唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

命名こやぎ。

ネットあされば ブログをぱくり
ちょっとごねれば 担当が折れる
折れりゃ 唐沢「パオーン」と鳴く


・リンク集に「kasawafan@ウィキ」を追加しました。唐沢俊一に関する情報をわかりやすくまとめてあるのでぜひごらんになってください。


2月27日(土曜)21時からフジテレビ系列で『トリビアの泉』が2時間スペシャルで久々に放映されるようです。われらがスーパーバイザーも関わっているのだろうか? なお、唐沢俊一と『トリビアの泉』の関係については『検証本VOL.2』で簡単に触れているので興味のある方はチェックしてみよう。スタッフの方にも一度話を聞いてみたいものだ。



・では本題。今回は1984年7月発行の『FILM1/24』第32号に掲載された、唐沢俊一のコラム命名考』を取り上げる。プロとしてデビューする前の文章だが、いろいろと後につながる問題があるのが興味深い。なお、この号には他にも『アニメ百馬鹿』『TVアニメのいろいろについて』という唐沢俊一が執筆した文章が掲載されている。
 『命名考』は、アニメーションなどに登場するキャラクターのネーミングに関する考察である。さっそく紹介してみよう。

 母親と一緒にTVの“懐かしの歌謡曲”の類の番組を見ていた――と、お思い下さい。池真理子という歌手がブラウン管に登場したとたんに、母が「あらァ、懐しい!(原文ママ) ベッテェ・ブーブ!」と声をあげた。
 画面をみると、なる程チンチクリン気味の背丈に頭デッカチ、髪にパーマをかけて大きなイヤリングをつけている。若いころはサゾ、ベティに似ていたであろうと思われた。
 それにしても、ベッテェ・ブーブとはまた大時代な呼び方と思 って母に聞いたら、それは母の父親のつけたアダ亡(原文ママ)だということであった。古クサイところが面白くてそう呼んでいたが、母の世代には、すでにこのキャラクターの通り名が“ベティさん”になっていた、という。この名称はかなり長期にわたって使用され、田辺聖子筒井康隆等のエッセイにも“ベティさん”で出てきている。

「“アダ亡”って“あだ名”ってこと?」「アダボウよ!」
などと思わず考えてしまったが、この話は実は「裏モノ日記」2003年7月29日ボブ・ホープの「追討文」の中にも出てくる。

“♪にぎやかなバッテンボー、指輪に飾りにバッテンボー”という、語呂だけで意味不明な歌詞の日本語版を歌ったのは池真理子だが、昭和40年代、懐かしのメロディというような番組で、この池真理子がこの歌を歌っているのを見た母親が
「あら懐かしい! ベッテエ・ブープ!」
 と大声を上げた。丸顔で短髪で、大きな耳飾りをつけている彼女のことを、母方の祖父がベッテエ・ブープとあだ名していたのだそうで、ベティさんでもベティ・ブープでもない、さらに一時代前のベッテエという呼称が、いかにも彼女の容姿にピッタリしていた……と、思い出はどんどんボブ・ホープを離れていってしまう。

 つまり、この文章を書く10年近く前の出来事だったわけか。ちょっとまぎらわしいな。なお、「裏モノ日記」の『ボタンとリボン』の歌詞は間違っていて、正しくは「指輪と飾りでバッテンボー」である。余談になってしまうが、『バッテンロボ丸』の「バッテンボー」はここから来ているんだろうなあ。

あれ? バッテンボーじゃないや。

 その後しばらく空白があって、完全な戦後世代はこのキャラクターを原版でしか知らないことになる。当然、その呼び名は“ベティ”もしくは“ベティ・ブーブ”と、アチラそのまま。これがまあ、僕の世代くらいまでで、それより下になると、TVのカラー版“ベティちゃん”とオナジミになっているわけだ。ひとつのキャラクターが四世代にわたって親しまれているのは他に例の無いこともないが、この場合、それぞれの呼び名が時代を感じさせているところが何とも興味深い。もちろん、一年かそこらで消え去ってしまう今のアニメキャラクターには考えられもしないことだろうが。

