唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

バカになれ?

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 岸田裁月さん、どうもありがとうございます。ネタがないというよりは、ついつい野次馬根性で行動してしまうせいなのですが。唐沢俊一が伊藤剛さんの文章を改竄した件を取り上げられたので結果オーライでした。


 で、日垣隆だが、とうとう行くところまで行ってしまわれたtogetterを参照)。検証するとしたら、日垣の数々の自分語りを取り上げて楽しむという形をとろうかな、と考えていたけど、今のままだとやったところであまり楽しそうじゃないなあ。唐沢俊一には取り上げるべき業績もない(本人も認めている)のだけど、日垣隆には業績があるから(「俺の邪悪なメモ」を参照)残念な話ではある。
 …っていうか、「スパイ」とか「公安」とか言い出している。…体調が回復するまでは検証はやめておくか。


 本題。唐沢俊一鶴岡法斎『ブンカザツロン』エンターブレイン)第1章の続き。今回は「バカは強し」(P.30〜P.49)を取り上げる。


 P.31〜P.32より。

唐沢 非常にエッジを高めていって、「普通の人がついてこれないまでになったものを楽しめるのが一部のオタクエリートだ」って図式ができてきたわけです。常に他者との差別化をはかっていると、そうなっちゃうのね。これをオタクの根源的問題点ととる見方もあるんだけど、芸術ってたいてい、その道をたどるものだというのは、夏目漱石が『吾輩は猫である』の中で、もう明治時代に言っているね。ただ、やはり第一世代オタクには、そういう方向性があるんですよ。


鶴岡 ええ。


唐沢 押井ファンというのが、そうじゃないですか? われわれが誉めないと、押井守は単なる売れない映画を撮ってる監督にされてしまうと。これをなんとか賞賛して、その価値を世間に認めさせなくてはいけないっていう、使命感みたいな形のものがあってね、それでひたすら雄弁になっていく、という図式がかつてはありましたぜ。今の連中ってそういうのに乗ってこないのね。

 押井守のファンってそんなんなんでしょうか。しかし、「普通の人がついてこれないまでになったものを楽しめる」のと「その価値を世間に認めさせなくてはいけない」というのはまるで別の話ではないだろうか。外部にアピールするためにあえてマニアックなものを好きになっているわけではないだろう。「こんなヘンなものが好きな俺カッコイイ」という行動原理で動く人も中にはいるかもしれないが。


 P.33、P.35より。

唐沢 うん、そのぐらいですよ。“人気のないものを称賛しよう”ってのがモチベーションの底にあるのは、かつて、声優とかアニメとか特撮とか、そういう不遇だったものをリスペクトするという快感が忘れられないんだな。いま、東浩紀さんたちが、“オタクリスペクト”とか言っているでしょう。あれ、気持ちはすごくわかるんですね。ただ、その声にオタクたち自身がついてこない。「なに言ってんだ、そういうことの本家はこっちだぞ」と、馬鹿にしている(笑)。
 岡田斗司夫なんかはね、そういうリスペクトの行き着くところは、「枯れた趣味だ」と言うんですね。人間、まずみんながいいというものをよしと認識しますわな。次に、みんなはとやかく言うけど、オレはこれがいいと思う、というものを誉め始める。ここらが成熟ですよ。で、次の段階になると、自分も「こりゃアカンわ」というものを楽しめるようになる(笑)。こうなると、すでにその価値観はかなりヒネた、枯れたものになる。わざと、傷のある茶碗でお茶を飲むみたいなものでね。そこに風流とか、粋だとかを感じる。オタクアミーゴスみたいなものを始めたのも、あれってオタクで風流遊びができないか、という実験なんですね。いわば“あんた方(第二、第三世代)も年とったら、こういう楽しみしてみなさいよ”という隠居法の見本なんだね。


鶴岡 そうですね。


唐沢 オタクムーブメントの第一線は、やはり、新しい価値観を世界基準にまでリスペクトしよう、という熱い現場であるべきで、そこから下を見ると、まず入口のあたりで、すでに価値が定まったものにはまりこんでおり、上を見ると、自分基準の空間の中で、勝手にいろんな変なものを楽しんでいる。こういう具合にオタクが世代区分できれば、すごく美しいピラミッド構造になったと思うんだよね。またそうなるであろうっていう予測の元にわれわれは、とにかく人に先駆けて枯れようと、そういうその意識に忠実にね、変なものを取り扱うことにした。怪獣映画でも、われわれはメキシコの『ミイラ対ロボット』なんかを、「こりゃオツでげす」とお茶でもすすりながらね、楽しもうとしていた(後略)

