唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

COLOR沢俊一。

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 今回は1984年7月に発行されたアニドウの同人誌『FILM1/24』第32号に掲載されている、唐沢俊一の署名記事『TVアニメのいろいろについて』を紹介する。唐沢俊一26歳の時の文章である。

 リヒテルというピアノ弾きがいて、この人は飛行機の、あの銀ピカの塗料の色が気に食わないというただそれだけの理由で、決して飛行機には乗らないという。我々凡人はそうした話を聞いて、フーン芸術家てぇものは大したモンだねぇなどと思いながら、毎日山ノ手線や中央線のあのコテコテのペンキの色を別に気にもせずに乗っているわけだが、それでもいつだったか、都バスの色が余りにひどいと乗客から苦情が出て塗りかえたという話があったね。生活の中の色彩というものに対し、我々はもう少し神経質になってよいと思う。そうして、今、もっとも改革を必要としているもののひとつが、TVアニメの、あの色彩ではないだろうか。
 TVアニメを批評する場合、ストーリーや演出のことについてはそれこそ山のようにいろんな意見が開陳されており、論客たちが口に泡しているが、あの色使い、あるいは色そのものを批判している人というのはあまり見かけない。あれは見ている方ですでにアニメ塗料のあのアクリル絵の具の色に慣れてしまったせいなのだろうか、それとも文句をつけたってどうしようもないものなのさとあきらめちまっているのだろうか。

 というわけで、この文章は「アニメと色彩」をテーマにしているのであった。スヴァトスラフ・リヒテルは本当にそんな理由で飛行機嫌いなのか?とか、「口に泡する」じゃ泡を吹いて倒れているみたいだとか(「口角泡を飛ばす」だろうね)いろいろ気になるところはあるが、とりあえず3年前より格段にまともな文章を書けるようになっているのは喜ばしい。ときどき地が出ているのかガラが悪くなっちゃっているけど。

 小学校の絵の先生に聞いたら、今の子供達の色彩感覚は年々ひどくなっていくばかりだという。絵を描かせると「汚ない」(原文ママ)といって色を混ぜるということをしたがらず、チューブからしぼり出した色をそのまま使いたがる。そして、落ちついた地味な色はまず使おうとせず、もっぱら明るい派手な色ばかりを多用するのだそうだ。これはみんな、TVアニメの、あのセルに描いた絵の影響だとその先生は憤慨していた。何しろヤミ取り引きで一枚何千円という値がつく程のセル・ブームであります。子供達があらそってそれを買い求め、さらには自分達もそのようなタッチの絵を描こうとするのは当然かも知れない。本屋へ行くと、アニメ絵本などというものが並んでいる。これが一体何であるかというと、たださし絵にセル画が使ってあるだけのシロモノであって、アニメーションとは何の関係もない。いわゆるアニメっぽい絵のタッチ、さらに色彩、これを子供達が好むからこういうものが売られ、また親達も買っていくのであろう。世も末としか言いようがない。アクリル絵の具のあの非生物的な、情緒のない色感を見ていると、それが四季折々の風物の移り変わりに伴う自然の色彩の美しさを失ってしまった現代の象徴の色のように思えてくる。そしてさらに、その色使いの無神経さ、悪趣味さ!

 1984年に小学校低学年だった自分が断言するが、そんなことは全くなかった。図工の時間にはクラス全員でパレットで絵の具をグチャグチャ混ぜてたよ。そもそもチューブから出した絵の具をそのまま使っただけじゃまともな絵は描けないと思う。…本当に先生から話を聞いたんだろうか?と疑問に思うし、唐沢が水彩画を描いたことがあるのかも疑問だ。あと、「セル・ブーム」はアニメファンの間で起こったんじゃないだろうか。子供もセル画泥棒していたのかなあ。
 それにしても、このくだりは新聞の投書欄に載っていそうな文章だ。若干ヒステリーが入った正義感と意見を表明したいという願望がないまぜになっているのがいかにも投書っぽい。まあ、唐沢俊一は「鬼畜」とか「マニア」を名乗っているけど、時々びっくりするくらいベタなことを言うので別に驚くにはあたらないけど。岡田斗司夫風に言えば「お前普通じゃん」

