唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

何か。をプロデュース。

地元じゃ負け知らず(自己申告)


 高森圭氏から当ブログのコメント欄での高森氏への「人権侮蔑的発言」を削除するようメールで要請されたのですが、どの発言が高森氏の人権を「侮蔑」しているのかわからないので具体的に指摘してくださるようお願いします。



 本題。今回は岡田斗司夫唐沢俊一『オタク論2!』(創出版)P.144〜P.165より「ぼくのプロデュース論、私のプロデュース論」を取り上げる。


 …本論に入る前に引っ掛かってしまったのだが、唐沢俊一って今まで何を「プロデュース」してきたんだ? それがわからない。それなりのものを生み出してきたプロデューサーの話なら聞く気にもなるけれど、何をやっているかわからない人の話はちょっと…。おまけに「博覧狂喜演芸会」も直前に中止しちゃっているから、プロデューサーとして有能とは思えないというのが正直な考えだ。
 ともあれ、本論を見ていこう。なお、今回は相当長いうえに内容がないので、スタミナをつけてから読むことをおすすめします。自分も記事を書いているうちにかなり消耗してしまいました。

岡田 「売れない人のプロデュース」というのが、今の唐沢さんのマイブームだとか。


唐沢 “売れない”というと語弊がある(笑)。実力はあるのにまだブレイクしていない人たちですね。これは僕の前職(芸能プロダクション)からのつながりがあるんですが、面白いのは、プロデュース業と名乗ると、作家とかテレビコメンテーターと名乗るよりむしろうらやましがられるんです。数年前なら、アーティストになりたいと言ってたような連中が“プロデューサーになって才能を世に出したい”って言い出している。やっと気がついたんでしょうね。クリエイターにしろ、アーティストにしろ、なってみると好き勝手はできない。威張っているのはプロデューサーだと。本当に力があるのはスポンサーなんだけど、それは無理だから(笑)。

 なるほど。プロデューサーを名乗って威張りたかったわけだ。それから、プロデューサーのやることというのはアーティストやクリエイターほど見えにくいということも、唐沢がプロデューサーを志望した理由のひとつかと思う。…で、唐沢のプロデュースでブレイクした人って誰なんだ?

岡田 それじゃあ、クリエイター気質を持った人がプロデューサーになりたがっているんですね。


唐沢 だから、そういう人たちが、純粋に自分のことをクリエイターと言っちゃうと、作品に対して批評とか批判を浴びることに気がついたんですよね。今の人たちは「作品の批評は一切言われたくない。オレはオレのやりたいことをやっているんだから」というような制作態度なんですよ。それで、「オレがオレが」と一番言えるのはプロデューサーなのではないか、とみんな思い始めたのでしょうねえ。だから、クリエイターとかアーティストとかプロデューサーという役名をみんなごっちゃにしているところがある。昔の「企画屋」だとか「芸術家」だとか「音楽家」と違って、完全にカタカナ言葉として独立して、本来の意味から離れてきちゃっている気がする。だから最近若い人たちと話すと、「なんとかプロデューサー」という人たちが多い。それがたかだか町内の3日間のお祭りのプロデューサーであろうとも(笑)、「なんとかプロデューサー」とか「なんとかコーディネーター」と名乗るんですね。

 唐沢俊一もその「なんとかプロデューサー」の類なんじゃないの? 「作品の批評は一切言われたくない。オレはオレのやりたいことをやっているんだから」って、それはあなたのことなのでは?と思ってしまったり。
 それから、プロデューサーも作品に対する批判を浴びる。秋元康亀山千広白倉伸一郎高寺重徳(成紀)もあちこちで批判されているじゃないか。上記の面々は(好き嫌いは別として)有能であることに間違いないし、彼らと比較するのも失礼な話だが、イベントを直前に中止させたプロデューサーも批判されて当然だろうね。

岡田 プロデューサーって、クリエイターの人数がその何倍もいないと存在しない生き物ですよね。


唐沢 いやそれがね、われわれの世代までの考え方なんですよ。要するにね、彼らにとって「クリエイターはいらない」んですよ。自分に「これだけのスペース」が与えられたとしたら、気が向けば、プロデューサーである店主がギターを手に取り歌を唄ってしまう、とか。そういうのが、彼らの考える「お店のプロデューサー」なんですよね。


