唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

混乱こそ我が墓碑銘。

6月18日のトークセッション予約を取ったのでこれで行くのは決定。論戦を挑むんじゃないか?と期待されているようなんだけど、今回は本当に質問しに行くだけなので。純粋にイベントを楽しみに来ている他のお客さんに迷惑をかけてもいけないし。…まあ、イベントに来た人が全員いわゆる「アンチ」だったら話は別なんだろうけどw
 あと、日本トンデモ本大賞」のチケットもゲット。今回は一応生で見ておかないとね。


・では本題。唐沢俊一が「裏モノ日記」で有名人の訃報を多く取り上げていることはよく知られている。たとえば、今月に限ってもこんな具合だ。

4日―高英男
8日―やまだ紫
11日―三木たかし
20日滝平二郎頼近美津子太田龍
23日―盧武鉉

かなりのハイペースで取り上げている。唐沢は『Bの墓碑銘』という同人誌を出しているくらいなのだから、訃報マニアというかそういう趣味があるのだろう。マニアであること自体は別にかまわないのだが、問題なのはその内容があまりにも貧しいことである。

 まず、高英男の訃報

化粧して(メイクではなく、目バリを入れたりする正当な化粧)
ステージにあがることでも知られ、美輪明宏とここらはいい
コンビであった。

そう言えば『ゴケミドロ』の併映は美輪の
『黒蜥蜴』であったとか……

日本人離れした容貌と、狂気を含んだ眼。
ゴケミドロ』での、吸血生物に身体を乗っ取られる殺し屋、
『奇形人間』での、半裸の女精神病患者たちを嬉々として鞭打つ看守など
グロテスクな映画にばかり好んで出演した(実際、これらの役を演じる
のはとても嬉しかったらしい)のは、同性愛という、精神的には
どこまでも純粋で美しくあるが、しかし第三者の眼から見れば(高が
同性愛者として生きた当時は殊に)グロテスクに映ってしまう世界に生きる
ものの、半ば自虐的な自己表現だったのかもしれない、と思う。

コサキンがネタにしていた『男と女』
「♪ダ〜バ〜ダ、シャバダバダ、シャバダバダ……」
は昭和期にはオトナの愛のメロディの定番だったのだよ。
また、昭和を彩ったユニークな才能が一人、逝った。
黙祷。

これらの情報はみんなウィキペディアに載っている。

あの独特の化粧は中原淳一の発案で、男性版宝塚を想定したもの。化粧をした日本人初の男性歌手と言われているが本人は否定。「みんな多かれ少なかれやってたよ」との談。ただし、あれだけの舞台化粧は、先には田谷力三(浅草オペラ出身なので)、後では美輪明宏など数えるほどしかいない。

公開当時、「吸血鬼ゴケミドロ」の併映作品は「黒蜥蜴」であり、美輪と高が楽屋であったときに「何、女演ってんだい」「な〜に、そっちこそ、オバケ演っちゃって〜」と言い合ったそうである。

個性を買われ、俳優として石井輝男作品にギャング役などで多数出演。また宇宙人に憑依される凄腕殺人スナイパーを怪演した「吸血鬼ゴケミドロ」は、海外でも公開された。そのようなことから、映画ファンに根強い人気があり、若年映画ファンは高が歌手であることを知らない者も多く、カルト俳優として認知されている節がある。なお、本人は現実離れしたこの手の役を喜んで演っている。

TBSラジオコサキンDEワァオ!」で、高自身が訳詩を担当した「男と女」が話題になった。ネタ扱いされていたがこの訳詩で歌う歌手は岸洋子ほか多くいる。

 自分が「おかしい」と思ったのは『コサキン』の名前が出たからである。…唐沢俊一が『コサキン』リスナーだった話なんか聞いたことが無いのだ。唐沢もかつてTBSラジオで番組を持っていたんだからリスナーだったら遊びに行けばよかったのに。しかも、『男と女』の紹介の仕方もおかしい。実際に聴いてみると「♪聞ーこーえーるー ダバダバダ ダバダバダ」と歌っているのだ(「聞こえる」と「ダバダバダ」の間が短いのが可笑しい)。「シャバダバダ」って『11PM』じゃあるまいし(そういえば自分は『11PM』を観たことが無い。)。市川準監督の時もそうだったが(詳しくは2008年9月22日の記事を参照)、訃報を取り上げるときにウィキペディアの情報をそのまま書くのはやめてほしい。故人への冒瀆に他ならない。
 唐沢の日記でウィキペディアに拠らない情報は中原淳一の息子である洲一の証言くらいなのだが、それさえもおかしくなっている。

