唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

もうひとつの『ヌイグルメン!』?

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・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。


 更新のペースが大分落ちていますが、5月半ばまではこんな調子なのでよろしく。


 唐沢俊一の新刊『本を捨てる!』(朝日新聞出版)が4月20日に出る予定だとジュンク堂書店のサイトにあったのだが、朝日新聞出版の4月発行の本のリストに入っていないうえに、BK1セブンネットショッピングでも買えなくなっている。セブンの方には「発売日が未定になりました。」とハッキリ書かれている。…一体いつ出るんだ。
 なお、4月2日に銀座シネパトスで唐沢俊一トークショーに出演したらしく、その模様がエアイベントブログで報告されています。…やっぱりウスくないかい? でも、本人はノリノリだったりする。

“特別出演”の唐沢です。特別出演って何だ? という感じですが、おとつい稽古サボ……じゃなくて休ませてもらって、お仕事で映画館でのトークに行ってきたのですよ。
その映画というのが、日本で1978年の『スターウォーズ』公開前に急いで作って公開しちゃえ、と大急ぎで作ったパチもん映画『宇宙からのメッセージ』。

それを久しぶりに見ていたら、中に“ミスター・特別出演”とも言うべき丹波哲郎先生が出てきて、この映画がSF映画でアル、なぁんてことを少しも意に介さず、まるで時代劇かヤクザ映画みたいな芝居をやってて大笑いしてしまいました。

……で、それ見たときに、“これだ!”と思ったんですね。

わぁったわぁった、特別出演というのは、他の人たちのペースに巻き込まれず、自分の芝居で押し通すポジションだ、って。
そう思ったら気が楽になりました。

 …丹波哲郎唐沢俊一じゃ同じ「特別出演」でもだいぶ違うんじゃないかなあ。

 規制を喰らって2ちゃんに書き込めない人はkarasawafan@wikiの掲示板を利用するといいかも。もちろん、うちのブログにコメントしていただいても大丈夫です。


 では本題。今回は唐沢俊一編著『なぜわれわれは怪獣に官能を感じるのか』(河出書房新社)より、唐沢俊一『SMと怪獣、異形と神力―またはゴムが果たした役割について』を取り上げる。同書P.122より。

 イギリスのフェチ・マガジン『マークィス』の二四号(二〇〇一年)表紙には、フェチ巨乳女優サマー・カミングス、日本名“夏くるよ”さん(ウソ)が、全身をゴム製衣装で包み、ゴム人間と化した姿が掲載されている。

 『マークィス』はドイツの雑誌らしい。あと、サマー・カミングスは“Summer Cummings ”なので「夏くるよ」さんにはならないと思う。

 P.124より。

(前略)昔は、女優の胸が果たして本物かそうでないかということで大の男たちがはげしく言い争ったりしたものだが、さすが二一世紀になると、そんなことはどうでもよくなる。いや、大きい、ということのみを価値として純粋に追い求めれば、本物偽物といったようなことはおのずと些細な問題となるわけで、価値観が多様化した、と見るべきなのだろう。むしろ彼女の人気は、その不自然さ、人工的な体型にある。妙に整った顔立ちも、人の手がどうも加わっていそうである。改造人間、と彼女を称しているネットサイトもある。その肉体を奇形的なまでに改造し、人間離れした形態のパフォーマンスを繰り広げるといった、自虐的なけなげさが、男の性感を刺激するのかもしれない。何にせよ、自然派の性欲とはほとんど縁のない女優と言えるだろう。

 今でも女優の「豊胸」とか「整形」とかはよく話題になっているけどなあ。「自然派の性欲」ってどんなものなのか。


 P.127より。

 ところが、その非・生物的なゴムが、生物の肉体の代用品の素材として、古くから用いられてきた、というところに皮肉がある。
 それは、ゴムの持つ可塑性と、弾力が人体の各部分を模倣するのに適していたためである。医学はその早い時期から、ゴムを失われた人体の補綴に用いてきた。義手、義足、またヴェルヌの『月世界旅行』で主要登場人物の一人J・J・マストンは、大砲で吹き飛ばされた頭蓋骨を、ゴム製(正しくは樹脂から作ったゴム状のグッタペルカという物質)の蓋で覆っていた。人体の部位を、そっくりに造型しながら、しかし、その感触が絶対に生物のそれではないという、いわばドッペルゲンガー的な不気味さが、ゴムには常につきまとう。

