唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ガクッ! 纏足。

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 今回は、唐沢俊一『奇人怪人偏愛記』(楽工社)より「纏足」(P.134〜140)を取り上げる。ちなみに、この文章にパクリがあることを藤岡真さんが指摘されています。


 P.135〜P.136より。

(前略)テンソクとは言うまでもなく、女性の足を型にはめて小さく変形させ、人形のような形にする風習である。今でも童画などで、女の子の足首をほとんど描かず、ちょこんと小さな靴などをはかせている絵があるが(きいちのぬりえの足がこれだ)あれも、見るたびに纏足を思い出させる描き方だ。

そもそも純粋に美的感覚から言えば、女の子の足の先が小さければ小さいほど可愛らしく見えるというのは、説得力がある話だ。それは、先に挙げた童画や、アニメの主人公の足が、可愛らしさの強調として、非常識なまでに小さく描かれることからもわかるだろう。

 「きいちのぬりえ」の女の子の足は小さいのだろうか? 「ぬりえ美術館」のイラストを見ると女の子の足はわりと大きめである。また、この絵には足首がしっかりと描かれている。
 さらにぬりえ美術館の説明。

きいちのぬりえの特徴
ちょっと四角い大きな顔に、ぱっちりした大きな目、そして太い足の三、四頭身の女の子、というものでした。
あのような少女の顔が、当時の少女の理想像だったのではないか、と私は思っています。
そして、三、四頭身が日本人が考える「可愛らしさ」ではないかと思います。
可愛いの原点は、きいちのぬりえの少女ではないかと思っています。

「「蔦谷喜一」と「ぬりえ」」

・戦前のぬりえは日本画美人画を絵にしたようなぬりえで、絵の中には幾つもの日本画の技法が使われていました。とても豪華に細部まで描かれていて「子供の遊びのぬりえ」とは言えないほどでした。洋風の絵は、サインと黒い鳥が描かれています。「きいち」の特徴でもあるパーマをかけた髪は、クルクルと波の模様のように、また、太い足もこの頃から描き始めていたようです。


・昭和20年代前半、「きいち」の時代になって初期の頃は目の間隔が離れていて、たれ目、大きな四角い顔に太い足、少女達は紙からはみ出さんばかりに、画面いっぱいに、髪の生え際のうぶ毛まで詳細に描かれています。サインの小鳥はとても細く痩せています。構図的に面白いものや、今では見られなくなった懐かしい風物詩や生活道具なども描かれたりしています。

 というわけで「きいちのぬりえ」の女の子の足は太いのである。なんだって、唐沢俊一が「足が小さい」と思ったのかは謎。それに、魔法使いサリーやウランの足も太くてくびれがなかったことを考えても、可愛さを強調するために足を小さく描いたものがあるのかどうか疑問。


P.136〜P.137。

清国の纏足をグロテスクであると恐怖した英米人だって、自国の女性たちの足を人工的に縮めこそしなかったものの、ハイヒールなどというものを発明し、出来るだけ小さく見えるよう工夫した。普遍的な美観から言って、足先は小さい方が美しい、と言っていいのではないか。

『トンデモない一行知識の逆襲』(ちくま文庫)P.9。

ハイヒールはもともと、屠場で裾を汚さずに血溜や臓物の上を歩くのに用いられた。

『史上最強のムダ知識』(廣済堂ペーパーバックス)P.96。

ハイヒールは、道路に落ちている汚物を踏む面積の少ない靴として、17世紀のフランスで発明された。

 というわけで、ハイヒールの起源3つ目の説が登場しました。…雑学を披露するたびに全部違っているというのも凄いな。それにハイヒールを履くのは「背を高く見せるため」ではないのだろうか(詳しくは2008年8月1日の記事を参照)。


