唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

雁擬の寺。

新潮文庫版には『薩摩揚人形』と一緒に収録されている(ウソ)。


※注意!! この記事には水上勉の小説『雁の寺』と川島雄三監督の映画『雁の寺』のネタバレが含まれています。








 でも、新潮文庫版はあらすじで盛大にネタバレしてるんだけどね…。そして、がんもどきと言えばムギちゃん(「たまごまごごはん」さんを参照)。2期のムギちゃんの可愛さは異常(1期もいいけど)。もうすぐ連載再開!


 本題。唐沢俊一は自身のサイトで「古い映画をみませんか」という映画評を連載しているが、その15回目で1962年公開の映画『雁の寺』を取り上げている。
 「古い映画をみませんか」の特徴は、とにかく唐沢俊一の興味を持った事柄に話が流れがち、ということである。ネット上で無料で公開されている文章なのだからどのように書いても自由であるとはいえ、「みませんか」とタイトルにある割りには読者に不親切であると感じる。なお、映画のストーリーは「キネマ旬報」データベースに書かれてあるが、結末まで書かれてしまっているので閲覧の際には注意をしていただきたい。
 文章を読む限り、唐沢俊一水上勉の原作を読んだようなのだが、ヘンなところもあるのでいちいち指摘しておく。

死ぬ間際の人間はいびきをかくような呼吸をするが、これは
舌を支えている筋肉がもう働かなくなり、喉をふさいでしまうので
いびきのような音がするのである。厳粛な死のイメージが台無し
になるので、普通の映画では描かない。そこをこの映画は実に
リアルに表現している。映画後半にも、檀家の久間久三の兄、
平三郎がいびきをかいて床に伏せっているシーンがあり、
いびきは死の象徴となっている。

その、死の瀬戸際の呼吸の中で、南嶽は、友人の狐峯庵住職・
北見慈海に、自分の愛人・里子のことを託す。慈海(三島雅夫)、
里子(若尾文子)のキャスティングのハマり具合と共に、
タナトス(死)とエロス(生にして性)が見事に交錯する
出だしである。

もっとも、このシーンは水上勉の原作にもあるシーンである。
いびきの描写も原作通りだ。

 正しくは久間久三ではなく「久間平吉」。原作では南嶽と平三郎という「死ぬ間際の人間」がいびきをかくという描写が確かにあるが、映画では南嶽と平三郎のほかに慈海と平吉がいびきをかくシーンがあるので、唐沢の見立てには疑問をおぼえる。

映画オリジナルは、この後、南嶽の初七日に、里子が狐峯庵を
訪ねて位牌を拝むシーンにある。
里子は位牌の前で
「いや、なんやの、臭いわ」
と鼻を覆う。
小坊主の慈念(高見国一)が汲取りをしているのである。
いかにも川島雄三的な悪趣味で、カメラは汲取口の中に入り、
肥びしゃくを突っ込む慈念の表情を捉え、汚物にまみれた
肥びしゃくがアップになる。

カラーなら直視できないシーンだろうが、モノクロ映画の利点は、
色を排することで、汚物ですら、メタファーとできることである。
この映画と同じ1962(昭和37)年公開の黒澤明監督『椿三十郎
のラスト、三十郎に斬られた室戸半兵衛が吹き上げる血しぶきは
モノクロ故に、武士という立場の人間が胸の内にため込んでいる
不満や憤懣、あるいは我欲のアナロジーになり得たが、カラーであれを
やったら、単なるスプラッタになってしまう。映画は色がついたことで
大きなものを得たが、また失いもしたのである。

 水上勉は『雁の寺』の撮影現場を訪れた際に、たまたまこの肥え汲みのシーンを目撃して、川島雄三の演出に感心している(『田名部の墓参り』)。もっとも、原作にもわずかながら慈念が寺の雪隠の汲み取りをしているという説明があり(新潮文庫版P.24)、映画の中で「汚物」はそれほど長い時間映っているわけでもない。個人的には映画と「汚物」といえば『パンツの穴』を思い出す。
 しかし、『椿三十郎』の血しぶきが「武士という立場の人間が胸の内にため込んでいる不満や憤懣、あるいは我欲のアナロジーだったとは。そういう見方もできるのか。でも、それだったらたとえば『スキャナーズ』で頭が吹き飛ぶのは、精神あるいは知性の暴走の「アナロジー」と見ることも可能だと思うので、色の有無は関係ないような。「単なるスプラッタ」とB級映画を見くびるような発言をしているのも気になるが。

排泄物が臭いということは、いい食事をしているということで
ある。慈海が生臭ものを食べているということだ。
このシーンはこれまた後半、体を悪くした慈海が、京都の有名な
すっぽん料理屋・大市のすっぽん鍋を届けてもらって養生する
というシーンとつながる。原作は生の象徴として性を置くだけだが、
映画はさらにそこに“食”をも置くのである。