 劇作家の飯沢匡氏はこのアニメーションの“色”の劣悪さを常に指摘しておられる数少ない一人だが、この人のエッセイの中に、「木の緑を塗るとき、その線に少し他の色を混ぜて深みを出すということをせず、絵の具の“緑”をそのまま塗ってしまうからアニメの色は貧しくなるのである」という意味の一文がある。(あったと思う)

 昔から引用ができなかったんだなあ。「あったと思う」って。

 確かにそうなのだが、今日ここまでアニメ製作の仕事が巨密化され、色塗りの仕事が数え切れぬ程の末端スタジオ、さらには主婦のパート、果ては韓国・台湾の方にまで分業されている現状ではこれは全くの不可能に近い。

 「巨密化」ってどういう意味なのかわからない。

言うまでもなくアニメというのは上から「ここは赤に塗れ」と指令がとべば、一せいに(原文ママ)“同じ”赤を下の人間が塗らねばならぬものだからである。昔はタツノコ・プロ等、規模のそう大きくないプロダクションでは市販の絵の具を自分達のところで混ぜあわせ、“オリジナルの色”を作っていたが、今の狂乱的なアニメ・ブームは、そういう家庭的な製作法も不可能にしてしまった。それでは商売にならんのだ。かくて、週に30本以上という作品がTVに流れる大ブームの中で、個々の作品の個性はますます失われ、画一化が進んでいく。 

 自前の絵の具を作るのにそんなにコストや手間がかかるものなのだろうか。それから、画一化が進んでいく中でも個々の作品の魅力を見出していくのが楽しいところだと思う。そういう手間を惜しむ人が「最近の作品はどれも同じ」とか言うんじゃないだろうか。

しかも、もし良心的な製作者がいて(こんな書き方をするのは「いないかもしれぬ」という不安があるからだが)、せめて色使いだけでも悪趣味にならぬように、と心がけたとしても、これがまた思い通りにはいかないのよ。TVアニメには、鬼よりこわいスポンサーというものがついているのだ。
 子供向けアニメのスポンサーは、その殆どが、提供している作品のキャラクター商品を販売している会社である。彼らが作品に要求するのはただひとつ、商品がよく売れるようなものを作れ、これだけである。失敗をおそれず、後世に残るすばらしいものを――などとはマチガッテモおっしゃらねんんだなァ(原文ママ)。商品が売れるためにはそれが目立たねばならぬ。目立つ色のキャラクターを作れ、と要求してくるのである。したがってTVニメ(原文ママ)の主人公達は皆赤やら青やら、チンドン屋もハダシで逃げ出す凄じい(原文ママ)色のカッコウをさせられる。こういうスポンサーの、最もお気に入りの色は何かというと、これが桃色、ピンクである。それも只のピンクじゃぁない、蛍光ピンク、ショッキングピンクなどと称するアノ色である。ショッキングピンクとはものすごい名もあったもので、初めて聞いたとき、僕ぁてっきりポルノ映画のタイトルだろうと思ったくらいだが、スポンサー様方はこの色が大層お好みで、何かといえばこの色を塗りたくらせたがる。可愛いドレスがピンク、ブラウスがピンク、スカートがピンク、これくらいはまだよかったがそのうちに車がピンク、連れている犬がピンク、ピンクの髪にピンクの軍服などというシュールなのまで出現した。

 …ああ、じゃあ、仮面ライダーディケイドがピンク(というかマゼンタ)なのも商品を売ろうとしたスポンサーの意向なんだ。あと、シャア専用ザクも実は赤ではなくピンクなんだけど、それもスポンサーの意向か(「ピンクの軍服」というのは連邦軍の女子の制服のことだろうけど)。…しかし、唐沢俊一はどの程度の根拠があってこういう話をしているのかなあ。ピンク色をしたキャラクターの商品が売れているというデータでもあったのだろうか。「全部スポンサーが悪い」ということにしておけばラクでいいんだろうけどね。1984年に2ちゃんねるがあれば唐沢は幸せだったろうなあ、としか思えない。

