唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「『宇宙戦艦ヤマト』はわしが育てた」補論。

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・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。
・1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方は下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。

karasawagasepakuri@yahoo.co.jp


 夏コミのレポートを書くには気合が要るので、とりあえず書けるネタからやることにする。楽しみにしていた人には申し訳ないがしばらくお待ちいただきたい。


 さて、『検証本VOL.3』に収録されている「『宇宙戦艦ヤマト』はわしが育てたでは、唐沢俊一が唱えている「『ヤマト』ブームは札幌から起こった」という珍説について検証しているが、補足したい部分があるので追記しておくことにする。

 『中洲通信』2008年1月号に掲載された唐沢俊一のインタビュー記事「オタクの老後問題を語る」で唐沢は以下のように語っている。

 それであるときに同じような活動(引用者註 『ヤマト』の再放送嘆願運動)をしていた先輩から誘われたんです。「実は西崎(引用者註 義展)さんが『ヤマト』を映画にして上映する。そこでいろんな地方のファンクラブに署名活動を御願いしている(原文ママ)。そこで会いたいと言ってるんで、一緒に来てくれないか」と。そこで、当時札幌には四つか五つぐらいのオタクの原型のような活動グループがあったんですけども、そのグループのリーダーが集まったんです。私も「スカーレット・スカーフ」(『宇宙戦艦ヤマト』の副主題曲である「真っ赤なスカーフ」をモチーフにしたグループ名)というグループのサブリーダーをやっていたので、その集まりに出かけていって西崎さんと話したんです。

 この後、『スター・トレック』の名前を出したら西崎義展に喜ばれたというおなじみの話になるのだが、ここで重要なのは「いろんな地方のファンクラブに署名活動を御願いしている」という部分で、それならば「『ヤマト』ブームは札幌から起こった」とは言えないのでは?ということに当然なるわけだ。自分で自分が唱えていた説を否定しているんだからしょうがない。
 このインタビューの中には次のような発言もある。

 その当時、特にアニメ関係のブームは札幌から始まると言われていたんです。

 もしかすると、この「アニメ関係のブームは札幌から始まる」という話とかつて自分が行っていた再放送嘆願活動が結びついて、「『ヤマト』はわしが育てた」に発展していったのかもしれない。しかし、「アニメ関係のブームは札幌から始まる」も本当なのかどうか。あと、

普通再放送といえば年に一回程度なのに、年に三、四回も再放送するんですよ(笑)

とあって、そのせいで西崎義展は札幌に注目するようになったと言っているのだが、自分が調べた限りでは1975年3月から78年3月までの3年間に北海道で『ヤマト』が再放送されたのは3回なので、これも怪しい話だと思う。

 
 この他にも『検証本VOL.3』では、唐沢俊一の『ヤマト』関連の話がいかにブレブレなのかを紹介しているので、ぜひ読んでいただきたい。