天然に死す。
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唐沢俊一が今野雄二の「追討」をしているが、あこがれていたというわりには上京してから別に後を追った様子もないのが気になる。神保町で古本を買ったりアニドウに参加してたんでしょ? 藤岡真さんのブログにある武勇伝にまた追加すべきかな。
というわけで今回は唐沢俊一があこがれていた人物の話をする。2003年3月に出た『文藝別冊 寺山修司―はじめての読者のために―』(河出書房)で唐沢俊一は『“絶後”のアジテーター』という記事で寺山修司について語っていて、寺山への憧れを吐露しているのだ。
…だが、ここでひとつの疑問が。唐沢俊一って寺山修司のファンだったっけ? 唐沢が寺山について語ったり書いたりしているのを見た記憶がない。そもそも世代的に考えて唐沢は寺山修司の影響を直撃で受けてはいないだろうし、インタビュアーからも「乗り遅れた世代」と呼ばれている。また、インタビューの中で唐沢が取り上げている作品といえば、本で言えば『誰か故郷を想はざる』と競馬に関するエッセイ、映画は『田園に死す』『書を捨てよ、町へ出よう』くらいで、演劇にいたっては全くタイトルが挙がっていない。…うーん、どうして唐沢にインタビューを依頼したんだろ。
とりあえず内容を紹介していく。唐沢は寺山修司を「アジテーター」と定義している。
若いけれどどうしても引っ込み思案になりがちな本好き少年に、常に不良になれ、アウトサイダーたれと檄を飛ばしているという。
寺山は『家出のすすめ』を読んで実際に家を出る若者が多くいたことについて「あれを読んで本当に家出するヤツはバカだ」とこぼしていたという(もっとも、寺山は自宅を訪れた家出少年の面倒をちゃんとみてあげていたらしい)。
もちろん、あこがれていた。面白いことに、学生時代、我々よりちょっと上の世代の文学好きの人とかに寺山のことを聞くと、大抵、「あんなのはすぐに消える」と言うわけですね。「何で」って聞くと、「多才すぎる」というんです。あまりにも才能が多岐にわたりすぎていて、とりとめがないと。寺山現象というのは思想とか作品とかじゃなく、あくまで寺山修司という人間が中心なものであって、それは寺山本人がこの地上から消滅した時点で雲散霧消する、と。言われてみると、そんなものかな、という気がした。
寺山修司にあこがれていたと自分で言ってますね。「我々よりちょっと上の世代の文学好きの人」というのが誰なのか、気になるところだけど。
でも、その後寺山的なアジテーターっていうのは出ていない気がするんですよ。音楽とか、映画とか、文学とか、それぞれのジャンルには凄い人もいるんだけど、それらを超越して、若い世代全員に直接語りかけてくるっていう、僕らの世代までだと青春時代に一度は出会う、メフィストフェレス的な人格ね、こういうタイプって、現代には出にくいのかも知れない。
「多ジャンルにわたる活躍」「挑発的な言動を取る」「若者に多大な影響を与える」
以上の条件を満たす人物としてビートたけしが連想される。『社会派くんがゆく!』はツービートの漫才に似ているという意見をたまに見かけることがある。
さっきも言ったけど、寺山の敷いたレールというのは大変によく出来ていてね。その上に乗っているっていう事は快感であるわけですよ。同じ状態でアウトローの快楽、社会からのドロップアウトの快楽も味わわせてくれる。結局は本の虫でしかない読書人であっても、寺山の本を好むという事は単なる読書人じゃないんだ、いざとなったら書を捨てて町へ出ていける野生派なんだ、みたいなそういうふうな雰囲気が寺山ファンには共通してあって、端から見ているといきがっているだけのバカですよね。
