唐沢俊一検証blog

唐沢俊一氏の検証をしてきたブログ(更新は終了しました)

「なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである」

 松沢呉一さんのブログから。

片っ端から編集者たちに確認したところ、1人を除いて、「唐沢俊一P&G(パクリ&ガセ)問題」がこうも拡大していることを知りませんでした。私も最近までその後のことを知らなかったわけですが、多くの編集者は、『新・UFO入門』の盗作騒ぎさえ知りませんでした。私よりは知られているにしても、さしたる知名度がある書き手ではないですから。

これが現状らしい。『新・UFO入門』の盗用は新聞でも報じられたのにあまり知られていなかったのか。松沢さんが仰る通り、唐沢俊一知名度が低いせいなんだろうけど。知名度が低いせいで救われることもあるんだなあ


 では本題。来たる6月6日に「日本トンデモ本大賞」が開かれるのだが、それに向けてちょっとした騒動が持ち上がっている。
 事の発端は、バーバラ・アスカこと大内明日香女史のブログに『すべてのオタクは小説家になれる!』が「日本トンデモ本大賞」にノミネートされたというエントリーが出たことである。

未確認情報ですが、『すべてのオタクは小説家になれる!』がと学会主催のトンデモ本大賞にノミネートされるようです!

 あちこちのイベントで山本弘会長が「トンデモ本大賞にノミネートする」とおっしゃっていたようでしたので、まあ、想定の範囲内ではありますが。

 こちらは意図的に過激なことを書いているので、騒いでいただけるのは大変ありがたい。
 もちろん、こちらとしては間違ったことを書いたつもりはありませんし、そもそも小説の書き方に「正解」はないと思っています。みなさんが好きな方法で書けばいいのです。

 『すべてのオタクは小説家になれる!』のトンデモっぷりは当ブログでも指摘したが、大内女史の言い分を読んでいると「一体何を開き直っているんだろうなあ」と首を捻ってしまう。大内女史には山本弘会長の批判を読んで欲しいが、ほとんど全否定されている。まず、このことに反論すべきだろう。大内女史は正しいと信じたからこそあの本を出したのではないのか?「そもそも小説の書き方に「正解」はないと思っています」というのなら最初から本を出す必要なんてないのだ。一番引っ掛かるのは「想定の範囲内」「意図的に過激なことを書いているので」と、「わかっててやった」とでも言いたげな書き方だ。突っ込まれると「わざとだよ」「釣られてんじゃねーよ」と逆ギレするのは2ちゃんねるで論争に負けた人のすることである。もしくは「あえて悪役を演じた」が口癖の唐沢俊一。そういうところを見習っちゃダメだって。
 
 とはいえ、これは歓迎すべき動き、というべきだった。なぜなら、大内女史は唐沢の仕事仲間であり、「と学会」の例会に参加したこともあるという、言うなれば身内なのだ。身内の本でも「トンデモ本大賞」の対象となるというのは「と学会」の公正さを証明することにつながるのだ。また、「トンデモ本大賞」の当日は唐沢俊一も壇上に上がってあれこれ批評するのである。当然、自分自身と大内女史の関係に言及することになるわけで、「と学会」の運営委員とトンデモ本の作者が仕事仲間という珍しい展開になれば会場も盛り上がるはずなのだ。なかなか楽しい事態になってきたのである。

 しかし、ここから雲行きが怪しくなってくる。再び大内女史のブログから。

 昨日、唐沢俊一さんから連絡があり、「トンデモ本大賞に本を売りに来ないでほしい」と言われました。

 大内女史は「トンデモ本大賞」の当日に会場に行って本を売るつもりだったのに、唐沢俊一から断られたというのだ。

「どうしてですか?」
 「会の円滑な運営のためです。トラブルの種はできるだけ持ち込みたくない。きみだってと学会には世話になっているだろう」(要約)

ええ、と学会さんには世話になっているところもありますが、外部協力者としてはこちらだっていろいろご協力しているつもりです。
 なにより、「一個人としての大内明日香」と「ノミネート作品の著者としての大内明日香」は、べつです。

 他のノミネート作品の関係者は来ている(こともある)のに、なぜ、私だけダメなんでしょう。
 別に、と学会関係の場所でトラブルになった経験は一度もありません。
 と学会の例会とかも普通にお邪魔したりしてますし。

