モアッとした雲の影。
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『唐沢商会のマニア蔵』(スタジオDNA)P.136に収録されている『シネマもろとも』より。
衝撃の問題作、というのが映画の惹句によくあるけれど、さて本当にそんな文句に値する作品がどれだけあることか。
ペドロ・アルモドバル『アタメ』☆☆☆なんて、カトリック国のスペインじゃ衝撃的かも知んないけど(原文ママ)、日本じゃあの程度のインモラルならレディースコミックでもちょいとのぞきゃゴロゴロしているし、近未来の恐怖を書いたという『侍女の物語』☆☆★も、こちとら甲羅経たSFファンには、ミスばかり目立ってどうにも間がヌケてしか映らない。デビット・リンチ(原文ママ)の『ワイルド・アット・ハート』☆☆☆★はなるほど問題作だが、なにせ“アノ”リンチである。これくらいは作ってアタリマエ、という感じが最初にあって、今さら問題作と騒ぐのも気恥ずかしい。
いやあ、ここまでエラそうな文章も珍しい。映画ファンだか映画マニアだかのプライドの高さばかりが伝わってくる。この文章の初出は『少年キャプテン』1991年2月号なので、唐沢俊一32歳のときの文章である。…いや、これでも「ガンダム論争」や「アニメ百馬鹿」よりはだいぶよくなっているんですよ。
それにしても、『ワイルド・アット・ハート』が問題作だと思うのなら他人のことなんか気にしないで堂々と論じてみせればいいのに。イラスト担当の唐沢なをきが
というわけでリンチの「ワイルドアットハート」いいっすよ
と素直にコメントしているのと実に対照的。
そこでおすすめしたいのが『運命の逆転』☆☆☆☆。ドキュメンタリー監督が撮ったというこの作品、妻を毒殺したとして裁判となった、フォンビューロー事件のリアルな映画化。
『運命の逆転』の監督はバーベット・シュローダー(バルベ・シュローデル)。確かにドキュメンタリーも撮っているが劇場映画も数多く撮っていて、デビュー作の『モア』はピンク・フロイドが音楽を担当していることで有名(同じく『ラ・ヴァレ(雲の影)』もピンク・フロイドが音楽を担当)。
…まあ、唐沢俊一がプログレッシブ・ロックについて知らないのはしょうがないんだけど(とにかく洋楽に疎い)、『運命の逆転』の内容を理解していないのはさすがにどうかと思う。『運命の逆転』で描かれているフォン・ビューロー事件とは、夫が資産家である妻にインシュリンを過剰に投与して殺害を図ったとされる事件なので、「毒殺」ではなく「殺人未遂」が適切。映画の中でフォン・ビューロー夫人(グレン・クローズ)が昏睡状態に陥っていたのを観ていなかったのか? あれだけエラそうなことを書いていたのに、いざ具体的に批評をしてみるとこの体たらくとは。なお、フォン・ビューロー夫人は2008年に亡くなったが、亡くなるまで28年間昏睡状態のままだったという。
アメリカ社会の、おそらくアメリカ人がもっとも触れられたくない部分を鋭くえぐって(ムツカシイ言葉で把羅剔抉、というのです)一見地味ながら問題作と称するにふさわしい。みなさんも冬の一日、じっくりとこういう重厚な作品に堪能するのがよろしいけれども、みのがしてほしくないのはこの映画、これだけ重いテーマを扱いながら、ちゃんとユーモアの味付けも忘れていないことなのだ。薄汚れたダウンタウンの中華料理屋に上流階級の主人公が居心地悪そうに座っているところなど、さりげないユーモアが作品を息苦しさから救っているのである。
『運命の逆転』にユーモアがあることを指摘しているのは良いとしても、いろいろ引っ掛かる点がある。まず、「アメリカ人がもっとも触れられたくない部分」「重厚な作品」「重いテーマ」とか言っているものの、具体的にどういう風に「重い」のかさっぱりわからないこと。文章を書いている本人がちゃんとテーマを理解しているのか疑問に感じてしまう。それに、わざわざ「ムツカシイ言葉」を持ち出す必要があるのか?と思う。こんなに堂々と知識をひけらかしている人もいないと思うが、まことに残念なことに字を間違えている。正しくは「爬羅剔抉」である。goo辞書。
はら-てきけつ【爬羅剔抉】|〈―スル〉
爬羅剔抉 意味
隠れた人材を、あまねく求めて用いること。また、人の欠点や秘密をあばき出すこと。つめでかき集め、えぐり出す意から。▽「爬」はつめなどでかき寄せる、「羅」は網で鳥を残らず捕る意。「剔」「抉」はともに、そぎ取る、えぐり取る意。「爬羅」があまねく人材を求めることで、「剔抉」が悪い者を除き去る意とする説もある。
爬羅剔抉 出典
韓愈かんゆ「進学解しんがくかい」
爬羅剔抉 用例
通常の史体とは歩を異にし、身跡を爬羅剔抉して、もって偉人の真面目を世に紹介せん。<村岡素一郎・史疑>
ついでに細かいことを書いておくと、「じっくりとこういう重厚な作品に堪能する」じゃなくて「作品を堪能する」だろう。「ムツカシイ言葉」を覚えるよりも普通に文章を書けるようにするのが大事なのではないか。
それから、唐沢俊一は「裏モノ日記」でいつも俳優について書いているのに(訃報をネタにするのはお約束)、何故『運命の逆転』の批評でジェレミー・アイアンズについて触れていないのだろう。この作品でアカデミー主演男優賞を獲っているのに。どうも肝心なところでハズしているような。
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