唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

1981年の「祭り」/フラーズ・リポート。

「フラー」はウチナーグチ(沖縄の方言)で「バカ」を意味する言葉。


 冬コミのレポートを書くはずだったが、長い間気になっていた疑問が解けたかもしれないので急遽書き記しておくことにする。冬コミは次回こそ。


 いわゆる『ぴあ』の「ガンダム論争」を見ていくと、唐沢俊一の住所が最初は「阿佐ヶ谷」だったのが途中から「新宿区」になっていたことに気づく(2008年11月20日の記事を参照)。だが、唐沢自身が「新宿区」に住んでいたという話をしていないので、「一体新宿のどのへんに住んでいたのだろう?」とずっと気になっていた。
 そうしたら、このようなコメントを頂いた。

ひょっよしたら 2011/01/13 21:30
3回目の投稿の「東京都新宿区」は弟さんが引っ越した東中野では?
東中野からすぐ、徒歩圏内の「落合」だと、新宿区になります。

↑の補足です 2011/01/13 22:54
なをき氏が引っ越した東中野の下宿の住所が新宿区だったのでは?
落合だと最寄り駅は東中野で、住所は中野区ではなく新宿区だから。

 つまり、唐沢なをきが住んでいた東中野の下宿が『ぴあ』の投稿に記されていた「新宿区」ではないのか?ということである。…なるほど、この考えはなかった。あの辺にはほとんど土地鑑がないからなあ。どうもありがとうございます。


 というわけで、唐沢なをき東中野の下宿が新宿区にあったのかどうか確認してみよう。幸いにもつい最近、唐沢なをきがかつての下宿先を訪れた模様を奥さんのよしこさんが「からまんブログ」で記事にしているのだ。

ちょっと行ったら、「この裏が下宿だ!」という公園発見。

電柱見たら、このあたりはもう北新宿じゃんすか。大久保と東中野の間くらいかね。そこまで遠くないか。

 「北新宿」ということはガッツリ新宿区に入っている。さらに、ブログに載っているその公園の写真には「しんかいばし児童遊園」と看板が出ているのだが、しんかいばし児童遊園の住所は「東京都新宿区北新宿3-30」である。「からまんブログ」の別の記事ではこの下宿について

本当に公園にくっついて建ってる下宿なんすねー。

とあるから、もう間違いない。唐沢なをき東中野の下宿は新宿区にあったのだ。


 さて、そうなると、唐沢俊一が弟の下宿から『ぴあ』に投稿していた可能性が高くなったわけだが、このことについては二通りの可能性が考えられる。

(1)阿佐ヶ谷の下宿を引き払って東中野で弟と同居した
 単純に考えるならこれが妥当だが、しかし、せっかく一人暮らしをしていたのにどうしてわざわざ同居したのかわからないし、唐沢も弟と阿佐ヶ谷で同居していたことはしばしば書いていても、東中野で同居していたとは書いていない。加えて「からまんブログ」で唐沢なをきはこのように語っている。

その後、しょっちゅう兄貴が遊びに来て泊まったりしてたのに感づいて、
“この部屋はあなたに貸したのであって、あなたとお兄さんの二人に貸したわけじゃないのよ!”
 って怒り始めてさー。あんまりうるさいから引っ越すことにしたんだ」

 …この話からすると、兄弟で同居していたとは思えない。ちなみに、唐沢なをき東中野の下宿を引き払った後で、かつて兄と同居していた阿佐ヶ谷の下宿に再度入居したとのこと。

 というわけで第二の可能性。

(2)実際は阿佐ヶ谷の下宿にいたままだったが、投稿する際に住所を東中野にしておいた 
 どうしてそんなまわりくどいことを?と思うが、実は唐沢が『ぴあ』に最初に投稿した後で阿佐ヶ谷の下宿に脅迫状が届いているのだ(2008年11月19日の記事を参照)。『あえて「ガンダム嫌い」の汚名を着て』(別冊宝島『投稿する人々』所収)より引用。

ある日、僕の下宿に封書が届いた。中には安全カミソリの刃とともに、
「二月号の桜井氏の言う通りだ。貴様に怪獣映画を語る資格はない」
というオドシ文句が書かれた紙が一枚。差出人は『東京ゴジラ団』となっていた。

 そのような事情があったせいで弟の下宿を住所として書いておいた、という可能性もあるのではないか。もしも『ぴあ』から東中野の方に連絡があったとしても、阿佐ヶ谷からならすぐに行けるわけだし。なお、唐沢の『ぴあ』への投稿では1回目と2回目は住所が下宿先まで詳細に記されているが、3回目以降は「東京都新宿区」とだけ記されている。


 ついでに書いておくと、「裏モノ日記」2002年7月17日にこのような記述を発見した。

台風はそれたようだが、まだ天気はおぼつかなし。小野伯父から電話。なんだかまだ昨日の酒が残っているようなロレツで、“ちょっと頼みたいことがあるんだけど”と言う。何かと思えば、ゆうべ銀座でお旦にあって、いきなりダイヤと真珠の入った時計を貰った(この趣味だけであまりまっとうでない相手とわかる)のだそうで、そのお旦なる人物と意気投合し、来年、オノプロを再立ち上げするのにウン千万の金を出してくれることになったので、受け皿となるボードビル小屋建設企画の趣意書を書いてほしい、という依頼。ああ、なんかノスタルジー感じてしまうなあ、バブルのときに東中野にTONO企画とかいう会社作った際、おンなじようなもの書かされたっけ。凝りないなあ(まあ、さすがに金額は4分の1くらいに縮小していたけど)。

 このTONO企画」というのが「ビデオ・テレビの企画会社」なのか?(2010年12月10日の記事を参照) 


 …ずっと気になっていたことがなんとなくわかったので気分がラクになった。とはいえ、唐沢問題の闇は依然として深い。


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投稿する人々―いま投稿欄は、こんな「スゴイこと」になっている! (別冊宝島 (406))

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