小室直樹も小諸諸島でも持ってねぇ。
なんだお前も唐沢マニアか それなら最初に言ってくれよ
この前中野で見つけたんだよ ガセとパクリの専門店を
卓球と瀧のしゃべりの面白さは世界一なんじゃないかと思いつつ、唐沢俊一『博覧強記の仕事術』(アスペクト)第2章の続き。
唐沢俊一は「最も良質な情報を得られるのは「本」である」としている。P.63より。
「本」というものは、一番、効率的、効果的に情報や知識や見識を広めることを可能にする媒体である。また、映画も本と並んで、優れた媒体である。それらを教養の基礎に置くのはごく当然、自然なことである。
なぜ、本や映画が良質な情報を持つのかというと、それは媒体の持っている「規模の自浄作用」と言うべきものの結果である。ネットや携帯電話の情報と異なり、本や映画というのは、発信するだけで大変なコストを必要とする。それだけに、何でもかんでも発信するというわけにはいかず、さまざまな基準で情報を選別し、選ばれたものだけが本や映画となり、読者や観客に届くわけだ。規模が大きい媒体だけに、その自浄作用で、良質な情報が優先して発信されることとなる。
正直に言ってこの話を信じることはとても出来ない。何故なら、唐沢俊一のガセとパクリだらけの本を何冊も読んできたからだ。本当に「自浄作用」がはたらいているのなら、あんな本が何冊も出版されたりはしない。そして、この『博覧強記の仕事術』も「自浄作用」がはたらいているとは思えない惨状を呈しているのである。本というものはずいぶん簡単に出せてしまうものなのかもしれないと思ったりして、出版業界への信頼が若干薄れてしまったのだが。それに手前味噌で恐縮だが、当ブログの方が唐沢の本よりは「自浄作用」がはたらいている。多くの方々のご指摘によって、自分の記述に訂正と補足が加えられ、より適切な内容へと変化していっているからだ。ネットだからといってバカにしたものではない。
P.64より。
本というのは、良質な情報が簡便な形でパッケージされており、しかも手軽に購入することができる。
「大人の勉強」の基本は、本を読む、というのが一番手軽でためになるのだ。いささか古典的であるが、事実なのだから仕方ない。これはネットの時代になり、電子的媒体がどれだけ普及しても変わらない。むしろ、ネットの普及で本を読む人間が減り、今後は本を読む(=博覧強記人)と、ネットでしか情報・知識を得ない人に完全に二分されるような気がする。
個人のブログやサイトから盗用をくりかえしている唐沢俊一は「ネットでしか情報・知識を得ない人」の方だろう。「ちゃんと原典にあたれ」って何度書いたっけなあ。原典にあたらないせいで間違いも多くなってしまったわけだからね。
P.64〜65より。
もちろん、ネットで情報を手っ取り早く得るということの利点は限りない。しかし、ネットの弱点もまさにそのコンビニエンスなところにある。ネットで得た情報というのは、基本的に頭の中に、区分なく記憶されていく。重要度による区分けというものがない。早い話が、お総菜の胡麻よごしの作り方と、国際政治における外交理論といったものが、ランダムに頭の中に入ってくる。整理がつかないのである。
意味がわからない。お総菜の作り方と外交理論がゴッチャになるって、筒井康隆『亭主調理法』じゃないんだから。それはネットの問題じゃなくて記憶する側の問題なんじゃないかと思う。
なお、この続きで、コナン・ドイル『獅子のたてがみ』から「私の頭は言わばごたごたした収納部屋みたいなもので、ありとあらゆる荷物がその中に収蔵されている−あんまりにもたくさん詰めこんであるので、何を入れたかぼんやりとしか思い出せないことになっても無理はない」というホームズの言葉が引用されているのだが、出典が明記されていないのでネット上から拾ったんじゃないのか?と思ってしまう。「ネットより本が優れている」という話をしているのだから気をつけて欲しいところだ。
P.66〜67より。
ネットの情報や知識はそれが画一された画面、画一された字体でしか読むことができない。それを脳の中に記憶するとき、自分でその区分けを意識して行わないと、それこそ惣菜のレシピと外交理論がごっちゃになってしまう。本による知識もそれは変わらないが、しかし、本の場合、本そのものの造りで、まずこちらに無意識のうちの区分けを可能にさせるのである。岩波の本に書いてあった知識は、正統派だろうがちょっと堅苦しい、カッパブックスに書いてあった知識は通俗だが時に鋭かったりする、といった色分けを、皆さんも普段何気なしにやっていることだろう。ネットで得た知識が緊急の際に役に立たないのは、このフィルターがないからなのである。せいぜいが“2ちゃんで得た知識は下手にひけらかすと火傷をする”というくらいの分類がある程度か。とはいえ、ネットの中で唯一個性を発揮しているのがあの掲示板というのはそう考えると凄い。
だからネットで見たって惣菜のレシピと外交理論はゴッチャにならないって。しかもその根拠が「画一された画面、画一された字体」って。…いや、あの、字体だけでなく字の色や大きさを変えて読みやすくする工夫をしているサイトやブログなんていくらでもあるんだけど。うちのブログだってそれくらいやっているよ。むしろ本の方が字体は統一されているだろう。
