唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

ホームレス?っつうか、うぜえええええ。

 唐沢俊一岡田斗司夫『オタク論2!』(創出版)、今回は第2章「男のホームレス化、女の腐女子」を取り上げる。なお、岡田の発言は青字、唐沢の発言は赤字で表記する。P.23〜24より。

唐沢 自我がグローバルなものになってしまったということでしょう。昔は書斎に閉じこもって「男の城」だと言ってたわけだけど、携帯やネットの中に集中していれば、世界中どこでも書斎なワケですから。


岡田 逆説的ですけど、男は家の中についに書斎をもてなかった。それがウェアラブルな携帯や通信を手にして、ホームレスになったんですよ。すべての男は、実はホームレスなんです。家庭内ホームレス。僕や唐沢さんは、ただ単に金を持ってるホームレスなんです。だから居場所がない。ホームレスが木賃宿に住むのと同じで、僕は賃貸で木賃宿を借りて、唐沢さんはローンを組んで木賃宿に住んでいるんです。

 「家庭内ホームレス」とは一体何なのか。岡田の定義だと、江戸時代に長屋に住んでいた人もみんなホームレスになってしまうのでは。自分のことを「ホームレスなんです」と安易に言うのは、逆にホームレスに対して失礼なような気もする。それにしても、岡田斗司夫って論理的な話ができない人だなあ。どうして「すべての男は、実はホームレスなんです」となるのかさっぱりわからん。

P.25より。

岡田 現実社会はホームの力が強いからこそオタクというのが逃避場所として成立していたんですけど、今はその逃避場所としてのオタク文化の方が強固に見える。だからみんな現実社会からホームレス化して、バーチャルな世界に「本籍」を移したんですね。

 僕はそのバーチャルな世界を「黄泉」(ヴァルハラ)と呼んでいるんですが(笑)、前は本籍はリアルワールドにあって、仮宿としてヴァルハラにも籍があるという程度だった。でも今はヴァルハラに本籍を移しちゃって、こっちの世界が仮宿なんですよ。だから現実世界で「もうダメだな〜」と思ったら、カンタンに自殺もできる。

 死んじゃったらネットもできなくなるよ。黒沢清の『回路』を思い出すね。インターネットの普及と自殺者数の推移に相関関係があるようにも見えないし(自殺者数の統計を参照)。
 それにネットよりも現実の方が依然優位にあるのは明らかだ(そもそもネットと現実を比較できるものなのか)。当ブログだってネットだけにとどまらず、現実でもいろいろ行動しているおかげで面白がられている面はあるのだから。

P.25〜26より。

唐沢 実際に現実世界でのバーチャル感はますます進んでいって、どんどん現実感がなくなってきているように見えますね。ネットの中で自分のブログさえ作ってしまえば、そこでは自分が主なんですから。


岡田 少なくとも現実世界よりは自分に興味を持ってくれる人がいるし、話しかけてもくれる。現実の世界で起こったことは、ブログに書くネタでしかないわけですよ。
 たとえば、中世ヨーロッパでは毎日教会でお祈りをしていたわけですが、現実世界で何かあったときに神様に報告する“ネタ”です。
 彼らにとっては現実の世界は「うつしみの世」であり、「あっちの世界」に行くために徳を積む修行の場だと考えているわけです。それと同じで、ネットというもの自体が宗教になっているわけですよ。僕らは宗教というふうに全く意識していなかったんだけど。


唐沢 僕らにとってはただのツールですからね。


岡田 宗教の最低の要件は、本籍を移すことなんじゃないかと思うんです。たとえばオウム真理教だったら、そこのコロニー内に本籍を移すということが、「宗教する」という行為じゃないかなと。

 「現実世界でのヴァーチャル感」というのがなんとも頭が悪いのだが(コメンテーターっぽくはある)、唐沢俊一だってかなりのネット信者ではないか。ネット上にあるデータを疑いもせずにコピペして本にしてしまうんだから。「ネット真理教ウィキペディア」にでも属しているんじゃないか。「2ちゃんねる派」を目の敵にしているわけだ。どっちが異端なんだろう。まあ、インターネットの普及が唐沢を滅ぼした、と個人的には考えているのだが。ネットが普及しなければ盗用癖は身につかなかっただろうし、悪事が発覚することもなかったのだから。インターネットをツールとして使いこなせていないからこそ、今日の状況になっていることを本人はわかっていないようだ。
 それから、岡田斗司夫「ミサ」と「告解」をゴッチャにしていないか?と思うし、在家の信者は「宗教」していないのか?と疑問に感じる。あと、ネットに「神」とか「聖なるもの」を見出している人がいるのなら「宗教」と呼べるのかもしれないが、現実世界よりもネットの方にリアリティーを感じるという程度では「宗教」とは呼べないのではないか。

P.27より。

唐沢 昔の新興宗教というのは貧しい人たちに厭離穢土、欣求浄土という形で広まっていったんだけど、オウム以降の新興宗教にはこの世で成功した人間も入信してしまうんだよね。この世で自分が背負わなければいけないものが一切ないからなのかな。