 要するにトラブルの素になるかも知れないから来られては困るのだ、ということらしい。しかし、上記エントリーを見ればわかるが、大内女史は「トンデモ本大賞」にノミネートされたことを怒っていない、むしろビジネスチャンスとして歓迎している向きさえある。トラブルになどなりそうもないのだが…。もしかすると、「トンデモ本大賞」の会場でトンデモ本の作者自らが本を売っていたりすると「談合」とか「出来レース」と受け取られてしまいかねないので、疑惑を招きたくないということなのかもしれない。しかし、それだったら「本を売らないでほしい」と言えばいいだけではないのか。というか、どうせなら大内女史を壇上に上げて一緒に話をすればいいじゃないか。作者本人と一緒に「トンデモ本」の批評をするなんて面白そうだ。自分は唐沢俊一との関係以外で「と学会」に興味が無いので、今までにそんな機会があったのかどうか知らないが、イベントが盛り上がりそうな材料は積極的に取り入れていった方が「と学会」としても「おいしい」と思うのだが。

 要は、「大内明日香にどうしても来て欲しくない人がいる」らしいです。

 ああそうですか。
 それでは、あなたがたとしては、「お前は来るな。だけど、お前のいないところで、俺たちはお前の本を思う存分コケにするから」ということなんですね。

 え〜。
 それって、どうなの〜?と思うわけですよ。

 「と学会」は今までトンデモ本をコケにするかたちでしか論評してこなかったから、作者に来られちゃマズい、というわけだ。作者に聞かれちゃ困るような話しかしていなかったのか?と思うといろいろと残念な気持ちになってしまうけれど。

唐沢さんは「と学会ウォッチャーがおもしろがって来るかもしれないし、そういう騒ぎは避けたい」(要約)ともおっしゃいました。

 何をいまさら。

 こういう活動をしているんだから、ウォッチャーがいっぱいいるのは当然ではないですか。
 関係者の本をノミネート(予定)したんだから、当人が来るのは当然想定される事態ではないですか。当然それにともなう混乱があるのは覚悟の上なんじゃないの?

 これはまさに大内女史の言う通りなのだが、本来「トンデモさん」をウォッチするはずだった「と学会」がウォッチされる対象になっていること自体、相当おかしなことになっているということを唐沢俊一をはじめとした「と学会」のみなさんにはわかってほしいところだ。あと、山本会長が陰謀論のイベントに乗り込んだという話もあるんだけど、それなら「と学会」に批判的な人たちが「トンデモ本大賞」に来ることを拒むことなく堂々と議論すべきなのではないか?

 唐沢氏の名誉のために言っておきますが、「だけど、きみが、一般入場者として来るとしたら、誰にも止めることはできない」とも言っていました。

 そこで、まあいろいろ考えたのですが、一般来場者としても、行くのはやめました。
 入り口で止められる可能性はゼロではないので。

 
 あー、「入り口で止められる可能性」があるのかー。じゃあ、俺も止められる可能性があるなあ。当日は一応行ってみるつもりだったんだけど、どうするかなあ。唐沢俊一に顔がバレているし(詳しくは2008年10月23日の記事を参照)、冬コミで唐沢のブースに来たお客さんをカメラで撮影していたし(詳しくは1月2日の記事を参照)。もしかすると「オールバックでスーツのイケメンを探せ!」となっている可能性もあるわけだ。…あえて同じ格好で行きたくなってきたなw しかし、「きみだってと学会には世話になっているだろう」「きみが、一般入場者として来るとしたら、誰にも止めることはできない」という唐沢俊一の言い草は凄いな。小さな集団の中で権力をふるうのが好きなんだね。


 一方、唐沢俊一もこのトラブルについて「裏モノ日記」で言及している。5月19日

あと、某スタッフに電話、例の件を伝える。
「しょうがないですねえ、あの人も」
という対応。この時はまだよかったのだが……。

開演まで楽屋で、携帯でmixiを見ていたら、某件で少し
ややこしい事態に。と、いうか、案外純真だったのね、と意外な
気持ち。そんなことでいちいち怒っていたら私など憤死せねば
ならぬ。もうあと数分で千秋楽の幕が開く、というときに書き込み。

5月20日

舞台公演の後の脱力感も、なかなか味のあるもの。
今日は一日、mixiでもいじりながら、のんびりしよう、とは
思うが、例の件などであちこちにフォロー入れねばならなくなり
そうもいかず。

5月21日

8時、ベッドで携帯を使いネットを見る。
何だか急激な展開。
今回の私はまったくの後始末マンである。
あれこれと各人にメール。

駅でお二人と別れ、帰宅。
まだ例のドタバタ続いているようだが、酒の回った頭で考えると
ややこしくなるので、明日々々、と思い寝る。

5月22日

8時ころ目が覚めて、ベッドで携帯からネットをつなぐ。
何とかドタバタが昨日でおさまったと思っていたら、
また派生して別のところから火がついた模様。
こういうとき、即座に
「じゃア、とりあえずこういう善後策を立てて、
それから誰と誰に連絡とって、経テから本人の回答如何により
ああして、こうして」
と頭がカシャカシャ働くというのは私の特技でもあるが、
可愛くないところでもある。トラブルに悪ずれしているというか。