それにしても、岩波書店とカッパブックスというのもなかなか凄いなあ。「いまどき?」って思っちゃったよ。岩波を意識しているあたりなんとも権威主義的である。…自称「鬼畜」が権威主義的だというのはいろいろ考えさせられるけど。それにカッパブックスは最近新刊を出しているのかどうか。これじゃ「俺の若い頃は…」という話でしかないもんなあ。読者も困るよ。実際のところ、オタク話でも「俺の若い頃は…」ばかりやっているのだけど。
そして、ネタ元によって知識を区別せずにどんどんつながりを持たせていくのが博覧強記というものなんじゃないか?と思う。
あと、2ちゃんに限らず出所が確かじゃない知識をひけらかすと大火傷をすることを唐沢は肝に銘じておくべき。火傷しすぎて骨さえも残っていない気もするけど。ついでに書いておくと、2ちゃん以外にもネット上には匿名掲示板というものはたくさんあるからね。
その後で、唐沢は「いい本に出会うということは、実際の学校でいい師に出会うのと同じである」と書いている。P.67より。
私は二〇歳の頃、小室直樹氏にハマった時期がある。当時、私は政治学というものがよく理解できず、いろいろな政治学の本を読んでいた。しかし、高邁な理論をいくら語られても、実際の国際政治の現状とは乖離していたりして、なかなか膝を打つものに出会えなかった。そんなとき、さっき“通俗だが時に鋭い”とイメージしていた光文社のカッパブックスで、小室直樹氏の『新戦争論』に出会ったときは「コレだ!」と直感したものだ。情に流されず、論理にかまけず、現実的な目で国際紛争を解決する手段としての戦争を論じたこの本は、それからしばらくの私の“師”となった。
まずは時空のゆがみを指摘しなければ。『新戦争論』が出たのは1981年。唐沢俊一、23歳のときである。どうして自分の過去のことをこうも覚えてないのか。
次に「高邁な理論」。一体どんな本を読んだのだろう。『リヴァイアサン』とか? 当時唐沢は大学生だったのだから、共通科目の授業で「政治学入門」とか受けてみればよかったと思うけど。入門書から入ればそんなに苦労することはないんじゃないかなあ。まあ、本気で勉強する気があればの話だが。
P.68より。
そして、本による師のいいところは、「見限ることができる」という点である。
『新戦争論』に出会い、さかのぼって『ソビエト帝国の崩壊』『アメリカの逆襲』を読み、さらにその後の著作もむさぼるように読んだが、次第に『新戦争論』にあったような論理の緻密さがなくなり、粗っぽさが目立つようになっていった感があった。それは、ベストセラー学者になった小室氏に執筆の時間がなく、ほとんど書きなぐりのようになっていったこともあるだろうし、田中角栄、三島由紀夫、織田信長と、扱う人物が多岐にわたりすぎて焦点がぼやけるといった、多作家の事情もあるだろう。だんだん、新刊が出ると買うが読まずに積んでおく、という惰性状態になっていき、やがて、見切って、いかにも売らんがための新刊は買わないことにした。それでも、他の本すべてと比較しても『新戦争論』の素晴らしさは際立っており、この人に出会えたことを私はいまだに幸運に思い、時々、落語立川流のパーティや古書市などで見かけるとドキドキしてしまう。著者と読者の関係としてはいい関係なのではないかと思う。現実の先生と袂を分かつというのは、それなりに面倒くさいことがつきまとうが、本の師であれば、「わかったからもう読まない」というだけで事足りる。この気軽さは独学ならではのものだ。
本、というのは、「自分で選ぶことのできる師」であるのだ。
「論理の緻密さがなくなり、粗っぽさが目立つようになっていった」「いかにも売らんがための新刊」とかあれこれ好きなことを言っておいて「著者と読者の関係としてはいい関係なのではないかと思う」とまとめられても。悪口を言った後で「でも本当はいい人なんだよねー」とか心にもないフォローをする人か。それに小室直樹への批判はそのまま唐沢俊一にもあてはまっているし。「扱う人物が多岐にわたりすぎて焦点がぼやける」って『昭和ニッポン怪人伝』のことか? 角栄と三島も出てくるしね。まあ、個人的には、唐沢俊一と自分も「著者と読者の関係としてはいい関係」だと思っている。ただし、唐沢は「師」ではなく「反面教師」なのだが。
それにしても、気になるのは小室直樹を見限るのはいいとしても、そこからあらためて政治学を勉強したのか?ということだ。小室直樹の著書の中で取り上げられた政治学の理論に興味を持ち、もう一度自分で読んでみようと努力したのだろうか。好きな本の中で紹介されている本や映画を自分自身の眼で確かめて世界を広げていくことは「博覧強記」になるために必要だと思うのだが。「師」を見限るのはより高い目標を目指すためであってほしい。
もうひとつ気になるのは「高邁な理論」だ。どうも唐沢俊一には「高邁な理論は難しくて理解できない」という思い込みがあるような気がするのだ。東浩紀氏を批判したときと同じパターンだね(詳しくは2月5日の記事を参照)。もしかして「自分が理解できないからこの理論が高邁だからだ」とか思っていたりして。そういう思い込みは「博覧強記」になるための障害でしかないと思うけどなあ。…『博覧強記の仕事術』を読み進めていくと「この人は博覧強記に向いてない」という思いが強くなっていくばかりだ。
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