唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

俊ちゃんのヰタ・セクスアリス。

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・初めての方は「唐沢俊一まとめwiki」「唐沢俊一P&G博覧会」をごらんになることをおすすめします。


 藤岡真さんのブログの1月11日のエントリーにこのようなコメントが寄せられていた。

reds_akaki 2010/01/30 00:37
既出かも知れませんが嘗て日刊ゲンダイに「私のヰタ・セクスアリス」という
著名人が女性のインタビュアーに過去の女性経験を答えるというコラムが在り
そこで唐沢俊一が答えていました。偶々紙面を見て見つけid:johanneに話した記憶が在ります。
河出文庫版「私のヰタ・セクスアリス」は確認していませんが多分載っているのでは。

 唐沢俊一が女性経験を語っているとは。ウォッチャーとしては見逃せない。早速探してみると、問題の唐沢のインタビューが日刊ゲンダイ編集部編『私のヰタ・セクスアリスⅠ』(河出文庫P.179〜182に収録されているのを見つけた。これがとても面白いので、今回紹介してみることにする。情報を提供していただいたreds_akakiさんに感謝するとともに、情報を横取りする格好になってしまったことに対して藤岡さんにお詫びしたい。

 昭和三十三年生まれですから、いわゆる思春期が四十年代後半。まさに第一次オタク世代ですね。一般にオタクはクライ、サムイ、ムサイと思われてて、異性はもちろんのこと対人関係ベタといわれてるけど、ぼく自身は女の子との関係がヘタという自覚はないんです。

 最初からこれだもの。なんというドンファン。まあ、「本当は女の子とのつきあいがヘタなんだけど、本人にその自覚がないだけ」という可能性もあるけど…、いやいやまさか。

 小・中のころはマンガとかアニメのキャラクターの女の子とか声優の女の子とかにけっこう夢中でした。札幌の生まれなんですけど、札幌の地下鉄・大通駅にあった本屋さん、その近くの喫茶店がぼくらオタクの集会所みたいになってて、学校と家以外はほとんどそこに集まってました。

 さて、具体的にどういう「マンガとかアニメのキャラクターの女の子」が好きだったんだろう。唐沢俊一が「萌え」ていたなんて話は聞いたおぼえがないし、本当に「萌え」ていたのなら最近の若いオタクを批判することもないと思うんだけど。それから、唐沢俊一が「小・中のころ」に認知されていた「声優の女の子」って誰なんだろう。当時、今のアイドル声優みたいに注目されていた若い女性声優っていたのだろうか。
 …邪推すると、これは「自分はオタクですよ」とアピールしようとしてスベっているのではないだろうか。最近のオタクならアニメの女の子に萌えたり、声優の女の子を好きになるのは別に珍しいことではないが、それをそのまま「70年代のオタク」にあてはめようとしたから妙な感じになった、という気がする(念のために付け加えておくと70年代には「オタク」という概念はなかったわけだが)。

 見たいアニメの再放送をテレビ局に署名嘆願したり、取り上げてほしいマニア・ネタの注文出したりしてましたから(原文ママ)、東京発じゃない特異なマーケット事情が発生してて、東京からレコード会社やコミック業界の人たちが調査に来てたりしてました(笑い)。「宇宙戦艦ヤマト」のブームがそこで火がついた。今のアニメ・ブームは実はそこから始まったというのが定説になってます。

 お前はライフスペースか。唐沢俊一は事あるごとに『ヤマト』のブームは自分が火をつけたと主張しているが、それがウソであることは既に検証済みの定説である。「唐沢俊一まとめwiki」の「経歴・年譜」を見ただけでもおかしいとわかるし、2008年10月28日の記事も参照。『ヤマト』のファンですらないんだもの