 最後の一節は日本とアメリカのアニメ放映についての違いをわかったうえで書いているのか気になる。アメリカのアニメがくりかえし再放送されているというのはよく知られていることだけど。カートゥーンネットワークの番組を見ていても「前に観たな」と思うことがよくある。

(前略)中には、原題や内容にいちいちあたってみないと何のことやら見当もつかないのがある。以前、古い映画雑誌に“浮かれ小鼠”(だったかな?)とかいう漫画映画のことが載っており、何だろうと思ってんでみたら(原文ママ)“トムとジェリー”のことだったのでビックリした事がある。“忠公の赤毛布”などというのもあったね。“赤毛布(ゲット)”そのものが既に死語となっている言葉である上に、ネズミを“忠公”などとあらわすのは、「ネズミは朝日にチュウチュウチュウ、我等も君に忠々々」などという、戦前教育の、文字通りシッポを引きずっている。(このデンでいくとカラスのキャラクターは“孝助”とでもなるか)

 『トムとジェリー』のエピソードで『浮かれ小鼠』という邦題の作品は見当たらなかったが、その代わり『浮かれ猫』(原題“CASANOVA CAT”)というのがあった。

じゃあ、『カサノバ・スネイク』は「浮かれ蛇」か。

 また、『忠公の赤毛布』はディズニーの短編アニメ“The Country Cousin”のことだが、邦題を正確に書くと『チュウ公の赤毛布』または『赤毛布の忠さん』で、現在では『田舎のねずみ』というタイトルでDVDに収録されている。
 しかし、ネズミの「チュウ」と「忠」をひっかけたからって「戦前教育」まで話がいっちゃうのか。

 それにしても、“デカ吉チビ助”とは曲のないネーミングである。日本人というのはそういうところ、実にイイカゲンだ。先程の“忠公”もそうだが、ウサギはピョン吉、タヌキはポン太で持ち切っているようなところがある。岩谷小波原文ママ)の“こがね丸”を読むと、牛が文角、狐が聴水、兎が赤目、虎が金眸大王などというすごい名乗りをしている。これはオーバーにしろ、もう少し考えて名前をつけてほしい。アチラの作家達は、主人公の名前を決めるのにかなりの気をつかう。ディズニーは最初、自分のキャラクターに“モーティマー・マウス”と名付けたが、子供に覚えにくい、という兄の意見を入れて“ミッキー・マウス”と名を変えている。名前は世界一短い詩である、という言葉さえあるのだ。――そういえば向うのアニメの主人公達には頭韻を踏んだネーミングが多い。ミッキー・マウスドナルド・ダックなどもそうだし、ピンク・パンサーバッグス・バニー、ポーキィ・ピッグ、リトル・ルル、ウッディ・ウッドペッカーなど、枚挙にいとまがない。脚韻の方ではチリィ・ウィリィ、ヘッケルとジャッケルなどがある。

 『デカ吉チビ助』はテックス・エイヴリー(アヴェリー)の短編アニメ“George&Junior”のこと。
 さて、このあたりから『命名考』の特徴である「日本をクサし、海外を持ち上げる」流れが始まる。しかし、唐沢青年はアメリカのアニメのキャラクターのネーミングを褒めているが、アメリカではそれらのネーミングが日本の「ピョン吉」「ポン太」同様に他愛の無いものとされているのではないか?と思ってしまう。『こがね丸』のキャラクターのネーミングを褒めておきながら「オーバー」と言うのも何が何だか。ちなみに、「ミッキー・マウス」という名前を勧めたのはウォルト・ディズニーの奥さんのリリアンである(東京ディズニーリゾート公式サイト)。

 そして、子供向けにはこういう凝った名前をつけ、大人向けになると逆にどこにでもあるような名前の主人公を登場させる。シャーロック・ホームズジェームズ・ボンドも、作者の知り合いなどから適当にとって付けたものだ。