このくだりを読んで唐沢俊一や岡田斗司夫がオタクを揶揄するときの口ぶりを連想してしまった。「俺はオタクだけどリアルでも上手くやれるぜ!」みたいな。まあ、岡田・唐沢がリアルで上手くやれているのか?というのも考えものではあるが。「オタク」と「リアル」を対立させる話自体がヘンなのかも。
作家に対する好き嫌いというのはあって、嫌いだったらその作家の得意とする分野に関わらなければいいんですけど、ところが、こと寺山修司に関しては、ありとあらゆる所に出没してたんで、逃げようがなかった。忍者か、この人はって呆れたくらいでしたね。新宿二丁目のおかまはどうやって愛しあうか、なんてことを微に入り細をうがちって感じで説明するかと思うと、フランス文学者の最新作の話をしたり、江戸の戯作本の現代語訳みたいなのもやってるわけでしょ。間口がどこまで広いんだっていうくらいで。私もその後、ものを書くようになったときですね、間口が広いと言われた。古本、薬学、映画、演芸、食べ物から性風俗系の事まで分野を広げてますからね、ある意味においてこれだけ間口が広がってしまったっていうのは、寺山から逃げて逃げて逃げ回ったその結果みたいな、そんな気もしてるんですよ。
その理屈、さっぱりわからん。「俺も寺山みたく多ジャンルにわたって活躍してますよ!」とアピりたいのはわかるけど。
僕みたいな、かつて文学青年であった連中が、寺山修司から逃げようとしたのと同じように、寺山自身も何かから逃げようとしていたんじゃないのかなぁ。そういう場合ですね、素直に寺山と自分を重ね合わせて同一視する、あるいは後を追っかけていくという、それで満足するタイプの人間だったら良かったのかもしれないけども、どうしてもやっぱり、誰の真似でもない自分の分野を持ちたいという欲望も生まれてくるじゃないですか。寺山の後をただついていくだけでは、自分の存在価値がないんじゃないか、みたいな気がして、その葛藤が凄くあったわけなんです。
唐沢俊一がいつ「文学青年」だったのか気になるところだが、このくだりは興味深い。つまり、円谷英二を批判したのと同様の心理で寺山を否定したわけだ。手塚治虫を批判し続けているのもそうかもしれない。もうひとつ面白いのは、唐沢俊一が「個性」というものに深くとらわれていることがうかがえる点だ。『世界に一つだけの花』理論で最近の若者を批判していたのに。『ゴーマニズム宣言』で小林よしのりが「小林さんを尊敬し続けるだけではダメなので小林さんの本はもう読みません」という手紙を送ってきた読者に苦言を呈したことがあったっけ。まあ、唐沢俊一が「オンリーワン」であることは自分も否定しない。
同じ青森出身の太宰治もそうだけど、自分の恥みたいなものまで全部さらしてこちらに迫ってくるところがありますね。表裏がないんじゃなくて、表も裏も全部さらけだしてしまうという、ある意味ズルい手段ですよ(笑)。偉い人ってのは大抵、表側しかこちらに見せない。それが気取りですよね。こういう人には、いくら目の前に立ちふさがられても恐怖はない。裏があれば、そこをねらう……いわゆる“裏をかく”ことが可能なわけですね。ところが、自らその裏をさらけだして、僕はこういう恥ずかしいものを持っている、こういう恥ずかしさに突き動かされているっていうのを突き動かされているっていうのを突きつけられると、もうどうする事も出来ないっていう、そういう所があるんですよ。
寺山修司は自らの過去についてよく語っていたが、それには事実と異なる点が多くあったことはよく知られている。この点は唐沢俊一と共通している。
自作の短歌が剽窃であるというのも、晩年に覗きで捕まったっていうのも、ファンであればあるほど、まあそういう事もするだろうなって納得しちゃうっていう、そんな所があって、強さだけ見せている人だったら、そういったスキャンダルは致命的だと思うんだけど、あんな情けない事件すらも伝説の中に組み込まれてしまうような、弱さ故のねばり腰みたいな部分がある。はるかにジャンルはせまいけれど、中島らもさんにも似た部分があるんじゃないかと思いますね。
