唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

パクりパクられて生きるのさ?

 実際、唐沢俊一の本に書かれた雑学をネット上でそのまま書いている人って結構多かったりする。


週刊プレイボーイ』11月9日号の巻頭特集「天下無敵! ノムさん流「ふてくされる力」で勝つ!!」(担当は木場隆仁記者)に唐沢俊一がコメントを寄せている。

 さて、ここで「ふてくされる力」の歴史をひもといてみよう。
「ふてくされの文化は、日本史の中に連綿と受け継がれているんですよ」
 こう分析するのは、雑学王でコラムニストの唐沢俊一氏だ。
「例えば北畠親房の『神皇正統記』。南北朝時代南朝の正統性を書いたものなのですが、『ホントは自分たちが正しいのに…』と、トーンとしては完全にふてくされている。また、江戸時代に大久保彦左衛門が記した『三河物語』。これも、幕府に冷遇された旗本たちのふてくされ記録です。国民文学ともいえる夏目漱石の『坊っちゃん』も主人公がずーっと愚痴を言っている。ふてくされの極みです」
 また、幕末〜維新を駆け抜けたあの英雄たちの運命も「ふてくされる力」に左右されたと唐沢氏は続ける。
勝海舟などは、まさに戦略的にふてくされていました。徳川幕府解体後、彼は明治政府にグチグチ言い続けることで旧幕府側の人間のガス抜き役となり、うまく周囲をコントロールしていたんですね。一方、それをしなかったのが西郷隆盛。あの人は自分の考える『征韓論』が受け入れられないと黙って下野した。結果、下級武士たちの不満が爆発し西南の役となったわけです。もし彼がふてくされた態度を見せていれば、下級武士も『ここは西郷どんの気持ちを汲んでガマンじゃ』となったでしょうに…」
 もし西郷どんが上手にふてくされていたら、歴史は変わっていた!?

 「トンデモない一行知識の世界」さんの後追いではあるが指摘しておく。
 まず、『神皇正統記』が執筆されたのは1339年。室町幕府が成立した翌年のことで、南北朝時代はこの後50年以上も続いたのだから「ふてくされる」にはいささか早すぎるのではないだろうか。また、親房は常陸での合戦の最中に『神皇正統記』を執筆しているので、とても「ふてくされ」てはいられなかったのではないだろうか。まあ、「トーンとしては」と言うあたり、唐沢俊一は「ふてくされている」と感じたのだろうけど。
 次に、『三河物語』については国立公文書館の解説を引用してみる。

三河物語』は、忠教が晩年になって子孫のために著した家訓的性格の強い歴史書。徳川家の祖先から家康に至る事蹟が、大久保一族や自身の勤功等を織り込みながら記されています。三河以来の旗本が厚遇されていない現状に不満を抱きながらも、徳川家への忠義を激しい口調で子孫に説いている(「御主様へ御無沙汰申上たる者ならば、我死したりと云共、汝共がふゑのね(喉笛)に喰付て、喰殺すべし」)のも、本書の特色です。

 単純に「ふてくされ」と言ってしまっていいものかどうか。これは『坊つちゃん』にも言えることだが。
 というか、時流に乗れずに批判をした書物は古今東西いくらでもあるので、それを取り立てて「ふてくされの文化」と日本固有のものであるかのように言うのはどうなんだろう。

 次に勝海舟については、唐沢の書き方だと勝は明治政府のことを考えて批判していたかのようなのだが、勝は本気で政府を批判していたのではないだろうか。日清戦争足尾銅山鉱毒事件も批判していたわけだし。で、西郷隆盛についてだが、これがよくわからない。だって、下野したことを「ふてくされていた」と考えることも出来るのだから。「西郷どんが我慢していたなら」と書くのなら理解できるが「西郷どんが上手にふてくされていたら」というのは理解できない。そもそもふてくされるのに上手も下手もあるのかと。


 そもそも、唐沢俊一のコメント以前に、この「「ふてくされ力」で勝つ!!」という特集自体がおかしなものである。「ふてくされ力」の例として挙げられているのを見てみる。


野村克也=監督解任問題でふてくされたおかげで東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督の地位をゲット。

小沢一郎=日頃からふてくされていたおかげで「小沢神話」ができてマスコミが近づかなくなった。西松建設献金問題もふてくされたイメージのある小沢一郎が涙を流したことで世論が味方についた。

橋下徹羽田空港のハブ化が最優先されることにふてくされたおかげで関西国際空港への補助金の満額回答をゲット。

岡田武史=『スパサカ』での質問に腹を立て、トーゴ戦終了後のTBSのインタビューを拒否したが、多くのサッカーファンは岡田監督を支持している。

金正男=ふてくされた態度で海外メディアの取材を受けていたおかげで北朝鮮の後継者争いに再浮上できるかもしれない。


 …どうなんだろうなあ。上に挙がっている例で意図的に「ふてくされた」人がいるのだろうか。
 だいたい「ふてくされる」というのはいい意味では使われない言葉だ。野村監督に限ってもグチが多いのを批判する声はあって、豊田泰光も『週刊ベースボール』今週号で「グチが多いのは自分の弱点を見せているだけ」というようなことを書いていた。それに同じ『週刊プレイボーイ』でも江夏豊の方が野村監督への理解が深い(南海ホークスで一緒にプレーしたこともあるから当然だけど)。今週号の『江夏豊アウトロー野球論』より。

(前略)だが実は、ボヤく人というのはボヤいている時ほど機嫌がいいのである。 

 そう考えると、今年、野村監督のボヤキが特にひどかったのは、例年以上に機嫌がよかった裏返しといえるのかもわからない。つまり、指揮官として就任4年目にして手応えを感じて、期待感があったからこそボヤき続けたのではないか。

 いくら監督にボヤかれたところで、いい意味で聞き流す選手も増えただろうし、そもそもが74歳の指揮官である。若い選手にとっては父親を通り越して祖父同然なのだから、「おじいちゃんがまたボヤいているか」と日常的な出来事になってもおかしくはない。ある意味では、ボヤキが子守歌のようの選手をリラックスさせていた部分もあるはずだ。

 監督のことを微妙におちょくってるような。まあ、江夏は野村克也がホークスの監督を解任されたときに球団に直訴してカープにトレードに出されているんだけど(同様に柏原純一もファイターズへトレードされている)。

 さて、「「ふてくされる力」で勝つ!」という特集の最後の方で次のようなことが書かれている。

 男は黙って…なんてのは幻想にすぎない。古今東西、デキる男はふてくされてきたのだ。

 いや、ふてくされちゃいけないって。ブログやmixiでグチをこぼして大変なことになっているケースがいかに多いことか。それに今回の特集で取り上げられている人はみんなトップに立っている人ばかりなので、普通の人は真似すべきではない。個人的な経験から考えても、ふてくされて物事がうまく運んだケースなど無いのだ。俺もふてくされてばかりの10代だったけど、分別はついたのかどうか。
 それに、唐沢俊一という人も相当な「ふてくされ力」の持ち主だと思うけど、それで上手くいっているのかと言うと…。「『新・UFO入門』事件顛末記」なんてやっちゃっているわけだし。唐沢がこの文章を書いてなかったら自分は検証をやっていなかったと思う。


 週刊誌もヘンな特集を組むもんだなあと妙に感心してしまった(しかも巻頭だ)。そこに唐沢俊一が登場するあたり、トンデモはトンデモを呼ぶのかもしれない。


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