スカトロガンガー。
飯塚昭三さんごめんなさい。
『電気グルーヴのオールナイトニッポン』の常連投稿者でこういう名前の人がいた記憶がある。
京極夏彦が村崎百郎の追悼文を書いている。この2人は高校の同級生だったと聞く。
「実はいい人」「事件はインターネットのせい」というのを否定していて、結果的に唐沢俊一の追悼文の逆を行っているのが興味深い。結局、誰かの死を悼むというのは自分自身が試されていることでもあるのだ、と実感させられる。人生観やら何やらがすべて曝け出されてしまうわけだからね。唐沢の「追討」が、本人の浅さを露呈してしまっているだけになっているのも、追悼という行為を甘く見ているせいだと思う。
本題。今回は『熱写ボーイ』9月号に掲載されている、唐沢俊一『世界ヘンタイ人列伝』第18回「平安のスカトロ男・平貞文」を取り上げる。
『オレの尻を舐めろ』という題名の曲がある。いったいどこのパンクバンドが作った曲か、と思うところであるが、実はこれはモーツァルトの作曲した歌曲である。モーツァルトはウンコの話が異常に好きで、恋人のことをそのラブレターの中で“ボクの小さいウンコ”と呼んだり、従姉妹への手紙の中ではえんえんと、ウンコをするときいかに気持ちがいいか、を力説したりするスカトロジスト(糞便愛好家)であった。
ほかに『俺の尻をなめろ』(K.231、K.233)というカノンも作曲するなど、これらは彼にスカトロジーの傾向があったとしばしば喧伝されるエピソードであるが、当時の南ドイツでは親しい者どうしでの尾籠な話は日常的なものでありタブーではなかった[34]し、またモーツァルトの両親も大便絡みの冗談をいっていた[35]。 19世紀の伝記作者はスカトロジーの表現を無視したり破棄したりしてモーツァルトを美化したが、現在ではこうした表現は彼の快活な性格を表すものと普通に受け止められている。また、上掲の「俺の尻をなめろ」"Leck mir den Arsch"、"Leck mich im Arsch" は英語の"Kiss my ass"(糞ったれ!など)と同類の慣用表現であり、やや下品ではあるが必ずしもスカトロジー表現とはいえない。
「クソ喰らえ」っていうのは別にスカトロじゃないしなあ。
一方で、恋人のウンコを想像して愛する者がいれば、ウンコを見て彼女を嫌いになろう、とする者もいる。日本説話中屈指のスカトロばなしとして好事家に気に入られ、芥川龍之介の短編『好色』にも取り上げられている、平安時代の貴族・平貞文である。
…ちょっと待て。「ウンコを見て彼女を嫌いになろう」というんじゃスカトロジストとは言えないだろう。『好色』は現在青空文庫で全文が読めるが、簡単に言えば名うてのプレイボーイが女性に見向きもされなかったせいでおかしくなって、とうとう「ウンコを見て彼女を嫌いになろう」とする話であって、別に糞便を愛好する話じゃない。…まあ、「糞尿の出てくる話」も「スカトロジー」に含まれるので一応「スカトロばなし」ではあるのだけど、出だしから引っ掛かってしまったことは確かである。
貞文はそこそこに当時有名な歌人であり、『古今和歌集』や『新古今和歌集』にもその唄がおさめられているが、それよりも彼の名前は、在原業平と並ぶプレイボーイとして、その頃の朝廷に鳴り響いていた。女と見れば娘だろうと人妻だろうと見境なくくどき、ものにしようとする。貞文のその恋模様を描いた『平中物語』という作品まである(三人兄弟の真ん中なので通称を“平中”と言った)。だが貞文が問題なのは、その『平中物語』における恋愛の推移を見ても、どうも一方的に貞文が惚れてふられて終るという、笑えない喜劇の側面が強いということである。
「ということである」って、『平中物語』を読んでないな。唐沢俊一が誇るあの何万冊の蔵書にもないというのは不思議だし、もし持ってなくても中野区の図書館にもちゃんと入っているんだから借りてくればいいのに。実際に読んでみると別に「笑えない喜劇」というわけでもないとわかるんだけど。
原典に当たるといいこともあって、例えば、『好色』に出てくるエピソード(『今昔物語』にもある)で、「せめて「見つ」の二文字だけでも返して欲しい」と手紙に書いたら、本当に「見つ」とだけ書かれた返事がきた、という話は『平中物語』の第二段にも出ていることがわかる。とにかく、プロだったら執筆の前に最低でも原典を読んでおこうよ。
それから、平貞文の「平中」というあだ名の理由については実はハッキリとした根拠がわかっていない。「三人兄弟の真ん中」というのは『好色』も採用している説で、「平中」を「平仲」とも書いたことから、いわゆる「伯仲叔季」で、「平仲」=平家の次男坊という意味だと解釈するわけである。まあ、「平仲」といえば沖縄が生んだ偉大なチャンピオン(沖縄のジムから初めて世界チャンピオンになったのだから偉大としか言いようがない)だろう、と思うのだがそれはともかく。しかし、貞文に兄弟がいたという記録は確認できていないのでこの説には疑問がある。もう一つの説は、「平中将」を略して「平中」と呼ぶことにしたというものだが、貞文は中将になったことがないので、これにも疑問が残る、というわけである。
で、この後、『今昔物語』『好色』にある貞文の話が紹介されている。
