って読もうとしているうちは、ほんとの本好きじゃないでしょう。オタクっていつの間にか映画を見てるし、いつの間にか本を読んでるもんだよね。どんな面白い本でも、“自分にとって読むべき時期”でないときに読むのは苦痛でしかないし。


岡田 そうか、そうか。俺が本読まないのもちゃんと理由があったんだな。読むべき瞬間まで寝かしてたんだ。


唐沢 だからオタクで一番困るのが、強迫神経症的になってしまうこと。新機種が出るたびにパソコンを買いかえたり、深夜から並んででもゲームを誰よりも早く手に入れたりするのは、オタクでもなんでもなくて、強迫神経症にすぎない。ほんとうのオタクだったら、発売後十年経ってゲームの箱を開けて、ようやく俺にとってこのゲームをやる時期がきた、と言うべきであって……。

唐沢 全部見ちゃうと逆に平板になっちゃうんだよね。山があって谷があって、乗り遅れたところもあるのが人生。(後略)

 じゃあ、秋葉原で発売当日の深夜零時にゲームを買おうとしている人や、コミケの企業ブースや人気サークルで目当ての品を買おうと並んでいる人はオタクじゃなくて強迫神経症なんだ。…ただ、疑問なのは、それだったら『古本マニア雑学ノート』(幻冬舎文庫)に登場する古本マニアのみなさんも強迫神経症になってしまうんだけど。唐沢は自分の本の価値を貶めるようなことを言ってしまっている。

 岡田や唐沢の言い分に従っていくと、オタクという存在がきわめてだらしのないものにしか思えなくなってくる。自らの好きなものを追いかけるためには最近の作品をチェックする余裕がない、というのなら理解できる。しかし、最近の作品をチェックしなくていい、ネットを気にしなくていい(P.229の岡田の発言より)、ストイックなオタクは自分がない、などと自らの好きなものを挙げることなく、「やらなくてもいい」言い訳ばかりして他のオタクを否定するのは理解しがたい。
 個人的には、岡田や唐沢は最近の流行についていけていないことを実は結構気にしているように思われてならない。最近の流行に本当に興味がないのであればいちいち否定したりはしない。好きなこと・興味のあることがあれば、他人が何を好きでもかまわない、と思えるはずだしね。岡田と唐沢がマスコミで最近のオタク関係の流行について語るとボロボロになることがしばしばあるしなあ。何かにハマっている人を批判するのは、何にもハマることのできない人なのかも、と『エヴァ』騒動を見ていてなんとなく感じた。また、二人がストイックなオタクのありかたを否定しているのも同じことで、「あっちの方がオタクとして正しい」と本当は感じているのではないか。


P.258〜259より。

唐沢 われわれは初めてスタイルとしてのオタクを自己の意志で選択したという意味で、オタク世代にとってのモデルケースなんですよ。無自覚のままオタクだった池田憲章石上三登志森卓也杉本五郎にはなれないけども、自覚してオタクになった岡田斗司夫唐沢俊一にはなれるかもしれない。こいつらならマニュアルを作ってくれるし、記録を残してくれる。だから2ちゃんねるでけなされるんです。なろうと思や俺にもなれるんだ。ただ俺たちはあんなふうにはなりたくないからやらないだけなんだ、と。
 でも、ほんとに自覚がないままにオタク的な生活をしている今の第三世代、ゲームが最先端だからやる、テレビをつければやってるからアニメも見るという人たちは、非常に居心地が悪いんじゃないか。それは、アニメやゲームがあふれた環境にいるだけで、自分の選んだ道じゃない。条件がととのっているというだけじゃオタクになれない。
 オタク的な生き方を人生のある時期で選択することが、オタクとして生きる人間には必要なんです。もちろん、オタクは絶対になくなるとは思わない。どんなに薄い状況のなかでも、オタクになってしまうという方向性はあるわけですからね。しかし、自覚か無自覚かの差は大きいですよ。これはちょっとミゾを埋められないくらいに。