スポンサーにしてみればそれが至上のことなのだからマア致しかたもないだろうが、この色、色彩心理学やっている人(原文ママ)に聞いたら、マコトに下品な色なのだという。他の色との調和など糞くらえとばかりに、ひたすら無理矢理、人の視界の中に割り込んでくる。こういう色のキャラクター商品の中にうずもれて育っている子供に、まっとうな色彩感覚の育つ方が不思議である。 

 このくだりには笑ってしまった。いや、だって「下品」っていうのは色彩心理学なんかやってなくたって言えるよ。「子供の発育に悪影響を与える有害な色」とかならまだわかるけど。さっきの小学校の先生といい、どうしてこうもおかしな人ばっかり出てくるんだ。本当にそんな人たちから話を聞いたのか、そんな人たちは実在するのか、と疑わしくなってしまう。

 少し前の話になるが、児童図書界に“ノンタン事件”なる騒ぎがあった。ノンタンという子猫を主人公にした一連のシリーズ絵本が、“色彩が下品で子供達に与えるにふさわしくない”と指摘されたのである。ところがこの絵本、作者達(夫妻で描いている)は「子供達がこれほど喜んでいるものの、どこが悪いのか」と反論した。これを取り上げた新聞も、この夫妻の側に同情的な記事にしていた。“お上が文句をつけた”ことに関しては、新聞は名誉にかけてという感じで文句つけられた方に味方するのが常である。しかしながら、僕はコトこの件に関する限り、文句をつけたお上に同意する。当のノンタンを僕も見てみたが、この絵本に使われている色というのが、赤、青、そして蛍光ピンク、まるでTVアニメなのだ。“子供の目は常に優れたものを選びます”というCMの文句があるが、ありゃ嘘の皮である。純粋、無垢なんてのは無知(または馬鹿)の代名詞だ。何がよくて何が悪いものなのか、大人が教えてやらなけりゃわかるワケがない。子供達がノンタンを手に取ったのは、それが他の絵本のどれより、“目立つ”色を使っていたからにすぎない。『アラレちゃん』や『デンジマン』の絵本はノンタンの少なくとも十倍は売れているだろうが、それらはノンタンより優れていたのだろうかね、そうじゃあるまい。子供達はTVアニメに近い色のノンタン(あるいは“アニメ絵本”)に喜ぶが、TVアニメそのものであるアラレちゃんであればもっと喜ぶのであります。理の当然というべきあね(原文ママ)。

 『ノンタン』がヒットしたのは「色」が理由というのは決め付けが凄すぎるなあ。だいたいノンタンって「白い子猫」なんだけど。しかし、『ノンタン』の色彩がダメなら『ミッフィー』もダメになっちゃうんじゃないか? 

 いまの子供達は、白黒の映画を見て、「あれはどうやって色を消すの」と質問してくるそうである。そういう世代の子供達に与える色に、我々は少し無関心にすぎないか。ソ連、東欧などの子供向アニメを見てまず感動するのは、心に染み入ると形容してオーバーでない程のその色彩の美しさ(特に青系統を中心としたそれ)である。おそらくは文化庁みたいなところに専門家がいて指導しているのだろう。この点においてだけ、僕はソ連びいきである。もちろん、問題は絵の具だけではない。フィルム、例えば東映で使っているフジフィルムの赤色の発色の下品さは見るに耐えないものであり、ここにまで改革の手をのばさねば本当はいけないのだが、まずとりあえずはあのアニメックスの色である。あれを何とかせぬ限り、十年後、二十年後の日本美術界の惨状は目に見えているように思う。子供の頃メチャクチャにされた感覚はどうしたって修正できるものじゃない。

