唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

アドルフ・アイヒマンスタンダード。

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 『ラジオライフ』11月号に掲載されている『唐沢俊一古今東西トンデモ事件簿』第50回「持ち運ばれる体」は、今号の特集「ポータブルで裏ワザ&裏テレビ!」にちなんで、人間の肉体がポータブルになって持ち運ばれるエピソードが紹介されている。

 「お持ち帰り」という言葉に、“酒の席で口説いた女の子を自分の家まで(あるいはホテルまで)連れて帰る”という意味が加わったのは、そう古いことではない。近代文化というのは物のコンパクト化、キャリアブル化の方向に進んでいくベクトルを持っているわけで、そういう意味では貞操観念なんてものもコンパクト化して久しいわけで、まさに近代文化の象徴、といっていいことなのだろう。

 冒頭からこれである。貞操観念がコンパクト化するってどういうこと? 観念が小さくまとまるって一体。じゃあ、「お持ち帰り」という俗語ができたのは、女の子がコンパクト化したからなのだろうか。『南くんの恋人』みたいなものか。


 その後で、2006年4月に大阪で発生した女性がバッグに詰められて拉致された事件を紹介している。いつも通り、既存のニュースを下敷きにしているだけなのだが。

 しかし、お持ち帰りされる相手を選ばないと女性も大変な目に遭う可能性が高い。2006年7月に大阪で逮捕された当時42歳の無職男性は、4月中旬、市内のマンションで、1人暮らしの20代女性の部屋に夜にベランダから侵入。 女性を縛って持参したキャリーバッグに詰め、車に乗せて数㎞離れた自宅に連れ込み、2日後の朝まで監禁して繰り返し乱暴した。本当の意味で女性を“お持ち帰り”してしまったわけである。こういう男性がいる以上、合コンなんかで出会った男と安易に付き合っていると、身の安全は保証できないと思うのだが。

共同通信の報道より(元の記事が見つからないので孫引き)。

 女性をキャリーバッグに詰め込んで拉致、自宅で2日間にわたり乱暴し現金などを奪ったとして、大阪府警捜査1課は30日、強盗強姦(ごうかん)やわいせつ目的略取、監禁の疑いで大阪市浪速区韓国籍、金平和容疑者(42)を逮捕した。
 調べでは、金容疑者は4月中旬の夜、大阪市内のマンションで、一人暮らしの20代女性の部屋にベランダから侵入。
帰宅した女性をひものようなもので縛って持参したバッグに詰め、車に乗せて数キロ離れた自宅に連れ込み、2日後の朝まで監禁して繰り返し乱暴した疑い。

 どうして引用しないんだろう。それにしても、肝心の本文もヒドい。だって、夜中に部屋に侵入した男に連れ去られるのと合コンで「お持ち帰り」されるのは全然別の問題じゃないか。「合コンなんておっかないに決まっている!」「お持ち帰りされる女の子はろくでもない!」とか考えているんだろうか。唐沢俊一が若いときにいかに遊んでいなかったか、もてなかったかという話だが、若い日の苦い思い出は50歳を過ぎても残るものなのかもなあ、と少し考えさせられた(自分も遊ばなかったうえにもてなかったので)。


 続いて、2008年9月に発生した女性の腐乱死体が発見された事件を紹介しているが、これもやはりニュースを下敷きにしている。

 2008年9月、新宿ワシントンホテルの24階客室でスーツケースに入れられた女性の腐乱遺体が見つかった。持ち運んでいたのは住所不定無職の男性(56歳)。遺体の女性は男性の妻(58)で、この夫婦は定まった住居を持たず、ホテルを転々としながら生活していたという(収入はどうしていたのか?)。妻はそんな暮らしの中病死し、夫は「少しでも一緒にいたくてスーツケースに入れて持ち歩いていた」と証言したとのこと。

産経ニュース2008年9月22日付け

 東京都新宿区の新宿ワシントンホテル24階客室で今月5日夜、スーツケースに入れられた女性の腐乱遺体が見つかった事件で、警視庁捜査1課は22日、死体遺棄の疑いで、住所不定、無職、幸山泰之容疑者(56)を逮捕した。
 遺体の女性は妻の容子さん(58)。夫婦でホテルを転々としながら生活している最中に病死したといい、幸山容疑者は「少しでも一緒にいたくてスーツケースに入れて持ち歩いていた」などと容疑を認めているという。

