第二世代の曙。
ガセパクリは絶えたのか?
今回は『望星』2000年6月号に掲載された唐沢俊一のインタビュー記事『「オタク第二世代」の存在不安と習性』(構成は麻生タオ氏)を取り上げる。なお、文中に「30代」が頻出しているが、10年前のインタビューなので現在の「40代」のことを指している、と補足しておく。
唐沢は最初に「オタク第一世代」のアイデンティティーの源について説明している。
(前略)兄貴たちの世代はそれぞれの時代の思想や哲学に寄り添って自我を育て、アイデンティティーを確認してきたのに、「オレたちには何もない!」ということに気づいたんです。
それで、多少の混迷があった末に、たどり着いたのが、サブカルチャーだったんですね。
先輩連中にはビートルズがあったけれども、われわれにはとりあえずグループサウンズがあった。それから天地真理や小柳ルミ子に始まって、キャンディーズで黄金期を迎える第一次アイドルと呼ばれるもの、さらにマンガやアニメ、究極に達した観のある資本主義的なモノ文化―そういったものをすべて含んだサブカルチャーがあった。逆に言えば、そうしたものしかなかったから、そうした“自分たちをかたちづくってきたもの”にこだわることによって、アイデンティティーをつくっていこうとしたわけですね。
グループ・サウンズも「オタク第一世代」のものだったのか。しかし、ビートルズの活動時期とグループ・サウンズのブームは重複しているし、そもそもグループ・サウンズが流行った頃、唐沢は小学生だったわけで、「兄貴たちの世代」に「俺らだってGSを聴いてたよ」と逆襲されてしまいそうだ。1970年代に「究極に達した観のある資本主義的なモノ文化」があったのなら、今の文化はなんなんだろう。
で、「オタク第二世代」について語り出す。
ところがいまはというと、それこそオタク第一世代の凝り性でもって徹底的なカタログをつくってしまったことと、われわれの若いころとは比べ物にならないぐらいの情報量の多さ、さらにはインターネットなど情報システムが発達したことで、サブカルチャーの底辺が膨大に広がってしまった。
オタク第二世代である今の三十代半ばというのは、最初から与えられたサブカルの中から、どれを選択するかということしかできない状況にあるんです。
かつてはマンガも全部読んでいる、アニメも特撮もほとんど見ている、アイドルの追っかけもやっているというようなオールマイティー・オタクがいたけれど、いまはいません。あまりに情報量が多くて、ほとんど不可能だもの。だから、たくさんの情報の中から好みのものを取り、パッチワーク化することで個性を作るという世代になったんですね。
でも、そこである種のゆきづまりを一番感じているのは三十代で、「だけどわれわれにだって、まったく未到、未知の世界というのが何かあるんじゃないか」という渇望がある。だから宇多田ヒカルやアニメの『エヴァンゲリオン』のように、ちょっとでもいままでの範疇から飛び抜けたようなものが出ると、ワッと飛びつく、そういう性癖というか習性があります。
宇多田ヒカルを支持していたのは「オタク第二世代」だったのか。しかし、「最初から与えられたサブカル」とあるけど、日々新しい作品、「オタク第一世代」が「カタログ化」していない作品は次々と生み出されているわけで、「オタク第二世代」や「オタク第三世代」はそれを追いかけるので精一杯だったと思う(今でもそうだ)。「サブカル」に親しむことは考古学や訓詁学とは違うんだから。
次に唐沢は『エヴァ』ファンについて語っている。
あのころ、二十代後半だから、いま三十二、三ですね。“いい子”で育ってきて、そこそこの大学を出て、そこそこのところに就職はしたけれど、だからといってそこで張り合って頭角を現す、というタイプじゃない、でも羽が与えられたら飛べるんじゃないかという、自分に対する希望は捨て切れずにいたモラトリアム的な年ごろの連中が一番飛びついた。
『エヴァンゲリオン』の中にはいろんなキーワードっぽいことば―決して新しいものではなく、かつての哲学や現代思想の中で使用されていた語句がランダムに山のように織り込まれていて、そのいわば「現代思想用語カタログ」の中から自分に合った語句を選べるんです。そして、百ある語句のうちから、自分に合う三つなら三つだけが選べればあとはいらない。そこだけで物語にグッと入っていける、意図的か結果的かはわからないけれど、そういうフック(引っかけ)がたくさん用意してあった映画だったんです。そこが彼らの嗜好にピッタリと合った。
…もしかして、この『エヴァ』ファンなるものは、伊藤剛さんをモデルケースにしているのかなあ、となんとなく感じた。しかし、TV放映当時10代後半だった自分も『エヴァ』にハマったのだけど、唐沢の言っていることが全くもってピンと来ないので困ってしまう。綾波が好きだから、とか、初号機がカッコいいから、とか浅い理由で見ていて誠に申し訳ないです。…とはいえ、唐沢俊一が『エヴァ』の面白さをものすごく狭く捉えている気がしてならないのは確か(2009年7月3日の記事を参照)。
