唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

あえて「ゴジラ嫌い」の汚名を着て。

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 今回は『素晴らしき円谷英二の世界』(中経出版)P.140〜145に収録されている唐沢俊一「わが青春の円谷英二を取り上げる。このコラムの冒頭には非常に興味深いことが書かれている。

 「日本の特撮をダメにしたのは円谷英二だ!」と、これは若い頃、一時本気でそう唱えていたことがある。そんなことを口にしていながら、池袋文芸坐や浅草東宝などの怪獣映画をオールナイトで、「よしッ!」とか叫んでいたから矛盾もいいところなのだが、若いというのはバカの代名詞なのだから、まあ、仕方ない。勘弁していただきたい。しかしながら、先の言には、本当に当時、特撮が好きで好きで、怪獣が好きで好きで、それゆえにそのころ煮詰まって途絶えてしまっていた(昭和ゴジラシリーズ最後の作品となった「メカゴジラの逆襲」の公開からすでに4〜5年は過ぎていた)怪獣映画の系譜を何とか復活させたい、それにはまず、神格視されていた円谷英二評価の相対化から始めねばならないのではないか、と、バカながら真剣に考えた末の、特撮ファンとしての必死の思いが込められていた。雑誌『ぴあ』の投稿欄に、ゴジラ否定論を発表したときの騒動は、今思い出しても凄まじいものがあった。この発言で、あるいは怪獣ファン界を追放されてもやむを得まい、などと思いつめていた。今から思えば、なにもそんなに深刻がらなくても、という感じだが、当時のファンたちの間における円谷絶対論はとにかく、有無を言わせぬ理論として、われわれの上に重く大きくノシかかっていたのであった。
 また、私の円谷批判には当時、SF映画評論において突出したマニア度でこちらを魅了していた森卓也氏などが、円谷特撮のぬいぐるみ怪獣映画に、ハリーハウゼンなどの人形アニメーションの低予算代用品程度の認識しか与えていなかったことも大きな影響を受けている。

 …というわけで、唐沢俊一が『ぴあ』に投稿した真意が明らかになった、のかな? でも、「ガンダム論争」が最初は怪獣映画をめぐる論争だったことは確かだから。『ぴあ』の投稿欄での「ガンダム論争」については2008年11月18日の記事から7回にわたって取り上げているので参照していただきたいが、とりあえず、唐沢俊一の説明が妥当なものであるかどうか考えてみよう。
 まず、『ぴあ』での最初の投稿で唐沢は『ゴジラ』について「そんなに優れた映画であるとは思えないのです」として完成度の低さを批判しているが、的外れなものに終わっている。
 そして、2回目の投稿では、早くも『ゴジラ』から『ガンダム』批判にスライドしている。…「円谷英二評価の相対化」をしたかったんじゃなかったのか?
 さらに、3回目の投稿では、それこそ森卓也の受け売りでぬいぐるみ怪獣映画を否定しているが、他の投稿者から批判されてヘコんでしまったのか、最後の投稿ではゴジラ』について全く触れていない有様である。…本当に「必死の思い」で投稿していたのかどうか疑わしいと言わざるを得ない。
 唐沢俊一の投稿から罵詈雑言を取り除いて批判らしきものをなんとかピックアップしてみると「技術の低さを高尚なテーマを持ち出すことでごまかそうとしている」ということなんだろうけど、作品のテーマって円谷英二とは関係ないんじゃないかなあ。円谷特撮の技術の低さを批判するのはいいとしても、具体的な問題点を指摘することなく、欧米のSF映画の原点は「もっと無邪気な楽しいものであったことはまちがいありますまい」と言うだけだもんなあ。「『ゴジラ』ってなんか暗くて嫌だなあ」ってそれは批判じゃなくて愚痴だよ。あまりにも愚劣な批判はかえって対象の神格化につながるだけだからやめておいた方がよかったと思う。唐沢の投稿を読んでも「やっぱり円谷英二はエラいなあ」としか思えない。

(前略)当時の日本にとって、円谷英二が選択したぬいぐるみ方式が、最もその嗜好にあったものであることは、今の私にはハッキリと理解できる。ただし、当時も今も、円谷という名前があれほど大きく輝いていなければ、日本の特撮は小粒でこそあれ、もう少しさまざまな技法が共存する、多様化したものになっていたのではないか、という思いに変わりはない。マンガの世界の手塚治虫と同じく、神様と呼ばれる存在としての円谷英二特技監督のまぶしさは、20年前の一介の特撮オタクの卵にとっては、ここで一度でも否定しておかなければ、自分は一生、この人の掌の上で飛びまわっているだけの存在になってしまうのではないか、という恐れを抱かせるほどのものだったのだ。なまじ、まだ円谷監督が存命であれば、それは簡単に否定できる不安だったろう。すでにその当時、監督は彼岸の人となり、その名のみが沖天の星のように輝いていたために、その影響力はまさしく、どうすることもできぬ高みからのものとして私には感じられたのである。