岡田 でもそれは、クリエイターにすごく近いですよね。


唐沢 ところが、クリエイターになると「世に問う」ということになる。それがプロデューサーなら「オレがここの空間のプロデューサーなんだから」と言える。非常に閉鎖的かつ矮小な考え方なんですけれどね、今のクリエイター気質の若者には合っているんじゃないですか。

 はい、ブーメラン一丁、入りまーす!
 これって、札幌のサークル以来、ずっと「閉鎖的」な空間で活動してきた唐沢俊一のことじゃん。若者を責めちゃいけないよ。「矮小」と自分で言いますか。そして、今の唐沢俊一は何を「世に問う」ているのだろう。ラジオライフ』『パチスロ必勝ガイドNEO』、小劇場「楽園」、どれも広い道とは言い難いけど、狭くても確かに「世」につながっていればいいのだけど。

唐沢 (前略)逆に言うと、あそこ(引用者註 ロフトプラスワン)にいろんな知識人文化人がやってきて、そこから発信したものがたくさんありますよね。変な話だけれども、「全共闘時代の再評価」というのはあそこから始まったわけですよ。オヤジ時代のグチり場だったのがどんどん拡散していって、例えば若松孝二という60年代の化石みたいな人が再評価されて、あさま山荘事件を今頃撮って、ベルリン国際映画祭で賞とか取っちゃうわけですよ。若いときはポルノ映画撮って外国に発表して、「国辱」と言われた人間がね(爆笑)。……いや、僕はあの頃の若松監督のファンだったですけど、それで、若松孝二っていうのは、低予算映画を大量生産するかたわら、自分はプロデューサーとなって、大島渚に「愛のコリーダ」を撮らせた人でもあるわけです。そういう意味でも、今のプロデューサーになりたい人たちには受け入れやすい。

 若松孝二は1965年のベルリン国際映画祭に『壁の中の秘事』が出品されたことで日本国内の映画関係者から「国辱」呼ばわりされ、それから43年後に『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で同じベルリン国際映画祭で賞を獲得した…、という劇的な話である。…しかし、よく考えてみると『壁の中の秘事』は評価されていたからこそ映画祭に出品されたわけで、「「国辱」と言われた人間がね」と「爆笑」するような話でもないのではないか。唐沢の笑いのツボがわからん。
 あと、唐沢俊一はいつ「あの頃の若松監督のファン」になったのか。まさかリアルタイムで観たわけでもないから、東京に来てから名画座めぐりでもしたのだろうか。例によっていっちょかみじゃなきゃいいんだけど。「そういう意味でも、今のプロデューサーになりたい人たちには受け入れやすい」ってどういう意味? ついでに書いておくと、唐沢の連合赤軍に関する知識は相当ウスいと思われる(9月6日の記事を参照)。

名画座で『実録・連合赤軍』と『バーダー・マインホフ』の二本立てをやってくれないかなあ(上映時間合計6時間くらい?)。
 

唐沢 いや、出版も平行してやってるんですが、自分の読みたい本や見たい映画が本当に少なくなってきているんで、自分たちで作っちゃおうという話なんですよ。例えば亡くなった市川崑に親しかった人間に、市川崑のカンシャクの爆発のさせ方とかそういう極めて個人的なことを書いて欲しい、とか。映画論は残っても、そういう人間性の記憶って残りにくいですからね。だったら、そういう人に自分の読みたい本を書いてもらおう、と。出版プロデュースにはそういう面白さはありますよね。
 不思議なもので、人間のモチベーションって、自分のためにはあんまり発揮されないのね。最初は自分がかわいくて自分へのナルシズム(原文ママ)でクリエイターになるわけだけども、人の本能のひとつに「他人のためになら働ける」というのがある。特に中年以降それなりに売れてくると「もう『オレのために』はいいや」という気持ちになる。たぶん岡田さんも私も、このレベルまでくると、働ける限りは食うに困らないと思うんですね。そうすると今度は、他の人のために働きたくなる。だから、「自分が年齢的にかなえられなかったことを人に託そう」とか「もう一つの夢を誰かに託そう」となってきたんじゃないでしょうか。
 だいたい私たちみたいなロートルがみんな、今の若い人たちを不満に思うのは、「才能があるのにそれを売り出す方法を知らない」とか、「変に上ばかりを見て現実的な仕事をしない」とかいうことですよね。そうなると、ちょっと教えてあげたいなあ、というのはある。

