唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

はじmanyいいガセ。

盗用 盗作 パクリにコピペ はじmanyいいガセ 


今回から唐沢俊一の新著『博覧強記の仕事術』(アスペクト)の検証を始める。ただし、今回は本論には入らない。いや、本論以前に結構重大な問題があるんだよな、これが…。


 唐沢俊一は『博覧強記の仕事術』について自らこのように解説している

アスペクトからビジネス書として新刊が出ました。
情報のインプット&アウトプットに関する本です。
ビジネス書を書くのは初めての経験で、
これまで書いてきた本との違いは、とにかく
“自分はエラい”と言わなくてはいけないこと(笑)。
いや、確かに趣味の世界と違ってビジネスの世界では、
エラくない人の言うことを聞いてくれる読者などいないわけで。
さして自分のことをエラいと思っていない私には、
これはかなり苦痛なことでした。

 え〜っ。いつも「自分はエラい!」とでも言いたげなエラそうな書き方をしてるじゃん。無意味に上から目線なのに盗用したりガセビアを垂れ流しているから面白がられているんだけどなあ。もしかして、あれでも謙遜しているのだろうか。

 さて、『博覧強記の仕事術』の巻末には付録として唐沢俊一が薦める、常備したい本三〇冊」「唐沢俊一が薦める、使えるWeb一〇」が紹介されている。「自分からネタ元を紹介してくれるとはありがたい」と思っていたら、「使えるWeb一〇」を見てビックリしてしまった。なんと「あやしい古典文学の壺」が紹介されているのだ。

 『今昔物語』『徒然草』などから『西鶴諸国ばなし』『譚海』『耳袋』『甲子夜話』、さらに江戸のマイナーな奇譚集までを網羅し、その中から怪談・奇談・珍談を拾い上げて現代語訳してくれているありがたいサイト。ひまつぶしに読むのに最適だし、また過去の人たちの思考パターンを読みとることも出来る。それにしても、なぜ先人たちはかくも熱心に、執拗に怪談奇談の類を収集しようとしていたのだろうか?

 唐沢俊一が「あやしい古典文学の壺」を参考にしていることはとっくの昔にわかっていたことだ。何故なら、「秀吉奇態」をパクってたんだから(詳しくは3月27日の記事を参照)。「現代語訳してくれているありがたいサイト」のおかげで原典にあたることなく原稿を書けたわけだ。…しかし、ネタ元ならまだしもパクリ元まで堂々と紹介するかね? もしかして現代語訳を写しても盗用にならないと思っているのだろうか。まあ、その割りには細部を書き換えているのが不思議なんだけど。それから、「怪談奇談の類を収集」している人は現代にもいるんだから、木原浩勝にでも話を聞けばいいのに、と思った。
 もうひとつ気になるのは「訃報ドットコム」が紹介されていることだ。「裏モノ日記」で訃報ネタを多用している(詳しくは5月30日の記事を参照)唐沢なら別におかしくはないと思われるかもしれないが、「訃報ドットコム」でホセ・ルイス・カルバのことを知ったために「世界の三面記事・オモロイド」から盗用したのではないか?と思うのだ(詳しくは2008年10月6日の記事を参照)。いずれにしても、唐沢が自分から手の内を見せてくれたおかげで今後の検証はかなりはかどりそうだ。

 次に「はじめに―なぜ今「博覧強記」を勧めるのか」というまえがきを取り上げる。P.3より。

 博物学者の南方熊楠の伝記を読んでいたら、「博覧強記の人」という形容があった。博覧の方は博覧会とかという言葉でなじみがある言葉だが、強記とは何か。
 博覧強記を辞書(大辞泉)で引いてみたら「広く書物を読み、いろいろな事をよく記憶していること」と書いてある。強記の記は記憶の記なのだ。

P.4〜P.5より。

 そして、問題はその「強記」を「博覧」するということである。博覧とは先ほど言った「博覧会」の博覧、つまり「広く一般に見せる」こと、自分の記憶したことを他人(第三者)に呈示することを言うのである。
 強記だけでは、あなたはまだまだあなたの能力を半分しか使っていない。その強記を活かす道こそ博覧、この二つは合わさって初めて大きな力(パワー)をあなたに与えるのである。

 まずgoo辞書で「博覧強記」を引いてみる。

はくらん-きょうき ―きやう― 5 【博覧強記】
(名・形動)[文]ナリ 広く書物を読みよく覚えている・こと(さま)。
「―で鳴る男」

 
 続いて「博覧」を引いてみる。

はくらん 0 【博覧】
(名・形動)[文]ナリ
(1)広く物事を見たり書物を読んだりして、よく知っている・こと(さま)。
「―で、多識で/青春(風葉)」
(2)広く一般の人が見ること。
「世人の―に供する」

「博覧強記」の「博覧」はもちろん(1)の意味である。にもかかわらず唐沢俊一(2)の意味で使ってしまっている(しかも「広く一般に見せる」のと「広く一般の人が見る」とでは微妙に違う)。『博覧強記の仕事術』のサブタイトルは「効率的なインプット&魅力的なアウトプット指南」だから、「博覧」を「アウトプット」の意味でとらえたかったのかも知れない。しかし、「博覧強記」という言葉には本来「人に見せる」意味は含まれていないのだから、残念ながら間違いというしかない。「博覧強記」の意味を間違えている『博覧強記の仕事術』って一体…。