 だから、どうして引用しないのかと。それにツッコミが陳腐すぎるし、気になったのなら何故調べないのか。


 さらに続いて、2008年に福島県で起こった乳児の死体遺棄事件を紹介した後(こちらはコピペしてない)、1973年5月16日に起こった事件を紹介している。こちらもコピペとまでは言えないが、「少年犯罪データベース」を参考にしているものと思われる。
 
 …それにしても、今まで挙げられた事件って別にそんなに珍しい事件とも思えないんだけどなあ。ただ並べただけって感じ。それにバラバラ殺人は死体を運びやすくすることが主たる目的のひとつなのだが、唐沢が取り上げていないのが不思議。それから、プラスティネーションという遺体の標本を保存する技術があるのだが、布施英利の本で机の上にプラスティネーション標本が無造作に置かれているのを見たっけ。あれなどはまさに人体のポータブル化なんだろうけど。
 もうひとつ気になるのは、2006年、2008年、2008年、1973年、と取り上げられている事件の発生した時代が散らばっていることだ。これは前回の記事でも指摘したが、唐沢俊一の時間感覚がズレてしまっているせいだと思う。ネットでは最新の情報も昔の情報も拾うことができるが、その代わりあまり頼っていると時間感覚が失われてくるということがあるのかもしれない。時間感覚の喪失はライターにとって致命的な要因に成り得るので気をつけて欲しい。


 さて、この次に紹介されているのは、アドルフ・アイヒマンユダヤ人をヨーロッパ各地から強制収容所へと送り込んだエピソードである。
 …思わず盛大にずっこけてしまった。それは「ポータブル」=持ち運びが出来る、というテーマにはあてはまらない話だろう。それに気づかない唐沢俊一も担当の続木順平さんもどうかしている。
 まあ、テーマを理解できていない時点でやる気が限りなく失われているのだが、なんとか頑張って内容をチェックしてみたものの…やっぱりダメだった。

 アイヒマンは計理士あがりで、ビジネスをきちんと予算・計画に従って実行する能力に長けており、極めてビジネスライクに、この地獄への人間輸送を続け、500万人以上のユダヤ人が2年間で強制輸送された。

 計理士(会社の会計担当)だったのはアイヒマンの父親で、アイヒマン自身は普通の会社員。

人間輸送の名手として名を挙げたアイヒマンは(その秘訣は人間を人間扱いしないことだったわけだが)、1944年、その計画が捗っていないハンガリーに派遣され、直ちにユダヤ人移送の達人の手腕を発揮、40万人ものユダヤハンガリー人を列車輸送してアウシュヴィッツに送った。

 この部分はウィキペディアを下敷きにしている。

アイヒマンの実績は注目され、1944年には計画の捗らないハンガリーに派遣される。彼は直ちにユダヤ人の移送に着手し、40万人ものユダヤハンガリー人を列車輸送してアウシュヴィッツガス室に送った。

変な情熱でアイデンティティを確保する人間というのはいるものだが、学校でも成績が悪く、会社でもパッとしない存在だったアイヒマンにとり、ユダヤ人の輸送は初めて彼がその存在を認められた、栄誉ある事業だったのかもしれない。

 唐沢俊一を検証していくうえでも興味深い一文。

 このアイヒマンは、やがて自らも“強制輸送”されることになる。戦後、ドイツを脱出してアルゼンチンのブエノスアイレスに潜伏していたアイヒマンイスラエルの秘密組織モサドのメンバー、ピーター・マルヒンによって拉致される。しかし、この行為はアルゼンチン政府の許可を得ていない非合法なものだった。これでは彼を出国させられない。そこでモサドアイヒマンを“荷物扱い”にして、アルゼンチン独立記念日イスラエル政府関係者が乗ってきた飛行機に詰め込み、イスラエルへと送った。ユダヤ人を貨物扱いした男は、最後に貨物と偽って運び出されたのである。

 「荷物扱い」というのがどういうことなのかよくわからないが、ヨッヘン・フォン・ラング編『アイヒマン調書』(岩波書店)によると、アイヒマンがアルゼンチンを出国する際、金持ちの重病人を装って車椅子に乗せられていたという。それに、アイヒマンがアルゼンチンから連れ去られたのは5月21日だが、アルゼンチンの独立記念日7月9日。ついでに書いておくと、“Peter Malkin”を「ピーター・マルヒン」と読むのだろうか。