 「出版プロデュース」以前に、まず『本を捨てる!』と梅田佳声の自伝をだな(以下略)。なお、市川崑の「追討」を参考までに挙げておくが、そういえば、唐沢の文章を読んで、「市川崑の映画を観ていないのか?」と思ったことがあるのでいずれ取り上げよう。
 もうひとつ、クリエイターになろうとする人はナルシシズムだけを動機にはしていないはずだ。極端な話をすれば、自分の作った物を誰にも見せなければナルシシズムを壊されることはない。まあ、「100%貶さない人」にだけ見せるという手もあるのかも、と唐沢を見ているうちに思い浮かんできた。それにしても、唐沢俊一、いかにも殊勝なことを話しているが、現実には「オレがオレが」という振舞いばかりしているので、まったく信用することができない。だから、唐沢のアドバイスで成功した「若い人」っているのか?

岡田 出版のレーベルをひとつ作っちゃえば一番いいんですよね。


唐沢 まあそうなんでしょうね。ただ、今のクリエイターは空間をプロデュースするという「大きなこと」に比べて、出版業なんていう取次と書店の顔をうかがう「小さなこと」は嫌がるんですよね。やることが嫌なんじゃなく、そこまで夢を小さくすることが嫌なんだ。じゃ、オレがやってやるよ、と。

 自分は『検証本』を作るために印刷所へ行き、委託を頼むためにタコシェまで行ったりしたけど、別に嫌だとは思わなかったけどなあ。まあ、「本を作って唐沢俊一に手渡ししたい」というささやかな夢をかなえたいだけなんだよね。冬コミではどうぞよろしく。

岡田 唐沢さんは雑誌編集長をやればいいんじゃないですか。


唐沢 うーん。自分がモノを書いたりするということをまだ、辞めたくはないんですよ(笑)。それからまだ卒業したくはない。プロデューサー的な仕事は「趣味の範囲」でやっていきたいんです。まだまだ、あと10年か20年は自分がやりたいことが残っているんで、そっちのプロデュースをやっていると、はっきり言って忙しいんですよ。(以下略)

 岡田斗司夫がものすごいトスをあげたものだが、唐沢俊一の方はなんとも中途半端である。「あと10年か20年は自分がやりたいことが残っている」って、70歳過ぎてからプロデュースに本腰を入れるつもりか? プロデュースを舐めてないか? 月刊連載3ページだから、そろそろ「卒業」してしまいそうな気もするが。

岡田 プロデュースするっていうことは、その人を売りたいんですか?


唐沢 そうですね。


岡田 もっとメジャーにしてあげたい、と?


唐沢 なんかそういうと神様みたいな善人に聞こえる(笑)んだけど、プロデュース業の「最終的な満足」って何かと言うと、お金でもないし、名誉でもない。突き詰めて言えば、自分の「才能を見る目」というのは狂っていないな、ということを確認するという自己満足なんですよね。

 
 世の中のプロデューサーのみなさんに失礼すぎる。どんな仕事も自己満足がなければやれないけれど、唐沢の場合は自己満足しかないからなあ。イベントが中止になってお詫びを出せないのもそのせいだろう。「才能を見る目」を確認するだけなら、プロデューサーになる必要なんてないだろうし、ガンダム』や『エヴァ』を貶していた人に「才能を見る目」はないよ。

岡田 (前略)何かね、ぼくは今回『いつデブ』(引用者註 『いつまでもデブと思うなよ』)で思ったのは、木原(浩勝)くんのプロデュースだと、すごくうまく働けるんですよ。結局、人に言われると、「なるほど自分はこういうクセがあるのか」とわかって欠点が治せるんだけれど、自分ではそういうことができない。


唐沢 私も岡田さんも、批評家、評論家としての才能は多分にある人間だと思うけど、“自分自身”というのは一番評論しにくい。だから、それを他人から的確に言われると、すごく面白かったりするんですよね。

 それなら、各検証ブログを楽しく読まれているのでしょうね。安心しました。「“自分自身”というのは一番評論しにくい」から過去を語るたびに時空が歪むのだろうか。なお、岡田斗司夫木原浩勝がその後揉めたという話も聞いている。