 すでにお察しでしょうが、初めての相手は、そのグループに出入りしていた女の子のうちの一人です。
 女の子もオタクはメガネ、デブ、ネクラといわれがちですが、彼女は地元の医院の次女で、かわいかった。三つ年下だったから、ぼくが高三で彼女が中三。
 でも、すぐにそうなったわけじゃないんです。周りはもうクッ付いたり離れたりにぎやかでしたけど、ぼくはリーダー格だったんで忙しかった。それにミッションの男子校ということもあって、多少自制の気持ちも働いたかもしれない。

 ここで相手の女の子の具体的な情報が出てきた。「三つ年下」「地元の医院の次女」ね。覚えておこう。唐沢俊一はサークルのリーダー格だったと発言しているけど、『古本マニア雑学ノート』(幻冬舎文庫)P.150、152では

まあ、あのころは、他人から見れば革新的なことをいろいろやっていたのかも知れないが、所詮は予備校生の片手間の遊びである。もう少し誰かがリーダーシップを取っていれば、まとまったものを活動の記録として残せたのだろうが、結局、コピーの会報を何部か出しただけで、いつの間にか空中分解してしまった。

と書いているので、そんなに大したこともしてなかったようだ。

 そのうえ進路希望に関して親との間に確執があって、それがけっこうぼくを憂うつ(原文ママ)にさせてました。けっきょく東京で浪人するんだけども、マニア団体の結束やなにかで札幌に帰ることもある。

 わーお。過去を語るたびに事実が変わる唐沢俊一の超能力が発動してしまった。「東京で浪人」って今まで言ってたことと全然違うじゃないか。

「マイコミジャーナル」のインタビューより。

「僕は、『ヤマト』のファン活動をするために、わざと1年浪人したんですよ(笑)。北海道に残りたくて」

「それまで東京の文系の大学に行くための勉強をしてたのに、突然親に『北大の理系を受ける』と言って。すると、親は喜ぶじゃないですか。ウチが薬局だから、継いでくれるのかと思って。でも、そんなの受かるわけがない(笑)」

『古本マニア雑学ノート』P.141〜P.142より。

そんなこんなで高校時代は過ぎていった。大学は理系を受験したが、もともと数学は大の苦手だった上に、古書店めぐりばかりしていて勉強を全然していなかったから、受かるわけもなく、一年浪人するハメになった。
 しかし、この浪人時代の一年は、その後の僕の人生を大きく変えた。それまで古書趣味のような、どちらかというと孤独な趣味に走り、友人もあまり多くなかった僕だったが、当時札幌の地下鉄の駅前にあったNという書店の伝言板に、SF・アニメ同好会の会員募集があり、そこに入会したのだ。

『トンデモ創世記』(扶桑社文庫)P.22より。

 そういう活動が忙しくって、わざと一浪したんですよ。ファンクラブ作って一年で僕等が卒業してしまうと、札幌の活動は壊滅状態になるということで。

山田五郎20世紀少年白書』(世界文化社)P.137より。

僕だって、漫画やアニメや特撮から卒業するのがちょっと遅れてるだけで、大学に入れば卒業するだろうと思ってましたからね。叔父の関係で演芸や演劇も好きでしたし、小説なんかも書いてみたかったし、出版の分野にも首を突っ込んでみたかった。だから1年浪人して『ヤマト』ファンクラブの基礎固めをし終えたところで、東京に出たんです。

 …はい、どれも「札幌で浪人した」ことになってますね。どうして『日刊ゲンダイ』でのインタビューでだけ「東京で浪人して、たまに札幌に帰る」という設定になっているのか、本当に謎。こんなんだとモテ話まで疑わしくなってしまう。

彼女は高一になっている。で、その年(十九歳)の冬休みでしたかね、ぼくの家で。二人とも初めて。
 札幌という土地はちょっと日本ばなれした性的に自由な土地で、彼女もいいところのお嬢さんだけどススんでましたね。家を出て暮していたお姉さんの影響もあって、背のびしたがっていたらしい。初めての日はだから「一大決心して来たのよ」みたいなこと言ってました。
 それからは帰郷するたびに中の島や北二十四条のラブホテル街でやりまくりました。