中原が倒れてからは、高はずっとその看病を続け、一緒に館山に
蟄居した。中原の息子の洲一は、父と中原の関係を
「それは、ぼく自身にとってはひどく残酷なところがあったが、美しい
ものだった。限りなく美しかった、とぼくは断言する」
と語っている。


洲一の父は中原淳一なんだから、「父と中原の関係」は「同一人物」ということでしかないのでは?それとも中原淳一は分身の術をマスターしていて、自分で自分の看病をしていたのだろうか。
 なお、この件については「トンデモない一行知識の世界2」藤岡真さんの「机上の彷徨」5月10日を参照。


 次に三木たかしの訃報

代表作『津軽海峡・冬景色』の正式タイトルは
津軽海峡”と“冬景色”の間に、ナカグロが入る。
三木たかしは律義に曲にそのナカグロを活かして、石川さゆり
「アアアア〜、ツガルカイキョウ“・”フ〜ユゲ〜シキ〜」
と一拍おかせて歌わせた。
今では誰もが“津軽海峡冬景色”を一続きの単語として意識して
いる。誰やらが俳句の会で
「荒海や 津軽海峡冬景色」
というのを詠んでボツになったなんて話もある。
作詞した阿久悠自身、なんでナカグロを入れたのかは覚えていない
そうだ。しかし、三木たかしの王道的作曲の中では、あくまでも
津軽海峡・冬景色』なのであったろう。

 唐沢の文章だと、『津軽海峡・冬景色』は先に阿久悠が詞を作り、それに三木たかしが曲をつけたかのようである。しかし、実際は曲が先に作られたようなのだ。まず、都倉俊一のインタビュー

阿久さんと僕で書いた作品は、ほとんど曲先。演歌でも阿久さんと三木たかしさんで組んだ「津軽海峡冬景色」は曲先なんだね。頭から三連譜が続くような構成は、作詞家が先行したら絶対に書けない詞だと思う。

次に斎藤茂『この人この歌―昭和の流行歌100選・おもしろ秘話』(廣済堂出版)P.258より。

 まず、阿久悠が作った十二か月それぞれの題名で三木たかしが曲作りをし、あとから詞をはめこむという順序で作業が進められたが、十二月の『津軽海峡冬景色』のときは三木たかしが「阿久さん、この歌の最後は“津軽海峡冬景色”という言葉で終わるようにしてください」と注文を出した。

ちなみに『この人この歌』では『津軽海峡冬景色』にナカグロはついていない。…どこかで「詞が先」という話もあったのだろうか。そう考えないと、こうも自信たっぷりに書いている理由がわからない。
 なお、この件については藤岡真さんの「机上の彷徨」5月14日も参照。


 5月20日の日記では、3人ものを訃報を扱っているが、

舞台やっている間に訃報いくつも。
とりあえず、このお三方。

人の死を取り上げるのに「とりあえず」もないだろうと思うが、この言葉に表れているようにとにかく無礼である。滝平二郎について共産党員という一点だけで語ったり、頼近美津子をやたらに不幸にしようとしている。挙句に「しかいs」という誤字だ。
 なお、この件については「トンデモない一行知識の世界2」藤岡真さんの「机上の彷徨」5月25日を参照。
 さらに20日の日記にはこのような記述もある。

ご本人に実際に会うと、極めて温厚な紳士であったということだが、
ペンやマイクを握ると別人格にスイッチングしてしまうらしかった。
言っていることのトンデモさは別にすれば、思想家として、生涯変わらず
体制、常識、事なかれ的主義に反抗の態度を示し続けたということは
賞賛に値する。ここらは奇しくも日を近くして亡くなった
忌野清志郎氏のロッカー精神に似ているかもしれない。彼も
太田氏と同じく西洋医学を嫌い、マクロビオティックでガンと
戦おうとして結局ガン死を遂げた。これに批判的な週刊新潮の記事
でさえも、その行動そのものはロッカーにふさわしい、と賞賛して
いる。太田竜氏もまさに、思想界のロケンローラーであったのだろう。

