愛はブーメラン。
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唐沢俊一『博覧強記の仕事術』(アスペクト)の検証もいよいよ大詰めである。
桂文楽の全集に文楽の失敗作が収録されなかったことを説明したうえで、P.173にこのようなことが書いてある。
商品化する際にはまず、プラスの価値観を表立って宣伝せねばならないという原則を、竹書房はわかっていると感心した。坂本竜馬にしろ土方歳三にしろ桂文楽にしろ、ものを売るときには、彼らをよく見せようという愛が必要なのである。
山本弘会長は『オタク座談会』でアニメや映画の悪口を言った後で「愛があるからこそけなせる」というようなことを言っていたけどなあ。まあ、会長に愛があるかどうかはともかくとして、悪口や罵倒は面白ければ芸になるのであって、ヘタクソなものはたとえ愛があったって認められないんだけど(会長の悪口がヘタクソと言ってる訳じゃないので誤解しないように)。そういえば、唐沢なをき『まんが極道』第30話「僕は漫画家(うそ)」でも、
いつも読んでいるよトビムシ先生!!
あいかわらずつまらない!
(愛するがゆえの苦言)
とか漫画家のブログに書き込んでいるやつがいたなあ。なんなんだろう、この「愛」ってやつは。「愛」があるからって何をしたっていいわけじゃないだろう。
ちなみに、自分が唐沢俊一を検証していることについて「愛がある」とか言われることがたまにあるが、自分は唐沢に対して「愛」はまったくない。もちろん「怨恨」もないし、とにかくまったく思い入れはないのだ。じゃあ、どうして検証してるのか?というと…、それについては冬コミで出す予定の『検証本VOL.2』で説明することにする。このブログの主人公はあくまで唐沢俊一なのであって、kensyouhanなる人物の自分語りをしてもうざったいだけだと思ってあえて語らないことにしていたのだが(それに自分の話はあまり書きたくない)、一応ちゃんと説明しておいたほうがいいのかもしれないしね。
しかし、「愛」の話はつづく。P.174には「知識への愛」とある。
情報というのは、ただ並べ立てているだけでは、つまらないものである。それを魅力的にするには、構成であるとか、編集という作業が必要になるのであるが、その基本にあるものは、取り扱う情報、もしくは知識に対する“愛”である、という気がしている。
博覧強記と言われる人々が、なぜあれだけ知識を貯め込めるかというと、知識そのものを彼らが愛しているからである。そして、愛するがゆえに、それを最も面白く、世間にアピールする形でアウトプットしたい、と考えるからである。
『博覧強記の仕事術』というタイトルの本なんだから「技術」についてもっと語るべきだったと思う。情報を魅力的に見せる「技術」の説明がなされないままに「愛が大事だ」という話をされてもビジネスに生かしようがない。「技術」のないままに「愛」だけで作業しようとすれば一人よがりに陥ってしまうのがオチである。また、社会人ならば自分の意に沿わない、「愛」のない分野の仕事もしなければならないのだが、そのような仕事でも「技術」を修得していく過程で「技術」に面白みを覚えて、分野全体に対する「愛」が芽生えていくことも有り得る。…そもそも、唐沢俊一に「取り扱う情報、もしくは知識に対する“愛”」が本当にあるならば、あれほど多くのガセを書ける筈がないし、他人の文章をパクれる筈がないのだが。
それから、何度も書いていることだが、唐沢俊一は「博覧強記」を誤用している。
P.174〜175より。
多識・博識と呼ばれる人に私はこれまで数多く会っているが、そのうち、本当に知識を愛している、その面白さを愛している人というのは、ほんの一握りにすぎなかった。
他の多くの人は、“知識を多く持っている自分”を愛していたのだった。
「こんなにたくさんのことを知っている自分は何て偉いのだろう」
というナルシズム(原文ママ)に酔っている人の知識は、それがどんなに広く、深くても、人を動かすことが出来ない。人には常に嫉妬の心がある。知識というものには素直に感心出来ても、その知識を振りかざす人間には感心できないのである。