 正しくはJ・T・マストン(J.T. Maston)。ゴムに「ドッペルゲンガー的不気味さ」があるなら「肉体の代用品」には向いていないような気もするのだが。


P.128より。

 そして、生物の形象を、最も非・生物的であるゴムという素材で造型する大きな分野が怪獣映画であることを、ここに指摘しておきたい。

 なるほど。だから、ゴムフェチの話を長々と続けてきたわけか。ゴムが「最も非・生物的」な素材かというと疑問だが。金属とかどうなるんだろう。
 しかし、この後からだいぶヘンな話になってくる。P.128〜129より。

特に日本のぬいぐるみ方式の怪獣映画は、長いこと、“ゴム人形”という蔑称を、あちらの映画評論家からたてまつられてきた(中略)。

 日本の怪獣がゴム製であること、ゴムのスーツであるということを、なぜ彼らはこうも重要視するのか。性の暴走ということに関して、日本人よりはるかに先を行っている欧米人にとり、ゴムのスーツというものに、本質的な倒錯の臭いを彼らが嗅ぎ取っているのではないか、とまで読みとるのは無理なことだろうか。日本製怪獣映画という存在が、その初輸入以来ずっと、荒唐無稽、子供だまし、リアリティ欠如とあれだけ叩かれながら、ついにハリウッド版リメイクが作られるほどのカルト人気を得、そしてそのハリウッド版ゴジラの評判の悪さも、一にかかってぬいぐるみ方式を排除してCGにしたゴジラ像の魅力のなさにあるのではないかと思いを馳せるとき、ボンデージSMと怪獣という二つの間に、突如深いつながりが見いだせるのも事実、なのである。

 …いや、それはどうかなあ。単純に「安っぽい」と思われているんじゃないかと。おもちゃ屋で売られているゴムのトカゲやヘビを連想したのかも。ゴジラの着ぐるみからSMを連想するか?というのも疑問。怪獣マニアとSMマニアって別にカブるわけじゃないし。それだったらむしろキャットウーマンの方がずっとわかりやすい。ミシェル・ファイファーハル・ベリーまで行くまでもなく、『バットマン オリジナル・ムービー』のリー・メリーウェザーもなかなか。1966年の時点で既にこんな感じ。

少し脱線すると、『あの胸にもういちど』のマリアンヌ・フェイスフルは日本でも人気があるから、「本質的な倒錯の臭い」というのは、わりとあっさりと文化の違いを超えてしまうようにも思える。

 また、誤解されがちなのだが、ハリウッド版『GODZILLA』はフルCGではなく一部で着ぐるみが使用されている。それから、P.128で唐沢俊一1984年版『ゴジラ』のことを「一九八五年のリメイク版ゴジラ」と間違えて書いている。


 P.129より。

 怪獣映画の魅力というのは、スクリーン上における怪獣に観客が我が身を同化させ、その怪獣が繰り広げる破壊行為に、カタルシスを感じるところにあるだろう。

人間が変身・巨大化するスーパー・ヒーローなら、顔もそのまま人間でいいと思うところだが、日本では猿田彦の昔から、異形・異相こそ、神に近いパワーの現れであった。“醜の御楯”の醜の字は、異形に伴う力を表している。人を超えたパワーを持ちたい、という誰しもが胸の底に抱く願望は、異形のものになりたい、という願望と同一なのである。

 「醜の御楯」は『万葉集』にある「けふよりはかへりみなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは」という歌(防人の歌)にある表現で、この中の「醜」は防人が自らを卑下している言葉であるとする解釈が一般的である。