朝のドタバタの関係者と電話で話す。
善後策、応急措置、折衷案、なんでもいいがとにかくそういうことを
話す。このときはまだ向うもこっちの言うことを理解してくれた、
ように思い電話を切って、それを前提に話を進めるが、後で全部
(こちらにひと言もなく)ちゃぶ台返しされたことを知り、苦笑。
いや、ここまでくると笑うしかありますまい。


 なるほどなあ、と思う。この人はこうやって誰かを悪人に仕立て上げているのだなあ。今までどれだけの犠牲者がいたのだろう。「裏モノ日記」を読んで世の中の動きを知っているという岡田斗司夫のような人ならコロリとだまされてしまうのだろう。客観的に状況を見てみたら滑稽でしかないんだけど。とりあえず、具体的な状況が何も説明されていない情報を信用しないことをみなさんにはおすすめしたい。
 それから、「トラブルを上手く処理できている俺カッコいい」と演出したいようだけど、トラブルが表沙汰になっている時点で上手く処理できていないから。ここ数日処理に忙殺されていたんだろうね、原稿も書けないくらいに。「案外純真だったのね」というのは東大で唐沢俊一に質問したときに自分も思ったけど。見ず知らずの人間に長々としゃべる唐沢さんは人を疑わない心のピュアな人なんだなと思って胸が痛みましたよ。


…しかし、ここでひとつの疑問が。一体どうして大内女史が「トンデモ本大賞」に来られなくなったのか。おそらく2つの理由のうちどちらかだろう。

(1)山本会長が来て欲しくなかったから
(2)唐沢俊一が来て欲しくなかったから

 まあ、理屈が通るようにに考えたら(1)だ。
『すべてのオタクは小説家になれる!』を取り上げよう!→えっ?あの本を書いたの唐沢さんの身内だったの?→唐沢さん、なんとかしてよ〜
 こう考えるのが自然だろう。しかし、(2)の可能性も十分ある。「裏モノ日記」の記述だと、唐沢俊一は誰かに頼まれて行動しているかのようだが、唐沢は過去にも朝日新聞の書評で「人肉食」という言葉を使わなかった(詳しくは2008年9月3日の記事を参照)のを「朝日新聞の規定に触れるから」と「裏モノ日記」で書いていたのだが、どうやらそのような規定は存在しないようなのだ(この件については後日取り上げる)。自分が来て欲しくないだけなのを「と学会」の総意であるかのようにすりかえる可能性は十分ある。大内女史がいなければ唐沢俊一が悪口を言いまくることはカンタンに想像できるしね。


 一連の行動を追いかけていて一番に感じたのは、唐沢俊一にしても「と学会」の人たちにしても、自分たちがいついかなる時でも正しいと信じているんだろうか?という疑問である。自分は絶対に「トンデモさん」にならないという自信があるのだろうか?むしろ「トンデモさん」をウォッチするときは自分も「トンデモさん」に成り得るのだと考えてやったほうが良いように思う。自分は唐沢を検証しているといつも「自分も唐沢に似ているなあ」と思って自戒させられることがしばしばあるし、昔の偉い人も「トンデモをウォッチする者は、みずからもトンデモとならぬようにこころせよ」って言ってたしね(ちょっと違う)。それに「唐沢さんがこないだテレビで言ってたこと、ちょっとトンデモだったよ」とからかったり「唐沢さん、パクリはやめておきなよ」と批判しあえる状況にあったのなら、大内女史が会場に来るのを止めたりすることにはならなかったと思う。他人を平気でコケにしているのに身内である唐沢俊一の盗用を見てみぬフリをするような姿勢が顰蹙をかっていることをいい加減わかってほしい。そのうえ今回は身内でも立場の弱い人間を切り捨てているんだから。一体どんな組織なんだ、「と学会」。
 まあ、余裕を失って硬直化した人間や組織をおちょくるのは面白いので、これからもちょっかいを出していこうと思う(われながら30歳を過ぎて子供じみているが)。 さあ、来週の「トンデモ本大賞」はどうしましょうかね。

※追記 天羽優子先生のご指摘に基づいて記述を訂正しました。

善悪の彼岸 (新潮文庫)

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