 この対談には「オタク第二世代・第三世代はオタク第一世代に憧れている」という設定があるのだが、果たしてそんな雰囲気が本当にあったのか疑問である。自分はいわゆる「第三世代」にあたるが、岡田や唐沢のようになりたいと思ったことはないし、逆になりたくないと思ったこともない。彼らは「オタク」を名乗っていたものの、自分とは遠い存在にしか思えなかったのである。第二世代はともかく、第三世代にとって岡田や唐沢はさほど影響力を持っていないのではないか?とも思う。15歳以上の歳の差はデカいでしょう。
 自分語りをもう少し続けさせてもらうと、唐沢の「第三世代は居心地が悪いんじゃないか」という話は完全に間違っていると断言できる。自分は地方で長く生活していたのだが、「条件がととのっている」東京に出てきてからオタク関係の生活は段違いに楽しくなった。深夜アニメはほぼ毎日放送されているし、書店の品揃えも全然違うのだ。テレビや映画がなかなか見れなくて悔しい思いをしていた人間からすると、「条件がととのって」何か悪いことがあるのか?と唐沢に聞いてみたいくらいだ。それから、オタク趣味の人間は誰でも多かれ少なかれ葛藤を抱えているはずである。「プレオタク世代」にしろ「オタク第二世代」以下の若い人間にしろ、コンフリクトを全く経験せずに生きてきた方が少ないのではないか。
 …結局のところ、ここでの唐沢の言い分は「近頃の若い者は」論法でしかない。「苦労もせずにぬくぬくと育ちやがって」というヤッカミも入っているのかもしれないが、年下の人間としては「いや、俺らにも俺らなりの苦労があるんスよ」と弱々しく反論を試みるしかない。苦労を自慢されると非常に困ってしまうな。


 では、気になった部分をひとつひとつ紹介していこう。P.218より。

岡田 オタクは屈折していて自虐的である、とよく言われますけど、ハイジは子ども番組だし、『宇宙戦艦ヤマト』は中学生が対象じゃないですか。大学生になってそれにハマってるわけだから、屈折もしますわな(笑)。今の二十代は、最初から対象年齢ハイティーン以上のものを見てるから、ストレートに大好きでいられるんでしょうけど。

 

 よくわからない理屈だなあ。対象年齢を外れているのに子供向け番組のファンをやっている「大きいおともだち」は今でもいるだろうに。あと、『ヤマト』本放送時、岡田と唐沢はともに16歳だったが、岡田は高校3年生の時に再放送を見て『ヤマト』にハマったとのこと(岡田斗司夫公式ブログ)。しかし、岡田のブログにある一連のビデオデッキ話を読んでいると、岡田も唐沢と同様に環境に恵まれていたんだなあ、と思わざるを得ない。


P.224〜P.225では、オタクがモテる、という話題が出ている。

岡田 「オタクのおやじはモテる」っていうのが、最近の僕のテーマなんですよ。「BSマンガ夜話」でも、いしかわじゅんとか夏目房之介がモテるんですよ、「今度教えてくださ〜い」って。そんなのがありかと、僕はもう考えたこともなかった。(後略)

唐沢 その現象には二つ、理由があると思う。一つは女の子はあまりに世間との融和性が強いんで、男みたいにふいっとバカなもの、世間からあまりに浮いたものにハマることができない。あんなにオタクたちが楽しそうに騒いでいるから、のぞいてみたいけれど、自分からゴジラ映画見に行くのはちょっと……っていうのがあって、男性にエスコートされることによって、その面白さに入っていける。
 もう一つ、われわれの世代はとにかく男女平等をタテマエにしていますが、現実には目線の上下だけでも人間関係が規定される部分があるじゃないですか。男だからといって女性が尽くすなんて思ったら大間違いだよって育てられた世代には、ごく自然な感じで「教えて」と言うのがいちばん効くんですよね。

 いしかわじゅん夏目房之介はオタクなんだろうか。2人が女の子にモテるとしても、それは2人がオタクだからではないような気がする。
 唐沢俊一の話はよくわからなくて、「女の子のオタク」の存在を無視しているし、デートのたびにマニアックな映画を観に行って女の子にフラれまくったどこかのドンファンのことを考えると、とても信じられない話である。


P.230より。

唐沢 ネットの世界ですべての情報が得られると思っている世代というのがいるんです。(後略)

 いや、ほかならぬ唐沢自身が「ネットの世界ですべての情報が得られる」と思っていたからこそ、何度も何度もネット上からそのままコピペしていたんじゃないの? 