そう言えば頼近美智子氏の不幸の要因となったのは先にも述べた
春雄氏の急死だが、その裏には、姑の鹿内英子が西洋医学を嫌い、
祈祷や漢方だけで息子の病気(B型肝炎)を直そうとしたためと
いう理由があった。忌野清志郎といい太田竜といい、何やらその
死に一本、奇妙な糸がつながっているような気がする。

 実は唐沢俊一mixiの日記で忌野清志郎の訃報も取り上げているようなのだが、これも相当ヒドかったらしい(詳しくは「トンデモない一行知識の世界2」を参照)。現物をチェックしたわけではないので、当ブログでは詳しく取り上げないが、『雨上がりの夜空に』をインポの歌だとする珍解釈唐沢俊一スレッド@2ちゃんねる一般書籍板では怒る人が続出した。「発車できない」からインポだと思ったのか?「バッテリーはビンビンだぜ」ってあるし、「発射」と「立つ」のとは別問題だと思うのだが。…話が下に流れてしまったが、結局のところ、興味が無いならわざわざ取り上げるなよ、ということである。唐沢が清志郎に興味が無いのは、清志郎放射線治療抗癌剤の投与を受けていたことを無視している点にも現れている。最低限の情報も集めていないことに呆れる。
 よく知らない人の死に対しては、あえて語らないことによって死を悼むということもあるはずなのに、どうしてわざわざ取り上げるのだろう。唐沢俊一はいつか5100度の炎で焼かれると思う。
 他にも、やまだ紫の訃報についても、自分を正当化しようとしているという批判がある(『ガロ』の分裂騒動のときにいろいろ言っていたらしい)。あと、やまだ紫の夫の白取千夏雄氏のブログに唐沢は追悼のコメントを寄せている。

言葉がありません (唐沢俊一)

2009-05-08 11:02:11

最後に電話で話を聞いたのは何年前だったか。
弟と二人、ガロ時代からファンでした。
いろいろありましたが作品に対しての思いはあれからも不変です。
ただただただ、ご冥福をお祈りします。

 くりかえしになるが、唐沢俊一が訃報マニアであること自体を問題だとは思わない。そのように興味を持ってしまったのなら仕方が無いからだ。しかし、人の死を取り上げるのならもっとマシな話を書いてほしい。唐沢は訃報マニアとしてウスすぎるのだ。
 かつて日垣隆は、「天声人語」が有名人の死亡ネタを多く扱っていることをこのように批判していた。『エースを出せ!』(文藝春秋)P.35〜36より。

 私が墓碑銘的コラムの頻出を否定するのは、一人の書き手にとって、心からの追悼を寄せざるをえない偉人が、毎年何十人もいるわけがない、という単純な理由による。頻出を是とすれば、むしろ有名人の死を待望する、とは言わないまでも、訃報に接した途端、「明日のコラムはこれでいこう!」というふうな心構えになってしまうに違いない。不健康である。コラムニストとして失格だとも思う。なぜなら、「天声人語」欄での墓碑銘的コラムは例外なく、死者を持ち上げることに終始する。死者に鞭打てと言っているのではない。すでに速報で伝えられたことと自伝的書物や人物事典からの引用だけで成った卑屈なコラムなど、コラムの名に値しないと言っているだけだ。批判精神の無さの表出でしかない。

 唐沢俊一は有名人の死を「裏モノ日記」を埋めるネタだと考えてはいないだろうか?少なくとも、人の死を扱うのであれば読むに値する文章を書いて欲しい。清志郎のときのようにファンを怒らせる文章を書くのは論外である。2ちゃん唐沢スレでは有名人が亡くなるたびに「またネタにするぞ」と失笑したり「頼むから勘弁してくれ」と悲鳴が上がっているのをわかってほしい。訃報マニアはハイエナやハゲタカやシデムシとは違うということを証明して見せて欲しいところだ(ハイエナは自分で狩りもするようだが)。

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