P.3より。

 熊楠の記憶力は有名で、わずか一〇歳の頃、江戸期の百科全書として有名な『和漢三才図会』を蔵書家の家で見せてもらい、数ページを丸暗記して家に帰ってはそれを筆記し、五年かけて一〇五巻の『和漢三才図会』全巻を写し取ってしまったと言われている。

「南方熊楠顕彰館」公式サイトより。

岩井屋という酒屋の息子津村多賀三郎から『和漢三才図会』を借り、数年がかりで105巻を写し取ることもした。

紀田順一郎氏の文章から。

 熊楠が知友に与えた書簡によれば「明治八−九年頃、小学生の同級生に久保町の岩井屋といひし津村安兵衛とかいふ酒屋の子に多賀三郎といふありし。小生はその家にある『和漢三才図会』を借り始め明治十四年までかかりて百五巻を悉く写し終れり」とある。これは正確には明治9年(1876)からの5年間ということだが、現在南方熊楠記念館にはその現物が展示されているが、その丹念な筆といい、そもそも10歳の子どもが大部かつ難解な百科全書に惹かれたということ自体、おどろきを禁じ得ないものがある。

 つまり、南方熊楠『和漢三才図会』を友人から借りて筆写していたわけで、丸暗記して写したというのは熊楠の超人ぶりから話がオーバーになってしまったということなのだろう。唐沢俊一の説く「立ち読み理論」も怪しいものだ(詳しくは6月21日の記事を参照)。なお、この「立ち読み」の話は『博覧強記の仕事術』でも登場するのでお楽しみに。

 その後で、黒澤明が「創造力とは記憶力だ」という内容の話を語っていたと山田洋次(「洋二」と誤記されているが)が思い出話で紹介していた、というエピソードを紹介したうえで、次のように書いている。P.4とP.5より。

 よく、ビジネス書で、“現代で求められているのは創造力であり、記憶力などではない”などと書かれているものがある。こういう物言いを見るたびに、わかっていないなあ、と思ってしまう。創造力は確かに大事だ。しかし、創造力を培うのは、記憶力に他ならない。モデルとなる記憶のよすがもないところで、斬新なアイデアを、と言われても出てくるわけがない。そもそも、思いついたアイデアが果たして類を見ないユニークなものなのか、それとも以前にもう似たようなアイデアがあるものなのか、記憶に照らし合わせてみなければわからないはずではないか。

 記憶力の評判の悪さは、前述したビジネス書の典型的文章にある通りだ。なぜ、記憶力を現代日本人は大切にしないのか。それは、下手に記憶力を使っている者たちが、その評判を落としているからだ。あなたの周りにもいるだろう。「浅い情報をぺらぺらとひけらかすが、ひとつとして穿った見方の出来ない奴」「さまざまなビジネス書を読んで、それだけでデキる男にでもなったつもりで、覚えたての専門用語をまき散らし、周りから浮きまくる奴」……。

 「記憶力の向上」を謳ったビジネス書も数多くあるのだから、記憶力が軽視されているようなことは決して無いと思う。それにしても「浅い情報をぺらぺらとひけらかすが、ひとつとして穿った見方の出来ない奴」か…。一体誰のことなんだろう。

P.5〜P.6より。

 自慢に聞こえるだろうが、現代において博覧強記を仕事に直結させている人間の代表に、私がいるのではないかと、秘かに自負しているのである。
 こう言うと、誰それの方が唐沢よりはるかに知識を持っているとか、唐沢の持つ知識など貧弱なものだ、と指摘する人も出て来るだろう。だが、私に言わせれば、ほとんどの教養人たちは、自分のその知識を死蔵してしまっている。知識というものは、蓄積することに本能的な快感がある。そのため、知識のインプットに多くの人たちは淫してしまい、それを自分に有用なものとして外部で活用(アウトプット)する方法を知らない。大事なのは「膨大な知識を持っている」ことではない、世の中にある膨大な「知」を整理して記憶し、再構成してアウトプット(博覧)する、というこである。

 だから、「博覧強記」の「博覧」は「アウトプット」じゃないんだって。しかし、「裏モノ日記」を読んでも唐沢が知識を上手に「アウトプット」できているとはとても思えないのだが。