 だから、アメリカのアニメのキャラクターのネーミングが「凝った」ものなのかどうか疑問なのだが。韻を踏んでいれば凝っていると言えるのか。
 ここで一応説明しておくと、シャーロック・ホームズの名前の由来については、『詳注版シャーロック・ホームズ全集Ⅰ』(ちくま文庫)によると、「シャーロック」はかつてアイルランドにあった「シャーロック家」またはクリケットの選手からとったとされ、“The Sherlock Holmes Society of London ”ではアルフレッド・シャーロックというヴァイオリニストからとったとされていて、諸説あるようだ。一方、「ホームズ」のほうははっきりしていて、アメリカの作家オリバー・ウェンデル・ホームズ(この人の息子はアメリカ連邦最高裁の裁判官として知られている)からとったとされている。ちなみに、ワトソンはコナン・ドイルの友人である「ジェイムズ・エルムウッド・ワトソン」からとったとされている(前出『ホームズ全集』より)。
 そして、ジェームズ・ボンドイアン・フレミングが愛読していた本の著者である鳥類学者の名前を借りたものとされている。

 日本ではまったく逆である。子供には“善太と三平”“次郎物語”などというのを与えておいて、大人は“眠狂四郎”“机龍之介”“法月弦之丞”などというネーミングの主人公が登場する小説を読んでいる。国民性の違いと言えようか。もちろん、子供向けにも凝った名前が無いこともなかった。もっとも顕著なのが少女小説で、そこの主人公(ヒロイン)たちには、宮園千草とか、松風さよりといった、宝塚が引越してきたような名が与えられていた。これの系譜につらなるのが今の少女マンガで、そのキンキラキンのネーミングはさらにエスカレートして、八百屋の娘が“瑠美奈(るみな)”だったり,”詩織霧(しおん)”だったりする。八百屋の娘がこういう名では悪いという法律はないけれど、描写力が無いからそのヒロインの両親が父ちゃん腹がけ、母ちゃん割烹着、とてものことに左様なショッた名を付ける両親には見えない。シラケるだけである。(註1)

 山本周五郎の『さぶ』というのもあるけど(あれは栄二が主人公なのかな)。興味深いのは少女小説の話が出てくることで、唐沢俊一はこの時点で既に少女小説のコレクションを開始していたのかもしれない。少女漫画にケチをつけているけど、それほど少女漫画を読んでいるとも思えない唐沢にあれこれ言われても、と思う。
 ところで、文章の最後に(註1)とあるね。どんな註がついているのか見てみると。

(註1)もちろん、少女マンガにもすぐれたネーミングはある。萩尾望都の“11人いる!”で一番感心したのは、キャラクター達の本名(フルネーム)と呼び名を使いわけていることで(SFとしては大したことのない作品だが)こういう感覚は男性作家にはないものだ。また、しらいしあいの“ばあじん・おんど”で、主人公(ヒロイン)の名が“はさみ”というのを知ったときには思わず感嘆の声をあげた。

 フロル好きの俺に謝ってほしい。…いや、唐沢俊一P&Gで頭に来ることはめったにないんだけど(大抵は呆れるかガッカリするか)、この文章を読んだ時は妙にカッとなってしまった。別に萩尾望都ファンでもないんだけど。人の怒りのツボはどこにあるのかわからないものだ。
 …それにしても、何を根拠に「SFとしては大したことのない作品」と言うのだろう。そういえば、唐沢俊一は「昔はSFファンだった」みたいなことをよく書いているけど、どんな作品が好きなのかはよくわからない。あと、『ばあじん♪おんど』のヒロインは本名が「朝美」であだ名が「はさみ」。