唐沢俊一が盗用事件を起こしたことについて、唐沢のファンは「まあそういう事もするだろうな」と納得したのだろうか。盗用という「情けない事件」が致命的なスキャンダルにならなければいいですけどね。
私もどっちかって言ったらそういう原風景っていうのに凄く拘るほうなんで、だから、『田園に死す』、あそこに描かれている、止まっちゃった時間というのには、無茶苦茶な共感を感じるんですよね。未だに私の中の新宿はあの映画のラストシーンの新宿、まだアルタが建つ前のね、あの新宿なんだよなって思うわけですよ。大学の一年のときだったかな。中野のさびれた名画座でこの映画を見て、しばらくものが言えなくなって。それまで寺山から逃げて逃げていたつもりが、いつの間にか、また元に戻ってきちゃった。ちょうど、母(故郷)を自分の中で殺そうとして殺せず、二人でご飯を一緒に食べるという、映画の中の菅貫太郎の寺山、あれと同じ状況だったわけです。実際に、足を子供の頃悪くしたせいで、母の溺愛の網の中にからまれて、自分ががんじがらめにされているような強迫観念があった。だからダイレクトすぎるまでに、あの映画のテーマとかが伝わっちゃったところがある。それでまた、彼の芝居とかも見始めたんですね。
なるほど。唐沢俊一は大事に育てられたんだろうなあ。実家から離れて上京したばかりの学生の感想としては少々ひっかかるけど。あと、唐沢が上京したのが1978年で、アルタが完成したのは1980年。上京したときのイメージが鮮烈だったということなのだろうか。『東京新聞』のコラムによると歌舞伎町の小さな映画館によく行ってたらしいけど。
あの頃はもう演劇青年だったんですよ。歌舞伎からね、新劇、新派、唐十郎さんの状況劇場とかね、東郷健さんのホモ劇まで、ありとあらゆる所を回って見てました。アングラ全盛の時代はもう過ぎて、その後の、つかこうへいさんや野田秀樹さんなんかの、知的エンタテインメントコメディという感じのものに入れ代わっていき、逆に商業演劇がアングラ出身の役者さんとか、パワーのあるところをどんどん取り入れはじめて、肥大していくといった時代でした。
「文学青年」から「演劇青年」に変身している。唐沢が上京した1978年4月以降に「天井桟敷」の芝居を見たとしたらわりと限定されるようだ(上演リスト)。さて、唐沢は何を観たのだろうか。
僕はどっちかって言うと戯曲を読むという、読書人から入った演劇ファンなんで、書かれたもの、舞台そのものは好きなんだけど、いわゆる演劇人に馴染めなかった。その、馴染めない理由っていろいろあるんですけど、そのうちのひとつに、演劇畑の人達と一緒に、馴染みになって打ち上げとかに行って飲んだりして、一升瓶ラッパ飲みしたりしながら議論しているのを見ると、だいたいみんな、寺山の言うことをなぞっているだけなんですよ。言葉は多少違えど、立場は違えど、或いは寺山なんかあんなのはカスだよとかって言いながらも、結局最終的には寺山の言う事を復唱しているにすぎないっていう例を山程見ちゃったんです。しかも、寺山修司が言うとなるほどと思えることが、不思議なことに、他の人物の口から出ると、くさい上に気障っぽくて、始末に負えないんですね。あ、これが寺山のバランス感覚なのか、と、反面教師的にわかったもんでした。あれは一歩間違えると鼻持ちならなくなる。それを綱渡りのようにして美学に昇華させているんだな、必ずしも普遍性のある、汎用な思想じゃないんだな、と、そこで見えてしまった。逆に自分もこれまでああいう風にして寺山をなぞって、嫌味にしゃべっていたんだな、と。そういう恥ずかしさで顔がカーッと赤くなるのを覚えましたね。