彼らには、“既製のものから選ばなければいけない”という現状に対するコンプレックスがすさまじくあるんです。だから逆に、ある一人の天才クリエーターがつくったものを百パーセント受容してしまうことに対してはすごい拒否感というか敗北感がある。『エヴァンゲリオン』は庵野秀明の作品かもしれないけれども、「その中のあそことあそこだけに注目しているのは僕しかいない」というように、そんなところでオリジナル性を持ちたがる。ただ、そこには情念はない。その情念のなさも、いまの三十代の特徴だと思います。
いや、それは唐沢俊一ご自身のことでしょう。『平成極楽オタク談義』第1回での発言を再度紹介しておこう。
私なんかみたいなアニメの歴(発言通り)が長くてひねくれていた人間には「こんなひとりの人間に、富野という人間に心を乗っ取られてはいけない」と、『ザンボット3』のサークルみたいのができて、人間爆弾だの泣いたのわめいたのという話をしている時に、こっちはとにかく必死で「アンチ富野」、「アンチ巨人」みたいなものですよ。われわれはなにか他のものを持ち上げなくちゃいけない、ということで『超人戦隊バラタック』のファンクラブを作ろう!ってことでですね、あまりにもしょうがないものなんだけど、あれの対極にあるものはこれなんじゃないか、そうだ!そうだ!と。
「富野という人間に心を乗っ取られてはいけない」…、何度読んでも異様な言葉だ。他にも手塚治虫への批判を繰り返しているし、「円谷英二を否定しなくてはならない」という強迫観念にかられて『ゴジラ』を批判したこともあった。つくづく「天才クリエーター」を批判するのが好きな人である。
それに「情念のなさ」も唐沢俊一にあてはまる言葉で、検証をやっていると「この人は一体何が好きなんだろう?」と思うことがしばしばある。他人を批判する「情念」なら多分にあるけれど。
ベクトルがまず内側に向くんですよ。「自分探し」とか「本当の自分」ということばがすごく流行ったのは、実際に、「いまの自分は本当じゃない」と思っているからだし、「どこかにある」という信仰みたいなもの、幻想とでも言うのか、いまの自分に現実味がなくて何かフィクショナル性の強い、漠然とした不安があるからでしょう。
「情念のない」「内向き」というのは、若者批判の典型じゃないかなあ。40代前半で若者批判とは、いささか老化が早いような…。
麻生氏が米沢嘉博について質問している。
―オタク文化の象徴として言われるコミケ(コミック・マーケット)の主宰者である米沢嘉博さんは唐沢さんより四つ、五つ年長だと思いますが、それを考えると、サブカルチャー志向は彼らの世代からあるのかなと。
何でもそうだけれども、オタクもその概念が固まる前に、プレというか、その材料をそろえる世代というのがいるんですよ。それを米沢さんの世代がやってくれたわけです。
―で、そのすぐ上には全共闘世代がいて、彼らは上からコテンパンにやられるわけです。それで思想とかイデオロギー的なものに対する嫌気と反発が出てきた。一方では、七〇年代はサブカルチャーを積極的に評価した時代でもあった。それで、彼らの世代はサブカルチャー志向を強めたような気がする。
そう。おかげで、われわれの世代は思想やイデオロギーに悩まされて、それと対立して排除するという手間がなくなったわけです。完全にサブカルチャーというか、“モノ”カルチャーです。そこで思想的なものはまったく欠如した。これは楽しくてしょうがない。身のまわりにあって、自分たちが享受しているものが自分たちのアイデンティティーをかたちづくっているんだ、という考え方ですから。
…じゃあ、本当に偉いのは米沢嘉博の世代(1953年生まれ)だな。「オタク第一世代」がそれ以前の世代の努力にタダ乗りしてきたと堂々と言っているのでビックリしてしまう。…もちろん、他の「オタク第一世代」のみなさんは苦労しているはずなのだが、結局のところ、前の世代の功績を否定し、後の世代をバカにする「世代論」は誰のためにもならないということなのだろう。唐沢俊一は「オタク第一世代」にひどいことをしたよね(´・ω・`)
いわば、「人生に大切なことはマンガやアニメで学んだ」わけなのです。ただ、われわれは楽しむだけ楽しんで、次の世代に残すということを何もやらなかったんですね。
だから、いまの三十代には、われわれの世代が「アイデンティティーはサブカルチャーだ」と開き直ったような踏ん切りがない。というのも、選択肢で「これとこれ」と選んで組み合わせているだけだから(後略)
「マンガやアニメ」で「他人のものを盗むな」「嘘をつくな」と教わらなかったのか?
