唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

合言葉は勇気。

ダーク・ボガード主演の映画の方を観たいのだけどソフト化されていないのだろうか。


前回の記事について、藤津亮太さんからご指摘を受けたので訂正しておきました。藤津さん、どうもありがとうございました。なお、『エヴァ』の「最終2話」については本に入れるときにもう少し補足しておくことにします。


・では、唐沢俊一『博覧強記の仕事術』(アスペクト)第2章の検証を再開。
 

 P.70で唐沢俊一「付箋を貼るな、ページを折るな、アンダーラインも引くな」と書いている。その理由はP.72で次のように書かれている。

 それに引き換え、アンダーラインは、最初は目立つからチェックしやすいと思えても、どんどん引いていくと、そのアンダーラインを引いた中にも重要さの高低が出来てしまって、結局、どれが一番大事なのやらわからなくなってしまう。
 一番問題なのは、マーカーを手にして本を読むと、本能的に読書の目的が、本の内容を楽しむことでなく、“マーカーでラインを引く”ところを見つける、という作業になってしまう。そんな読書、面白くもなんともない。

 新井理恵『×―ペケ―』(小学館)で妹がお兄ちゃんに教科書を借りたら全部の文章にマーカーでラインが引かれていたというネタがあったな。で、唐沢はラインを引く代わりに筆写をすすめている。同じくP.72より。

 もし、一字一句間違わずに覚えておきたい、と思うのなら、労をいとわずに筆写することである。これが一番、頭に入る。パソコンにデータとして打ち込んでおけば、後で検索するにも便利だろう。

 実はこの「アンダーラインを引くな。その代わりに筆写しろ」というのは、三田紀房ドラゴン桜』(講談社)2巻で数学の柳先生も言っていることで、勉強法としてはわりと有名なのかもしれない。ただし、『ドラゴン桜』では「教科書に書き込みをするとその部分を覚えた気になってしまい復習する気がなくなる」という理由になっていて、『博覧強記の仕事術』とは違っているのでパクリというわけではないだろう。
 しかし、唐沢俊一が問題なのは、アンダーラインや付箋を否定する一方でこんなことも書いているところだ。P.70〜71より。

 私の知っている人で一番付箋を多く使うのはと学会の山本弘会長だろう。彼がトンデモ本大賞などで本を発表するときには、その本の縦横に、タテガミみたいにびっしり貼られた付箋が、会場の笑いを誘う。あれは、発表するときにページを引きやすくするための便宜なのである。それから、後で原稿に引用する際のチェック用。彼の自宅の書棚を見せてもらったことがあるが、付箋はほとんどなかった。第一、そんなものを貼っていては、書棚におさめにくくなる。

 山本会長が付箋を使うことを否定していないのだ。それに、発表や引用するときには付箋は役立つという内容になっているわけだから、実は付箋を使うメリットはちゃんとあるということになる。『博覧強記の仕事術』の副題は「効率的なインプット&魅力的なアウトプット指南」なのだから、アンダーラインや付箋はインプットするうえでは使えないがアウトプットするうえでは役立つ、と書かなければいけないのではないだろうか。あと、アンダーラインを引き過ぎるとわからなくなる、というのであれば引く数を制限してみるとか。…ただし、実際に「トンデモ本大賞」を観てみると、本に付箋を貼って発表するスタイルは時間をロスするので変えた方がいいと思った(詳しくは6月7日の記事を参照)。「こんなにツッコミどころがあります!」と付箋だらけの本を見せて笑いをとるのはアリだとは思うけどね。 あと、唐沢はこんなことも書いている。P.70より。

 確かに私の仕事机の上にもマーカーや付箋は置いてあるが、それを使うのは、ほとんどが原稿書きの、引用部分などの心覚え用である。
 「ここはいい内容のところだから、アンダーラインを引いてよく覚えておこう」とは思わない。もちろん、付箋も貼らない。ましてページも折らない。本が痛んで、あとでブックオフにも売れなくなる。

 じゃあ、やっぱりアウトプットの時には使えるということなのでは。しかし、唐沢俊一ブックオフに本を売るんだなあ。


P.74より。

 くだらない本から何かを引きだそう、というようなケチ臭い根性でいると、本当にあなたにとって有益な本であっても脳が惹起せず、それが大事であることに気もつかないで、ただマーカーでアンダーラインを引いて、それでおしまい、になってしまう。

