唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

Talkin' 'bout first generation.

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karasawagasepakuri@yahoo


 今回は1997年9月26日ロフトプラスワンで行われた唐沢俊一岡田斗司夫トークライブ『裏アカデミズムの世界』を取り上げる。『Talking Loft』VOL.1(ソフトバンククリエイティブ)P.85〜95にライブの模様が収録されている。


 冒頭。スクリーンに交尾をする虫の映像が延々と流れているのに平野悠氏が辟易していると唐沢俊一がこのように言う。

恍惚とするでしょ。見てるとさ、楽しくなっちゃってさぁ(笑)

 要するに変わったコンセプトのビデオを見るのが好きらしいのだが、個人的には「他人とはちょっと変わっている自分」アピールが面倒くさい。俺も歳をとったな…。


 そして、唐沢と岡田のトークが始まる。

唐沢 (前略)この前SF大会で、私と鶴岡法斎の2人でアニメのこととかさんざんいろいろ話したんです。会場大ウケだったんだけど、後でそれに怒ったやつがいるってんです。あいつらいいかげんな事言ってるって。会場が大爆笑するってのは、それがネタだからですよ。真っ当な事を聞こうとする方が間違ってんじゃないかと思うんだけど(笑)。それがわからんセンスのやつがいるんですなあ。

 まず基本的なことを確認しておくと、公の場で間違ったことを言ってはいけないし、たとえウケたからといって許されるものではないのは当然のことだ。
 実はこのトークライブで唐沢は伊藤剛さんと伊藤さんの関係者について適当なことを言っているのだが(プライバシーに関わるので当ブログでは省略させていただく)、はっきり言って完全な名誉毀損でもし仮に裁判になっていたら負けていたと思う。シャレで済まされることではない。怒られるということは、怒った相手にセンスがないのではなくて、怒られるようなことを言ったうえ上手く切り返せない方こそセンスがないのではないか。

岡田 いいかげんなこと言って金とってるわけですからね。なんせ「東大オタク学講座」という本なんかですね、オカルトの部分は一ページに一個間違いがあるそうです(笑)。いやあ、俺らしい本だなあと。「オタク学入門」にしてもねぇ、資料的な性格なんて全くないんですよ。思い入れで書いてますから。で、あえてね間違いが見つかっても直さないようにしてるんですよ。歴史なんてものは勝者が語るものなんだから、俺の本が売れれば、事実よりは俺の解釈の方が優先しちまえと思ってるわけでありまして。

 「一ページに一個間違いがある」本はトンデモ本以外の何物でもない。
 それにしても、後半部分の野蛮さには驚かされる。『オタク学入門』を現在でも高く評価している人もいるというのに、自分でそれをぶちこわしにしているようなものだ。もっとも、岡田の発言からは「勝者」の余裕というよりは、反撃される恐怖の方が感じられる(唐沢も同じだが)。「勝者」として「あえて」振舞っているのだろう。
 唐沢にしても岡田にしても、本人たちは「ネタ」として適当なことを言っているのにいつのまにかそれが「事実」「定説」として定着してしまうことがあるのが実に厄介なところで、間違いを指摘されると「あれはネタだから」「あえて直さない」などと言い逃れするのがこれまた厄介なところである。このような不誠実な人間がオタクの第一人者として見られていたことは本当に不幸なことだと思う。
 ただ、この後の岡田の話から、岡田の認識能力には問題があるのでは?と疑ってしまうのだが。

岡田 (前略)昔からそういうことが多くてね、プラモ屋行ったら、発売されてないプラモをいつの間にか見てしまって、次の日学校行って嘘つき呼ばわりされるとか。

 一部で有名な「大統領のヘルメット」と同じ。この人の発言は信用しないほうが吉だな。

唐沢 司馬遼太郎の小説の中にもウソがいっぱいあるんですよ。でも、あの人が書いたウソを通して見た方が、日本の歴史ってすごくキチンとつかめるのね。事実なんて、一部の学者が知っていればそれでいい。


岡田 乱暴な言い方かもわかんないですけども、物書きというのはやはりウソつきがやる職業ですよね。意識的なウソつきかどうかという差があるだけで。本多勝一と俺との差は、自分がウソついているのと意識しているかいないかの差だけだと思ってるんで(笑)。

 『トンデモ一行知識の世界』(ちくま文庫)P.33でも唐沢は同様のことを書いている。

しかし、間違いを間違いだからといって無下に排斥するのは人間の文化を貧しいものにしてしまう。事実、などというのは世界中の人間のうち数パーセントが知っていればいいことではないか?