で、演劇は好きなんだけど、出来るだけ演劇っぽくないところへところへと寄っていって、イッセー尾形のところだとか、最終的には演芸の世界の方にいくんですけれど。寺山が好きで演劇から離れていったという、ちょっと特殊な例かもしれません。
…この話、不思議なんだよなあ。「前説事件」の検証の時も思ったんだけど、唐沢俊一はどこの劇団と「馴染み」になったんだ? 本人も詳しく語っていないからよくわからない。それから、寺山修司をなぞっていたことを知って恥ずかしく思った割りには、その後森卓也をなぞった『ゴジラ』批判を『ぴあ』に送りつけている(『検証本』VOL.0参照)のはどうかと思う。あと、「好きだからこそ離れた」というのは言い訳として便利だな、と思った。十分近づいていた人が言えば説得力はあるんだろうけど。ちなみに「裏モノ日記」2000年1月10日より。
……私が東京に出てきた目的の一つが演劇を観ることであり、歌舞伎をはじめとして、あらゆる芝居に通いまくった。唐十郎を新宿のいまは高層ビルになってしまっている西口の広場で観、つかこうへいを高田馬場で観、東京乾電池を渋谷のヤマハビルで観、そのほかテアトル・エコーにも劇団雲にもシェイクスピア・シアターにも新宿コマ劇場にも通いまくり、果ては東郷健のホモ芝居まで観に行った。だが、演劇がこれほど好きにもかかわらず、そういった演劇人の持つ強烈なナルシシズムと、劇団人の持つ閉鎖性にどうしても共感を得ることが出来ない自分に疑問を感じていたことも確かだった。
…あれ? 「天井桟敷」がないよ?
小学生五年だったか六年だったかのとき、三島由紀夫が切腹するんです。あのときの感じというのはちょうど、“ああ、せっかくこれからだと思っていたのに、お祭りが終わってしまった”という感じだったんです。当然、われわれは戦争・敗戦という、日本歴史始まって以来の共通体験に乗り遅れている。その後の戦後の混乱期のバイタリティっていうものに触れ損ねている、七〇年安保はかろうじて子供の目から見ていたけれど、連合赤軍の突出以来、ただのテロ行為に落ちていき、何かフロシキがどんどん畳まれていって、とどのつまり、三島由紀夫がそれらの総まとめという形で切腹して、全ての歴史がそれで終わっちゃった、みたいなね、そんな空虚感がわれわれを支配していたんです。ウソでない証拠に、その当時の少年マンガ雑誌を読んでみるといい。あの赤塚不二夫なんかが、おっそろしくニヒリズムにあふれた作品を描いているんです。子供たちの心象がどういうものだったかが、よくわかります。
「われわれ」と申したか。
では、三島由紀夫の切腹についてどのように感じたのか、みなさんのご意見をお待ちしています。自分はまだ生まれていないので知りようがないのです。みなさんもさぞかし空虚感にとらわれたんでしょうね。赤塚不二夫の「おっそろしくニヒリズムにあふれた作品」ってなんだろう。まさか『鬼警部』じゃないだろうけど(詳しくは3月10日の記事を参照)。
…というか、この部分はそれ以前にまるでお話にならない。だって、三島由紀夫が切腹したのは1970年11月25日で、連合赤軍が結成されたのは1971年になってからなのだ。どうして、三島の死以前に連合赤軍が突出したことになり、三島が「それらの総まとめ」をするんだ? 唐沢はあさま山荘事件がいつ起こったのかもわかっていないのか…。これに気付かない編集者もどうかしている。
ちなみに、寺山修司は三島由紀夫を強く意識し続けていたが、三島の死については「桜の季節にやるべきだった」「三島は演劇を知らないから自分の声を自衛隊員に伝えることが出来なかった」と『ダンヌンツィオに夢中』みたいなことを言っていたという(長尾三郎『虚構地獄 寺山修司』より)。また、寺山は連合赤軍を擁護する文章を発表したことがあり、日本赤軍も擁護している。