 「フジフィルムの赤色の発色の下品さ」については12月11日の記事藤岡真さんのコメントを参照。スポンサー批判をする一方で「文化庁みたいなところで専門家がいて指導している」と書いているのが興味深い。…ところで、唐沢は「改革の手」を伸ばしたのだろうか。

 『ハイジ』を作ったスタッフの皆様にお聞きする、あなたはあの“名作”をつくるにあたって実際にスイスまでお出かけになったという話だが、スイスの山を駆ける乙女の桜色の頬は、本当に、アニメックスのあの頬の色であったのでしょうか。貴方がたが現地で味わった感動を子供達に伝えたいと思うとき、アニメックス塗料のアクリルのあの冷たい光沢は、それを伝える最も適当な材料といえるでしょうか。冷たい宇宙空間の中に浮かぶヒーローの肌の色も太陽のふりそそぐ草原で遊ぶ女の子の肌の色も、今のTVアニメでは同じ色で塗られているのです。

 「“名作”」ってのがイヤミだな。アニメックスカラーがダメなら何を使えばいいのかも書いてくれればよかったのに。ただ、唐沢も現在ではこの文章については反省しているようだ。『BSアニメ夜話ムックVol.7 アルプスの少女ハイジ』(キネマ旬報社)P.114より。

アニドウというグループに参加していた時、「今あるアニメーションを良いと言っているだけでは駄目だ。『アルプスの少女ハイジ』は名作だと言われているけれども、所詮はセルに塗料を塗っただけで、あれでスイスの素晴らしい山々の雰囲気が出せるものか!」という論旨を会誌に載せたりしたことを、今でも覚えてますよ。ひどいね(笑)。

 かつてアニメの色彩は、“文化”そのものであった。太平洋戦争のとき、ナチスドイツでさえそれだけには手出しをしようとしなかったディズニーの漫画映画を、日本軍部は敵国映画として真ッ先に上映を禁止した。その禁止理由として、“色彩のすばらしさによってアメリカ文化へのあこがれの念を国民に抱かしめることを防止するため”とあったという。従軍記者として南方で『ファンタジア』を見た徳川夢声はその色彩に仰天し、「これは大変な国と戦争を始めてしまった」とそれだけで日本の敗北を予見したという。色彩の差が即ち文化の差であり、国力の差であったのだ。戦後数十年、今や世界で最も豊かな国となった我が日本の作ったアニメーションは、かつてのディズニーのごとく、色彩で人の心をふるえさせ得るであろうか。

 戦前(正確には既に開戦していたが)最後に上映されたアメリカ映画は『スミス都へ行く』らしい(毎日新聞『余録』12月8日)。ディズニー作品が真っ先に上映禁止されたということでもないのではないか。それから、徳川夢声は慰問先のシンガポールで『ファンタジア』と『風と共に去りぬ』を観ているので「従軍記者」というのはどうか。


 感想を一言で言えば、「何かしら立派なことを言いたかったのだろうな」である。一応それなりに立派なことを言っているようなのだが、教育的観点から色彩について考えているのか、日本のアニメーションの色彩のありかたを考えているのか、どうもはっきりしないのだ。話に具体性が乏しいうえに疑問を抱かざるを得ない部分が多いのも困る。とはいえ、なにぶんデビュー前の文章だし、背伸びをして立派なことを言おうとしたことは自分もあるから、それだけで責める気にはなれないが、この話には実はオチがある。唐沢俊一『朝日新聞』2008年1月27日の書評欄でこんなことを書いているのだ。

恥を忍んで告白するが、印象派の絵画というのがよくわからない。ルノワールセザンヌも、いい絵だとは思うのだが、別に面白みが感じられず、展覧会などに行っても、ひとわたり見た後で、ベンチに座って同行者が見終わるのを退屈しながら待っているのが常である。だが、これがダリのような超現実派や、また聖画、歴史画などの展覧会なら、何時間見ていても飽きないのだから、その絵の嗜好(しこう)の偏りには我ながら呆(あき)れる。

 印象派がよくわからないのに色彩についてあれこれ語っていたのか。無茶しやがって…。



市橋(キャンバス)は君のもの。

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