 ちょっと今から札幌まで行ってこようかな。このブログの読者には北海道在住の方もいらっしゃるようだから、本当にそうなのかどうかご意見をお待ちしています。
 それにしても、札幌のサークル時代にはケンカ別れした女の子がいたというし、東京の大学時代にも神保町でデートした女の子もいたというから(詳しくは2009年2月27日の記事を参照)、唐沢先生ってマジでドンファンだし、「知らない!」とか「一大決心して来たのよ」とか女の子から名ゼリフがいちいち飛び出すのが凄いよねえ。

 彼女が高校生の間は札幌での関係でした。卒業して、いったんは道内の大学の薬学部かなんかへ行くんですけど、どうしてもマンガ家になりたいと言って上京してくることになった。
 向こうの親はふたりがそこまで進んだ仲とは思わないから、「東京での保護者になっていただきたい」みたいなこと言って、「下宿も紹介してもらえないか。どうかよろしくお願いします」なんて言ってる(笑い)。それで、歩いて五分ほどのアパートにしっかり捕獲してましたね(笑い)。

 えーと、唐沢俊一は大学時代に阿佐ヶ谷の下宿で唐沢なをきと同居していたらしいから、弟さんに聞けば本当かどうかわかるかな。
 しかし、「マンガ家になりたい」というのは、2ちゃんねる初代唐沢俊一スレッドの書き込みを思い出させる。

18 名前: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 投稿日: 2000/10/27(金) 16:11

バイセクシャルだというのはホントなのでしょうか?



24 名前: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 投稿日: 2000/10/27(金) 22:24

>18さん。

札幌時代の彼、バイセクどころかもててたなあ。自他ともに認める中 だけで三人、おっかけだと五人以上女性がいた。東京に出てからは知らないけれど、女に飽きて男に走った、と言われても俺は信じる。



25 名前: >24 投稿日: 2000/10/27(金) 22:59

その話、おもろいので詳細プリーズ



27 名前: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 投稿日: 2000/10/28(土) 04:51

24です。

おもろいかどうかわからないけど、あのころの彼はまあ、ドンファン でしたよ。ただ、おっかけのひとりで、札幌在住の高名文学者の娘が いて、彼女がつきまとって、結局、唐沢氏を追って東京にまでついていってしまった。これを切るのに唐沢氏は相当苦労したみたいです。

彼女いま、4こままんがを描いているらしいが。

 ちなみに、このスレッドは唐沢俊一が自分で立てたものである2009年2月19日の記事を参照)。
 さて、「東京にまでついていって」「4こままんがを描いている」あたりはインタビュー中に登場する女性と符合するが、インタビューの女性は「地元の医院の次女」で、2ちゃんのカキコには「札幌在住の高名文学者の娘」とあるので、そこは符合しない。ただ、唐沢俊一中野美代子の姪と昔付き合っていたらしい(「裏モノ日記」2000年5月5日)ので、「中野美代子の姪」で「地元の医院の次女」であるというなら一応辻褄は合う。

 まぁ、このころまでが蜜月でしたねー。というのは、ぼくは文系の学生だったわけだけど、家が薬局なもので、親としては長男のぼくに家業を継いでもらいたい。ぼくも親の気持ちがわからないわけじゃなかった。けっきょく大学を終えて、仙台の大学の薬学に入りなおすんです。だけどイッセー尾形の外部スタッフとか、海外にアニメをセールスする会社の仕事は忙しいし、薬科の学生になったものの、評論家や作家になりたいというマスコミ、メディアへの夢は断ちがたい。

 この文章は細かい所が面白い。まず「けっきょく大学を終えて」とあるけど、「卒業した」とはっきり書いていないあたり、中退疑惑は依然として残る(2009年2月14日の記事を参照)。次に「イッセー尾形の外部スタッフ」の「外部」という部分にイッセーサイドにそんなに深く食い込んでいたわけじゃないと見て取れる。あと、「海外にアニメをセールスする会社」というのは『トンデモ創世記』の中でチラッと出てくる。P.100より。