唐沢 (前略)今アスペクトというところで作っている本なんですけれども、原稿を出したらボツになってしまった。編集者が言うには「ぼくが求めているのはこういう唐沢さんじゃなくて、『威張る唐沢さん』です。もっと『オレはエリートだ』っていう唐沢さんでなければいけません。唐沢俊一のそういう本であれば、書店100店調査して80点が『欲しい』と言ったので、そういう方向で書いてください」と言われた。
 それでね、前書きと第一章を書いて送ったんです。それは、今まで私が裏モノとかB級の本を書くときと同じように、「いつのまにかこういう風にテレビに出たりするようになってしまった」と書いたら、「そういうこと書いちゃダメですよ」と言われたわけです。「『流されている唐沢俊一』は誰も読みたくないんです」と。「みんなライターとか業界の有名人になって、テレビのコメンテーターとかをして、評論本を書いて、という人になりたいんだから、『オレみたいになるにはどうしたらいいか』ということを威張って書いてください」と言われたんですね。私は自分の生活のためにあっぷあっぷしながらやってきた結果がこれなんで、それを成功例として語れ、と言われたとき、椅子から転げ落ちるほど驚いた。

 アスペクトから出た本といえば『博覧強記の仕事術』のことなのだろうが…、だからか! 編集者がそんなアドバイスをしたからあの本はいつにも増しておかしくなったのか(2009年9月23日の記事を参照)。盗用して被害者を中傷するような人間が威張ったりしたら余計に反感を買うことくらいわからなかったのだろうか。…あ、そういえば、唐沢が漫棚通信さんを中傷したのもアスペクト発行の『社会派くんがゆく! 復活編』だったっけ。だいたい「威張る唐沢俊一の本が読みたいか?」ってどういう調査なんだ。それ以前に唐沢俊一ナチュラルに威張った人なので、他人から「威張れ」と言われて驚くのもおかしい。

唐沢 (前略)私の人生後半戦のテーマは、「人間の支配する側と支配される側」ということなんです。ある日本有数の芸能プロ社長に「人間には『リーダー』と『それに従う人』の二種類しかいない」と言われた。どんなに人間は平等だの、才能は誰にでもあるなんて言われても、絶対のその法則はあるんだ、と。それで、支配、被支配の関係がどうしてもできてしまう。(以下略)

 ものすごいテーマだな。大藪春彦の小説にでも出てきそうだ。まあ、50代になってから人間を「支配」しようとするのは大変そうである。小さな劇団くらいなら「支配」できるかもしれないが。なお、唐沢俊一と「ある日本有数の芸能プロ社長」との奇妙なお話については2009年6月3日の記事を参照していただきたい。

岡田 唐沢さんは「自分がプロデュースされる」ことについてはどうですか?


唐沢 この歳になってやっと面白いと思えるようになったというか(笑)。若い頃、絶対自分にはそういう人物、私の才能にほれ込んで、“オレの夢はカラサワ、お前に天下をとらせることだ!”とか言ってくる参謀役が現れると思っていた(笑)。ところが待てど暮らせど出てこないんでね(笑)、ずっと自分で自分のプロデュースをやってきたんです。それでまあ、天下はとれてないけど、いまだに仕事が次から次へ来てるんだから、成功したわけで。だから、その後でそういうことを言う人が出てきても“今更遅いよ”と(笑)。
 でも、自分で自分のプロデュースをしたことで、いわゆる業界がだいぶ見えましたね。他人に売り出しをまかせていた人ってのは、いい歳をして青臭いこと言うんですよ。しょせん自分は神輿ですから。裏でスタッフがどれだけ現実的な苦労をしてきたかを知らない。若い人たちはもとより、もう40になろうというくらいになっても、そういう現実的な、生き残っていくための作業がどういうものか、わからない人が多いんですね。そういうのを見ると、つい、手を貸したり、助言したりしたくなる。

 唐沢俊一の将来について本人にアドバイスしたところ見事に断られたという話をいくつか聞いている。結局、他人の話を聞けない人なのだと思う。セルフプロデュースって危険だなあ。今でも「いまだに仕事が次から次へ来てる」のだろうか。唐沢俊一が盗用をやらかしたり締め切りが遅かったりで迷惑している人だってたくさんいるはずなんだけど。

岡田 (前略)唐沢さんのプロデュースの仕方は母親的ですよね。「育ててあげて、旅立つのを待つ」みたいな。ぼくのほうは、父親的というかですね、「自分のタネで作家に作品を孕ませよう」という感じなんです。


