星を喰っちゃえ。
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『週刊朝日』1993年10月29日号の『デキゴトロジー』に「骨まで好きでも請求書は別よ 「地獄大使」が遺した女たちの地獄」という記事が出ている。
女性関係も昔気質の俳優を感じさせる華やかさだった。
(引用者註 1993年9月)二十三日午後四時から、潮さんの東京・目黒のマンションで通夜があった。
潮さんは二回の離婚を経て晩年は独身だった。
遺骨の前に残ったのは三人の女性だった。京都の女優K子さん(六十代)、東京の女優F子さん(五十代)、東京のプロボウラーT子さん(四十代)であった。
足が不自由なK子さんが膝を伸ばして座っていると、F子さんが言った。
「そんな格好で座るんじゃない。後から焼香に来る人がつまずくじゃないの」
「潮は私に骨を預かってほしい、と言っていたのよ。遺骨を渡しなさい」
自伝の編集をした作家の唐沢俊一さん(三五)が尋ねてみると、
「昨夜、夢枕に立って言った」
ごり押しである。が、これでK子さんが脱落。涙を拭いながら立ち去った。F子さんとT子さんのにらみ合いが続いたが、F子さんが、
「話にならない。帰らせてもらうわ」
とタンカを切った。
「その言葉を待っていた」とばかりに参列者がゾロゾロと帰り、後に引けなくなったF子さんとT子さんも、ひとまず退散した。
三つ巴の骨の争奪戦に、
「遺骨がだれの元に行っても、けんかの種になる」
と感じた唐沢さんは、遺骨を抱えて自宅に帰った。
マンションに戻ると、引き返してきたF子さんが、
「だれが骨をもっていったぁ」
と山婆のような血相で迫った。
「あんたは潮を愛していたというの? 愛のないところに行くなんて……。潮がかわいそうよ」
十一月には、遺骨は目黒区の墓に納められる予定だ。
その後唐沢さんの元へ潮さんの入院費二十五万円の請求書が届いた。しかしこの請求書は、骨を奪い合った三人のうちだれ一人取りに来ていない。
唐沢俊一も潮健児の通夜の模様を「裏モノ日記」2000年3月5日で書いているが、『デキゴトロジー』とは中身がいくつか違っている。相違点を挙げると、
・日記にはF(子)さんしか登場しない。
・『デキゴトロジー』では、F(子)さんはT子さんと睨みあった後にタンカを切って立ち去っているが、日記では唐沢に注意されて立ち去っている。
どうして「裏モノ日記」には他の女性たちが登場していないんだろ。
で、この記事のネタ元はどう考えても唐沢俊一である。そうでなければ請求書のくだりは書けないし、記事そのものが唐沢に都合のいい内容になっている。あと、『星を喰った男』はやっぱり「自伝」だよね。
記事には名前がないのだが、当時唐沢と親交のあった浦山明俊氏が『デキゴトロジー』を担当していた、という話を聞いたことがある。記事と日記の内容のズレは、ネタ元の唐沢か記事を執筆した人(浦山氏?)がいくらか「盛った」せいかもしれない。ちなみに、その後浦山氏が監修した『ジャパニーズ・フィギュア・アートシーン』(メイセイ出版)に関連して唐沢がトラブルを起こしたという話もあるが、詳しくは「トンデモない一行知識の世界」を参照してほしい。
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