 で、唐沢のガセを通してみて何かキチンとつかめたのだろうか。唐沢は司馬遼太郎とは違ってフィクションとして書いてはいないわけだし。
 それにしても、この2人の事実を軽んじて恥じない姿勢はすさまじい。他の「物書き」も一緒にされて迷惑だろうに。

唐沢 そう。だから「ユリイカ」とかに書けって言われても書けないんですよ。俺が80年代のポストモダンは…とか書いても誰も喜ばないだろうと(笑)。(後略)

 その後、唐沢は何回か『ユリイカ』に寄稿している(一例として2010年11月16日の記事を参照)。個人的には、唐沢に「80年代のポストモダン」について大いに語ってほしい。もちろん、実際に語れるのであれば、の話だが。

唐沢 (前略)有線放送ってなかなか面白いんですよ。「おやすみチャンネル」ってのがあって、羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹って、ずーっと言ってるんですよ。


岡田 いくつぐらいまでカウントを…?


唐沢 俺、ずーっと聞いてたんですよ。一万匹まで言いましたね。一万匹まで言ったと思うと次に「おやすみなさい」ってくるわけですよ(大爆笑)。で、また一匹に戻る。一旦それを知ってしまうと「おやすみなさい」を聞くまでは眠れない(大爆笑)。あとねぇ、おやすみチャンネルが1と2とあって、1がその「羊が一匹」。2は何かっていうと「ヘーゲルの哲学」。哲学講義がずーっと続くの(爆笑)。


岡田 それは、……失礼ですよねぇ。いくらヘーゲルが偉人だというからって。じゃ俺や唐沢さんがこれからひょっとして世紀の名作書いても(原文ママ)、百年後のインターネット放送で「おやすみチャンネル」に。


唐沢 そうそう。だからオレ、「世紀の名作」は絶対書かない。俺は、しょせんアカデミズムは大衆には「おやすみチャンネル」で流れているようなものなんだよっていう定義を持ってる。


岡田 あー、なるほどなるほど。僕はアカデミズムというのに関してね、大阪生まれじゃないですか。だから、なんぼの役に立つんだ、となっちゃうわけですよ。高校に入った途端に、行列方程式が何の役に立つのか全然わかんない。しばらくたって微分方程式を解くのに役に立つとわかった。その微分方程式ってのが何の役に立つのか、全くわからない(笑)。で、こないだ東大の先生に、なんの役に立つんですかっつったら「そうですね。この体積のスイカがどのくらいで冷えるかが分かります」と(爆笑)。


唐沢 まあ確かにね、昔、オレの友達に「役に立つ学問は邪道だ」って言うやついましたね。役に立たん事をやるのが偉い学問らしいんですよ。なぜに我々は生きるのかとか、我々の心にあるのは何かとかっていう…。


岡田 中世の大前研一みたいなもんで。


唐沢 (笑)、いや、中世どころか今でも言ってる。


岡田 マッキンゼーか(笑)。人生ハウツー物みたいなのを当時の流行用語で書くと難しくなっちゃった、というのが俺の解釈なんですよ。

 『ソーシャル・ネットワーク』で、エドゥアルド・サヴェリンがショーン・パーカーに「あんたと一緒にいると自分が強くなったような気がする」と言っていたが、この2人の会話を読んでいると自分の頭が良くなったような気がしてくる。もちろん、レベルの低いところと比べたって意味は無いわけだけど。
 まず、有線放送の「羊の数」チャンネルは現在でも存在するが、「The Pleasure Garden」によると、羊の数は1001匹まで数えるとリセットされるらしい。サイトには1998年2月6日にUSENから回答をもらったとある。…素朴な疑問だけど、1万匹まで数えるとしたら何時間かかるんだ?