 そういう点では唐沢俊一の立ち読みの話も相当「ケチ臭い」と思うけど(詳しくは6月29日の記事を参照)。それから「惹起」の使い方がおかしい

P.71より。

 はっきり言うが、読んだ本の内容を全部覚えている必要はない。というか、本は忘れるために読む、と言って過言ではない。これはひと月平均一〇冊以上の本を読む習慣のある方ならおわかりだと思うが、一冊の本の中で、確実に覚えておかねばならないほど大事なことというのは、そうそうない。大体が「この著者はこういうことを言っている」ということの確認程度である。そういう本は読んだ端から忘れていく。

 言っている事自体はおかしくはないと思うが、唐沢俊一の場合は忘れすぎなんじゃないかと。それに「ひと月平均一〇冊以上の本を読む習慣のある方」が『博覧強記の仕事術』を読むのかどうか。この本はどういう人を対象にしているんだろう。


 その次に、唐沢は「自分のレベルを知っているのが大人である」と書いている。P.74〜75より。

 三〇、四〇になってから、新しい分野に進めないのはなぜか。それは、二〇代の人間の方が頭が柔らかいから、ではない。要は、時間が自分にはない、とにかく仕事や何かで忙しいから、回り道を嫌って、いきなり専門知識、それも難しい本に齧りつこうとする。それなりに自分も人生経験を積んでいるから大丈夫だろう、と思ってのことなのだろうが、それは甘い。やっぱり、物事にはまず紹介者が必要で、紹介者がうまく噛み砕いた入門書を書いてくれて、それを読み、それから徐々に専門的なものになっていく……というのが絶対に必要なのだ。
 焦りもあるし、自負もあるから、「ジスイズアペン」というレベルに落とすのが耐えられない。あの机の上に載っているのはノートですか、いえあれはペンです、みたいな文例のあまりの単調さ、バカバカしさというのに耐えられない、これが、年をとってから新しいことが始められない最大の理由である。

 ふむふむ。つまり「基礎をおろそかにしてはいけない」ということだな、と思いつつ続きを読んでビックリしてしまった。P.75〜76より。

 「中年以降にピアノを弾きたいと思ったら、バイエルはやめろ」という話を聞いたことがある。「バイエルの単調さ、あれに耐えられるのは若いうちだけだ。われわれは他にいろんな楽しみを知っているから、ジャズを弾きたいと思ったら、最初からどんどん難しいジャズをやれ。『スターライト』一曲しか弾けないかもしれないけど、それでいいんだ」と続いていた。
 何もすべての人がプロのピアニストになるわけじゃない。自分の楽しみのために弾ける曲が例えば三曲でもあったら、それで充分にみんなにオオッと言われる。女をナンパすることもできる(これも立派なモチベーションだ)。何もコンサートをやるとか、ライブをやるとかいうわけではないのだ。弾ける曲、一曲だけ聴いたら、それを聴いた人はみんな、あの人はピアノなら何でも弾けるんだと思い込む。その程度で、ピアノを弾いてモテるというぐらいの目的なら達成させることができるのだ。

えええ〜っ。
…直前まで基本を学ぶことの大事さについて語っていたのに、いきなり真逆の話になっちゃったよ。話の流れからすると「バイエルからやっていこう」とならなきゃおかしいんじゃないの? それから自分はジャズに詳しくないのだが、『スターライト』という曲があるのだろうか? 調べても見つからないので困っている。『星影のステラ』(stella by starlight)のことか?と思っているけど。もしくは『スターダスト』。まさか『ムーンライト・セレナーデ』のことではないだろうけど。ジャズに詳しい人にご教示していただきたいところ。まあ、俺も小学生の頃は光GENJIの『STARLIGHT』をソプラノリコーダーで吹いていたけど。意外と簡単にできるのでみなさんもおためしあれ。
 それから「弾ける曲、一曲だけ聴いたら、それを聴いた人はみんな、あの人はピアノなら何でも弾けるんだと思い込む」という部分は面白い。唐沢俊一が「一行知識」を披露したら、周りの人が「あの人は何でも知っている」と思い込んでしまった、ということもあったのだろうか。…こんなことを言うあたり、唐沢は「狙ってやっていた」のかも知れないな。
 あと、上の文章を読んでいて、唐沢俊一「ピアノが弾ける=モテる」というイメージが非常につらかった。いや、そういうイメージを持っているあたり、唐沢先生はもてなかったんだろうな…と思ってつらくなってしまった。あまりのいたたまれなさに思わず敬称をつけてしまったり。雑学じゃもてないのかなあ。

P.76より。

 もっと実用的な例を挙げよう。私の担当編集者でI君という東大出の人が、彼は、ホントに東大出か、と思えるくらい、教養話が嫌いだった。あの東浩紀と同期なのに。何しろ、驚いたことに英語がまったく出来ない。英語が苦手で東大受験を思いとどまっている人は考え直した方がいいかもしれない。

