ガセの上の猫。
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●SHIBUYA-FMで今週土曜20時から放送される『居島一平の“Violent Saturday”〜歯軋り番外地〜』に唐沢俊一がゲスト出演する模様(ソースは居島氏のTwitter)。USTREAMでも聴けるのかな?
●唐沢俊一の夏コミの新刊『裏亭mixi雑文録』P.24〜P.25に収録されている「三本足」という文章より。
(前略)中国では“多才だが、どれもが中途半端”なやつのことを“三脚猫”と呼ぶ。足が三本しかない猫、という意味である。十六世紀半ば、南京の神楽観の袁素居という道士が飼っていた猫から来た言葉であって、この猫は三本足で飛ぶようにひさしや壁を登り、よく鼠を捕まえたが、ただ、普通には歩けなかったという。こういう故事から、上記のような意味が生れたのだと言う。日本で言うと“器用貧乏”にあたるのだろうが、しかしその道士の家の猫は普通には歩けないまでも、凄い能力があったのだから、悪口に使われるのは不本意なことだろう。
唐沢俊一は「三脚猫」というハンドルネームに別の意味も込めているのではないだろうか。唐沢は過去に「頻軒」という名前も使っていることだし(「裏モノ日記」2000年7月28日より)。
これまで句会などでは頻軒(ひんけん)という名を使っていた(ドイツ語のhinken=跛から)が、これの意味を説明すると大抵の人が引く。
そりゃ引くよ。「三脚猫」だって事情を知っている人が聞いたら引くのでは。どのような心理がはたらいて名前をつけているのか、少し気になる。
この後、唐沢は「ネットで中国事情を伝えるサイト」で知った話を書いている。
ところが、このあいだ、ネットで中国事情を伝えるサイトを読んでいたら、最近の中国の俗語では、この言葉が必ずしも否定的に使われるばかりではなくなってきている、とのことだった。
「伊是三脚猫、様様会一点」
などという言い回しは、“彼は器用で何でも出来る”という意味だそうである。一点集中型でない、マルチ人間が求められる時代になってきたというわけか。もし、そのような変化があったのだとしたら、袁素居道士宅の三本足の猫くんにとっては、名誉回復であり、まことにめでたいことだと思うのである。
唐沢が参考にしたのは「(a)中国を楽しく旅行する(術)」である。
だが、いま中国で「三脚猫」というと、この怪猫のことではなく、おおむね「技術や物事を多少は知っているが、精通しているわけではない人」を指す。あるいはそこから「中途半端なこと」をいう。いわゆる「梧鼠の五技」に通ずる。「梧鼠」(むささび)は飛ぶ、登る、泳ぐ、もぐる、走るの五つのわざを持っていて何でもできるようであるが、どれひとつ徹したものはないので、器用貧乏、半可通、生半可、中途半端などの意をあらわす。添足6
上海ウオーカーオンラインの上海閑話に、こんな例が載っている。
「伊是三脚猫、様様会一点。」上海語であるから、発音は普通語と異なる。「イーズセチャモ、ヤンヤンウェイイェディ」意味は「伊(彼)は三脚猫(セチャモ)だから、何でも少しはできるよ。」添足7 少しはできる、がポイントである。上海語の例を挙げたからといって、別にこの地方でだけ使われているということではない。無錫の旅游サイトでも無錫俗語として紹介されているし、香港の辞書にも出ているように、全土で広く使われているようだ。
…なんか、意味が違ってないか?
だが、これだけではなく、この「三本足」という文章には他にも「(a)中国を楽しく旅行する(術)」の記述に依拠した部分がある。そもそも「三脚猫」の説明からしてソックリなのだ。
十六世紀半ば、南京の神楽観の袁素居という道士が、一匹の三脚猫を飼っていた。まるで飛ぶようにひさしや壁を登り、よく鼠を捕まえたが、まともに歩くことはできなかった。
上に引用してある唐沢の文章と比較してみよう。
また、「金華猫」の説明も良く似ている。最初に唐沢の文章。
年をとった猫が化けるという言い伝えは日本独自のものではない。中国にいる金華猫という猫は、人に飼われて三年経つと化けて、妖怪となり、月光を浴びて変化の術を身につけ、山奥に住み着いて、美男美女に化けては旅人をたぶらかすという。
「(a)中国を楽しく旅行する(術)」。
猫の怪談話では、中国も日本に負けていない。たとえば「金華猫」がいる。この猫、人に飼われて三年経つと妖猫となり、夜な夜な屋根の上で月に向かって口をあけ、月光の精気を吸いとり、何年かすると人家を去り、深い山奥か古い寺廟などに棲みつき、夜になるとそこから出てきて、相手が女なら美青年に、男なら美少女に化けて人をたぶらかす。
…何度目だろう、このパターン。
それから、唐沢は
これには、北京では共産党の指導により、1994年までは、一般家庭では犬・猫を飼うことが禁止されていた、という事情もある。
と書いているが、禁止されていたのは犬だけなのでは(JanJanニュース)。
…しかし、なぜサイトの名前を伏せるのかなあ。調べればすぐにわかることなのに。
パクリとガセをすりぬけて 俺は君になる
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