 …それにしても、唐沢の「だからオレ、「世紀の名作」は絶対書かない」にしても、岡田の「大阪生まれじゃないですか」にしても、かなり頭の悪い発言である。トークライブではなく居酒屋の方が似合っている。しかし、唐沢や岡田の仕事が世の中の役に立っているかどうかはきわめて疑問で、アカデミズムにあれこれ言えたものではない。
 なお、岡田は最近twitterで『これからの「正義」の話をしよう』の公開読書をしていたから、アカデミズムにも一応興味はあるようだ。

唐沢 当時ってさ、俺、生きる目的っての、とにかくウルトラシリーズを観るためだって時期があった。ウルトラQウルトラマンとセブンがあれば他はなーんも俺たちいらないんだっていう。で、北海道ってのが再放送枠がすごく多いところで、「ウルトラQ」、「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」、「帰って来たウルトラマン」(原文ママ)あたりってのはもうエンドレスにくるくるくるやっていて(笑)、少なくとも十代に哲学的な悩みを抱かなくてすんだ。ひょっとして人生とは、とか考えて煮詰まっちゃって自殺したりするハメならなくてすんだのはこのウルトラシリーズの再放送があったためなんだね。今はっていうと、毎週金曜日は古本市があるから、今俺はとりあえず生きている意味はあるかなとか。そうでない人間ってねぇ、別に生きてなくていいと思うんですよ。

 まあ、気持ちはよく分かる。「明日はあのアニメの放送日だ!」「来週はあの本が出る!」と思えばなんとか頑張れるものだ。それは今のオタクだって変わらないのだから、唐沢には若いオタクのことをもっと温かい目で見て欲しいものだと思う。…今の唐沢には「追討」が生きる目的になっているのかもしれない、と考えるとせつなくなるけれど。
 それにしても、十代のころは「生きる目的」だった『ウルトラ』シリーズを『ぴあ』への投稿で批判していたのは何故なのか(『検証本』VOL.0を参照)。

唐沢 うん。よく言うんだけど、何のために神様や哲学が必要かって言うと、とりあえず、自分一人の問題じゃなくて人類全体を語るためには、何か統合できるような最大公約数が必要なわけですよ。それが昔は神様であって、それから哲学ですね。人生は何だとか。そこに共通の話題ができたんだけど、テレビができちゃったらね。テレビの話題だけで二時間でも三時間でももつと思うんですよ。


岡田 そうですよね。ギリシャ神話とかああいいうのってやっぱりね、古代のワイドショーだと思ってるんですよ。話す時って絶対、共通のストーリーがないと困るわけですよ。神様が浮気しただのなんとかで…。


唐沢 とりあえず、ギリシア時代とか、昔ってのは身の回りの出来事、生活ってすさまじく単調だったと思うんです。それについて語る事項ってほとんどなかった。これはついこないだ、テレビが出現するまでそうだった。テレビの出現で、主婦の意識がいきなり社会とつながった。いい例がオウム報道のときですね。あれに国民全体がハマったのは、それまでの身の回り五メートルにしかリアリティを認めなかった人々が、急にそのリアリティが上九一色村とかチベットにまで広がる。そのジェットコースター式の快感なんです。(後略)

 「哲学」というのは必ずしも「人類全体」を考えるものでもないと思うが、テレビが出現するまで古代ギリシアから人々の生活が変わらなかったというのも凄まじい話だ。何千年も同じだったのか?とか地域差はどうなる?とか突っ込みたくなる。昔の文献をいくつか読んでも、当時の人が「すさまじく単調」に暮らしていたわけではないと思うし、現代でもテレビのない生活をしている人はいくらでもいて、そういう人たちがみんな「すさまじく単調」に暮らしているわけでもない。彼らはそれなりに豊かな生活をしていた(いる)のではないか。そういう風に考える想像力が唐沢には残念ながら欠けている。それに、主婦はテレビを抜きにしても「社会」とつながっているのではないか。

岡田 エヴァンゲリオンの話ね、唐沢さん書かないですよねぇ。俺もね、書く気しないんですよ。同じかどうかわかんないですけどね、今書くと恐ろしくカッコ悪いぞという予感がするからですね。後で後悔するからやめとこうっていうブレーキが働いてるんですよ。エヴァ本の本屋の棚の中に「岡田斗司夫」という名前があるという状況を許したら、俺五年後死にたくなるぞという(笑)


唐沢 ほんとに私はエヴァは、語りたくないけど興味はすごくあるんですよね。私ねぇ、ヤマトの時に懲りてるんです。ヤマトの時とスターウォーズの時にファンクラブ作ってねぇ。スターウォーズの時なんかジョージ・ルーカスに手紙書いてですねぇ。


岡田 恥ずかしいことしましたねぇ(爆笑)。


唐沢 恥ずかしいですよぉ。日本で初めて公認のファンクラブ作ってやろうってんでねぇ(大爆笑)。そしたらね、大阪に先越されたの。大阪のやつが「僕たちはこんな同人誌作りました、公認してください」ってったら「勝手にスターウォーズの名前使いやがって、5万ドル払え」ってね(大爆笑)。ジョージ・ルーカスから言われたという。