 岡田斗司夫は『オタク学入門』(新潮文庫)でオタク文化茶の湯をからめているから、かなり初期の段階で「オタク」と「風流」を関係させる考えがあったのかもしれない。
 ここで気になるのは、「人気のあるもの」「わかりやすいもの」を好むよりも「人気のないもの」「わかりにくいもの」を好む方がオタクとして優れているという考え方は正しいのか?ということだ。唐沢俊一が図らずも「ピラミッド構造」という言葉を用いているところからも、優劣をつけているのは明らかなのだが、はたしてそれは優劣をつけるべき事柄なのだろうか。おそらく、岡田や唐沢にはオタク内に「ピラミッド構造」を築き上げてそれを指導する立場に立とうとする目論見があったのではないか。それがうまくいかなかった、岡田と唐沢が下の世代に影響力を持てなかった理由はいずれ考えてみたいところだ。
 そもそも、「人気のあるもの」「わかりやすいもの」から入って「人気のないもの」「わかりにくいもの」へと移行していくのは本当に自然の成り行きなのだろうか。個人的な経験に即して言えば、自分は若い頃から「わかりにくいもの」が好きだったし、「いろんな変なもの」にも惹かれていた。まだ十代の頃に『エド・ウッドとサイテー映画の世界』を手に取ったときも「自分と同じような人がいる!」と思ったものだ。あんな映画にわざわざ興味を持つ人がこんなにいるなんて、と。人間の好みというのはわりと早い時期に決定されているのではないだろうか。
 また、唐沢がヘンなものを好むのを「枯れた」と表現しているのには違和感があって、むしろ若い人ほど世間から評価されていないものを取り上げることで、おのれのセンスのよさをアピールしようとするのではないか。悪く言えば「中二病」になってしまうけれど。
 もうひとつ気になるのは、「いろんな変なもの」を持ち上げるのは、オタクだけではなくサブカルチャーにも共通していることだ。「職業・サブカルチャー」だった唐沢はともかく、オタクとサブカルの間に区別をつけようとしていた岡田にとってはあまり都合のいいことではなかったことは想像に難くないし、個人的には「オタクアミーゴス」の活動はオタクというよりはだいぶサブカル寄りのように見える。


 P.35より。

唐沢 (前略)……ところが、それをやっていこうと思ったらね、なんか、第一世代がまだ熱いんだな。


鶴岡 熱いですね。


唐沢 うん、うまい具合に冷えてないっていうかね。あの開田裕治さんとか、ヤマダ・マサミさんとか、あのあたりの人たちってのは世代的にもう第一世代なんだから、今出来の怪獣には熱くはなれないだろうと思ってたら、ものすごく熱く『平成ガメラ』とか、『ウルトラマンティガ』とか語るのね。あれはなんだ、焼けぼっくいに火がついちゃったのかなとか思うんだけども。

 あなたの弟も熱いですよ、唐沢さん。唐沢なをき『怪獣王』(ぶんか社)での開田裕治との対談で、平成ウルトラマンの怪獣について熱く語ってます。ガンQに不満を言っているのが面白い。「オタク座談会」で「平成ウルトラマンを見るほど貧乏してない」と言っていた岡田斗司夫よりずっと好感が持てるし、年下の人間にとって「熱い」年長者の存在には励まされるような思いがする。


 P.35〜P.36より。

鶴岡 僕はこの、昨年『マンガロン』出して、まぁ読者からお便りとかもらうんですよ。それでやっぱり思うのが、すごくね第一世代にコンプレックスもってる読者が多くて、いちばんビックリしたのが、自分たちの読んでる漫画が、言葉を与えていいものだとは思ってなかったっていう読者がいて。俺と歳が変わんない読者で。熱すぎるんですよ、上が。だから、『仮面ライダー』とか『ウルトラマン』も語るに値してるものだっていう情報があるから、自分たちが見ていた『戦隊』シリーズとか『星雲仮面マシンマン』は、語ったらバカにされるんじゃないかと、勝手に思ってて黙ってるだけだと思うんですよ。だから今、考えてるのは、俺とかが出て“それでいいんだよ”と。で、第一世代は第一世代で、価値がほんとにいちばん下のところから、盛り上げたんだからってことを、ちゃんと歴史的事実として教えれば、熱くなると思うんですよ、第二世代が。