貞文は、この侍従に、何通も何通も手紙を書いた。毎日書いた。朝晩に書いた。後からのエピソードでもわかるが、彼の恋愛の手口はひとつしかない。“しつこく迫る”の一手である。歌を送るとなると、相手が根負けするまで延々と送り続ける。相手の家の周りをぐるぐる、ストーカーなみに徘徊し続ける。“好きです”という台詞を百万回、言う。
最初はヘキエキしている女性たちも、ついその熱意に根負けし、まあ、いい男には違いないのだから……と受け入れてしまえばもう、こっちのものだ。ある意味、恋の手練手管を駆使するタイプではなく、かなりストレートな中央突破タイプである。
これは唐沢俊一の行動ともカブるような。「アニドウ」に入るために長文の手紙を送りつけたとか、奥さんが毎日エアメールを送ってきた(ということは返事も出しているのだろう)とか。
今回気になったのは、文章が妙に「イマドキ」なことである。
だが、そういう貞文の自信を失わせるまでに、この本院の侍従の局はガードが固かった。何十通手紙を出しても、一本の返事もよこさなかった。ガン無視である。
……すると、翌日すぐに、返事が来たのである。貞文はホールインワンを出した石川遼みたいな気分になって、大急ぎでその文を開封してみた。
ガン無視よりタチが悪い激ブリである。
そんな女が、プレイボーイとだけでのみ名高いだめんずの貞文になびくわけがない。しかし、貞文はそういう風につれなくされるとさらに燃えるタイプだったらしく、今度は実際に屋敷に忍び込むという、現代なら完全にタイーホものの直接ストーキングに出た。
自分はおじさんなので若者の言葉には疎いのだが、「激ブリ」というのは「ひどい振り方をする」ということなのだろうか。「直接ストーキング」って「間接ストーキング」があるのか?と思うが。ともあれ、従来より文章が今っぽくなっているのが気になった。編集者から指示があったのだろうか。50歳を過ぎた人にはなかなか大変なことだと思う。ただでさえ流行に疎いのだし。
どうして、本院の侍従はこうまでガードが固かったのか。秘密がある。彼女は当時の朝廷における最大の権力者、藤原時平の女であったのだ。……もともとは、時平の叔父である藤原国経の妻だった。ところが、あまりにその美しさが評判だったため、時平が国経から彼女を取り上げて、自分のものにしてしまったのである。このエピソードは谷崎潤一郎が、『少将滋幹の母』に書いている。
大惨事が発生してしまいました。国経夫人(のちの時平夫人)と本院の侍従は全くの別人なのに、唐沢はゴッチャにしてしまっているのだ。まあ、『今昔物語』巻二十二の、時平が国経から妻を奪うエピソードにも平中は出ているから、そのせいでゴッチャにしてしまったのかもしれないが、それにしたって…。さらに言えば、唐沢は『少将滋幹の母』を確実に読んでいない。谷崎潤一郎『少将滋幹の母』(新潮文庫)P.8より。
ところで、平中が数ある女たちの中で、一番うつつを抜かして恋いこがれ、おまけに散々な目に遭わされて、最後には命までも落すようなことになった相手は、侍従の君―世に謂う本院の侍従であった。
この婦人は、左大臣藤原時平の邸に宮仕えしていた女房であるが、時平のことを本院の左大臣と呼ぶところから、この女のことを本院の侍従と呼ぶ。
ほらね。ちゃんと「宮仕えしていた女房」と書いてある。『今昔物語』巻三十にも「其の家に、侍従の君と云若き女房有けり」とある。…まさか、「女房=奥さん」というカンチガイをしたわけじゃないよなあ。
さらに。P.26〜28より。
尤も平中は、近頃侍従の君の一件が大臣の耳に這入っていはしないか、今にそのことを持ち出してチクリとやられるのではあるまいか、と云う不安があるところから、その晩はどうも調子が乗らず、内々警戒していたのであったが、
平中がどぎまぎしている様子を見て、時平は一層膝をすすめた。
「不意にこんなことを云い出して、変にお思いかも知れないが、あの北の方(引用者註 国経夫人)は世に稀な美人だと云う噂があるが本当かな?………なあ、これ、お恍けなさるなと云うのに………」
「いえ、恍けてなんぞおりは致しません」
懸念していた侍従の君のことではなくて、思いも寄らぬ人のことが問題になっているのだと分ると、平中は先ずほっとした。
このくだりを読めば国経夫人(のちの時平夫人)と本院の侍従が別人だと誰でもわかる。わからないのは読んでいない人間だけである。また、『少将滋幹の母』にも平中が本院の侍従の排泄物を見ようとした話が書かれているから、参考にできたと思うのだけど。…本当に谷崎潤一郎を読んでないんだな(詳しくは3月29日の記事を参照)。
この、貞文の復讐とは何であったか。それは“あいつがそんなに俺を嫌うなら、俺の方でそれ以上にあいつを嫌ってやる”というわけのわからぬ復讐だった。プレイボーイなんてのはそのレベルのものだ。
いや、唐沢俊一にはよくわかる発想なんじゃないの?
「手塚治虫が俺を嫌うなら、俺はそれ以上に手塚を嫌ってやる」
ってね。
なお、最近の研究者の中には、貞文が好きな女を嫌いになるためにその排泄物を奪ったというのは言い訳で、彼は最初から、好きな女のウンコが見たくておまるを奪ったのだ、と主張する人が多いそうだ。私もそちらの意見に与するものである。
そう考える根拠は何なのか教えてもらいたい。本当にそんな主張があるのか? …っていうか、その主張にこそ紙幅を割くべきだよなあ。
いやあ、今回も堪能させてもらった。…もはや俺も一種のスカトロジストなのかもなあ。
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