岡田 5万ドル何でかっていうと、表紙にXウイング機一個使っただけだという(笑)。


唐沢 そうそう。あーよかったと思って。それとかね、北海道までさあ、ヤマトファンクラブの名前で西崎義展呼んだりとかさぁ(笑)。


岡田 その頃の目のきれいな唐沢少年と、俺会いたかったなぁ(笑)。


唐沢 それがあったから俺は、ヤマトに関して20年語れなかったし、スターウォーズに関して20年語れなかったんですよ。この歳になって、おじさんが若い頃はあれが良かったんだよっていう事を、余裕を持って語れるようになったんだけれども。

 岡田と唐沢が『エヴァンゲリオン』ブームの時にどのように行動したのかについては、『唐沢俊一検証本』VOL.4を参照して欲しいが、ブームにハマって熱狂するよりも、後から「『エヴァ』は純文学」などと褒めたりする方がカッコ悪いような気がする。
 で、唐沢の「ハマりすぎて語れなくなった」理論は相変わらず理解できない。西崎義展を札幌まで呼んでいないことは後に自分で認めている(1月5日の記事を参照)。
 また、唐沢が作ったという『スター・ウォーズ』のファンクラブについても、実は本当に作ったかどうか極めて怪しいところなのだが(2008年9月2日の記事を参照)、『トンデモ創世記』(扶桑社文庫)P.21で唐沢は次のように語っている。

(前略)『SFマガジン』に広告出して、ドイツの『ペリー・ローダン』の出版元にまで許可を取って、一応、僕は事務局長をやってたんです。で、『ペリー・ローダン』は地味だからいかん、ひとつ『スター・ウォーズ』で公認を取ろうとしたら、大阪の方がどこかで先に取られちゃったんですよね。その『スター・ウォーズ』ファンクラブで作った会誌をジョージ・ルーカスのところへ送ったら、「勝手に作るな、五百万円払え」って言われて騒ぎになって。あーよかった、最初に作らなくってという(笑)。

 当時の『SFマガジン』にはそのような広告は載っていないらしいのだが、ロフトでのライブでは「5万ドル」と言っていたのが、『トンデモ創世記』では「500万円」になっている。1970年代後半の円相場からすると5万ドルは1000万円以上になるし、そもそもそのような話が本当にあったのか?とも思う。

唐沢 僕はいわゆる正当なオタクではない、と自分のこと思ってるんだけど(原文ママ)、オタクは大好きなんですよ。オタクを擁護しちゃうわけですよ。今までは平野店長の世代じゃないけども、社会改革だとか、すでに有効性のなくなったタームふり回している人たちがトップにいた。これに代わるものって何だと考えたとき、まだまだオタクという枠の中だけだけれどもね、彼らは新しい世代言語を発明したって事に気がついた時にすごいって思ったわけですよ。我々の世代は、革命も、戦争も、飢えもない、宗教の話もできない、何があるか。アニメがあるじゃないかって。

 確かに唐沢俊一は「正当なオタク」ではないよね。…しかし、「オタクは大好き」と言っているわりに、オタク差別が激しいのは何故なのか(『検証本』VOL.3を参照)。唐沢の話だと「オタク」は反社会的な存在にしか見えないもの。
 唐沢の考えを別にしてみると、唐沢には「オタク」を新しい人種とアピールしようとする狙いがあって、それと同時に自らを「オタク」のスポークスマンとして位置づけようとする狙いがあったとも考えられる。…しかし、「宗教の話もできない」って、唐沢もオウムの事件についていろいろ言ってたのでは。

岡田 僕思うのは、僕と唐沢さんとの差っていうか違いなんです。唐沢さんは、そういうオタク的な世界観とか言語とか、関係性ですよね。そういうものはもう一回共通基盤になり得るっていうふうに考えて、可能性を見てますよね。僕はね、わりと黒人運動みたいに、これで世界を支配できるんじゃねぇかとか考えるんですよ。結局今は、僕にしてみれば白人支配なんですよ。僕たちが黒人だとしますよね。もっと普通の価値観取り入れようよとか言ってるのはですね、それは名誉白人なワケです。黒人のくせに白人のマネした。