唐沢 だよね。今、第一世代を熱くしているというのは、第二世代が出てきてないじゃないか、という、危機感なんだね。だいたい、この第一世代の連中に聞くと、オタクの中ぼそり現象、ひょうたん化現象というものを憂いているね。第三世代は新人類で、理解もあまりできないんだけど、なまじ目が届くだけに。

 「新人類」って。古っ! 『イナズマン』か。


進化すると長州力になる。


 今まで何回も書いてきたけど、「下の世代が出てこないからオタク話をしなきゃいけない」というのは唐沢や岡田の言い訳にすぎなくて、やめたきゃやめればいいだけの話だ。だいたい、伊藤剛さんや東浩紀への態度を見ていたら、下の世代が出てこないことを本気で心配していたのかきわめてあやしいものだと思わざるを得ない。
 細かいこととしては、オタク第一世代が『ウルトラマン』と『仮面ライダー』をともに評価しているかどうかは疑問である(『ウルトラマン』=第一次怪獣ブーム、『仮面ライダー』=第二次怪獣ブームと時間的にも差がある)。唐沢俊一には『仮面ライダー』を観ていないのでは?という疑惑があるが(詳しくは2009年4月15日の記事を参照)。 


 P.38より。

鶴岡 そうですねぇ、で、僕は同世代に向かってはね、やっぱり“頭悪くなれ”って言いたいんですよ。


唐沢 うん?


鶴岡 「熱くなれ」って言うとなんかイヤじゃないですか。なんか森田健作みたいで。「熱くなれ」とは言いたくないんですよ。ただ熱くなったほうがいいのは、わかるんだけど。「バカになれ」って言っとこうと思って。


唐沢 ああ、そういうことか。わかるわかる。第二世代ってさ、彼らって、第一世代に対抗するための理論武装を先にやっちゃったのね。それが邪魔して、バカになりきれない。


鶴岡 そうそうそう。あのね“バカ”は、強いですよ。やっぱり。あのバカの一念岩をも通しますね。理論あろうがなかろうが、いや理論ない方がおもしろいです。最強ですもん。理論ない奴。

 鶴岡氏の発言は日垣隆の現状を予言しているのか?と思ってしまうが、それはさておき「バカ」について考えてみよう。
 「バカ」には大きく分けて2つの意味がある。ひとつは「知識と論理的思考力に欠けること」。もうひとつは「計算を度外視して行動すること」。で、オタクというのは後者の意味において「バカ」であることが多い。だって、役にも立たず他人に評価されるわけでもないのに趣味に没頭しているわけだから。他ならぬこの自分も「バカ」である。唐沢俊一のような世間一般で知られていない人間について詳しく調べ、その結果「粘着」だと言われることも多いのに、それでもまだ検証を続けているので、我ながら「バカ」だとは思う。松岡修造並みに「熱い」のかもしれない。
 ただ、前者の意味において「バカ」になってはいけないし、「知識と論理的思考力に欠けるのに計算高く行動しようとする」のは「バカ」の中でも最悪の部類に属する。…誰のこととは言わないが。
 自分は唐沢俊一が言うほど、「オタク第二世代」が「バカになりきれない」とは思わない。「第二世代」の人々にも趣味にかける情熱は確かに見受けられるからだ。伊藤さんや東氏にも後者の意味で「バカ」な部分はあると思うし(東氏がネットでよく騒がれるのもそのせいだろう)、伊藤さんが『エヴァンゲリオン』について「バカ」になって語っていたときに、「サイコさん」扱いしたのは一体何処の誰なのかと唐沢に問いたい。よくよく考えてみれば、唐沢俊一は『ヤマト』『ガンダム』『エヴァ』について「バカ」になっていた人たちをずっと冷笑する側にいたわけで(「アニメ百馬鹿」の人だもの)、実際のところは、他人から「バカ」だと思われることを何よりも恐れていたのだと思う。だから、鶴岡氏は「オタク第二世代」ではなく唐沢に向かって「バカになれ」と言うべきだったのだ。おそらく、鶴岡氏は唐沢にも「熱い時代があった」と誤解していたのだと思うので同情できる部分はあるものの。