P.137〜P.138。

 この『三寸金蓮』には、纏足の“作り方”もまた、こと細かに述べられている。
【一】まず鶏を二羽用意する。鶏の胸を包丁で切り開き、女の子の足を片方ずつその中に突っ込む。鶏の血と内臓は、足を変形しやすい柔らかさにすると信じられていた。
【二】足をよく拭いたあと、親指をのばし、その他の四本の指をしっかり握り、それを力まかせに足の裏に向けて折り曲げる。当然、足の骨はバキッと折れる。手で“グッ!”の状態に親指を立てた形を、足でやったとご想像願いたい。要は、あの形状にするのである。
【三】長さ十メートル、幅十センチほどの布を用意して、作法に従った巻き方で足をしっかり巻いていく。現代における“テーピング”という奴である。巻き終わったら、布を縫いつけて固定する。
【四】骨折で足は腫れ、焼けつくような痛みがあるが、寝たままだと美しい形にならないので、女の子を無理矢理歩かせる。血と膿で布が汚れると新しい布で巻き直すが、とがった足になるよう、前よりもきつく巻くのが決まりである。
【五】数回布を取り替えたあとは、茶碗のかけらを足の下に敷く。これは北方に伝わる秘訣の一種だそうだが、歩くたびにかけらが足に突き刺さり、その傷の周囲の肉が削げ、腐っていくので、その膿んだ肉や皮膚を削って、美しい形に整えられる。つまりは足を可塑化させる工夫なのである。この段階で足を理想的な形にするための木型にはめたりする。

 この文章は「纏足(てんそく)-美しい纏足の作り方。あなたは耐えられるか?-」の文章を下敷きにしている。『奇人怪人偏愛記』が出る4年前の2002年4月2日にアップされているので、明らかに唐沢の方が後から書いている。すみつきカッコが同じだもんなあ。われわれ唐沢ウォッチャーの間では「ガウディ型」と呼ばれているパクリ方である(詳しくは「トンデモない一行知識の世界OLD」を参照)。
 ただ、「纏足(てんそく)-美しい纏足の作り方。あなたは耐えられるか?-」にはない「北方に伝わる秘訣の一種」という情報は『三寸金蓮』(亜紀書房)P.24にも「北方の農村地方特有の方法」として出てくるので、もしかすると唐沢は『三寸金蓮』を読んでいた(持っていた)ものの、文章を自分でまとめるのをサボったということなのかもしれない。まあ、ネット上で拾ってきた可能性もあるが。


P.140より。

 だが、このことは、ある事実をわれわれにつきつける。人間、ことに男性は、その美的感覚に基づいて女性の肉体を自分たちの目から見て“美”と感じる方向に変形させることに、時に暴走しがちである、と。実際、われわれは、自らの手こそ下さないが、女の子たち自身に、自分たちの肉体を改造させていっている。自分たちの目に美しいと映らせるために。
 ほんの十五年くらい前までは、胸の大きい子は他の部分の肉付きもいい、というのが常識だった。他の部分がスリムで胸だけ大きいなどというのは不自然で、無理な注文、と思われていたのだ。われわれ男性は、その理想を、漫画のキャラクターの中に見るだけで満足しなければならなかった。しかし、受容(原文ママ)は供給を生む。いまやスリムボディに巨大バスト、はアイドルの基本である。このことを思うと、イメージすることはそれが現実することだ、と教えるトンデモ理論は、あるいは本当のことかもという気にすらなってくる。
 われわれ現代人は、清代中国人のように、幼い女の子の足を折り曲げて布で固定する、といったことはもうしない。そのかわり、イメージでもって女の子を縛り上げ、固定し、望みの体形に変形させているのかもしれない。

 …いやいや、唐沢俊一も学生時代にモテようとして身体を鍛えていたじゃないか。『奇人怪人偏愛記』P.37より。

いや、私はもともと見せかけでいいから女の子にモテる筋肉をつけようとブルワーカー(もどき)に手を出したのだが(後略)

 異性のために外見を変えるのは女性に限った話ではないと経験上わかっているはずなんだけどなあ。どうして男だけを責めるのか。それに、『anan』の特集を見ても女性が自ら「美乳」を目指す風潮になっているようだし。あと、巨乳でないアイドルもたくさんいるし、男がみんな「おっぱい星人」であるかのような書き方はひっかかる。
 

帝都物語〈第壱番〉 (角川文庫)

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わたしのきいち―ぬりえ作家、蔦谷喜一の世界

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原作完全版 魔法使いサリー

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トンデモ一行知識の逆襲 (ちくま文庫)

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三寸金蓮(てんそくものがたり)

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an・an ( アン・アン ) 2009年 10/21号 [雑誌]

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奇人怪人偏愛記

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