唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

後追いソルジャー。

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・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
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karasawagasepakuri@yahoo


 次回は遅ればせながら冬コミのレポートを書くつもりだが、今回は他の唐沢ウォッチャーの方々の後追いをさせていただくことにする。


 まず、松沢呉一さんが唐沢俊一について書いています。いわゆる「意味盲」ってやつですね。


 藤岡真さんが唐沢の近況を推理しているが、そもそも『Bの墓碑銘』が商業では出版できなくて同人誌として出しているくらいなので、今連発している「追討」が商業出版化される可能性はかなり低いと思う。唐沢本人が「(商業出版では)マニアックすぎて出してくれない」と言っているくらいだし(「裏モノ日記」2007年8月19日)。
 素人目で見ても良くないと思うのは、『Bの墓碑銘』の続刊が2007年夏以降出ていないことで、コンスタントに出してシリーズ化していればチャンスもあっただろうになあ、と残念に感じる。あと、「追討」を書く際にはネット上でデータを漁るだけではなく、可能な限り作品自体に当たるべきだと思う。ひとつひとつの記事を手を抜かずにコツコツと書き続けていくことが大事だと自分も今までブログをやってきてつくづく実感している。ネット上に数多く存在する訃報専門のサイト・ブログと比較したときに唐沢の「追討」に優れた面があるのか?と考えると、なかなか思い浮かばないのがつらいところだ。
 今のところ、唐沢俊一の仕事で商業で出版できる可能性が一番高いのは、声優のインタビューだと思うが(あれはどうも青二プロ公認っぽい)、いずれにしても頑張って欲しいところだ。


 「トンデモない一行知識の世界2」で、唐沢俊一の下宿の話が取り上げられているが、唐沢俊一が阿佐ヶ谷の「近藤方」に住んでいたことは『ぴあ』への投稿でも確認できる。ただし、1回目(1981年1月2日号)・2回目(1981年2月27日号)の投稿では住所が「近藤方」になっているのに、3回目の投稿からは「東京都新宿区」に住所が変更されている。つまり、唐沢俊一は1981年の初めに「近藤方」から引っ越していることになるわけだ。…しかし、新宿区のどの辺に下宿していたのかはやっぱりわからない。
 あと、下宿について調べていたら、「裏モノ日記」2003年1月10日にこんな記述があるのを発見。

で、その先を歩く。ここから先は住宅街で、さほどの思い入れもなし。しかし、若かったとはいえ、当時から“駅から遠いなあ”と思っていたが、やはり今歩いても遠い。近藤家の離れが駅から五分で、アオイ荘はそこからさらに七、八分歩く。友人などに道を教えるとき、“まだ歩くのか、どこかで間違えて通り過ぎてしまったんじゃないか、と思った頃に倉庫が見えるから”とよく言っていたバラック建ての倉庫は、まだそっくりそのまま。しかし、その先にはちょっとお洒落な住宅が並んでいて、
「ああ、やはりもう建て直されたか」
 と、おかしなことにやや、ホッとしたのだが、そこでどうも記憶がトンでいたらしく(上記の道案内が頭にあったからだろう)、その二軒の家の先に、なんと、全部当時のままで、ありましたですよ『アオイ荘』。ひと気はなかったが、“瀧澤”という表札もそのままで、雨戸も開けられて、まだ住人がいる模様。ではあの婆さんがまだ生きているということか? 7年前、訪ねたとき偶然にもこの婆さんに会って、ソバをおごられてしまった。そのとき、もう90近いと聞いていたのだが、すると今、何歳なのか。ちょっと恐ろしくなった。二階の下宿部分へ通じるドアも、当時のまま。ここの玄関で、あの頃つきあっていた彼女と……イヤそこまで思い出すこともない、と記憶をうち消したが、意識の上では唐突にタイムスリップを起こした。

 ドンファンキター! アオイ荘で何があったのでしょうか。




トイ・ソルジャー:ザ・ベスト・オブ・マルティカ

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Encore

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