(前略)東銀座に並木孝と共同の事務所を持っていたんですよ。アニメーションの輸入販売業で、一年くらいでつぶれちゃいましたけど。その事務所に、宅八郎が自分の本(編注:『イカす!おたく天国』のこと)を出すってことで現れて、その本の中で「宅八郎年表」って作るんだが、アニドウにいたときのことを書きたいから当時の資料を送れって。

 …しかし、『イカす!おたく天国』が出たのは1991年9月なので、唐沢俊一がその会社をやっていたのはライターとしてデビューした後なのでは?とも考えられる。どうしても怪しい点が出てくるなあ。

 自分が二つに引き裂かれているから、その悶々はおのずとセックスに持ちこまれる。今考えれば、よくあんなことしたなー、ってな行為もけっこうやりました。
 けど、そうやってセックスに溺れていくのは自分なのに、なにか自分がうまくいかないのはこの女のせいじゃないかと思ったりする。若さゆえの身勝手ですね。
 彼女は彼女で自分の夢が成就しないから、ますますぼくしか自分を集中させるものがなくなっていく。ぼくが初めてで、しかも男女の付き合いが長かったから、前後あわせると大体十年ほどになるかな、彼女は彼女なりに大変だったろうと思う。
 そんなわけで、彼女とはぼくの文筆業としての独立を機に別れたんだけど、苦い青春の物語とはいえ、二人ともつきあい方が不器用だったですねえ。

 どうしてこんなにモヤモヤした文章なんだろう、と不思議でならない。『私のヰタ・セクスアリス』という企画なんだから「よくあんなことしたなー、ってな行為」がどんなものだったのかを説明しないとダメだと思う。何故そこでボカすのか。現に他の著名人は事細かに自らの性の目覚めについて語っていて、だからこそ迫力のある内容になっているのだ。唐沢のインタビューがいまいちハッキリしないのは、カッコつけようとしているからか、もしくは内容に虚偽が含まれているからか、いずれかだと思う。
 それから、唐沢俊一は東北薬科大学を休学(結果的に中退)した後札幌に戻るのだが、彼女とはどうやって逢っていたのか遠距離恋愛のはずだからそう簡単には逢えなかったと思うのだけど。それとも、仙台や札幌でも「捕獲」していたとか? それに、唐沢俊一は札幌にいる間に現在の奥さんであるソルボンヌK子と文通して、両親に「彼女と結婚したい」と訴えていたそうだが、ということは二股をかけていたんだよね? もし事実なら「ぼくの文筆業としての独立を機に別れた」だなんてキレイに片付けられる話じゃないと思う。


 …一読した感想を率直に言わせてもらえば、「ある程度の事実に基づいているもののきわめてリアリティーに乏しい」という印象を受けた。いかにも「頭で考えた話」っぽいというか。…まあ、ウソと決め付けるのはいけないけど、もしも唐沢が本当のことを語っているのだとしたら、相当説明がヘタクソだと言わざるを得ない。本当に「東京で浪人」していたとしたら、今までさんざん語ってきた『ヤマト』ファンクラブの伝説も崩壊しちゃうんだけどね。とにかく、「鬼畜」だったらカッコつけないで赤裸々に語ってみせろよ!と言いたい。他のみなさんのインタビューが面白いだけに余計にそう思う。


 …うーむ、いろいろとわかったような、ますますわからなくなったような。やっぱり「唐沢俊一検証イベント(仮)」に本人を呼んで直接聞くしかないのかなあ。

麦ちゃんのヰタ・セクスアリス 1 (YOU漫画文庫)

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私のヰタ・セクスアリス〈1〉―衝撃のインタビュー (河出文庫)

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古本マニア雑学ノート (幻冬舎文庫)

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トンデモ創世記 (扶桑社文庫)

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20世紀少年白書―山田五郎同世代対談集

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イカす!おたく天国

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