いや、それよりもっと、人を動かすことが出来ないのは、何度もすでに言っているが、そもそも他人に届かない言葉で知識をだだ漏れにしている人である。この場合は、そもそも、何を言っているのか理解されない。
自分の財産である知識・情報を他人に分かち合えない人たちの、もうひとつの特徴は、やたら怒りっぽいことである。ものを知らないことが、まるで悪であるかのように、
「こいつらはこんなことも知らない」
と憤ってみせる。すべての人がすべてのことを知っているわけもあるまいに。
…いやあ、なんというか。唐沢俊一史上でも珍しいブーメラン連発というか。ナルシストほど他人のナルシシズムが許せないのかもしれないなあ。
もうひとつ面白いのは、唐沢俊一が正しい意味での「博覧強記」な人々へ憤りと嫉妬をむきだしにしていることである。「お前らがどんなに知識があったとしても、テレビに出たり雑誌で連載できないだろう!」とでも言いたいのだろうか。「知識への愛」があれば自分より物を知っている人間を素直に尊敬できるんじゃないかなあ。
しかし、自分には唐沢の怒りが理解できない。「知識というものには素直に感心出来ても、その知識を振りかざす人間には感心できないのである」…そんなのよくあることじゃないか。簡単なことで「この人の人格は尊敬できないけど、この人の持っている知識は役に立つ」と判断して勉強させてもらえばいいではないか。それは本を読んでいてもよくあることで、決して珍しいことではない。伊藤剛さんもこれと同じような話をしている(「あるサブカルライター氏」が誰なのかは説明するまでもないだろう)。自分の気に食わない人、考え方が合わない人からも学べることは素直に学ぶことが必要なのだ。それを続けているうちに、自分なりに知識を咀嚼するコツが身につき、自分と考えの異なる話に接しても冷静に分析できるようになるのである(慣れないうちはどうしても「自分と違う」というだけで感情的になってしまう)。「あいつは気に食わないから、あいつの知識もくだらないに決まっている」と考えるのははっきり言って思い上がりでしかない。勉強をしたいのか、プライドを守りたいのか、どっちかを選ぶべきだろう。
…それにしても、50歳を過ぎた人が知識の多寡をめぐって感情をむきだしにしているのを見るとつらくなってしまう。『TVチャンピオン』の小学生○○王決定戦で、負けた子がベソをかいていたら「もっと勉強しようぜ!」と微笑ましく思えるんだけど。20歳近く年下の人間からしてみれば、年長者には「自分も歳を取ったらああいう風になりたい」と思わせてほしい、と願うばかりだ。
P.175〜176より。
なぜ、テレビの旅番組では何にも知らないアイドルにナビゲーターをさせるのか。私も最初不思議に思っていたが、あれにはちゃんと意味があるのだ。もし、知識のある人間がナビゲーターになると、旅の途中で何を見ても「ふーん」と言って通り過ぎてしまう。好奇心のある何も知らないアイドルだからこそ、「キャア、コレ、なんですか? キャアキャアキャア、わわわ」と大騒ぎをするのであって、そうでないと番組は成立しない。一般人に見せるレベルはそのくらいでないといけないのだ。
「ワシントン殺人事件」の犯人にアイドルを馬鹿にする資格があるのかどうか。いわゆる「おバカ」タレントは珍解答をしたらちゃんとリアクションをとってウケを取っているから唐沢俊一より仕事ができているよ。あと、旅番組に出る芸能人はアイドルでなくても旅先で出会う物事にいちいち感心を示しているように思うのだが。…それにしても、唐沢俊一は「一般人」向けの仕事をナメているんじゃないか?と思ってしまう。まあ、その割りには、というかナメているからこそ「ワシントン殺人事件」を起こしてしまったわけなんだけどね。マニア向けの仕事を薄めれば一般人向けになる、というほど簡単なものじゃないということくらいは最低でもわかってほしいところだ。
P.176より。
年寄りになると感動しなくなる、と言われるのは、知識が増えてしまうから感動しにくくなるのだ。しかし、好奇心さえあれば、情報がいくら増えても、「まだ知らないこと」を探せるはずなのだ。