P.6、P.8〜P.9より。

 「知は力なり」という言葉がある。だが、歴史を見てみると、その流れの中で浮かび上がってくるのは、知識人と呼ばれる、最も知識を持っている人たちの無力さである。オウム事件のことを思い出してみよう。麻原彰晃という盲学校しか出ていない人間に、島田裕巳中沢新一といった、共に東大出の一級の知識人たちが手もなく騙され、彼らを賛美したり擁護したりする発言を行い、サリン事件以後、大きなバッシングを受けた。なぜ彼らは、超一流の宗教学的知識を持っていながら、麻原という男の正体を見抜くことが出来なかったのか。いや、なぜ麻原彰晃は、彼らのような知識人と対等以上に渡り合い、見事彼らを丸め込んでしまえたのか。
 それは、学者の所有する知識は学問のための、死蔵される知識であったのに対し、麻原にとり、知識は信者を獲得し、自分のイメージを作り上げるという、アウトプットのための“再構成”を経たものだった、ということが理由として挙げられると思う。目的を持って、実用のために磨き上げられた知識は、頭の中にただ溜め込まれている知識とは比べ物にならないくらいに、人を動かし、説得し、自分のイメージを大きくしていくパワーを持っているのである。
 同じことはあのアドルフ・ヒトラーにも言える。陸軍伍長にしかすぎない彼の過激な軍事的・政治的議論に対し、第一次大戦での敗北で自信を失っていた当時のドイツの軍人や政治家たちは、何ひとつ有効な反論をすることが出来なかった。ヒトラーは具体的な軍事・政治へのビジョンを持っており、自分の知識をその具体的な目標のために使用する武器へと“再構成”していたからだ。
 重要なのは「再構成能力」なのである。
 私は何も、麻原やヒトラーを賛美するわけではない。彼らのような人間が再び現れたときに、今度こそ、われわれは知識を、彼らに対抗する有力な手段としなければいけないと思っている。

 「知は力なり」はフランシス・ベーコンの言葉。唐沢俊一は過去にフランシス・ベーコンロジャー・ベーコンを間違えたことがある(詳しくは2月26日の記事を参照)。
 それにしても、島田裕巳中沢新一がオウムを擁護したからって学者全体まで否定するとは乱暴な。昔は『宝島30』の読者だったから、山口瑞鳳中沢新一を批判していたのはよく覚えている。学者の知識のあり方というよりはむしろこれは世間知の問題なのではないかと思う。「超一流の宗教学的知識を持っていながら」ではなく「持っていたからこそ」という面もあるのではないだろうか。吉本隆明もなまじっか宗教学の知識があったからオウム擁護にまわっていたのだし。それに学者がトンデモにハマることは決して珍しくないということは「と学会」運営委員なら当然わかっているとは思うけど。
 それから、ヒトラーを褒めているのも迂闊である。ナチスが支持を集めたのはベルサイユ体制の下でのドイツ国内における民族主義の高まりによるものだし、国会議事堂放火事件を利用するなど権力を掌握するために言論以外の手段を用いていたことも忘れてはならない。言論で対抗できる状況になかったからこそ「ワルキューレ計画」みたいなことをやったわけで。ついでに、学者を批判したいのならハイデッガーの名前も出しておけばいいのに、と思ったり。…まあ、ファシズムの下で迫害され犠牲になった知識人のみなさんも唐沢俊一にあれこれ言われたくないだろうけど。
 
P.10〜P.11より。

 「文筆業サバイバル塾」という、文章書きが業界で生き残っていくためのノウハウを教える講座をしばらくやっていたことがあるが、そこで最も私が強調したのが、そのアウトプットの個性という問題だ。口幅ったいようだが、その当時、雑学ブームで、雑学本が書店の棚には山積みになっていた。そんな中で、なぜ、私だけが“雑学博士”という肩書きで商売できていたか。それは、私の語る雑学が他の雑学本の著者のものと比べて優れていたから、というわけではない。雑学などというものははっきり言えば、誰が披露したところで、内容にそれほど差がつくわけではない。要は、発表する者の個性の問題である。私が、雑学にちょっとあやしげな味を加え、独特の言い回しで、しかも(テレビなどでおなじみの黒ずくめに帽子のスタイルで)それっぽく語る。そこで、自分の生活には大して関係ない“雑”学が、頭に残るものとなるのである。

 じゃあ、知泉さんの「シリスギ仙人」は大正解なんだろうな。しかし、「雑学などというものははっきり言えば、誰が披露したところで、内容にそれほど差がつくわけではない」ってそんなことはないだろう。複数のトリビアをどのようにまとめていくか、どのような切り口で紹介するか、ということは人によってだいぶ違うはずだ。…もしかすると「誰が披露したところで、内容にそれほど差がつくわけではない」のだから盗用したってかまわないと言いたいのかもしれないが、と邪推してしまったり。それにしても、唐沢俊一は自分の語り口やスタイルに自信を持っているんだなあ。「文サバ」の受講生も帽子をかぶってみれば良いと思うんである(独特の言い回し)。


…以上である。「はじめに」でこんなに引っ掛かっているんだから、「君にはまったく 君ってまったく」と呆れてしまうのだが、まあ、やれるだけやってみます。次回は第1章。笑いどころ満載だから全部終わるかなあ。…って、どんなビジネス本なんだ。


博覧強記の仕事術

博覧強記の仕事術

猫楠 南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

猫楠 南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

和漢三才図会 (1) (東洋文庫 (447))

和漢三才図会 (1) (東洋文庫 (447))

概説 チベット語文語文典

概説 チベット語文語文典

ワルキューレ プレミアム・エディション [DVD]

ワルキューレ プレミアム・エディション [DVD]

知泉 元祖「ヘェー」716連発

知泉 元祖「ヘェー」716連発