P.242より。

唐沢 (前略)エヴァブームのとき、僕はそれにハマった伊藤剛くんの悪口を言ったと批判されたんだけど、一般の人たちがハマるのはなにも悪くない。ただ、伊藤くんに対して、「あなたは評論家になるんでしょう。あまりに入れ込むと全てを『エヴァンゲリオン』との比較でしか語れなくなってしまう危険性があるよ」と言っただけです。ところが彼はそれでもいいので、じゃあ君はバカだね、と(笑)。
 自分を中心にして語るのは、よほど自分に自信があるか、自分の見てきたものは「文化」だという安心感があるからで、プレ世代はやっぱり心配だったから、できるだけ公正な立場を取り、いいものと悪いものの選別をしようと努めた。彼らはその基準にエヴァを持ってこようとしていたんですね。ソレは違うんだ、と私、当時さんざ言ったんです。何がいいか悪いかじゃない、「いいものも悪いものも含めてオタク文化なんだ」と。(後略)

同じページにある唐沢による脚注。

注23 伊藤剛
マンガ研究家。かつては唐沢・岡田のもとでオタク修行にはげんでいたが、エヴァンゲリオンにハマって、脱オタクを宣言、袂を分かつ。修行時代の呼称“伊藤(バカ)くん”の使用に怒って両人を訴えたこともある。東浩紀他との共著『網状言論F改』がある。(唐沢)

 …いずれにしても、唐沢俊一にとってだいぶ都合のいい説明になっている。じゃあ、『国際おたく大学』(光文社)で伊藤さんの持病を揶揄していたのは一体なんだったというのか。伊藤さんに訴えられて実質的に敗訴しているのに蔑称をまだ使うのか、とも思うけれど。『エヴァ』騒動については『唐沢俊一検証本VOL.4』を参照されたい。


P.253より。

岡田 みんな唐沢さんみたいなオタクになりたいんですよ。好きなことをやって、本に埋まって暮らしていて、友達もいっぱいいて、毎晩おいしいものを食べている。僕の日記と唐沢さんの日記を比べたら、唐沢さんの方が明らかに娯楽に溢れて楽しそうだし(笑)


唐沢 それは故意にそう書いているんですよ。あの日記は他人に読ませるためのものじゃなくて、自分の人生は虚しくなかったと証明するために書いている。俺の一生はよかった、と十年後、二十年後の寂しい自分を慰めようと思って……(笑)。これも伝説かな。

 いや、そういう風に日記を書いたらかえって虚しくなるんじゃ…。今の唐沢が昔の「裏モノ日記」を読み返したらどう思うのだろうか。


P.255〜256より。

岡田 僕ね、二十代ぐらいに読んだロケンロールな文章が、よくわからなかったんですよ。俺がメシを食えばロケンロール、クソをすればロケンロール、音楽の良し悪しじゃない(笑)。でも、僕自身もだんだんその心境に近づいてきて、俺が何をしても、それがSFだしオタクなんだと(笑)。


唐沢 何を見ても、自分のなかで区分けするじゃないですか。「これはオタクだから、よしッ」「これは俺がオタクだと認めたからよし」。もっとひどいのになると「これは俺が見なくてよし」(笑)。


岡田 これは僕と唐沢さんだけかもしれないけれど、作品とか作品の歴史より自分のことを偉いと思ってますよね。


唐沢 当然ですな(笑)。


岡田 「俺の富野体験はそれでいいんだ」って言えるオタクは、さすがに僕らの世代でも極めて少ない。たまたま唐沢さんとつきあいがあるから、僕のこういう考え方がさらに強化されている気がするな(笑)。

 友達選びの大事さを痛感させられるが、「見かけのビッグマウスに反してこの2人はあまり自信がないのではないか?」という気もしないでもない。必要以上に大言壮語されると、読者はあまり凄みを感じなくなるものかもしれない。「ガンダムよりも俺の方が偉い」とか言われても困る。