 P.38〜P.39より。

唐沢 だから第一世代はそのバカパワーでやってきたわけじゃないですか。いい年した奴がね(笑)、やれ『ゴジラ』がいいの、『キャンディ・キャンディ』がいいのって、ハタから見ればバカ以外のナニモノでもないことを「ワーワー」わめいていたがゆえに、オタク文化は成立し得たんだね。これが「この作品が抱えている意味は、現代の若者の持つ疎外感を……」とか言っていたのでは、オタクは一部の好事家の域に、やはり留まってしまっていたと思うんですね。既製の価値観を破壊するためには、“ええじゃないか”のような、世間の常識を超えたパワーというのが必要になる。あの狂乱のヤマトブームが“ええじゃないか”で、『スター・ウォーズ』が黒船だったんですよ。とりあえずそれで火がついたムーブメントを、消えさせないように定着しようという実働のほうに忙しくて、理論武装はあんまりしなかったわな。後付けで『ゴジラとヤマトと僕らの民主主義』(原文ママ)のようなものも出てきたけども、あれはあれとして今の私が、怪獣論とかアニメ論とか、それからまぁ、B級学における漫画論とかって、ある意味まとめに入った的な物言いをしているというのは、そろそろあの狂乱の時期が過ぎて、落ち着いて見られるようになったからなんだな。明治維新に今なお謎の部分が多いのは、ああいう大きな価値変革の時代というのは、誰もその経過を記録しておこうなどという余裕がないからなんでね。私は、オタクという価値観が日本文化において、まがりなりに定着したというのは、戦後の歴史における、一大革命だと思っているんです。だからこそ、謎の部分も非常に多い。岡田斗司夫ガイナックス追放事件とか(笑)。それはともかく、これまでの改革の歴史、あの、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開版に長蛇の列ができて、女の子が泣きじゃくりながらスクリーンの前に花束を捧げたという、あの時から今までの二〇年を、今のうちに急いで記録・保存しておく必要がある。次の改革はそこから始まると思うのに、第二世代の人たちってのはすごく性急な気がするのね。


鶴岡 あぁ性急です。第二世代は、今の第一世代の今の位置がほしいんですよ。でも、そうじゃないんですよ。

 いやいや、唐沢俊一「ガンダム論争」のときに「バカパワー」に水を差すようなことを言ってたじゃないか。あと、ええじゃないかより黒船の方が時間的には前の出来事。
 「狂乱の時代」だったから理論が作れなかった、というのは奇妙な話で、そんなことを言っていたらいつまでたっても話ができない。理論と後出しジャンケンは違うはずだ。なお、岡田・唐沢が『エヴァンゲリオン』について表立って語ろうとしなかった理由について『唐沢俊一検証本VOL.4』で推測しているので、そちらを参照していただきたい。わりとしょうもない理由だと思っています。
 とはいえ、オタク史を記録・保存すべき、という意見には大賛成だし、「オタク史検証」の意味合いもある当ブログの趣旨に唐沢さんも賛同していただけるものと信じたい。


 P.41〜P.42より。

唐沢 『マルクス主義』ってのが、“自分たちはヨゴレ仕事はせんでええ”って理論なんですよ。そういうことは資本主義がやってくれる、と。で、その汚いことで蓄えた資本の蓄積を自分たち社会主義が自在に使えるっていうのがマルクスの理論。俺、今のアカデミズムによるマンガ学とか言ってる連中の理論って、それだと思うんですよね。コミケでエロ同人誌売って、世間敵に回した経験もない奴が(原文ママ)、オタクのセクシュアリティがどうのこうのって高みから語る。あれはオタクの蓄積を自分たちが自由に使えるんだ、っていう、かなり高慢な考え方だよね。マルクシズムが沈没しちゃったのは、その資本を蓄える段階で、資本主義がいかにそれ以前の価値観、金儲けのうまいユダヤ人を徹底差別してきたあの価値観ですが、それと戦ってきたか、それゆえに資本主義がその根本に持っている“ルサンチマンがいかに根強いものか”ということを、知ろうともしなかったことにあるんですね。以前には資本主義というのが自分たち以上に斬新で、アナーキーで革命的な思想だった時代があった。それがどういう時代であったか、ということを整理しないで見切り発車してしまったところにマルクシズムの破局の原因があったんですよ。



鶴岡 敵のことをよく知らずに戦ったとしたら、辛いですよね。


唐沢 オタク文化を語ろうとする人たちも同じで、“オタク的状況というのを最初からそこに存在するもの”だ、として語っているから、薄っぺらなものになる。現状がそうなら、そうなるに至ったところまで遡って考えなくては、ものごとの本質はわからない(後略)

