唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

何の因果で。

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 杉江松恋さんが唐沢俊一の『カニバリストの告白』の書評について解説されています。どうもありがとうございます。


 さて、またもや唐沢俊一が失礼な追悼文を書いている件だが、唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板では「追悼」ではなく「追討」と呼ばれている。唐沢俊一本人の誤記に由来する言葉である。

小林繁、浅川マキ、そして郷里大輔と訃報立て続け、とても
追討記事、追いつけるものにあらず。

 唐沢の文章が死を悼むのではなく失礼なことを書いて故人に追い討ちを加えていることを考えると出来すぎな誤記である。「追討」と聞くと宣旨だか令旨だか出たのかと思っちゃうけど。


 で、今回も唐沢による「追討」を取り上げる。「裏モノ日記」2002年6月12日よりナンシー関の「追討文」。

一休みしてニュースサイトを見ていたら、ナンシー関死亡の速報あり。享年39歳。急死ということで、まだ死因は発表されていないけれど、言うのも何だがこれくらい原因がはっきりしている人もいないのではないかと思う。仕事机の正面を半円形にくりぬいていたという人だ。私もあそこまでではないと言え、体重は右肩上がり一方。本格的にダイエットしようと思う。

 とはいえ、彼女があれだけ憎まれ口を天下の人気者たちにかまし続けながら、さほどうらまれることがなかったのは、ひとえにあの肉体のたまものであると思う。おすぎとピーコがオカマという特性を打ち出したことで異界の住人と自分達を位地づけ(原文ママ)、悪口批評の免罪符を手にしたことでもわかるが、世間は自分たちと同じ地平の者が悪口を言うのには腹を立てても、異界の“化物”のやることには寛容なのである。化物はひどい言いようかも知れないが、ナンシー関は、自らの魁偉さを武器に転化させるすべを見事に心得た、知性の人だった。それが自分の命を縮める遠因になったのが、悲しい。K子が担当だった編集者から貰ったという本人作の消しゴムが一個、家にある。確か文句が
「いつか白馬に乗った坊屋三郎が……」
 だった。坊屋三郎に半月遅れで逝ったのか、と思うとちょっと不思議である。

 ナンシー関の外見のことしか言ってないのが凄いというか。…いや、彼女は「魁偉」だったから許されていたわけではないと思うけれど。岡田斗司夫だって太っていたけど許されていたわけじゃないし(唐沢理論だとダイエットしてダメになったということになるのだろうか)、唐沢俊一も帽子をかぶっているからって許されてはいない。個人的には唐沢俊一は「異界の住人」になりたかった人なんだろうなあ、と思っているけど。
 それにナンシー関のコラムを読んでいた人間なら記憶していることだと思うけれど、彼女がデーブ・スペクターについて『小耳にはさもう』で取り上げた時に、デーブ・スペクターが自分のコラムで彼女の体形をおちょくって反撃したことがあった(イラスト担当のマッド・アマノナンシー関を「消しゴム版画」で描いていた)。「肉体」は彼女にとってプラスにばかり作用していたわけではないのだ。ちなみに、ナンシー関はデーブ・スペクターによる反撃を次のように返している。『小耳にはさもう』(朝日文庫)P.200より。

あとさ、落とし込みたいとこに「太ってる」ばっかり持ってこられてもねぇ。私も昨日や今日太ったワケでもないし。

この「返し」のいいところは、外見をからかわれたことを怒っているのではなくて、ネタとしてきっちり批評している点にあると思う。唐沢俊一にもこれくらいやってほしいものだ。
 まあ、そもそもナンシー関の文章を「悪口」「憎まれ口」としかとらえられないのがダメすぎる。彼女の文章が「芸」として成立していたことは、今、彼女の本を読んでも、取り上げられているネタはとっくに古くなっているのにちゃんと面白く読める点でもわかる。唐沢俊一もプロのライターなのだから「芸」を解説してほしい。
 ワイドショーを見ていてもたまに「ナンシー関に見せたかったなあ」(類義語に「I編集長に見せたかったなあ」)と思ってしまう。『給与明細』「ワシントン殺人事件」も見てほしかった。

何の因果で (角川文庫)

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小耳にはさもう (朝日文庫)

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殺し 活字プロレスの哲人 井上義啓 追悼本 (Kamipro Books)

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