あと、岡田斗司夫の「教養」への劣等感を見る限り、「どこが開き直れているの?」と心の底から疑問に思うとともに気の毒になってしまう。
だから「八〇年代が僕たちの青春でした」と言っても、六〇年代、七〇年代世代が鼻で笑う。そこがコンプレックスなんです。「いや、そこんなことはなかった」と、たとえばピンクレディーもいたし、「なめネコ」もあったし、と思うんだけれども、それで八〇年代を括れるかというと……(笑い)。
いよいよ「近頃の若い者は」化してきたが、やっぱり伊藤さんのことを念頭に置いて話しているのではないか。『国際おたく大学』(光文社)P.23にある唐沢が伊藤さんへ送ったメール。
僕は根っこが60年代特撮とアニメで、そのあとヤマトに出会ってオタク的な取組みを意識した人間だけど、ヤマトと同時にニューミュージックにも出会っている。さだまさしや井上陽水が日本の音楽シーンに与えた影響を語れと言われれば一時間でも二時間でも、自分の体験に即したことだけでも語ることができる。80年代、札幌の喫茶店で僕らはヤマトやスター・ウォーズ、ペリー・ローダンの話をしながら、店に流れる雨やどりを聞いていた。けど、その両者と同時になんクリもあったし、ウッディ・アレンの映画がオシャレだったし、ピンクレディも窓際のトットちゃんもビニ本ブームもタッチもETも積木くずしもあった。なめネコとか、消えてしまったものを入れればもっとだが、少なくとも上記のものをネグった80年代は僕は認めない。
この「80年代論」のヘンさに関しては「トンデモない一行知識の世界」を参照していただきたい。ピンク・レディーを「八〇年代」に入れるのは疑問だなあ。…それから、この件に関係した話を思い出したので、後日取り上げます。
麻生氏の質問。
―もうひとつ、いまの三十代に対して言われるのは、ものごとへの批判性の欠如ですね。
批判のためには比較検討が必要だけれども、その比較検討の対象物があまりに多すぎて、自分にとって本当に“いいもの”を見つけるまでに日が暮れてしまう、という焦りが三十代にはあるんです。
「ものごとへの批判性の欠如」もやはり若者批判の定番。「オタク第二世代」に限った話じゃない。それ以上に唐沢の解説は理解できないけど。誰でも「おかしい」と思ったらすぐに批判するって!
―そうすると、同好の士の間での議論もない?
議論の意味が違ってきているんですね。互いの情報の正確度を確かめるとか、情報の欠落を埋めるとかが中心で、いまのインターネットの掲示板で行われているのは、ほとんどがそれです。つまり異論を戦わせるという議論ではない。対立して、もしも訣別するとなったら、ある程度マスが大きければそれでもいいけれど、最初から狭いところでせっかく見つけた同好の士ですからね。
そこで議論して対立すると、最後は一人一派ということにもなりかねない。その危険性というか孤独に対する恐れがあるわけです。
だから、小異を捨てて大同につく―いや、大異を捨てて小同につくみたいなところがあって、そういうところで縮こまっている。まだパソコン通信の段階では議論大歓迎というところがあったけれども、いまのインターネットの掲示板は、だいたい主宰者が議論を嫌いますね。
「と学会」のメーリングリストを思い出した。まあ、山本会長は頑張ってたけど…。ネットで議論できない唐沢に言われても「オタク第二世代」も困るだろう。
ちなみに、当ブログにご意見・ご感想があれば遠慮なくコメント・メールしてください。可能な限り返事させていただきます。
―そういった自己表現の欲求が強いのも、いまの三十代の特徴?
そうなんです。「僕を見て」「僕をほめて」という気持ちがものすごく強い。というのは、会社にしろ何にしろ自分が帰属している共同体に信頼がおけないから。だから、「自分」が認識され、ほめられることでしか満足できない。“自分探し”のためには、誰かと同じではだめなんです。そのために、逆にプライドがものすごく肥大している。
だから、“同好の士”で集まっていても、「僕とおまえは違う。でも、その“同好”ということに関しては……」というぐらいのつながりでしかないんですね。
このインタビューが面白いのは、「オタク第二世代」の話をしているはずが唐沢本人の話に聞こえてしまうことだ。「同好の士」の集まりって、「と学会」の例会や「あぁルナティックシアター」のことか?
一言でいえば、「よくこんなインタビューを載せたな」と。具体例がちっとも無いので、「オタク第二世代」について批判的な人間でないとまともに読むことができないよ。ブーメラン連発と伊藤さんへの執着が伺える点は唐沢ウォッチャーとして見ものではあるけどね。
オタクとしては『DAICONⅣ』『電車男』の『トワイライト』なんだろうけど。
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・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」、「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、唐沢俊一に関連したイベントに興味のある方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
karasawagasepakuri@yahoo.co.jp
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