大きなガラス容器に入れられて届くすっぽん鍋は確かに精が
つきそうで、川島監督はこれにこだわったらしく、撮影で毎日々々
すっぽん鍋の匂いをかがされた若尾文子はそれ以来、すっぽんを
食べられなくなってしまったという。
他に、慈念の育ての親である木田黙堂(西村晃)が狐峯庵を訪れての
酒宴も、原作では浜チシャのゴマよごしや豆腐汁という禅寺らしい
精進であるが、映画では黙堂が下げてきた鴨をさばいての鴨鍋である。
すっぽんだの鴨だのの、大饗宴シーンを見せて、監督はこの後に
続く慈海のセックスのねちっこさを観客に連想させたのであろう。
映画は戦前という時代設定だが、公開自体は昭和37年である。
まだ国民の大半はメタボにも糖尿にも無縁であった。
これまた、食糧事情が急激によくなった昭和40年代以降には
通じない表現手法である。豊かさが奪った表現手段であろう。

 若尾文子とすっぽん鍋の話は文中でリンクを張ってある「NECO耳より情報」を参照したものと思われるが、話が多少オーバーになっているのは唐沢クオリティというべきか。なお、川島雄三鍋物が好きだったようで、川島の弟子だった藤本義一はよく鍋物を作らされたという。
 しかし、『雁の寺』のすっぽん鍋のシーンは唐沢の見立てとは少し違うと思う。映画では南嶽の未亡人が孤峯庵へやってきた際に慈海にすっぽんを持ってくるのだが、慈海は「南嶽の嫁さんはお前のことに気づいてないらしい」と里子に向かってニヤニヤする(里子は南嶽の妾だったので未亡人は里子のことをよく思っていない)。意味がわからずキョトンとする里子に「寝間のベッドに聞いてみ」と言うのである。…これって、平成でも十分通じる表現なのでは。あと、鴨鍋のシーンの後に、里子が慈念を「襲う」シーンがあるので、「慈海のセックス」云々という見立ても微妙だ。

映画独自の演出と言えば、中盤から重要な人物になってくる
慈海の法類(親戚寺)の住職、宇田雪州を、日常生活では洋装で、
カメラが趣味という“ハイカラ坊主”にしているのもそうだ。
雪州を演じるのは喜劇俳優山茶花究。上記『椿三十郎』の前編
にあたる1961年の『用心棒』でコワモテのやくざ、新田の丑寅
を演じているが、喜劇役者としてはこっちの方が本領だろう。
セリフの一言々々が面白い。彼の存在、また慈海が里子との閨房に
持ち込むダブルベッドと、伝統ある古刹とのアンバランス、
いずれも禅寺という、規律と戒律により成り立っている世界の
崩壊状態を示している。皮肉なことに、最も禅の教えに忠実であろうと
していたのは、殺人者である慈念だったのである。


 「宇田雪州」は映画では「藤本雪州」に名前が変わっている。また、実は川島雄三自身がカメラマニアである(川島雄三記念室)。
 映画『雁の寺』の中で仏教に対して最も批判的な場面は、終盤で慈念が担任教師だった宇田竺道(木村功)に向かって「悟りを開くのはどういうことか」「人を殺すのは悪いことか」と問いかけるシーンだと思う。このシーンでは慈海のダブルベッドや雪州のモダンな暮らしぶりを描く際にあったユーモアは影をひそめている。

映画の後半、平三郎の葬儀のシーンも映画オリジナルで、まるで
ヒッチコック劇場を見るようなブラックユーモアがただよう。
鬼才・川島雄三の面目躍如である。筋萎縮症に冒されつつ映画を量産
していた川島は、常に死を隣り合わせにしていた。この映画の公開の
翌年、1963年に45歳の若さで死去する川島の目は、まるで
死を弄んでいるかのように、その戯画化を楽しんでいる。

 実は『雁の寺』は原作の小説もミステリー色が強い。水上勉が『飢餓海峡』の作者でもあることを考えると別に不思議ではないのだが、映画の方も原作を上手く脚色していて、文芸作品ではなくミステリーとして観ても面白い。たとえば、原作では慈海の失踪を描いた後で時間を遡って真相を描いているが、映画ではまず真相を描いたうえで一連の顛末を描いている。また、映画では原作にあった慈海の死体を平三郎の棺に入れるシーンを省略したうえで、ふたつの死体が入った棺が埋葬されるまでの顛末を長めに描いている(オリジナルというよりは原作にあった話を膨らませた、と言うべきだが)。