 P.130より。

 怪獣映画の魅力を構成する基本的な要素の一つに、人間が誰しも持つ異形の存在への変身願望があり、ゴジラをはじめとするアンギラスガラモンゴモラテレスドンエレキングタッコングバキシムベロクロンといった日本製の怪獣たちが、その変身の対象として、例えば古くは『原子怪獣現る』のリドサウルスや、近くは『ジュラシック・パーク』のティラノサウルスなど、あちらのモンスターよりも身近なものとなっている大きな要素が、日本の怪獣映画が、人形アニメやCGでなく、人間がぬいぐるみで演じる、つまりはより人間の体型や動きに近い存在である、ということにあるのはあきらかである。あの、ゴム製の、厚く重苦しく、ゴム臭くて通気性が悪く、視界もほとんど利かず、極めて暑苦しいスーツを身につけるという、そのマゾヒスティックな行為の代償として、われわれは、街を破壊しつくし、自衛隊のミサイル攻撃もものともせず、人間文明を徹底してあざ笑う異形のパワーを身につけることが出来るのである。

 「ガンダム論争」の頃とは真逆の意見だなあ。

しかも、「ゴジラ」の一応の成功がその後の怪獣映画を執拗なまでにヌイグルミ操演に固執させる結果を招きます。ヌイグルミ方式はどうしても怪獣の形態のバラエティに限界があり、しかも人形アニメ等の手のかかる特撮にくらべ比較的量産がきくため、いきおい似たようなキャラクターの安易な乱造につながっていく。脚本家だって、毎回頭をひねって凝ったストーリーなど考えられないし、ギャラだって安いから、いいかげんに書きなぐる。それだけだといかにも安っぽくみえていけないから、時折思い出したかのように平和だの愛だのといったテーマをちらばして(原文ママカッコウをつける。

 別の投稿では「オクルミ怪獣共」なんて表現もある。どうして考えを変えたのか教えてほしいものだ。
 
 …しかし、唐沢俊一の意見はよくわからない。まず、ファンが怪獣映画を「怪獣目線」で見ているのかどうか疑問だし、自分の場合は映画を見るときに怪獣を「本当にいるもの」として見ていて、スーツアクターの存在はあまり頭にない(たまに「あ、人が入っているな」と思い出してしまうけど)ので、唐沢の意見が理解できなくてもしょうがない。…まあ、自分の考えのほうが怪獣ファンの中では珍しいのかもしれないけどね。怪獣ファンはスーツアクターにかなり感情移入しなくてはいけないのだろうか。細かいことを書くと、『ジュラシック・パーク』の恐竜といえばティラノよりヴェロキラプトルなんじゃないかなあ。


 P.130〜131より。

 もちろん、異形には病的な面もある。イザナギイザナミの間に誕生した最初の子供は、水蛭子(ヒルコ)という、骨のない奇形児であった。骨がない、というイメージもまた、ゴムの持つ弾力、という属性に直結する。実際、怪獣スーツの中に入るということは、さまざまに奇形的な体型をとらされることを意味するのである。ハサミムシをイメージした怪獣、ツインテールの中に入った人間は、両手を上に縛されたような姿態のまま、ろくに足を使うこともできぬままに、体を大きく折り曲げる動きを強要される。シャプレー星人のあやつる地底怪獣、ギラドラスの姿からスーツを取り去ると、中に入った者の姿は、ちょうど両手を前に縛られ、頭を押さえつけられてひざまずかされた格好と同じだ。ギエロン星獣の腕はほとんど曲がらず、その姿は横棒に両腕を固定されたかの如くである。ガイロスも同じく、腕の関節を固定され、ひざまずかされている。これは例えば二・二六事件の首謀者が銃殺されたときに取らされた姿勢と同じである……。

 「怪獣スーツ」についていくつか疑問がある。まず、明らかにヘンなのはガイロスで、腕の関節を固定されていなければ(なにせ「蛸怪獣」だ)ひざまずいてもいない。『ノンマルトの使者』を一応見直してみたけど、ガイロスが海底を歩くシーンでガクッとなった。…どうしてこんなカンチガイをしたのかわからない。アイロス星人と間違えたのだろうか。それから、ギエロン星獣の腕が曲がらないのはその通りだが、腕を前方に伸ばすことはできる。ギラドラスはスーツアクターが立ち膝で演じている(脚を見れば一目瞭然)けど、「頭を押さえつけられて」というのは適当ではないような。