われわれの世代の、暗部の代表というと、あの幼女殺人事件の宮崎勤なんです。ああいう、時代の空虚の中で、社会にリアリティを感じられないままに来た世代が、何とか宮崎にならず、自我を取り戻すには、寺山修司体験があるかないか、というのが大きく関わってくるような気がしないではない。「過去は現在から自分を守る道具である」みたいなことも彼は言っているけど(『僕が狼だった頃』)、寺山にハマった過去が、現在の私を守っていることは確かですね。
…えーと、「オタク第一世代」のみなさんは寺山修司にハマったことがあるんでしょうか? 岡田斗司夫も山本弘会長もみんなハマってたのか? ハマったことがないと「宮崎」になるって…、凄い話だなあ。むしろ、昔なら寺山修司にハマっていたような若者が、時が流れてアニメやマンガにハマって「オタク」になっていった、という話なんじゃないかなあ。そもそも唐沢が寺山に本当にハマっていたのか怪しいところだけど。
あと、「時代の空虚」とあるけど、これこそが空虚な言葉だと思う。唐沢俊一はその「時代の空虚」なるものについてハッキリと説明できるのか? 実体を伴わないこけおどしの言葉で読者を不安にさせてどうするのだろう。原始時代から世界も人間もずっと「空虚」なんだから今更慌てることはないよ。
現代にアジテーターがいないってさっき言いましたけど、アジテーター願望のある人はいっぱいいますよね。しかし、現代は若い人たちが、アジに乗らなくなっている、ってところもある。情報量が多いし、頭が良くなりすぎちゃって、他人の言葉に乗せられることをバカバカしい、と思ってしまう。……でも、若いうちというのは一度、誰かにかぶれてみる、アジテーションに乗ってみるって経験は必要なんです。凄い快感があるし、多少それでバカをやっても許されるのは若さの特権ですから。
『エヴァンゲリオン』にハマったファンを揶揄していた人の言うことか。『ガンダム』のファンにも「富野という人間に心を乗っ取られてはいけない」とか異様なことを言っていたらしいし(詳しくは5月28日の記事を参照)。何かにハマった人をこき下ろすのが大好きで『社会派くんがゆく!』でもよくやっていたっけ。…まあ、『社会派くん』を読む限りでは唐沢俊一にも多分にアジテーター願望はあるようだけど。
中でも寺山はね、そのアジテーション技術が巧みなんですね。要所要所にとっかかり口とか、縄ばしごとか、秘密の出入り口を用意してくれているという、用意周到、手取り足取りのアジテーター(笑)。三〇半ば越したらちょっとマズいかも知れないけれど、二〇代なら、一度は乗ってみて、どこへ連れ去られるか、そのスリルを味わうことも非常にいい経験ですよ。やはり、同じアジテーションに乗るなら上手い奴のそれに乗ったほうがいい。そういう意味で、寺山修司っていうのはいっぺんは乗っておくべきアジ技術の使い手ですね。ただ、やはり寺山は時代の子、という感じがある。エッセイ集など読んでも、七〇年代についてのかなり広範に及ぶイメージがないと乗り損ねる部分もあるでしょう。誰かそこらへんを丁寧にフォローした、『寺山修司へのハマり方』みたいな本を書いてくれませんかねえ。いや、誰も書かなければ私が書いてもいいけれど(笑)。
よーし、書いてもらおうじゃないか。三島由紀夫と連合赤軍について間違えている人に「七〇年代についてのかなり広範に及ぶイメージ」があるとも思えないし、寺山修司なんかそれこそ詳しい人はたくさんいるだろうから、かなり頑張らなくっちゃいけないとは思うけどね。
結局、読み終わっても「どうして唐沢俊一に話を聞きに行ったのか?」と首を捻ってしまうインタビューであった。寺山修司について調べるのは楽しかったし、唐沢俊一の「天然」ぶりも面白かったからいいけどね。寺山ファンに対してはご愁傷様としか言いようがないけれど。
※追記しました。
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