これは、恋愛とまったく同じで、相手に対する好奇心をいつまで持っていられるかで、恋愛の寿命が決まってくる。
「オレは、こんな些細なことで感動なんかしないぞ」というプライドは捨てよう。
ほんの少しの好奇心さえあれば、くだらないことにも、面白味と興味を持つことができるはずだ。
「俺は年々涙もろくなってるけどなあ…」と思ったがそれはともかく。
検証しているうちに思ったのだが、唐沢俊一の雑学にガセが多いのは好奇心が少ないせいではないだろうか? 興味を持っているのがごく狭いジャンルに限られているせいで、それ以外の話になるとガセが急増すると考えたのだがどうだろう(だから、唐沢が詳しい「ごく狭いジャンル」がなにかあるんじゃないか?と思うのだが)。それから、雑学を紹介していても、関連する物事の紹介が抜け落ちていることが多いのも好奇心が少ないせいだと思う。「なぜこれに触れない?」って思うことがよくあるからなあ。「オレは、こんな些細なことで感動なんかしないぞ」ってもしかすると本気で考えていたのだろうか。
P.176より。
「すべて人間は、生まれながらにものを知ろうとするものだ」
とアリストテレスは言っている。知識を持ちたいと願うことは、人間の本能なのだ。そして、人間社会というものは、知っている者が知らない者にその知っている知識を分け与え、さらに自分が知らないで相手が知っている知識を分けてもらうことで成立している。
アリストテレスの言葉は『トリビアの泉』のオープニングで使われたものだが、それ以前に使われていたアイザック・アシモフの言葉については出典が明らかでなく、本当にアシモフの言葉かどうか疑われている(詳しくは「トンデモない一行知識の世界OLD」を参照)。…おそらく、アシモフの言葉に問題が生じたため、スーパーバイザーである唐沢俊一がその代わりにアリストテレスの言葉を勧めたということなのだろう。まさか、『トリビアの泉』にインスパイアされた、なんてことはないよね?
…っていうか、唐沢俊一は他人の知識を勝手に盗んでいるんだから、人間社会の根幹を揺るがしているんじゃないのか?
P.176、178より。
「わずかしか知らないものほど多くしゃべる。識者は多く沈黙している」
とジャン・ジャック・ルソーが言ったおかげで、みんな、自分を識者だと思われたがってしゃべることを控えるようになった(そんなこともないか)。しかし、広大な知識の世界から見れば、自分がどれほどものを知っていたところで、わずかしか知らないものであることは明白だろう。ならば、しゃべろう。そして、知識の交換をし合おう。
またもやブーメラン炸裂。偉人の名言を引用しているから破壊力が増している。あと、残念な話だが、正直唐沢俊一と「知識の交換」をしたくないです。だって、パクっても謝罪しない人に何かを教えたら、別の場所で「俺が見つけたトリビアなんだけどさあ」とかウソついて自慢しそうだもの。…実際やってそうだし。
そういえば、『週刊プロレス』編集長時代のターザン山本は他人から聞いた意見をそのまま記事にしていたらしいけど、いよいよ俺の持論である「唐沢俊一=ターザン山本」説が真実味を帯びてきたような。あと、この2人はどっちも糖尿だしなあ。唐沢俊一は何故か伏せてるんだけどね。ちなみに、「裏モノ日記」9月19日にはこのようにある。
病院で検査結果聞く。
大いに結果よろしく(尿酸値のみも少し下げる必要ありとか)。
次回からは検査も採血のみでいいでしょうと。
カテーテル検査も来年に延ばしてもらう。ホッとして帰宅、11時に朝昼兼用の食事。母手作りのイクラ丼も。
刻んだシソの葉の香りが大変にいいので訊いたら、
野生化して生えているのを見つけて摘んできたのだそうな。
思い掛けないもの貰い、感謝と決意。
「尿酸値を下げろ」と言われた直後にイクラ丼を食べても大丈夫なんだろうか。魚卵にはプリン体が多量に含まれているんじゃなかったっけ。
これで本文は終わり。次回、『博覧強記の仕事術』の総括をします。
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