 原作の『雁の寺』では、慈念の破いた雁の絵は直されぬまま終わるのだが、映画版ではラストでいきなり舞台が現代へと移り、新しく孤峯庵の住職となった鷹見邦逸(小沢昭一)が外国人観光客を相手に修復された雁の絵を紹介している様子をカラーで描いてそのまま終わる。
 原作とは全く違うラストの展開に川島雄三の持ち味を見る人もいるようだが、個人的には『幕末太陽傳』の有名な幻のラストを連想した。それから、『江分利満氏の優雅な生活』は当初川島が監督するはずだった、というのはわりと知られた話だと思うが、小沢昭一は生前の川島から『江分利満氏〜』の主演に指名されていた、と藤本義一との対談(『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』所収)で残念そうに語っている。


 この後、唐沢は『雁の寺』で助監督を担当した湯浅憲明監督から直接聞いた、映画のオープニングとラストとでは画面に出てくる雁の絵が違っているという話を書いている。

ここに川島は、慈念の、母からの脱却の意味を込めたのだという。
「しかし、冒頭と最後の図柄が違うなんて、観客にはわからないのでは
ありませんか?」
湯浅助監督は台本を読んで川島監督に聞いたという。確かに、いくら
伏線が引いてあるにせよ、1時間半も間が空いては、ほとんどの観客
は覚えていない。ビデオ時代でない当時の観客には確認のすべも
なかったろう。
だが、川島監督はその質問に、ニヤリと笑って言ったという。
「わかる人にだけわからせておけばいいんです」
……映画が文化の尖端だった時代には、そのような突き放し方も
とることが出来た。気がついた者だけがアッと膝を叩く、その場面
を想像してニヤリとする特権を、監督は持っていた。

今の映画は、観客に媚びねば生きていけない。入場料を払った客には
平等にストーリィを理解する権利がある。伏線は必ず回収され、かつ、
くどいほどわかりやすいように、観客に説明されねばならない。
この作品のような粋な演出もまた、映画の黄金期に製作側にいた者だけ
の特権であり、今はすたれてしまった演出法であろう。

 …いや、タランティーノの映画なんかも「気がついた者だけがアッと膝を叩く」だしなあ。最近の映画をそれほど見ているとも思えない人に言われたくないよ。現在を否定するために過去を持ち上げるのは不毛でしかない。こんなことをしていて楽しいのかなあ。
 さらに言えば、映画版は原作にない描写をいくつも付け足して話をわかりやすくしているのだが、唐沢の理屈だと川島は「観客に媚び」たことになってしまいそうだ。


 さて、実は湯浅監督は『ユリイカ臨時増刊 監督川島雄三』(青土社)で川島の思い出を語っているのだが、『雁の寺』には

何箇所か説明されないと気が付かないシーンがあります。

と言っている。ひとつは、唐沢に語ったのと同じ雁の絵柄の違い。ふたつめは、劇中(慈念が久間平吉の家に行く場面)に出てくる幟に「衣笠定之助一座」と書かれていること。本当は「衣笠貞之助」なのだが、川島が字を変えるように指示したらしい。みっつめについては『ユリイカ臨時増刊』から引用する。P.72より。

 その三は、監督によるシナリオ改訂の結果、出来ました現代の雁の寺のシーンで、小沢昭一さん扮する案内僧が、外人観光客の写真を止めた時に、すかさず売店がインサートされ、そこに写真を売る老女が登場しますが、それが若尾文子さん本人が老女に扮したのではなくてとてもよく似た女優さんが扮して出演しています。これは監督の意図の下にわざわざそうしたのです。主人公のお里が雁の寺にまだ居ればその位の年齢の筈ですが、果してその老女は、お里なのか、またもしお里だったらどうなのか等々、考えると切りがありません。
 小さい事のようですが、川島監督のやりたかった事が何か隠されているようです。

 …つまり、観光地と化した現代の孤峯庵で年老いた里子が売り子をやっているのかもしれない(原作では里子は実家に戻っている)、ということなのだろうが、はっきり言ってこれは雁の絵や「衣笠定之助」とは違って映画を普通に観ていてもわからない。何故なら、売店の老女は机に突っ伏して居眠りしていて顔がハッキリ見えないのだ。若尾文子本人が演じていてもわかったかどうか。ものすごい謎掛けをしてくるものだ、と逆に感心してしまうが、それは川島雄三の資質の問題であって「映画の黄金期」云々の問題ではないような。

ちなみに、川島の死後、映画が斜陽期に入った時代に監督に昇進した
湯浅憲明は、説明魔と言われるほど、映画をわかりやすく、誤解の
生じないように作る名人となった。ある意味、師匠とは時代が違う
ということを誰よりよく知っていた人物だからだろう。

 湯浅憲明の監督デビューは1964年(『幸せなら手をたたこう』)。『雁の寺』が公開されて2年後のことである。


 …まあ、「古い映画をみませんか」と言われて実際に観てしまったのだから、ある意味唐沢俊一の術中にはまったとも言えるが、検証をやっていたおかげで自分の世界を広げられたことは確かなので、その点は唐沢に感謝したい。「本編は面白かったけど、唐沢さんの文章はちょっと違うなあ」という考えは変わらないけれど。


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