 「共産主義」「社会主義」「マルクシズム」と用語が不統一なうえに、話があちこちに飛ぶので唐沢俊一がどの程度共産主義について理解しているのかわかりかねるが、唐沢がアカデミズムに搾取されていると思い込んでいるのが垣間見えて興味深い。あなたは搾取されるほど蓄積してないだろう、と思うし、唐沢はオタク業界における労働貴族なのでは?とも思う。
 あと、コミケでエロ同人誌を売ると世間を敵に回すことになるとは知らなかった。一般参加でエロ同人誌を買ってもダメなのだろうか。
 「かなり高慢な考え方」というのはお門違いもいいところで、オタク文化に限らずわれわれは先人の努力の積み重ねの上に生活しているわけで、それを利用することはイカン、と言われれば何もできなくなってしまうし、唐沢が「脳天気本」をネタにするのも「かなり高慢な考え方」になるだろう。同様に貸本マンガにツッコミを書き込んだり、著作権者に無断で復刻するのも「高慢」だ。先人への敬意を欠いた行動ばかりしている人が、後続の人間を批判するのは明らかにおかしい。
 結局、アカデミズムの研究者にオタク関係の縄張りを奪われるのが嫌なのか(唐沢に攻撃されていた東浩紀にはそんな意思はなかったようだが)、もしくは「俺に挨拶がない!」と怒っているだけなのではないか。唐沢の言動にこそ「ルサンチマン」が見受けられるのが皮肉だ。


 P.45より。

唐沢 まあ、よく言っていることだけど、『エヴァンゲリオン』は、私はけして嫌いな作品じゃないし、またああいう形になったっていう現象そのものは面白いことは面白いわけです。それをもって、あれが誉めるに値しない作品だっていうふうなことを言ってるわけじゃない。ただああいう異様な状況、異常な状況の中に身を置いた時に、これを理論づけて語ろうとか、なんか結論を自分の中で出すのは少し時間、待とうよと。われわれ、相似形のことを『ヤマト』で経験してんだからさっていうね。そういう経験則みたいな形でものを言っているのに、なにか、自分がどういう存在なのかということをとにかく見極めたいと暴走しちゃう。やっぱり第二世代ってのはそこで性急だなと。

 『実録! サイコさんからの手紙』(宝島社)で『エヴァ』のことを「キチガイアニメ」などと呼んでいたのに「嫌いじゃない」とは。
 東日本大震災の時にも言えることだが、この人は何か突発的な事態が起こると「落ちつこうよ、みんな」と「待ち」状態になってしまうんだろうな。要するにパニクってしまうわけだ。


 P.47より。

唐沢 われわれのころは、アニメに求めるものっていったら性欲がまず第一で、たとえば『コン・バトラーV』の南原ちずるだとかさぁ、『ガッチャマン』の白鳥のジュンとかをオナペットにするってのはまず、当たり前のことだった。セクシャリティー(原文ママ)とは、なんて大上段にかまえないで、「自分がハマっているものでヌくのなんて、当然じゃない」ってね。理論なんか付けないで性欲だけで向き合えた。特撮のキャラクターにでもね、睦月(影郎)さんなんかは“巨大フジ隊員”に燃えて。

 というわけで、「オタク第二世代」は「セクシュアリティー」などとカッコつけてケシカランと話しているのだが…、「アニメに求めるものっていったら性欲がまず第一」とは、また思い切ったなあ。じゃあ、唐沢が「萌え」を否定するのも、「あんなのじゃヌケない!」ということなんだろうか。富野由悠季みたいだけど。…まあ、とりあえず、唐沢さんのお気に入りのキャラクターとお気に入りのシチュエーションをお聞かせ願いたいところですが。


 P.49より。

唐沢 (前略)ロリコンという趣味自体もね、ごく当初にはインテリの必須教養みたいな受け止め方の時期があったんだ。要するに普通の、実際にヤらせてくれるようなねーちゃんの尻を追いかけるんじゃなくって、そういう性欲をどんどん先鋭化していって、ついにはまだ第二次性徴のない少女とか、二次元キャラでヌけることがすなわち、イメージ喚起能力の優れている証拠だ、というエリート感覚ですよ。

 引き続きオナニー話だが…、一般人がヌケないものでヌケると偉い、とかそんな話があるのだろうか。それはオタクというよりはむしろ面白いクラブの出来事のような気がする。唐沢俊一はどんな青春を送っていたのだろうか。


 夏に出す同人誌では今回出てきた問題点を踏まえて、自分なりのオタク・サブカル文化論を書いてみたいと思っています。そこから「唐沢俊一」という現象を考えてみようかと。

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