唐沢 岡田さんの場合は「自分のDNAを遺したい」んですよ。私の場合は「母体になりたい」「子宮になりたい」とか(笑)、そういう感じがすごくする。
(中略)
 私の場合は、仕事を続けていく上での刺激が欲しい、というのがある。クリエイターって、長く続けているとどこかで必ずモチベーションが切れるんですね。惰性で仕事するようになる。私もそろそろ50代になって、そういうモチベーションが切れかけている。だから、「この子のためにも私ががんばらなくては」みたいな刺激を補充しないといけない。

 とっくの昔に惰性で仕事するようになっていたのでは…。

岡田 ぼくと唐沢さんでは、プロデュースするときの目線が正反対で、唐沢さんは作家側を向いているけど、ぼくは目線が観客側に向いている。だから、『いつデブ』に関して言えば、「日本に肥満人口を減らしたい」とか、『オタク学入門』だったら「オタクたちをなんとかしたい」と、あくまで観客席に責任感を感じてしまっている。それに対して唐沢さんは、自分が育てる作家さんたちに責任感を持ってしまっている。それが母性的というか父性的というかはわかんないですけれども。
 そういう意味では、ぼくはクリエイターを使い捨てにするんです。自分の目的が簡単になるから。いわゆる、政策とか政治家を使い捨てにする自民党の幹事長みたいなもんで。

 うーん、「オタクをなんとかしたい」みたいに妙な目的意識を持つのが岡田斗司夫の特徴なんだろうな。本気でそう思っているのかタテマエでそう言ってるのかはわからないけど。いずれにしても、唐沢俊一がお客さんに責任感を持っていないのは確か。

岡田 唐沢さんのプロデュースは絶対「愛情本位」ですよ。愛情というのが根本にないといけない。それは「愛情」と言ってもいいし、「恋愛」と言ってもいいし、「惚れ込む」と言ってもいい。なんか、「芸能プロの人が、タレントに惚れ込んで『売り出したい!』と思う」ことに非常に近いですね。


唐沢 そうそう。だから変な話だけれども、いったん決裂すると、完全に縁切りみたいになる。(後略)

 おぐりゆかのケースか。それ以外にも唐沢と「決裂」した人は多いけど(現在では岡田斗司夫とも決裂した疑いが…)。まあ、愛情があるのはいいんだけど、ちゃんとタレントのためになっていなければ、それは「スケベ根性」でしかない。

唐沢 岡田さんは映像畑から入ったから、人をパーツとして見るんだと思う。映像制作は共同作業ですからね。僕ら文筆業は基本的に一人仕事。ものを書く作業っていうのは、非常に地味なんですよ。一日最低4〜5時間はパソコンの前に座っている。そのへんからおかしくなるんですよね、人間って(笑)。

 まーた、えらくザックリと「映像畑」と「文筆業」について決め付けてるなあ。大丈夫! 4〜5時間書き物したくらいで人間おかしくならないから(自分も記事を書くのにそれくらいかかることはよくある)。唐沢俊一がおかしいのはもっと他の理由だよ。

岡田 あ! ちょっと待って。さっきぼくは「勝算のあるやつだけやったほうがいい」って言ったけれども、唐沢さんのやっているプロデュースって、「勝算がなくてもいい」からできるんですよね。ある意味無責任になれるから。


唐沢 そう! だから売れるとわかっている人材にはあまり興味ないのね。自分の売り出し能力に酔っている。


岡田 だから、すごくひどい言い方をすると、唐沢俊一は自分のことでは「損すること」「負けること」はできないからこそ、「他人のために損することができる」んですよ。


唐沢 あ〜、それは手厳しいというか、本質をついた指摘ですよね。


岡田 つまり、自分のためには売れる本しか書かないけれど、他人のためなら、例えば「お前は売れない本を書いてもいい、オレがなんとか売れるところまで持っていってやる」ということなんですよ。


唐沢 そうそう! だから、変な話だけれど、「こんな本普通だったら出せないけれど、唐沢さんのために書きました」みたいなね、遊びで書いてくれる人がいるわけですよ。そうするとそこで、なんかすごく嬉しくなってくるんですよね。
 本来は、売れない本を作るというのは職業作家失格なんですけれども、私はあくまでも「自分が満足するため」にプロデュースをやっている。