 東大を出ているのだったら誰と同期でも別に関係ないと思うけど、期によって優秀かそうでないかとかあるのだろうか。なんとなく春風亭柳昇を思い出したり。まあ、それは些細なことだが、このI君が実はかなり優秀な編集者であるという話になる。P.76、P.78より。

その後会ったとき、彼に「すごいね。さすが東大出は違う」と言ったら、そんなことはないと彼は言下に否定した。
 つまり、彼は、「その本を出すために必要最低限度の知識はどこあたりなのか」を見極め、わからないところは著者本人に聞いたり、入門書を読んだりするという。それで、本を編集すれば充分の知識量が身につくのだと言う。編集者は、最低でも著者の基本的勘違いなどを見抜く知識を入れていないといけない。記述の正当性を見抜くだけの知識は必要だ。だが、担当編集者が本を書く必要はない。あくまでも著者の原稿チェックが出来ればそれでいいのである。

 ありゃ、また「基本が大事」という話になっている。ピアノの話は一体なんだったのか。まあ、結局のところ、このI君という編集者は東大を出ているだけあって優秀なのだろう(I君が担当した唐沢の本を読んでみれば実際の能力がわかるはずだけど)。I君がいるのに「学歴と能力が正比例しない」と唐沢俊一が考えるのも妙なことだ(詳しくは7月1日の記事を参照)。I君が「そんなことはない」と否定したのも、唐沢が東浩紀に粘着していたのを知っていたからかもしれないし、「さすが東大出は違う」と言った唐沢の眼光にただならぬものを感じたからなのかもしれない。…妄想なので本気にしないように。
 それにしても、このくだりにはいろいろと考えさせられる。なぜなら、唐沢俊一がガセとパクリを乱発していたのは、編集者が充分に仕事をしていなかったせい、とも言えるからだ。「著者の基本的勘違いなどを見抜く知識」のある編集者がいれば、どこかで唐沢の劣化を食い止めることができたのではないか?とも思う。素人の自分でもこうやってチェックできているんだから、編集者にできないわけがないと思うんだけどなあ。
 なお、『博覧強記の仕事術』の編集を担当しているのはおなじみ大内明日香女史だが、この本にも編集者の問題が少なからずあるように思うので、総括のときにあらためて論じることとする。

P.78より。

 やはり、見栄、プライドというのは、やっかいなものである。「わからないです」と言えば済むものを、自分だけで何とかしようとするからボロが出るのだ。勇気を出して「教えてください」と言えば効率的に物事は進むのである。

 
 はいはい、自爆自爆。
…あのね、他人にあれこれ言う前に、まず唐沢俊一が勇気を出すべきだと思うよ。『サンナイン』について漫棚通信さんに素直に教えを求めていれば盗用なんてしなくて済んだし、「勘違いしてしまった」と反省していれば「ワシントン殺人事件」だってすんなり解決していた(詳しくは6月28日の記事を参照)。自分が出来ないことを他人に要求してはいけない。これは「仕事術」以前の常識の問題である。唐沢俊一も大人なら自分のレベルを知っておいてほしい。
 まあ、自分も唐沢俊一に直接会いに行くときは勇気を持って行動しているんだけどね。いつも単独で行動しているので「何人かの関係者に囲まれたらどうしよう」とか思ってしまうんだけど。そうなったらそうなったで「ネタになる」から別にいいか。夏コミはどうぞよろしく。…そろそろ原稿をなんとかしないとなあ。


唐沢俊一は突っ込まれるためにこの本を書いたのか?と思ってしまう。『博覧強記の仕事術』の中にも「確かにそうかも」と思える部分もあるのだが、せっかくいいことが書いてあっても、唐沢俊一がそれを裏切るようなことをしているんだからしょうがない。まあ、そもそも博覧強記でない人間が『博覧強記の仕事術』という題名の本を書いていることが一番の問題なんだけど。


合言葉は勇気 (1970年)

合言葉は勇気 (1970年)

×(ペケ) (1) (別コミフラワーコミックス・スペシャル)

×(ペケ) (1) (別コミフラワーコミックス・スペシャル)

ドラゴン桜(2) (モーニング KC)

ドラゴン桜(2) (モーニング KC)

[rakuten:peewee:10000871:detail]
標準バイエルピアノ教則本 全音ピアノライブラリー

標準バイエルピアノ教則本 全音ピアノライブラリー

光GENJI ベスト

光GENJI ベスト

NHK-DVD落語名作選集 春風亭柳昇 五代目

NHK-DVD落語名作選集 春風亭柳昇 五代目

博覧強記の仕事術

博覧強記の仕事術