 アニメから少し離れてしまったが、リアルになってきている今のアニメ作品のネーミングでも、そのセンスにおける彼我の差はなお、歴然としているように感ぜられる。“ファンタスティック・プラネット”に登場する二つの種族、“オム”と“ドラーグ”はうまでもなく(原文ママ)“ヒューマン(人間)”と“ドラ■ン(悪魔)”であり、黙示録にあるハルマゲドンを連想させるようになっているし、逆に“ウィザーズ”に登場する殺し屋の名前は何と“ピース(平和)”と言うのである。この皮肉、それに較べると日本のロボットアニメのカタカナ名前共の何と芸のないことよ。ゴッドマーズだのコンバトラーだのといったジャパニーズ・イングリッシュは叛乱しているし、ダグラムだのダンバインだのというガ行ダ行の音を並べた名前が耳に障って仕方がない。都筑道夫が、“宇宙からのメッセージ”のガバナス星人という名を「“ガヴァニス”(おんばさん)を連想させてどうもよくない」と書いているが、僕も、あの“ガンダム”という名をはじめて聞いた時には思わず吹き出した。例のゴム製品の生みの親といわれるイギリスのカンダム大佐の名前を思い出したからである。

 ■は判読不能
 結局、「ガンダム論争」でおなじみの「日本ダメ! 海外最高!」なんだよなあ。まあ、「海外アニメのネーミングは優れている!」と言いたいなら別にいいんだけどね。殺し屋の名前が「ピース」だから「皮肉がきいている」と感激しても全然かまわない。でも、『ファンタスティック・プラネット』の「オム」はフランス語の“Homme”から来たと書いた方が適切。意味は同じなんだけれども。
 あと、後半部分は「ガンダムとコンドームは響きが似ている」とはっきり書けばいいのに。こんなのもあるしね。ちなみに、コンドームの語源については諸説あるが、一番有力なのはイギリスのコンドーム医師に由来するという説である(相模ゴム工業公式サイト)。

 これはいささかヒドい例にしても、見る方に変な連想をさせたり、余計な固定観念を抱かせる命名は避けるべきであろう。(註2)“カリオストロの城”のクラリスや、“ぼくパタリロ”のバンコランなどは、ルブランやカーの読者には当然小説の方のキャラクターを連想させてしまい、そのギャップを埋めようとする分、その(アニメの方の)キャラクターへの感情移入が遅れることになりかねない。小説の方のファンであればなおさらである。(註3)

 註2、註3は省略する。
 つまり、既存の作品からキャラクターの名前を借りるな、ということらしい。その理屈だと実在の人物から借りるのもダメなんだろうか。しかし、クラリスのネーミングにいちゃもんをつけるのは理解できない。だって、ルパン三世はアルセーヌ・ルパンの孫という設定なのだから、ルパンが登場する『カリオストロ伯爵夫人』のキャラクターから名前を借りるのはおかしくもなんともない。「批判しよう」という気持ちが先走っておかしなことを言っているのだろうか。

 また、日本のアニメもおいおい海外に市場を求めることになるだろうが、その際にハジをかかないようにするため、タイトルや主人公の名前にも充分に気をつけるようにしてもらいたいものである。“銀河鉄道999(スリーナイン)”の英語版タイトルが“ギャラクシィ・エクスプレス”のみで999とついてないのは999をスリーナインなぞとは英語で決して読みゃしないためであるし、同じ作者の原作になる“キャプテン・ハーロック”には“ミーメ”という女性が出てくるが、ミーメとはジーグフリート伝説に登場する盲目の巨人である。ドイツ人がこれを見て、女性がミーメと名乗ったら大笑いするに違いない。

 「999」は「トリプルナイン」なのかな。それはさておき、唐沢俊一は知らなかったのかもしれないが、『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』は1978年に“Albator, le corsaire de l'espace”というタイトルでフランスで放映されている(フランス版ウィキペディア)。ミーメは“Clio”という名前になっている。…こういう事情を知ったうえであれこれ言ってるのかな。ちなみに、ダフトパンクのメンバーは子供の頃に『ハーロック』を観ていたそうで、それで松本零士がPVを制作することになったという。…なんだかネーミングにいちいちこだわるのがアホらしくなる話だ。
 というか、それ以前に、ミーメは『ニーベルングの指環』に登場する小人である。逆だよ、逆。