 唐沢俊一がデビュー以来延々と手塚治虫批判を続けているのを見ていると、逆に手塚の掌の上で飛びまわっているとしか思えない。それに、唐沢は手塚にしろ円谷英二にしろ「神様」の力を大きく考えすぎである。手塚治虫以外にも才能のある漫画家はいたのだし、同じく円谷英二以外にも特撮のクリエイターはいたのだから、そういった人たちを評価していくこともできたと思うのだが。「漫画といえば手塚」「特撮といえば円谷」って、そういうのはウスい人の発想なんじゃないかなあ。「若いというのはバカの代名詞なのだから、まあ、仕方ない。勘弁していただきたい」と書いているけど、本当に若さゆえのあやまちだったのだろうか。

(前略)そして、案外この円谷英二という人は、ゴジラなんかより、こういうほのぼのとした世界がすきなんじゃなかろうか、と、子供心にぼんやりと思ったりした。その直感は100パーセントではないにしろ、決して間違ってはいなかったと思う。

 円谷英二が『竹取物語』の映像化を企画していた話を出せばよかったのでは。


 その後で、唐沢俊一「特撮といえば巨大怪獣がビルを破壊すること、というイメージが固定してしまった」のは円谷英二にとって不幸だったとして、『ゴジラ』と同年に製作された『透明人間』を取り上げて、この作品の特撮を高く評価している。ちなみに、『素晴らしき円谷英二の世界』には「私が選ぶマイ・フェイバリット円谷作品」というコーナーがあるのだが、唐沢俊一はここでも『透明人間』を挙げていて、「特撮の神髄を見た」「今のCGに負けない“手づくりのぬくもり”が感じられて大好きです」と語っている。…ずいぶんシブい映画を選んだものだ。なお、『文芸別冊・円谷英二』(河出書房)で唐沢は特撮におけるCGの使用法について批判しているのでいずれ取り上げたい。
 で、『透明人間』で警官隊の動きにコマ落としが用いられていることに触れた後で、このようなことを書いている。

 イフの世界の話になってしまうが、円谷監督がこの方式にもう少し固執して、技術的改良を加えていたなら、「ドラゴンスレイヤー」「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」などに先駆けた円谷式ゴーモーション・システムが日本の特撮映画に出現していたかもしれず、そうなれば、後の怪獣映画、ことにモスラやマンダ、八岐大蛇などの非・人間的形態の怪獣の登場する作品がどれだけ華やかになっていたかと思う。さらに、この「透明人間」などにおける細やかな特撮の駆使に、日本の映画人がもう少し、可能性を見出していたなら……、いや、こういう想像の領域でいろいろと夢を逞しうできるのも、円谷英二という類まれなる天才映像作家にわれわれが託した希望の大きさゆえ、なのかもしれないが。

 どうも結局のところ、ぬいぐるみ怪獣映画に対する代案はストップモーション・アニメーションになってしまうようなのだ(ゴーモーションはストップモーションを応用したもの)。CGにも否定的だしなあ。ちなみに、唐沢が褒めている『透明人間』の特撮は、透明人間が電話をかけるシーン、少女から渡された手帳が広げられるシーン、ラストの銃撃戦における背景の合成、透明人間がピエロの扮装を落とすシーン(逆に顔に墨を塗って合成している)である。これらのシーンに可能性があったのに、見落とされてしまったということなのだろうか。


 余談だが、『素晴らしき円谷英二の世界』には唐沢なをきのインタビューも載っている。「悪いゴジラがイイもんになって堕落したみたいなのは、全部後付けですよね」とか、第2期『ウルトラ』シリーズが小学校高学年のときはすごく嫌いだったけど今は好きだとか、面白いことがいろいろ書かれているが、一番興味深かったのはこの部分。

(前略)今では人前でなんとか、“俺、怪獣好きなんですよ〜”って言えるけど、それでも<心のどこかに>まだ“好きなんですよ〜”と言いつつ物かげに隠れる自分がありますね。いつかは胸をはって言えるようにならないかなぁと思ってるんだけど……それがファン心理なのかもしれませんね。“好きなんですよ〜! えへへ…”で、この“えへへ…”に円谷オタクとしての気持ちが表れているのかもしれませんね。これからもズッとそういう感じなんでしょうねぇ。

 『マンガノゲンバ』のディレクターが取材の前にこの本を読んでいればなあ。

素晴らしき円谷英二の世界―君はウルトラマン、ゴジラにどこで会ったか

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