唐沢 シドニー・ポワチエみたいなもんですね。


岡田 白人と言ったのはね、しゃれや冗談でもなくて、俺たちは日本で生まれて育ってきたわけで、カッコいいと思っている体系のほとんどは、西洋の西海岸の方から来ている物じゃねぇかと。僕たちはその最下層民族として生きて行くことも可能なんですけども、僕は面白いとは思わないんですよ。俺たちが一番になってもいいはずだと。だったら、人種差別はやめようって言うんじゃなくて、自分が人種差別をする側に率先して回って黒人はナンバーワンと言うと。俺はそこにね、歴史の強さというか、真実を見てるんですよ。


唐沢 じゃ岡田さんの運動っていうのは黒人運動なんだ。その、有色人種の権利を守ろうっていうんで。


岡田 いや権利を守ろうっていうんじゃなくて、支配階級の頂点に立とうという…。それで俺は、なんかアジビラみたいな本を書いてるわけですよ。


唐沢 そうすればそのオタクたちっていうのは、岡田さんの期待に応えてくれるんですか。


岡田 まさかまさか(笑)。そういう本を読んでですね、それなりの実力のある人間とか、社会のトップを取れる人間が、こちらの方へ組み込んでくるしかないわけですね。俺たちがオタクはいいぞ、カッコいいぞと言ってると、ある確率でもってですね、優秀なやつらは必ず俺たちの方に転がり込んできます(笑)。それをもって支配すればいいわけであって。


唐沢 べつに今のオタクを手玉に使おうとは考えないわけですね。


岡田 その通りでございます(笑)。ただ、捨て石になっていただければと(笑)。わたしにとってこれ以上の喜びはないです。そうなった時に、頂点に立っているように、今からオタキングって名乗っているんです。

 「1997年の『「世界征服」は可能か?』」とでも言うべきか。なかなか壮大な構想を抱いていたのだなあ。
 細かい点を突っ込むと、「西洋の西海岸」っていったい何処のことなのかと。「アメリカ西海岸」とは違うのか。
 興味深いのは、岡田がオタクを対象に本を書いているわけではなく、「優秀なやつら」を自分の側に組み込むために本を書いていると言っているところ。かつてのガイナックスのように優秀な人間を結集させた形を考えていたのかもしれない。
 でも、現時点で「優秀なやつら」は岡田の下には来ていない。優秀な人間を仲間にしているのであれば「オタキングex」などをする必要はないだろう。これは唐沢にも言えることだが、2人とも年下のオタクを味方に引き込むことに失敗しているのだ。何故失敗したのかを考えてみると、才能のある人間が「オタク」趣味に目覚めたとしても、別に岡田や唐沢と一緒に活動する必要はなく、それどころか年上の口うるさい人間と一緒に活動するメリットはないと言ってもいいからだ。ただ、岡田と唐沢がそれぞれクリエイティブな才能かまたは業界でのコネクションを十分に持ち合わせていれば話は別だったのかもしれない。考えてみれば当然の話なのだけどね。2人とも「近頃の若い者は」論者だし。

唐沢 とりあえずね、細かい所に突っ込むよりも全体的な流れを作ろうとしているんだというあたり、岡田さんのそのスタンスってすごい俺好きでね。現象としてこの人を研究しようと思ったという(笑)。そうでもなきゃこんなデブの近くにいるの、ただ暑苦しいだけだもん(笑)。
 まあ、我々はやろうと思っても宮崎君っていう前例があるからああいう事件は起こさないみたいな安心感あるし。


岡田 そしてオウムという前例があるから、みんなを直接集めて軍事行動をとって直接支配にも乗り出せないですからね。


唐沢 だってオタクに銃取って闘えたって(原文ママ)闘わないじゃんかよ。この銃は…とかって分解し始めるかもしれない(笑)。オタクたちが宗教まで作ったんだから、オタクは世界を変えられるじゃない。オウムを見よ、少なくともあそこくらいまでは有名人が出るじゃないかと。


岡田 オタクは恥ずかしがりでシャイで何もできないって言うけど、宮崎を見ろと。あそこまでできたじゃないかと。やだな(爆笑)。(後略)

 …当時は仲良しだったんだなあ。時の流れは残酷ですね。それにしても、唐沢によればオウムは哲学や思想で自分を見つけられなかったインテリがハマった宗教だったのではないか(1月29日の記事を参照)。それに、寺山修司にハマらなかった「オタク第一世代」は宮崎勤になるとも言っていたけれど(2010年9月6日の記事を参照)。適当なことを言ってるから、発言を比較するとわけがわからなくなる。