 この後、「ルパン三世」という呼び方は間違いだという話になる。

“アルセーヌ・ルパン三世”、または“アルセーヌ三世が正しい名であり、“ルパン三世”とはまず絶対に称さない。フランスで綿々と続いたルイ王朝の名字はカペーであったが、カペー何世とは言わないのは周知のとうり(原文ママ)。ルイ十二世、十三世などという風に呼ばれたのであり、その後を襲ったボニーことボナパルトの一族もまた、名前の方でナポレオン一世、二世といった具合に勘定されるのである。

 「アルセーヌ三世」の後の引用符が抜けているのは原文通り。で、「ルイ王朝」というのはブルボン朝のことを指すので、「綿々と続いた」というのは不適切。ヴァロワ家もブルボン家カペー家の分家なので「カペー家」の王朝が「綿々と続いた」とは言えるのだろうけど(ルイ16世は裁判にかけられるときに「ルイ・カペー」と呼ばれていた)。


 続いて、日本の作品が海外に輸出されると、作品のタイトルやキャラクターの名前が変わることがあると指摘している。

アチラとこちらの感覚がまた、かなり違う。こちらでのいタイトル(原文ママ)をそのまま英訳すれば通ずるというものではない。アトムは“アストロボーイ”、鉄人28号は“ジャイガンター”になった。ヒーローばかりではない、怪獣もそうだ。アンギラスガイガンティス、メカゴジラはバイオニック・モンスター、ラドンロダンだ。

 残念ながら、アンギラスの名前だけ間違えている。簡単に説明すると、『ゴジラの逆襲』のアメリカ版のタイトルが“Gigantis the Fire Monster”で、“Gigantis”(ジャイガンティスと聞こえる)というのはゴジラのことなのである。アンギラスアメリカでは“Anguirus”。

アンゴラス」と聞こえる。

ゴジラはGOD=ZILLAと発音されるが、これはたぶん“ジラ怪物(毒トカゲ)の魔神”といった意味を持っているのだろう。ゴジラも毒トカゲにされてしまってはカタなしである。

 これはアメリカ版『GODZILLA』が「ジラ」と呼ばれていることを考えると予言めいていて少し面白い。

いちばん笑ったのが“仮面ライダー”で、“フランケンシュタインズ・カンフーモンスター”ときた。これは日本名以上のケッサクではあるまいか。語呂もずっといい。――とにかく、これだけの感覚のへだたりがあるのだ。アニメーションも世界的水準を目指すなら、キャラクターの名前も世界に通用するような(通用させておかしくないような)ものを、よく考えて命名すべきだと思う。

フランケンシュタイン=改造手術
カンフー=ライダーキック
モンスター=怪人

…まあ、意味はわかるけど。っていうか、「仮面ライダー」の方が語呂はずっといいってば。ただ、ここでの面白がり方は、後年の「裏モノ」を取り上げた時の唐沢俊一を見ているかのようで興味深い。それまでマジメ一辺倒だっただけに余計にそう思うのかもしれない。


『閃電騎士』(台湾版『仮面ライダー』)がヨーロッパ(ドイツ語圏?)に輸出された時につけられたタイトルが“Frankensteins kung fu monster”なのではないかなあ。…それにしても『閃電騎士』、味がありすぎだ。

 “名乗り”の“乗り”は祝詞(のりと)の“祝(のり)”だそうだ。自らの名を名乗るとき、人は神に対峙することになるという。そこまで大仰ではないにしろ、人が作品に大したとき、まっさきに覚えようとするのが主人公の名前である。これがいいかげんであると、ひいては作品そのもののセンスさえうたがわれかねない(註4)角川アニメの“幻魔大戦”に僕がまず乗りそこねたのも、“東丈(あずま・じょお)”という古くさい少年マンガ風ネーミングと、大友克洋のモダンなタッチのキャラクターがうまく結びつかなかった為である。石森章太郎のキャラクターにこそお似合の名なのだ。あれは、名前が絵柄を選ぶのである。

