唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

よしこさん。

唐沢なをき夫人のこと。



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 今回はパチスロ必勝ガイドNEO』8月号に掲載された唐沢俊一『エンサイスロペディア』第51回「林家三平を取り上げる。なお、文中に「林家三平」「三平」等の表記が多く出てくるが、特に注意がない場合は「初代林家三平」を指していることをおことわりしておく。

 第一、三平という名前は、落語家になった駆け出しの時の名前、いわゆる前座名である。普通、落語家は出世して真打(落語の世界の最高位)になると、それなりの格式と伝統のある名前に改名するのがしきたりであるが、三平は、テレビでお茶の間になじんだ名前を、どんなに出世しても変えようとはしなかった。自分の人気が、何によって得られたものかをよく、わかっていたのだろう。この点、弟弟子にあたる月の家円鏡が、せっかくテレビで売れたその名前を、師匠の名跡を継ぐということで橘屋円蔵(原文ママ)に変えて、知名度が落ちてしまったのと対照的である。

 三平の2人の息子はそれぞれ名跡を襲名して「お茶の間になじんだ名前」を変えているのだが、三平が名前を変えるつもりがなかったかというと、実はそうでもないようだ。五代目柳家小さん『咄も剣も自然体』(東京新聞出版局)P.156〜P.157より。

 (引用者註 柳家小三治って名前については因縁があって、高橋(引用者註 栄治郎)を小三治にした時には林家三平君のおやじが七代目小三治で売れてたのに取り上げて、七代目林家正蔵にしちまったてえことを聞きました。
 だから、三平君が真打ちになる時、「お前ね、おとっつぁんが小三治で売れてたのに、うちの師匠(引用者註 四代目小さん)が無理に取り上げたんだから、おれの小三治をやるが、どうだ?」って言ったら、三平君もおふくろさん(引用者註 海老名うた。七代目正蔵夫人)も喜んで、小三治になるつもりでいたんです。
 ところが、七代目橘家円蔵が、三平君を円鏡にしようとした。それが嫌だったんで、三平という名のままで真打ちになったんです。三平君のかみさんの香葉ちゃんにその話をしたら、「ちっとも知りませんでした」と言ってました。

 五代目小さんの話を見る限り、三平は師匠である円蔵には逆らえないので名前を変えなかった、という風に読める。しかし、話をさらに遡ると、海老名家が「林家正蔵」の名跡を八代目(後の彦六)に貸し出すことになったのは、八代目正蔵が小さんの名跡を継ぐことができなかったからなので、どうも因縁がありすぎるというか、かなりややこしい話である。ともあれ、三平が父親にゆかりのある名跡を継ぎたかった、という可能性は大いに有り得るわけで(付け加えておくと七代目正蔵の前座名は「柳家三平」である)、唐沢の解釈には疑問が残る。

 三平のどこが面白かったのですか、と若い人に聞かれて、ちょっと困ることがある。今、記憶に残る三平の高座は、昭和40年代でもうマンネリと言われ、話芸としては目茶苦茶であった。“元旦に坊さんが二人で歩いていて、「和尚がツー」、お正月”なんてくだらない小話をただ並べてみせるだけだった。……ところが、不思議なことにそれで観客は大爆笑なのだ。彼の持つ、天性の明るいカリスマ性が、それを芸として成立させてしまっていたのだ。そのカリスマでなく、名前のみを受けついだ今の三平を、ちょっと気の毒に思ったりもする。何しろ、芸に関しては大変に厳しい目利きである当代の立川談志が、
「三平さんにはかなわない」
 とカブトを脱いでいるのである。芸も、笑いのテクニックも超えた、存在そのものに笑いの神様が降りていたのだろう。


 三平の芸について解説するのが難しい、というのはわからないではない。では、実際に彼の芸を見てみることにしよう。

源平盛衰記その1
源平盛衰記その2

 脱線ばかりしているのにこれはこれで成立しているのが凄いな。

 
 さて、上の動画の中でも名前が出てくる立川談志だが、著書をいくつか読んでみた限り、三平のことを認めているというよりは理解しかねているように見える。たとえば、『談志楽屋噺』(白夜書房)でも、三平のことを「モンスター」「破廉恥」(他人の持ちネタを平気でやるから)などと呼んでいる。上の動画の中で三平が客をいじっているが、談志はそれを邪道とも言っている。なお、『談志楽屋噺』の中には春風亭梅橋が「ビールを健康保険で買えないか」と言った話(2008年9月28日の記事を参照)や毒蝮三太夫が談志を駅のホームで突き飛ばした話(2010年10月7日の記事を参照)が出てくるので、唐沢はこの本からネタを拾っているのかもしれない(ハヤタ退院さんが既に指摘されていた)。
 また、『週刊アサヒ芸能』2005年4月21日号掲載の『唐沢俊一のこんなニュースに誰がした!』第3回で唐沢は九代目林家正蔵襲名のニュースを取り上げているが、ここでも三平を「爆笑王」と持ち上げながら、何故か彼の「芸」について分析していない(三平の息子たちや八代目正蔵の「芸」については批判的に語っているにもかかわらず)。「カリスマ」「笑いの神様が降りていた」と言うだけなら簡単だよなあ。落語通(なんだよね?)らしい分析を聞いてみたいものだ。

 この台をプレイしつつ、往時を知る人はあの天衣無縫の三平の芸を偲び、知らない世代は、一世をかけぬけたカリスマ芸人を偲んでほしい。


 談志が「どうしていつも同じネタしかしないのか?」と訝しむ一方で、三平が来る日も来る日も新作のネタ作りに励んでいたことを香葉子夫人や九代目正蔵が証言している。「天衣無縫」というのはイメージにすぎないのではないか。…しかし、「知らない世代」がこの文章を読んで三平のことをどれくらい理解できるのだろうか。


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