 そして、最後にアインシュタインの脳にまつわるエピソードが書かれている。要するに、マイケル・パタニティ『アインシュタインをトランクに乗せて』(ソニーマガジンズ)と『アインシュタインの脳』というドキュメンタリー映画で描かれていることの説明である。「こんな映画を観たよ!」と紹介するだけというのも芸がない話だが。唐沢俊一が『アインシュタインの脳』を観ていることは「裏モノ日記」9月6日でわかる。が、『アインシュタインをトランクに乗せて』を読んでいるのかどうかは疑問である。『古今東西トンデモ事件簿』には次のようにある。

 45年後、80代になっていた(引用者註 トーマス)ハーヴェイは突如、遺族にこの脳を返還する。アメリカの雑誌ジャーナリスト、マイケル・バタニティが、この時の、遺族に脳を返しに行く時の自動車でのハーヴェイの旅行を、雇われた運転手の目を通して描いた『アインシュタインを車に乗せて』という本に書いていて、これが非常に面白い。相対性理論を創案し、原子爆弾の研究にも携わった大天才の脳がタッパーの中のホルマリンの中で揺られながら、アメリカの田舎町の牧歌的な情景の中を運ばれていくイメージは、どこかシュールである。

 「非常に面白い」と言っている割りには、本のタイトルと著者の名前を間違えている。本のタイトルはアインシュタインをトランクに乗せて』、著者の名前はマイケル・パタニティ(Michael Paterniti)である。半濁点と濁点を間違えているわけだ。前にあげた「裏モノ日記」では本のタイトルは正しいものの、やはり著者の名前を間違えている。本当に読んだのかどうか。
 もうひとつ本当に読んだのか疑わしくなってしまうのは、『アインシュタインをトランクに乗せて』にあるおいしいネタをスルーしている点だ。アインシュタインの脳を持っていたトマス・ハーヴェイ(Thomas Harvey)はウィリアム・バロウズの友人なのだ。…つまり、アインシュタインの脳を保管していた人と『裸のランチ』の作者が友人だったわけで、物好きな人間なら絶対に無視できないはずなのだ。しかも、バロウズは『アインシュタインをトランクに乗せて』の中にも登場していて、メタドンを服用しているのに加えウォッカのコーク割りをがぶがぶ飲むわマリファナを吸うわ、無茶苦茶な行動をしている。…「裏モノ」好きな人がこんな大ネタをスルーするとは。他にも旅の途中では「エデンの園」(『探偵!ナイトスクープ』に出てくる「パラダイス」みたいなところ)や、ロスアラモス(原爆とアインシュタインの関係は言うまでもない)に立ち寄ったりしているのだが、それもスルー。…本当に読んだのかなあ。

…我々は、日頃、カバンや道具類は持ち歩いているという意識を持っているが、人体の各パーツは、持ち歩いているという感覚にはない。しかし、例えば足1本を切り取って、“もの”として自分でそれを持ってみた場合、その“重み”を実感してドキッとするのではないか。

 そりゃあ、人体の各パーツは自由に取り外すことができないんだから「持ち歩いている感覚にはない」のは当然なのではないかと。笠原和夫の本に出てくる、指でなく手首を詰めたヤクザが重心を上手く取れなくなってしまったというエピソードを思い出したけど(『仁義なき戦い/代理戦争』の川谷拓三のモトネタですね)。

 結局、唐沢俊一は、人体が持ち運びできるという事実は、人体が物に過ぎないということを再認識させるものであって、

 持ち運びという行為は、我々のアイデンティティの本質を、実は根底から覆す行為といえるのかもしれない。

と締めている。まあ、それまでの流れを考えれば普通かなあ。とりたてて誉めるほどではないが。


「私は命令に従っただけセヨー。ハンナ・アレントに分析されたくないスムニダ」(「ナチスの軍人あるある」とかもやろうかと思ったけど「どんずべりセヨー」になる予感がしたので自重)


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改訂版 南くんの恋人

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アインシュタインをトランクに乗せて (ヴィレッジブックス)

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ラジオライフ 2009年 11月号 [雑誌]

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