 P.131より。

 動きの不自由なゴムのスーツ中に、無力な姿勢で押し込められることで、逆にその者が無限のパワーを生み出す。この逆転現象こそ異形力の表れでなくて何であろう。父母から疎まれ、葦船の中に押し込められて流された水蛭子は、やがて兵庫県西宮に流れ着き、そこで成長して海の神となり、豊漁や航海の安全、交易の守護神としてその神力を遺憾なく発揮、ついにはエビスとして七福神の一人に数えられるほどの信仰を得るのである。
 サマー・カミングスがゴムの衣装を借りて人間の形状を失い(その胸のみはすでに非・人間的なものである故、剥き出しにされている)、通常の性の壁を飛び越えたカリスマを得られたごとく、怪獣たちは、ゴムのぬいぐるみのパワーにより、神と同等の力を得ることが出来たのである。

 さっきはヒルコとゴムのスーツを関係づけていたのに、今度はヒルコをスーツの中身と関係づけている。そもそもヒルコは押し込められなくても自分で動くことができないんじゃ。論理のアクロバットが激しいな。


 最後に、唐沢俊一はホーグ・レビンズ『快楽特許許可局』(イースト・プレス)で紹介されている豊胸手術は日本に由来している」という説を紹介しているが、この説に確たる根拠がないことは唐沢自身も認めている。なお、『快楽特許許可局』の監訳は唐沢俊一が担当しているが、この訳に問題があることを安岡孝一先生が指摘されている(まとめwikiを参照)。

 P.132より。

 このレビンズの説は、日本側の当時の資料にいまだ証明できるような記事を発見できないので、本当のところかどうかはわからない。しかし、自分の肉体をダイレクトに異形のものへと変形させるカミングスのような女優のルーツもまた日本にあるという考え方は、たとえ伝説にしても興味深い。異形神というそのイメージは、日本をその源として、アメリカでサマー・カミングスのような女優を産み、日本ではゴジラを筆頭とする無数の怪獣群を産んだ。共に、その変身に利用されたのはゴムである。ゴジラとカミングスは、ゴムを仲立ちにした兄弟なのだ。

 …あまりにも強引過ぎて眩暈がする。まず、「本当のところかどうかわからない」説を援用しているのが危なっかしすぎ。次に、豊胸手術に用いられるシリコンゴムとゴム製の着ぐるみの一緒にするのはどうなのか?と思う。「異形神」のイメージが人工巨乳とどう関係しているのかもわからない。…唐沢俊一はこれで論理的に説明できているつもりなのか、とても気になる。


 …個人的には、『なぜわれわれは怪獣に官能を感じるのか』に収録された2つの文章(3月10日の記事を参照)は、唐沢俊一の数ある文章の中でもワーストに近いものだと思う。事実誤認が多いうえに文章が破綻している。はっきり言ってトンデモだ。どうしてこうなったか?というと話は簡単で、『なぜわれわれは怪獣に官能を感じるのか』が唐沢俊一の編著だからである。ちゃんとした編集者がいないとこんなことになってしまうということなのだろう。…まあ、唐沢俊一が現在連載を持っている雑誌の編集者がちゃんと仕事をしているとも思えないのだが、短い文章であればなんとかなるものの、多少長めになるとボロが出てしまうのでは?と推測。
 …ひとつ面白いのは、怪獣の着ぐるみとフェティシズムといえば、唐沢なをきヌイグルメン!』(講談社)を当然思い出すわけで、兄の論考が弟に何らかの影響を与えたのか、気になるところであるし、唐沢俊一が『ヌイグルメン!』誕生に一役買っていたとしたら、今回紹介したトンデモな文章にもせめてもの救いがあったと言えるのだろうか(なんだか追討風)。


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なぜわれわれは怪獣に官能を感じるのか

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快楽特許許可局

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