エヴリバディ・ラヴズ・ザ・サンション。
・伊藤剛さんが「トンデモない一行知識の世界2」のコメント欄で唐沢俊一が伊藤さんについて全くの虚偽を述べていたことを明らかにしている。うーん、なんだろうなあ。伊藤さんを貶めようとしているのか、記憶力がダメダメなのか。どっちにも受け止められるから困る。個人的な感想だが、唐沢俊一は伊藤さんのことになると頭に血が上ってしまっているように見えるのが不思議。なんというか、伊藤さんを陥れようとして狡猾に振舞っているというよりは激情の赴くままにやっちゃっている感じ。
・さて、絶賛進行中(?)の『博覧強記の仕事術』の検証なのだが、唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板の住人からは「つらくて読めない」という悲鳴が次々に上がっている。今まで唐沢俊一という面白物件についてきたツワモノたち(物好きともいう)でも、『博覧強記の仕事術』から発せられる毒電波には耐え切れないらしい。唐沢の他の本ならガセやパクリを発見して笑うという楽しみがあるのだが、『博覧強記の仕事術』では、ただひたすら唐沢の「俺はエラい俺はスゴい」という自慢話と見当違いの勉強法につきあわされるのだから、精神がもたなくても無理はないのかもしれない。もしくは、唐沢が語り大内明日香女史が編集するという最強タッグのせいなのだろうか。リミッターが外れたというか原液のままコップに注がれてしまったというか。…っていうか、読んでいるだけでもたないなら、検証している俺の立場はどうなのよ?とは思うけど。まあ、一度に読むと危険だから少しずつ読んでくれればいいんじゃないかと。他の本からのネタも織り交ぜながらやっていくので(昨日もまた新ネタを発見してしまったよ…)。しかし、あと100ページ残っているのでいつまでかかることやら。「エンドレスエイト」4週目突入でもまったくこたえない俺でも多少ヘコたれる。
・では検証の続き。P.88の見出しは「とにかく“楽しく”勉強しよう」である。
私は、人からよく「一ヵ月にどのくらい本を読むのですか」と聞かれる。確かに人に比べれば読書量は多い方だと思う。
しかし、私はノルマとして例えば「一日に一冊読む」「三冊読む」などということを自分に課してはいない。言うなれば、「水のように読み、空気のように観る」というのか。いちいち「やらねばならない」と思ってやるわけではない。
特定の分野を勉強し始めたときならともかく、ある程度のレベルにまで達した後は、読みたいときに読み、観たいときに観る。それで充分なのだ。
ああいった強迫観念のようなものを身につけてしまうと、必ず、目的と手段が逆転してしまう。新聞であれば、「新聞を読むことによって、情報を得て、知的な快感を与えてもらおう」というのが目的であるはずなのに、「今日は何紙の新聞を読んだ」という満足感だけを得てしまう。それでは本末転倒だ。いわば情報の「コレクション」をするだけで満足しているにすぎない。
こんなだらしないやり方で「博覧強記」になれるのだろうか。「ある程度のレベル」まで達することがまず大変だし、「ある程度のレベル」まで達したところでサボればすぐに力は落ちてしまうことは唐沢俊一を見ていればわかることだ。自分では能力を維持できているつもりなのかなあ。だいたい「ある程度のレベルにまで達した」ってどうやって判断すればいいのか。それに、新聞を「知的な快感」とかそんな大層な目的のために読むものなのか疑問だし、ならば新聞をどのように読めばいいのか書かれていないのは不親切。あと、唐沢俊一は古本の「コレクション」をするだけで読まずに満足していなかったか?とも思う(この問題については後日あらためて取り上げる)。
P.89より。
とにかく情報というのは、自分の中に取り入れて分析しなければ、使える情報にはならない。ただ雑多に詰め込むだけでは、それは消化できずに流してしまうことになる。
要は「再構成能力」、つまり編集能力なのだ。
どの情報を選び、発展したものを作れるか。また、それがどのくらい個性的かはあなたの審美眼にかかっている。素材が少なくても、組み合わせの妙でいくらでも面白いアウトプットが可能なのだ。
要するに自分で咀嚼が出来て、自分なりにそれを楽しめ、かつ別の形にしてアウトプットすることが出来るものの情報量というのは、ある程度自分を鍛錬していけばわかるようになる。自分の酒量が自分でわかる、酒飲みのようなものだ。
まあ、唐沢俊一の「再構成能力」は確かに個性的ではある。ネット上から他人が構成した情報を選び、確実に劣化させたものを作り上げるのだから。個性的ならなんでもいいってものでもないけどね。ついでに書いておくと、自分の酒量をわかったつもりになって深酒をくりかえして失敗する酒飲みは多いと思う。
P.89〜90より。
私も一時は情報乞食に自分から進んでなっていた。例えば「映画は年に三六五本観ないとダメだ」「本は年間五〇〇冊読む」というノルマを自分に課していた。
しかし、そこまでして詰め込んだ知識がすべて私の身になっているかというと、決してそんなことはない。
脳というのは、コンピュータとは違い、すべてのことを正確に覚えることはできない。これはミステリー作家の人に聞いた話だが、最後の一行を読むまで、以前この本を読んだことがある、ということに気がつかなかったことがあるそうだ。たくさん読む人というのは、そんなものである。下手すると、自分の書いた作品すらわからなくなる。むしろ、「少ししか読まない」人の方が、内容をよく覚えていたりするのだ。