 「あずま・じょう」な。「ひがし・じょう」だと『餓狼伝説』だけど。個人的には「東丈」ってシャレた名前だと思うけどなあ。…しかし、キャラクターの名前でなんでもかんでも判断してることに驚かされる。では、「註4」を見てみよう。

(註4)最近のSFアニメではアムロ・レイだの、ガルマ・ザビだのといった妙てけれんな名が大流行りである。これは出来るだけ話を現実離れさせようとする意図があるようだ。それはいいのだが、そういうネーミングの中にもやっぱり、シャ・アズナブル(原文ママ)とか。(原文ママフラウ・ボウなどといったパロディなのやら何やらわからぬのがまじってしまい、結局現実の尾を引きずってしまうところがこのテの作者のセンスの限界であり、いささか情けない気がする。

 結局のところ、ネーミングの良し悪しを決めるのは唐沢青年の匙加減でしかないんだな、と思う。独特の名前をつけていたら「妙てけれん」だもんなあ。じゃあ、どんな名前なら満足するのかわからないから困る。あ、殺し屋に「ピース」という名前をつければいいのか。

 そして、名前は、演出も選ぶ。先に挙げた例で、イアン・フレミングがその作品の主人公にジェイムズ・ボンドという無個性な名を選んだのは、平凡な市井人である読者達が、誰でも自分自身の姿を作中のスーパー・ヒーロー・スパイの姿に重ね合わせられるように、という配慮であった。ところが、それを映画にする場合には事情が違う。この名前と、役者ショーン・コネリーの顔とが観客にシッカリと結びついて記憶されるようにしなければいけないわけだ。そこでテレンス・ヤング監督は、その初登場シーンで主人公に、「I'm Bond. ...James・Bond.」という、かの有名な名乗りをあげさせた。ジェイムズ・ボンドという平凡な名が、ここで強烈なイメージとなって観客の脳裏に焼きつく。

 『ドクター・ノオ』でジェームズ・ボンドが初めて登場するシーンを見ているとボンドの顔がなかなか見えないことに気づく。背中や手元は見えても顔は見えない。そして、初めて顔が見えるのが「ボンド。ジェームズ・ボンド」と名乗るときなのである。テレンス・ヤングは『ドクター・ノオ』のDVDコメンタリーでボンドの顔を見せないようにしたと語っているが、それと同時にコミカルにしようとしたとも語っている。そう言われてみると、初めて名乗るシーンで「ボンド」と「ジェームズ・ボンド」の間にライターの蓋が閉まる音が入っていたりする。「ボンド。(カチッ)ジェームズ・ボンドというわけだ。

 同じ作者の原案になるTVシリーズの主人公が、“ナポレオン・ソロ”、“イリヤ・クリヤキン”という平凡ならざるネーミングになっていることに御注意ありたい。金をはらって映画館へ入っている以上、観客のほぼ100パーセントがスクリーンに注目していることを期待していい映画と違い、とにかくまず視聴者にブラウン管の方を向かせることをしなければならぬTVとしては、出来るだけ目立つ、ユニークなネーミングで視聴者の目を主人公にフック(ひっかける)させ、ストーリィの中に強引ぎみにひっぱり込まなければならない。

 つまり、スパイ映画の主人公の名前=地味、スパイもののTVドラマの主人公の名前=派手、というわけだ。まあ、ハリー・パーマーは地味だけど、マット・ヘルムやデレク・フリントはそんなんでもないような。あと、『スパイ大作戦』のジム・フェルプスは地味だけど、「おはようフェルプスくん」のおかげで彼の名前はかなり有名だ。視聴者を引きつけるためにインパクトのあるネーミングをする必要はないのかもしれない。