岡田 (前略)三、四年くらい前によっしゃ俺はオタキングを名乗ろうと思った時に、具体的にモデルって何かというと、大橋巨泉。人の前に立って楽しそうな顔をして、オタクって楽しいってしてたら間違えて入ってくるやつって山ほどいるだろうし、その路線行ったんですよ。ほぼそれは感じわかってきたんで、次に考えているのはヘミングウエイかフィッツジェラルド。スタイルを確立しようと。世の中の相当数の人がカッコいいと言って俺の着ている服とか俺の持っている物をまねするように仕向けていこうと。


唐沢 これからの野望はそれですか。なるほど、オタクのファッションをリードしたい。


岡田 スタイルというものを提案したい。


唐沢 渋谷系の連中がカッコいいと言っていた、毛糸の帽子かぶってズック履いてブラブラして地面に座るというような。ああいうスタイルのオタク版を作るわけ。


岡田 そうです。オタク的なモノってのはこれ以上の広がりが難しいのは、頭が悪くてお金だけある人が入ってこれない。オタクってのは勉強必要だし(原文ママ)知識の蓄積が必要なんです。その周りの人がとりあえずお金を使ってスタイルを提示すれば、次のメジャー層はついてくると。


唐沢 オタクって今までの感じでいうと、Tシャツダラッと着て髪の毛だーっと長く伸ばしてGパンはいて薄汚いズック履いて、うろちょろうろちょろしてるという。


岡田 それでいいんですよ。それに思想性や主体性のないのがいけない。なぜ俺はダラーっとしたTシャツ着て髪の毛を洗わないのかという理由がなければいけない。髪の毛を洗うなんてカッコ悪い事なんだ、と。ここにいけば大丈夫。


唐沢 なるほど。あの、ジャン・レノの不精髭がカッコいいみたいな感じで。


岡田 朝シャンしていたやつが恥ずかしさのあまりに、コンビニにはオタク油って売ってるんですよ。で、朝ざんばらにして外へ出る(笑)。


唐沢 これを着ればあなたも岡田斗司夫、みたいな肉じゅばんを売ってる(笑)


岡田 みんながんばって太る。

 嗚呼。
 時の流れは本当に残酷だ。…しかし、このブログが対象としているのは唐沢俊一のはずなんだけど、ついでで取り上げている岡田斗司夫の方がおかしなことになることが多いのは何故なんだろう。
 最初は「大橋巨泉」。…いや、あの人になるのはかなり大変だと思いますけど。世が世なら「オカダのこんなヲタいらない!?」「世界まるごとSENNOッチ」とか観れていたかも、と思うと胸が熱くなるけど。
 この後のスタイルの話は読んでいてつらい。ヘミングウェイフィッツジェラルドとか背伸び感がすげえ…。っていうか、岡田さん、痩せちゃったじゃん! 
 実は、岡田は『サイエンス・サイトーク』2007年10月7日放送分に出演した際に、番組パーソナリティー日垣隆から過去にダイエットを否定する発言をしたことを突っ込まれている(日垣と『サイトーク』をめぐるトラブルはJ‐CASTニュースを参照)。
 日垣の問いに、岡田は「当時は自分の外見を変えられるとは思わなかった」とあっさり答え、その後「ダイエットしたことで娘の態度が変わった」「現代は昔よりもはるかに見た目が優先されている」という話をしているのだが、…え? じゃあ、カッコよくなれないと思ってたからロフトのライブではそういう話をしていたのか?とビックリしてしまった。人間が見た目で判断されることは昔も今も変わらないわけで、それを踏まえたうえで覚悟を持って「オタクのファッションは逆にカッコいい!」と主張していたわけでもなかったのか。なんだか悲しくなる。


 以上! ああ、長かった。
 一番気になったのは、岡田斗司夫の提唱しているプランと現状の差。本人はネタのつもりかもしれないけど、こうもズレていると…。考えてみると、岡田はこのトークライブの直後に「オタクは飽きた」と言い放っている(1月20日の記事を参照)から、つくづく言いっ放しの人なのだと思う。
 …それにしても、トークライブを記録するのはいろんな意味で危険だな。時を経て話の無惨さが露呈したり、名誉毀損の証拠が残ったりする。



年取る前に死にたいぜ、とか考えたことないなあ。


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