「自分の書いた作品すらわからなくなる」ってデュマみたいだな。それにしても、唐沢俊一は論理力がない。「読書家が前に読んだ本の内容を忘れてしまった」ことを挙げたって「「少ししか読まない」人の方が、内容をよく覚えていたりするのだ」ということの証明にはならない。読書家の方が「少ししか読まない人」よりは内容をよく覚えているんじゃないか? ノルマを課して本や映画をチェックしていた頃の唐沢俊一は本数をこなしていない人のことをバカにしていたんだろうなあ、とふと思った。
P.90より。
だから、「たくさん読んで基礎体力をつける」というのも結構であるが、「楽しいものしか読まない」「面白そうなものしか観ない」というのも、審美眼を磨く上で、大事なことなのである。しかもその方が長続きすることは間違いない。
前にも書いたが、「博覧強記」というのは「好きではないジャンルについても詳しい」ことを意味している。だから、好きなことだけ勉強していたって「博覧強記」にはなれない。「博覧強記」になる方法を教えるのであれば、どのようにしたらたくさんのジャンルに興味を持てるようになるのか、一見とっつきにくい難解に見えるものをどうやったら楽しめるようになるのか、などを教えなければならないと思うのだが、唐沢俊一はただひたすら「好きなことだけやればいいよ」と読者を甘やかしてばかりいる。生徒に甘いことばかりを言っている先生は生徒から尊敬されないものなんだけどね。
P.90には「3ションが勉強のコツ」という見出しがある。「3ション」についてP.91〜92に説明がある。
私は能率的な勉強に必要な条件を「3ション」と言っている。
モチベーション。
テンション。
そして、連れション。
モチベーションというのは「動機」。この勉強をすればいい大学に入れる、という大きな勉強に対する動機づけが受験勉強にはある。
そしてテンションは「緊張」。模試や学内試験などで、受験が近づくにつれ、否応なしに緊張感が高まる。
最後が連れション。トイレを一緒に付き合おう、というような、友人のことだ。受験勉強の時期であれば、同じ勉強を友人もやっているわけで、トイレの便器を前にして並びながら、
「今、数Ⅲどこまで行ってる?」
とか、雑談することで自分の勉強の進み具合を比較して確認できる。
…ダジャレかあ。いや、書いてある内容自体はおかしくはないと思うけど、ダジャレかあ。「コンビネーション」でもいいような気もするけど。まあ、俺はダジャレは好きなんだけど(ブログの記事のタイトルを見ればわかりますね)、ダジャレがダメな人もいるから考えた方がいいと思う。唐沢俊一の書き方だとダジャレなのかマジなのかよくわからないし。それにしても唐沢俊一は数Ⅲを勉強していたのだろうか。微積かあ。
その後で、ソルボンヌK子の簿記の勉強が上手くいったのは「3ション」が揃っていたからだ、という話になるのだが、「モチベーション」として挙がっているのが、
私たちの雇っている会計事務所が高くて、あまり仕事をきちんとしてくれない、という不満があった(その後、きちんとしてくれるようになったが)。
なので、「会計事務所の人がこの本を読んでいたらどうなるんだろう」と思ってしまった。
それから興味深かったところ。P.93より。
独学の弱点は、目的を同じくする学友がいない、ということである。私自身、ライターになるための勉強は独学でやっていたもので、取材の方法や、文章を形にする手順などは、全部自己流である。だから、最初から編集部で先輩に鍛えられてきた同業者には、いまだにコンプレックスがある。
だからか! 文章にガセが多すぎるのも同業者に対して妙にからむのもそのせいか。
P.94より。
大学受験のための勉強のほとんどは、後の人生において役に立つことのあまりない知識かもしれない。しかし、そんな不要な学問を、曲りなりにも短期間に身につけさせてしまう、その受験勉強の「システム」というものは、もう一度評価し直してみる必要性があるかもしれない。
…えーと、第2章のアタマで「受験勉強の方法論は、大人の読書にはまったく役立たない」って書いてあるんだけど(詳しくは7月1日の記事を参照)。
しかし、受験勉強の方法論がなぜ人生に役立たないかというと、受験においては本質的な理解よりも、反射的に単語が出てくるとか、このカッコを埋める単語を選択するとか、といういわばパズルを完成させるような能力が必要とされる。その詳しい内容については知らなくてもいいし、それで充分なのである。
けれど、実際の仕事や生活において、そういう知識というのは役に立たない。レベルの高い大学を卒業した人が、意外に仕事で無能なことがある、というのはそこに理由がある。学歴と能力が正比例しない、といわれる所以である。
実生活において役立つ「本当の知識」、そしてそれを身につけるための勉強は、受験勉強のように「効率よく暗記して反射的に出るようにする」のとは違う。そんなことはそれこそパソコンに任せておけばいいのである。
受験勉強と同じやり方で知識を身につけてもダメだと書いてあったのに、今度はそれを評価している。一体どっちなのよ。
明日は『博覧強記の仕事術』以外のネタをやります。
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