 「厭離穢土欣求浄土」は浄土教の言葉。それから、創価学会新興宗教である。璽光尊事件で双葉山は逮捕されているし。

P.27より。

唐沢 今のオタクは社会人としての責任を負うということが一番嫌いなんですよね。幼女の絵を描くなと言われるだけで、メチャメチャに反発する。あれは社会の中にはめこまれたくないということですよね。反社会的な内容のものを描くことによって、自分が社会のくびきから自由であるということを主張している。つまり彼らはエロそのものじゃなく、エロを描ける自由が欲しいんだ。

 いや、幼女の絵を描いている人は、好きでやっているだけなんじゃないの?『コミックLO』ってそんなに政治的な雑誌だったっけ。…あ、もしかすると、唐沢俊一山本弘会長に「幼女の絵を描くな」と注意して逆ギレされたのかもしれない。会長もお好きなようだから。

P.32より。

岡田 これから世の中はどんどんオタク化していくだろうから、どうしてもオタク論は必要になってしまうんですね。彼らはいつまでたっても、分析がしてほしいんです。強者の僕らはオタクの分析をしていればいいんだけど、弱者の彼らはそれを「説明書」として読んでいますね。


唐沢 彼らは自分がオタクであることのバックボーンとして読んでしまう。そういう意味では、我々はある種の責任があるわけですね。


岡田 それから、僕らが言ってることを「解答」だと思ってしまうからこそ、僕らが言ってることに対して「間違いだ」という人も出てくるわけですね。ネットの本質はマルチテキスト型なんだから、僕らが言ったことに対して誰かが反論したとすると、その反論も含めてひとつの論になっているんです。実は彼らも「論」に参加しているのに、参加意識がない。
 現代の思想家の必要条件は、論を立てることではなくて、著作は「サロン」でいいんです。その「サロン」でどんな議論が起こるかで、著作の重要性が決定する。決定するというか、全員で決めるというか。

…なんというか、岡田斗司夫唐沢俊一も、自分の言説にかなりの影響力があると信じているのだなあ、と思ってしまう。本当に影響力があるのなら、自分のようなアマチュアが検証する必要はないし、ごくたまに2ちゃんねるのニュース速報板で2人に関する話題が出ても、「過去の人間なんだからほっとけ」という書き込みが必ず出てくる(いつだったか「唐沢俊一って山口智子のダンナ?」という書き込みを見て笑ってしまった)。「オタク対談」も「社会派くんがゆく!」と同じくごく限られた層に対する微々たる影響力しかないのではないか。岡田は自分たちの議論が「叩き台」になることを期待しているようなのだが、正直なところ「叩き台」にもならない、という印象である。本当にただの放言なんだもの。間違った理論がある場合、ただ単に「間違いである」として退けるだけでは意味がなくて、どこが間違っているかを指摘しておかないと、いずれ地獄が満員になったときにはゾンビのように蘇ってきてしまうかもしれないのだ。そうならないように今のうちに処理しているわけだ。…もしもの時は、ショッピングモールに行けば大丈夫かな。

P.32〜33より。

唐沢 だから著者はラディカルでないといけないわけですね。山形浩生みたいに、著作に間違いがあっても、そこがフックになって論が巻き起こるから直さない、と言う人すらいます。ブログも同じことで、ブログにはコメントが付くことで論が広がっていく面があるんだけど、不思議なことにみんなそのコメント欄を嫌がって、書き込みを制限したりしてしまう。

 
 そんなことを言ってる唐沢俊一のサイトにも連絡をつけにくいのだが。こんなところにあったら連絡を取りたくてもわからないではないか。そりゃあ、誰も『新・UFO入門』事件について直接話を聞きに来なくても無理はないよ。だから、ブログにコメント欄をつけない人が多い理由は唐沢にはよーくわかっていると思うんだけどね。

P.33より。

唐沢 そういう意味では、この対談をまとめた『オタク論!』の中にもどんどん突っ込んできて欲しいですよね。
 オタクが生きていくための「社会の取り説」を、誰かが作る必要がある。腐女子とオタクが今までの生き方と違うところは、自分たちがまっとうな社会人としてはいかにダメかということを、さらけだしているところですよね。実は、さらけだすことによって隠したいところがあるわけです。
 そういう「オタクの取り扱い方」を我々は外に対して説明しなくてはいけないし、内に対しては社会との付き合い方や自分自身の律し方、オタクって何なの、僕たちのライフスタイルや思考回路って何なの、ということのヒントになることを与えないといけない。いや、そんな責任感は余計なお世話だというオタクたちが多いだろうけど、そういう人が実は一番、助けを必要としている場合が多いことも、身をもって知ってますからねえ(笑)。

 気持ちの悪い締め方だが、確かに唐沢俊一が責任感を持つのは「余計なお世話」だとしか言いようがない。何故なら、唐沢には「社会の取り説」を作るだけの能力がないからである。おかしなマニュアルを作られて「オタクならこの通りに生きなきゃ!」と勘違いする人が出たり、「オタクってそういうものなのか」と間違ったイメージを持たれたらとても迷惑なのだ。まあ、実際のところは「責任感」があるから語っているわけではなく、あれこれ理屈付けしたいだけなのだと思う。…しかし、笑えるのは、この対談は『創』2007年6月号に掲載されているのだが、その直後に『新・UFO入門』盗用事件が発覚して、唐沢俊一自身の「社会との付き合い方や自分自身の律し方」に問題があるということがバレてしまったことだ。そういう人が「取り説」を作ろうとするのはやはり「余計なお世話」でしかない。

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