 最後に対談の表題にある「オタク伝説」の話を取り上げる。P.248より。

岡田 これ書いてたころは、ジョン・ウェインの西部劇みたいに事実よりも伝説が大事だって思ってました。『リバティ・バランスを撃った男』(原文ママ)のラストシーンで、リバティ・バランスを射殺したのは保安官じゃなくて、本当はその横にいた無名のジョン・ウェインなんですよ。新聞記者が本当のことを書こうとすると、「ここは西部だ」と言う。「西部では真実より伝説が優先される」と。子どものころテレビで観て、これが俺の生きる世界だと思って、それで梶原一騎とかすごい好きになったんですよ。ほんとの大山倍達はどうでもいいし、ほんとの極真館原文ママ)もどうでもいい。『空手バカ一代』という伝説がすごく大事なんだ。
 だから、俺たちの世代の神話(サーガ)をつくらなきゃいけない、と。それが本当かどうかより、どっちがより面白いか、より伝説的かを考えたんです。(後略)

 『リバティ・バランスを射った男』で、リバティ・バランス(リー・マーヴィン)を射殺したことになっているのは弁護士ジェームズ・スチュワート)。…それにしても困った話である。『オタクの迷い道』という本そのものの信頼性まで疑わしくなってしまう。岡田斗司夫という人は、ホントに「ウケを取れればいい」という人なんだなあ。

 P.252より。

唐沢 (前略)そんなふうにしながら、最終的にわれわれは自分の作った自分の世界のなかで死ぬんだろうなと思うと、すごくいい気分になりますよ。
 後の世代は、そんな虚構や伝説を背負って生きていけるか、と思うんだろうけど、じゃあ彼らの人生は楽しいのか。やっぱり人間、丸裸じゃ生きられなくて、伝説背負っていくんじゃないかと思う。
 それに、伝説化、偶像化を否定しすぎると、次の世代はほんとに乗り越えるべき相手もいないという感じで、だめになってしまうんですよ。政治の世界でも何でもそうなんだろうけど、とくにオタクの世界はほかにモデルがいないから、しょうがなく第一世代をね。

 自分の身の丈に合わない伝説を背負ってしまうとツラい思いをする、というのは唐沢俊一を見ているとよくわかる。「『ヤマト』はわしが育てた」にしろ「手塚治虫に批判された」にしろ。…それにしても、伝説を背負いたがる気持ちがよくわからない。「オンリーワン」になりたいとか?

 検証をしている間に、この「オタク伝説」の話が時々頭をよぎることがあった。「俺は“オタク伝説”の真偽を確かめているのかもしれない」と。自分は別に「唐沢俊一の言っていることはウソッパチだ」などという気持ちで、偶像破壊的な狙いをもって検証をしていたわけではなくて、「“オタク伝説”というものが真に伝説たりうるのであれば、たとえ真実とは違っていても後世に残るはずだ」という気持ちだった。いかに検証されようとも、「真実よりずっと凄い!」と思わせられるほどの話なら「伝説」と呼べるだろう。岡田や唐沢の話が「伝説」に値するものなのかを確かめたかったのだ。…というわけで、自分としては悪意をもってやったわけではないのだが、唐沢の「自分の作った自分の世界」を破壊する結果になってしまったことを申し訳なく思う。おのれディケイド!
 実際問題として、岡田や唐沢の語った話にどれだけ「伝説」たりうるものがあったかというと、はなはだ疑問である。まあ、調査の結果たどりついた真相があまりにもチンケすぎる、ということもあるし、梶原一騎ほどの才能がなければ「伝説」は作れない、ということもある。「大統領のヘルメット」とか後世に残るかね? この対談自体、時間の流れに耐えきれていないような気もするが。また、岡田や唐沢の話が少なからず自己弁護の色彩を帯びていることも残念な話ではある。ついでに個人的な感想を言わせてもらえば、伝説化・虚構化された話よりはありのままの事実の方がずっと面白い。唐沢の語る「ガンダム論争」より実際の「ガンダム論争」の方がずっと面白かったしね。だから、岡田と唐沢にはありのままの事実を語ってほしいと心から願うが、彼らの性格からしてそれは無理なようにも思う。彼らの語る「伝説」「虚構」をそのまま受け止めることなく、事実と照らし合わせていく作業は今後も必要不可欠だろう。


 …長くなってしまって申し訳ない。結局あまり端折れなかった。
 二人にブッタ斬られている「第三世代」の人間としてはとても困ってしまう内容だったし、これまでの唐沢問題の中でも最大級に時の流れの残酷さを感じたテーマであった。この二人のしゃべりは記録しない方がいいと思う。
 

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