 馴れ合いムードがすげえ。それはともかく、

「こんな本普通だったら出せないけれど、唐沢さんのために書きました」みたいなね、遊びで書いてくれる人

…って、これまさに俺のことじゃん。…じゃあ、なんで夏コミで献本を断られたのか謎だなあ。「自分のためには売れる本しか書かない」「売れない本を作るというのは職業作家失格」と馴れ合いの中にも胸に刺さる言葉がチラホラと。

 この後、「ある女優さん」を売り出そうとしてポシャッたときに「売れっ子マンガ家のM」と話したことが取り上げられているのだが、「ある女優さん」=おぐりゆか、「売れっ子マンガ家」=みずしな孝之か。

唐沢 (前略)私はどちらかというと、火鉢の中の小さな熾火をね、ふうふう吹いて、だんだん大きくしていって全体に火を行き渡らせる、というような、そういう行為が好きなんだな。これは、いわゆる難度の高いゲームのマニアみたいな感覚だと思う。簡単に勝ててしまうゲームには興味がないの。

 はいはい。『新・UFO入門』盗用事件でも収まりかけていたのに自分から再燃させちゃいましたからね。確かに好きなんでしょう。

唐沢 私はゲームも今はきっぱりやめているし、いわゆるバクチはパチンコすらやらない。いま、パチスロ機のネタになっているアニメや漫画の解説をする、という仕事をやっているんで、参考資料のため、という感じでやりますが、ゲームとしてはまるでやりません。何故かかというと、プロデュースという、比べ物にならないくらい難しく、全知能、全才能を使うゲームをリアルでやっていると、架空のゲームなんか、もう馬鹿馬鹿しくってやってられないんですね。選挙に出た立川談志が、“あれの興奮を覚えたらバクチなんておかしくって”と言ってたけど、それとおんなじね(笑)。

 ハッタリがものすごいなあ。バクチとゲームをやらないための言い訳に読めてしまうけど。だって、その「プロデュース」なるものがどのようなゲームなのか、そのゲームでどのような戦果をあげたのか書いていないんだもの。凄さが全く伝わってこない。
 …っていうか、唐沢俊一は『パチスロ必勝ガイドNEO』でのプロフィールでは

大学時代はパチンコ、パチスロの鬼だったが、最近は忙しくてあまりやれないのが悩みの種。

とあるのに、ここではパチスロを完全にバカにした言い草をしているよなあ。「架空のゲームなんか、もう馬鹿馬鹿しくってやってられない」って。あーあ。
 あと、この「ゲームクダラネ」発言は、実は唐沢の他の仕事にも関わっているので後日紹介したい。

唐沢 私が何で急にプロデュース、プロデュースと喚き始めたかというと、何か最近、文化的伝統がどんどん途絶えていってるんじゃないか、という危機感もあって。伝統のない世界では、そもそも好きなことというのも見つけられませんよ。伝承の技術がないんだから。私はそれを憂いているから、アルチザンを育てたいんだよね。

 唐沢俊一は若い世代に伝えられる「技術」や「伝統」を持っているのか? 「あぁルナティックシアター」でも劇団員に何を教えてるんだろう。演技とか教えるのは無理だろうし。

編集部 先生のプロデュースで、「成功例」ってありますか?


唐沢 ない(笑)。プロデュースされた方では成功だと思っているのはいても。


岡田 それは「成功」の定義が違うからじゃない?


唐沢 業界に名前を知らしめてあげて、仕事を与えて、売れるようになった、というのはありますよ。ただそれは自分の描いたことじゃないですね。

 ここまで長々とやってきたが、心の底から脱力した。なんで「成功例」がないのにプロデュース論を語っていたんだよ…。それと、「プロデュースされた方では成功だと思っている」のが誰なのか教えて欲しい。「唐沢先生のおかげで成功されたんですか?」って聞いてみたいから。


 一体全体、何が何だか…。本当にふわふわした話しか出てこなかった。あまりのことに読者の皆さんにも申し訳なく思えてきた。唐沢にとって「プロデュース=自己満足」でしかないんだろうな。

 どうして実際にプロデュースした経験を語らないのか理解に苦しむ。大きな企画を成功させた話でなくても、低予算の企画で苦労した話や大失敗した話でも興味深いものになったはずだ。少なくとも「自己満足のために売れてない若いやつをプロデュースしたいんだよね〜」というゆるい話よりはずっとマシである。
 とりあえず、企画が中止になったときはちゃんとお知らせを出して欲しい。プロデュース論を語るのはそれからでいい。


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