 小説、映画、TVと、命名の技術だけでもそれぞれに違う。そんなこともわきまえず、無闇とTVの映画化、映画のTV化ばかりやっている昨今のTV人、映画人はマコトに愚かしいと言わねばなるまい。
 ネーミングは技術であり、心である。押し着せ(原文ママ)でない、血の通った、すぐれた名のアニメ・キャラクターが登場することを我々はもう少し、熱心に要求してもよろしいようの思うのである(原文ママ

 以上!
 …しかし、この文章を書いた時点で唐沢俊一は小説なり脚本なりひとつでも書いたことがあるのかなあ。いや、ここまで言うんだったらそれなりのことはしているんだろうな?と思ったもので。「ネーミングは技術」というなら多少なりとも心得ているのかと気になる。…邪推すると、よくありがちな「キャラクター設定や世界観にはものすごくこだわるのに肝心の話は書かない」というパターンのような気が。あ、でも、唐沢俊一は『血で描く』という長編小説を書いたからね。主な登場人物の名前を挙げておくと、「茅島新」「笹森たまか」「沼波恭一」「芦名浩太郎」「古城佳織」「姫井戸晃子」「久留間」といったところか。唐沢のネーミングセンスの有無についてはみなさんに判断をゆだねることにしたい。


 長かった…。丁寧に指摘したから疲れた。最後に自分が『命名考』を読んで気づいたことをを簡単にまとめておくことにしよう。長い文章を整理するという意味もある。

(1)情熱を感じる
 これは素直にそう思う。いくつかのガセビアはあったものの、かなりたくさんの知識を詰め込んでいるあたり、「何かを表現したい」という気持ちはひしひしと伝わってきた。例えば、「キャラクターのネーミングの由来について」とか「キャラクターのネーミングの日米の違い」という具合にテーマを絞っていれば、面白くなったかもしれない。しかし、残念ながらそうならなかったのは…、
(2)「日本ダメ!欧米サイコー!」という思考パターン
 これのせいだ。「ガンダム論争」でもたびたび見受けられた考え方だけど、どうしてそんな風になっちゃったんだろう。そして、その考え方からどうやって抜け出せたのか。一度本人に説明してほしいものだ。唐沢青年は世界に通じない日本のアニメのネーミングを批判していたけど、アメリカのアニメが日本に輸入されてきた時にキャラクターの名前が変えられることについてはどのように考えていたんだろう。たとえば、“Dastardly&Muttley ”が「ブラック魔王とケンケン」になったりしているのだけど、これは唐沢理論だとアメリカのアニメは世界に通じていないってことになるんじゃないかな? アメリカのアニメのキャラの名前が凝っているという話も疑わしい。
(3)なんでもかんでも名前のせいにしすぎ
 …このように書いて「なるほどね」と一人で納得してしまった。だって、唐沢俊一は今でもひとつの論点に強引にまとめてしまいがちだからね。そういうところは昔から変わっていないわけだ。名前がダメだからって話までダメなわけじゃないし、逆に話が素晴らしければ平凡な名前のキャラだって魅力的に見えるようになるのだと思う。名前と設定にこだわりまくってストーリーはボロボロ、なんて話は見たくもないしね。
(4)価値判断がきわめて独断的
 『命名考』を一通り読んでも、どういう名前がいいのか結局のところよくわからないし、「あれはダメ」「これはダメ」とやっつけていってるから、唐沢青年の言うとおりにしていたらキャラクターの名前はつけられなくなってしまうような気もする。なんだか不毛だ。それに『11人いる!』をクサした理由もわからないしなあ。
(5)間違いが多い
 1984年当時は現在に比べて調べ物をするのはだいぶ難しかったとは思うが、やはり間違いが多すぎる。


 現在の唐沢俊一と変わった点があれば、変わらない点もあって、唐沢問題を考える上ではかなり興味深い検証になったかと思う。

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